体に残る森の湿り気と香り(映画:アイヌモシリ)
「アイヌモシリ」とは、アイヌの人たちが自分たちの生活領域を呼ぶ時に使った言葉。(出典:国立民族学博物館)
母方が北海道で、小さい頃から北海道には親しみがあったし、訪れる中で親にアイヌの博物館に連れて行ってもらったこともあった。ニュースでも度々目にしていたし、大人になってからも北海道をフィールドにして遊んだり、東北まで続くアイヌ文化に関する本も読んでいたりもしていたので、興味はあった。1つ1つに意味のある言葉、不思議な音、自然からいただく、共生することを前提に育まれた文化。だから、この映画のチラシを見た時から「見に行かなくては」と心に決めていた。
映画を観たあと、私は不思議な空気に包まれていた。阿寒湖の近くの、森を濡らす雨とその湿り気。炎と雪のゆらめき。魂に呼応するようなデボおじさんの声。全てが体にまとわりついて、妙な湿り気と香りをまとったまま、渋谷の雑踏に放り出された。急に違う世界に放り出されたようだった。
この湿り気が、映画の全てのような気がして、この空気をまだまとっていたいと思い、足早に渋谷を去った。
映画を観てもう半年以上が経つけれど、今もあの森と炎と雪を思い出す。そこにあるものが醸す空気の香りを思い出せる。残念ながらコロナが収束しないことにはコタンに向かうことはできないけれど、収束したら必ず行こうと思っている。
舞台は北海道阿寒湖の近く、アイヌコタン。映画、というよりはドキュメンタリーのような、まさにそこに住んでいる人たちが出演者となって、アイヌコタンに住む人たちの日常が描かれる。
普通の日常の中に流れる「アイヌコタンへようこそ」商店街のようなアナウンス。観光地として、アイヌ語を習うような日々。
訪れる人の「日本語、お上手なんですね」という言葉への「勉強しましたから」という返事。
そんな状態への「普通じゃない」「ここにいたら、アイヌ関係のことやらされるじゃん」、違和感を口にするカント(主人公)。
前半に描かれた、観光としてのアイヌ文化。そこに、提案される「アイヌの根幹」としての”イオマンテ(熊送り)”。今の時代そんなことやったら、動物虐待だって、野蛮だって言われる。そうかもしれない。
でも私は、デボおじさんが体現する、森との関わり、自然の気まぐれへの受け止め方、命への向かい方、その命と森の湿度の重なり。そんなことを映画を通じて感じて(きっと、カントもそれを少しずつ感じたんじゃないかと思う)、文化と精神を支える大事なことなんだろうと思った。
「アイヌ関係のことやらされるじゃん」。そう言っていたカントの森への挨拶の自然さ。森の中に居させてもらう、そんな感覚。
彼らの森への挨拶は、空気や風に吹かれる枝のようにゆらめいて美しかった。
儀式の歌は森にこだまして美しかった。
熊に向かう人の目は一様に何かを覚悟して受け入れていた。
デボおじさんの魂を送る声は美しかった。
送られた熊が、これからのカントやコタンの村のことを天界に伝えてくれることを祈った。
「雨降ってばっかりだけどさ、降る雨にも都合があんのよ」
今を知る、とても重要な、たくさんの人に観て欲しい映画。