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東京芸人の運命を変えたひとり 芸人・リッキーが大手芸能事務所社長になるまで 4

「たけし軍団」結成のきっかけは僕らが作ったようなもんなんです

突如やってきたビートたけし

ダンカンがビートたけしの元へ移籍したことが、「たけし軍団」結成につながっていった。

岡社長は言う。

「たけし軍団ができるきっかけは、僕らが作ったようなもんなんですよ」。

どういうことか?

「同じ事務所の太川陽介の野球チームが試合を組んでいたのに、太川らが地方から帰って来られないことがありました。僕らもメンバーだったので、人数を揃えるためダンカンに『たけしさんの他の弟子も連れて来て』と頼み、それからぶっちゃあがよく行っていた新宿の『ポプラ』という店の店員、芸人『カージナルス』のタカとポポを誘いました。後のガダルカナル・タカとつまみ枝豆です。あと東映京都撮影所時代からの仲間、俳優の徳井優にも声をかけました」

この時点でタカと枝豆はビートたけしと接点がなかった。

別事務所でデビュー ガダルカナル・タカとつまみ枝豆が軍団に加入したきっかけ

「早朝の神宮のグラウンドで待っていたら、ダンカンとそのまんま東、大森うたえもん、松尾伴内らが来て、その後ろに、あれ? 高田文夫先生!? その横にえらいオーラがある人が…。え!たけしさん!? ダンカンによればニッポン放送の『ビートたけしのオールナイトニッポン』終わりで、ダンカンが『これからみんなで神宮外苑に野球しに行くんですよ』と言ったら、たけしさんが『おもしろそうだな。俺も行く』と来てくれたと。もうびっくりしました」

携帯電話などない時代。突然現れたビートたけしに、ブッチャーブラザーズもカージナルスも驚いた。

「みんなで野球をやって、その後、たけしさんが『朝メシ食べようか。新宿に行けば朝からやってる店があるだろう』って、みんなで国鉄(当時)に乗って移動しました。朝9時半ごろで乗客が多かったので、たけしさんは『バレるとマズいな』とタオルでほっかむりをしてたんですが、もちろん、すぐバレました(笑)」

新宿でたけしや弟子たちと朝食を食べていた時のことだ。

「野球が楽しかったのでしょう。上機嫌のたけしさんは『俺も野球チーム作るか』と言い、後日、本当にメンバーを集めてチームを作りました。その面々が“たけし軍団”になっていったんです。タカとポポは入っていた事務所が倒産してポプラで働いていたんですが、これ以降、ダンカンや他の弟子たちが店によく顔を出すようになり、たけしさんも行くようになって、揃って弟子入りしました」

ブッチャーブラザーズの2人が飯塚君の才能を買い、たけしの弟子になるきっかけを作らなければ、草野球にたけしが来ることはなく、タカ&枝豆が弟子になることも、たけし軍団があの形で結成されることもなかっただろう。
2人は人知れず、昭和の芸能界における大きな“分岐点”を作っていた。

ちなみに、ブッチャーブラザーズは「『お前らは野球が下手だから』と弟子入りを断られました(笑)。すでに事務所に入ってましたしね」(続く)

第一回のお笑いハウスに出演した飯塚実ことダンカンが第二回のフライヤーをデザイン
80年代コピーライターブームの頂点にいた糸井重里氏からの言葉も
故・宮沢章夫さんは”ジャッジ”として参加していた
こちらもリッキーこと岡社長が大切に保存していた


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華川富士也
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