【エッセイ】偶帳・冬雪抄 第四段『ある友人の話』

偶帳・冬雪抄

第四段『ある友人の話』


 ある友人の話をしたい。
 周知の事実とは思うが、僕は、思想がやや強く、友人が少ない。真の意味で理解してくれている友人は指を折るほどしかいない。
 僕が出会った友人の中で、現在距離を置かれている友人がいる。その理由は「普通になりたいから」だった。ひょんな出来事でその友人と齟齬が生じてしまった。喧嘩ではなかったにしろ、あまり好意的な対応ができなかった僕にも原因はあるのは間違いない。変な話ではあるが、無論、僕はその友人のことを僕なりに大切に思っている。

 僕は発達障がいを抱えていることはすでに公表しており、そのためにどのような特別支援教育を受けてきたのかは断片的に明かしてはいるが、普通になりたいと、いざその友人に言われたときは過去の自分を思い出したものだ。無論それは、心を殺すことに他ならないからである。
 自分の思ったことを無かったことにすることが、いかに危険なことなのか。自分を犠牲にすることが、いかに自分を苦しめることなのか、友人に教えたはずだったのにな……。とか思いつつ。

 普通をどう定義するかにもよるが、普通になるということは、意図して行えるものではない。自分が相手を傷つけやすいと思っているのなら、日頃から言われた相手、やられた相手はどう思うのかを頭で考えながら生きなければならない。僕は幼少期からそう教わってきた。ただ、やはり何も考えずに振る舞うのが一番いい。その過程でもしも傷ついたり傷つけたりしたら、その時に逆上するのではなく、「その言葉/行動で傷ついた」と一言を添えてやると、相手も自分もそれで傷つくと学習するわけである。
 無闇矢鱈に自分を縛り付けても意味はないのだ。罪悪感の中に生きていると、本当に生きている意味がないと錯誤してしまうが、それは断じて違う。罪悪感が見せている幻覚に過ぎない。自分には話す資格はないというのも、幻覚の一つである。もう少し気を緩くして過ごすのが一番いい。

 そんな現在。完全に関係が断絶したわけではないので、向こうからたまに連絡が来たりするし、僕も事務連絡で連絡を入れたりする。その度に元気そうでよかったと安堵しつつも、同時にだんだん壊れていっているのではないかと懸念しつつある。変な意味ではなく、僕はその友人がいなかったら、生きていけないと思うので、友人が壊れていく様子を黙って見るのは正直に言ってしんどい部分もある。無理をして自分を殺していないことを祈る他はない。

 ──もっと自分らしく生きても良いのだと、僕はその友人に言ってあげたいものだ。

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