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熊楠の曼荼羅に惹かれる私的理由
1. 混沌と秩序の中で生み出されるもの
南方熊楠(みなかたくまぐす)は、生涯を通じて網目という収集・関連性に執着した人だったといえる。生物学者、民俗学者、宗教思想家、どの肩書きも彼を説明しきれない。
膨大なノートと、そこに描かれた曼荼羅のような図。その中で、彼は生物や文化、宇宙までもが網の目のようにつながっていく様を記録していった。
曼荼羅は本来、仏教・特に密教における宇宙の縮図だ。しかし、熊楠の描いた曼荼羅は、彼自身の世界観そのもの。
神仏と生物、学問と民俗が渾然一体となり、混沌と秩序の中で新しい視点を生み出していった。
2. 「部分」と「全体」を見るということ
熊楠の曼荼羅に共通しているのは、一つひとつの点や線が全体に繋がるという発想だ。
たとえば、彼が観察したコケやキノコは単なる「一つの存在」ではなく、森全体の循環を象徴するものだった。
それはまるで、曼荼羅に描かれる仏たちが、中心の大日如来と繋がるようなイメージだ。
現代の私たちは、一つの情報や出来事に集中するあまり、その背後にある情報やものを見失いがちだ。
しかし、熊楠の視点に立てば、小さな出来事の中に宇宙の縮図が見える感覚になる。
3. 曼荼羅と現代アートの交点
熊楠の描いた曼荼羅には、現代アートと通じるものがある。それは「秩序と無秩序の共存」だ。
たとえば、アーティストたちの制作もまた、自由奔放に見えるものでも、本人の過去作品や・現在地・社会とのつながりを意識できるように感じられる。(もちろん一概に言えないところや集約されようとしないところが面白いところでもある)
曼荼羅は中心から広がりながらも、外側から内側へ向けて収束するような構造を持つ。
現代アートもまた、鑑賞者がその中心に入り込むことで完成するとも言える。
熊楠の曼荼羅には、単に見るだけではなく「関与する」視点が宿っている。
それは、アート作品が鑑賞者を巻き込むプロセスそのものだ。
4. 熊楠から学ぶ「余白」の意味
曼荼羅において、「余白」が重要な意味を持つように、熊楠のノートにも多くの空白がある。
記録されなかったこと、書き込みきれなかった思考、それらは何もないわけではなく、むしろ次のつながりを生む余地として残されている。
この「余白」の感覚は、私たちが日々の中で失いかけているものかもしれない。
すべてを詰め込み、完成させるのではなく、未完成の中に可能性を見出す。それが熊楠の曼荼羅が今もこれからも新鮮に感じられうる理由の一つだろう。
5. 河岸ホテルであろうとする姿
河岸ホテルは有機的であり、日々更新される場である。アーティストが滞在し、作品を制作する場所としての役割はあるものの、その空間は彼らの活動によって形を変えていく。
これからも秩序と無秩序の絶妙なバランスを大切にする場として存在していきたい。