『雪の名前はカレンシリーズ』あとがき:誰にでも忘れられない夏がある。
『雪の名前はカレンシリーズ』(著・鏡征爾/絵・Enji)
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より抜粋:
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あとがき
誰にでも忘れられない夏がある。それはおそらく十代の頃だ。
十代の頃に読んだそんな蔵書の一節を、いまでも覚えている。十代の頃、すべてを手に入れているような錯覚と、すべてを失っているような焦燥に、駆られていたのを覚えている。光に手をかざすと、指先で切り分けられた光がチカチカと眩しくて目の前がいっぱいになるのに、のばされた手がどこにも行き場がなくて、物足りない気持ちに胸が疼いたのを覚えている。
初恋。四季を幾度も繰り返して思い出すのは、夏のことだ。暑かった季節のことだ。そのとき僕はもう十五歳になっていた。
「初恋――それが、人間らしい感情だとききました」
赤朽葉カレンは作中でそんな台詞を繰り返しますが、たぶん、その夏に、僕は初めて人間になったんじゃないかと思います。誰かに焦がれること。何かに憧れること。その両方を、体験した高校一年生の夏でした。創作者に憧れ、千葉の郊外の寂れた高校で垣間見た、思春期の横顔に焦がれました。
恋をするには1パーセントの希望があれば十分である。
スタンダールの言葉です(記憶違いだったらすみません)。
恋とは希望の別名で、だからこそ傷ついたり生き急いだり壊れかけたりするのですが、それでもその体験は、とても美しいものだと思うのです。それでもその出会いは、とても幸福な出来事だったと思うのです。
だから恋をすることを、何かを追いかけることを、悪いことだと思わないでほしいと思うのです。
「二十七歳の私は、十五歳の頃の私より、少しも賢くない。私ばっかり、ずっと同じ場所にいる(『言の葉の庭』)」
新海誠さんの劇中の言葉は、絶望と同時に、希望をあらわしています。変わりたいという願いと、変わることができずにずっと同じ場所に立ち止まったままでいることの恍惚と不安。
四季を祈るように織り続けた十年間。若すぎたデビューがゆえに苦しみ続けた十年間。それは僕にとって冬の時代でした。それでも決して、希望を捨てることはありませんでした。夢を、あのときの胸の痛みを、その初恋の記憶を――手放そうとは思いませんでした。
夢を見る力は壮大な片思いで、当時、何もできないどころか高校にも行かなくなってしまった自分にとって、あの夏にみた世界からは1パーセク以上離れていたように思いますが、天文学的な数値でさえも、人間は一歩ずつその差を縮めていける力をもっています。
順調に壊れ始めていますね。自分でも、何を言っているのかわかりません。良い感じです。言語化できないもの、それを言語化しようと試みること。そのことが何より重要だとおしえてくれたのは、あの十代の夏に焦がれた、たった一人のクリエイターでした。僕が作家になりたいと思ったのは、『ファウスト』という文芸誌に出会ってからでした。それから長い冬の時代が始まりました。心が壊れてしまった時期もありました。それでもその先の世界を知りたかったのです。
「知ることは変わる力を獲得することだ、とライトミルズは言った」
赤朽葉カレンはココロを犠牲に未知の敵を迎撃する役目を与えられていますが、書き終えたいま、カレンは、あなたのことなんじゃないかと思います。
毎日、毎日、理不尽な何かに戦い続ける、ココロを犠牲にしながらも冬の時代とあらがい続ける、それでも変わるための何かを求め続ける、美しい魂の別名なんじゃないかと思います。
『夏時間』と『冬時間』。
本作の二つに分かれた世界は、そのことをあらわしています。
人工天使は、最後、人間になれたのでしょうか? 私たちは、「人間」になることができるのでしょうか。「すべては意志の力なんだ」主人公・四季オリガミはそう言い続けます。震える指でキーボードをタイプし続けた、自分の願いであったように思います。
それが、あなたにとっての願いでもあると嬉しい。
――誰にでも忘れられない夏がある。それはおそらく十代の頃だ。
でも、忘れられない冬があったっていい。
十代の僕に、ここまで壊れずにくる動力源の夏をくれた、故・飯野賢治さんに感謝します。
鏡征爾