企画参加【シロクマ文芸部:平和とは】最終試験
『平和とは何か』
それが最終課題だった。それについての自分の考えを指定された教官のところへ行き、口頭で述べるとともにいくつかの質問に答えなければならない。
表示された教官の名前を目にし、僕は絶望的な気持ちになった。エルバンシュタイン。居並ぶ教官の中でも特に冷酷でサディストと陰口を叩かれていて、不合格判定を出すのが自分の喜びと思っているような奴だ。最終課題だというのに。僕は絶望的な気持ちを抱えながら自分のブースを出た。
少子化に伴い、今まで量でこなしてきた社会は一転して質が求められるようになった。特に求められたのは個人の資質だ。社会に有用な資質の高い人間に育てるためには教育が必要だ。幼い頃からの。
政府は、幼い頃からの継続した学習を推し進め、子供が十八になった際、有益な人間かどうかのテストを一斉に行う。ほとんどの人間は合格し社会へと散っていく。なんらかの問題ありと判定された人間は再教育が行われ、二ヶ月ごとに追加テストが設けられる。再教育の期間は長くて一年。一年受けても改善の見通しがないと判定された者の結末はわからない。皆、消息を断つからだ。
秘密裏に処理されたのだという話や一生出ることの叶わない監獄に押し込まれたという話、生体実験の被験者にされているのだという話がまことしやかに囁かれた。本当のことは誰もわからないが、待ってる未来が好ましがらざるものであることは想像できた。
僕はなぜ自分に不適格の烙印が押され続けるのかわからなかった。何が自分に求められているのかわからず、その都度様々な答えを用意し時には迎合とも言える回答をしてきた。
何をしても無駄だった。
再テストを繰り返すたびに、人数は減っていった。ほとんどは再テストの合格者であり、中には精神的に不安定になり強制的に病院送りになる者もいた。僕のように最終段階まで残る者はわずかだ。
僕はエルバンシュタインのいるブースに入った。礼儀正しく挨拶をする。酷薄そうな青い目と高い鼻、薄い唇はきっと今後も悪夢として僕の夢に現れるだろう。
彼はいくつか質問した。僕は求められているだろう言葉を口にする。エルバンシュタインは耳を傾けているふりをしながら、僕をじっと見る。
「それは君の考えかね?私はどこかで聞き齧ったような言葉ではなくて君の言葉を聞きたいんだが。」
彼の指が二つのボタンの上を彷徨う。赤のボタンは不合格で右のドアを、白のボタンは合格で左のドアを開ける。
ああ、と僕は思った。こいつは僕の考えを丸裸にするまで許そうとしないだろう。今までにない全てを語るまでは。
このままでは合格しない。しかし、全てを語ればそれは体制への批判と受け止められかねない。好ましからざる個人的恨みでしかなく、後ろ向きで非生産的だと。だが…。
彼の指が赤に伸びそうになったのを見て僕は覚悟を決めた。これが最後なら全てを話さなければならない。全てを。
僕の長々としたおよそ誰の得にもならない個人的な考えを興味深く聞いていたエルバンシュタインは薄い口元を引き上げるとドアを開けた。
右のドアだ。
僕は絶望的な気持ちでそのドアに向かった。銃を構えた兵士が立ち並ぶ中、ドアへと向かう。少しでも愚かな行為をした者はその場で射殺する、という無言の圧力。
ドアが後ろでしまった。屈強な兵士が二名待ち受けていた。両腕を取られ僕は連れていかれる。ドアをいくつも潜り抜け小さなオフィスに通された。その先にいたのは、エルバンシュタインだった。
「合格だ。」
と彼は言った。
「平和を維持するには体制側の意図をよく把握し多角的に捉えて物事を判断しなければならない。また、迎合し遂行するだけでは不足だ。常に新しい局面を処理しなければならない。それには物事に屈しない強靭な精神力と忍耐力と創造力が必要とされる。
どんな組織でも組織である以上必ず腐敗する。それを打開するには勇気ある跳ねっ返りが必要だ。君のような優秀な、ね。
君個人はここで死ぬ。だが、新しい名前を得てこの世界を守るために生きることになる。その存在は誰にも知られてはならない。この世界が何をせずとも平和であると皆に思い込ませるために君は存在することになる。その重荷を君は背負えるか。」
断ることは叶わない。断れば僕はここで死ぬだろう。
僕は少し考えてから答えを出した。エルバンシュタインは満足そうに頷いた。
平和とは、今ある世界がそうであると気付かぬことだ。何もせずともこの世界は保たれていると思い込むこと。失って初めてそうではないと気付く。
努力なしに保たれる、そんな世界はどこにもない。
(終わり)
*次の企画に参加させていただきました。ありがとうございます。