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凡人が「天才に勝つための戦い方」を必死になって考えてみた。

『自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければなお良い。今まで世の中で能力とか才能なんて思われていたものを超えた、決意の凄みを見せてやるというつもりでやればいいんだよ。』(岡本太郎)

僕にとっての決意とは、「センスの正体」を徹底的に考え、天才と呼ばれる人たちに真正面から勝負を挑むということだった。

そこで今回は、「センスの正体」である「身体を思い通りに動かす技術」を向上させ、優れたランニングフォームを作るための具体的な方法について、僕が多くの失敗から学び、考えてきたことを紹介しようと思う。

それは、凡人が天才に勝つための戦い方とも言えるんじゃないかと思う。

(*今回は前回のnote↓の続きになります。)

「センス」の磨き方

「身体を思い通りに動かす技術」を向上させることが出来れば「優れたランニングフォーム」を獲得出来る。多くのトップ選手たちはそれを「感覚的」あるいは「無意識的」に向上させる。それが出来ないのであれば、「意識的」に向上させるしかない。

結論から言うと、意識的に「身体を思い通りに動かす技術」を向上させるには、「メタ認知能力を高めながら、3つのPDCAサイクルを上手に回すこと」が必要になる。

3つのPDCAサイクルとは

「PDCA」とは、「Plan=計画」「Do=実行」「Check=評価」「Action=改善」の4つの英単語の頭文字です。4つの段階を循環的に繰り返し行うことで、仕事を改善・効率化することができると言われています。

そして、僕が考える3つのPDCAサイクルとは次の通りです。

①「走る前のPDCA」
②「走る最中のPDCA」
③「走った後のPDCA」

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メタ認知の視点を持ち、全体を俯瞰しながら3つのPDCAサイクルを回すことによって、身体を思い通りに動かす技術を習得できる。

まずは、それぞれのPDCAサイクルについて説明します。

①走る前のPDCA

目的→「走る前の技術」を習得し、走りやすい身体を作る。

P: 自分の身体と向き合い、課題となる技術を見つけ、その手段(トレーニング)を考える。
D:その手段(トレーニング)を行う。
C:その手段(トレーニング)を正しく行えたかどうかを主観(感覚)と客観(鏡、動画、トレーナーなど)から確認する。
A:正しく行えていなければ、原因を考えて、対策を立案する。

②走る最中のPDCA

目的→「走る最中の技術」を習得し、身体をイメージ通りに動かす。

P:どのように走りたいかをイメージする。
D:走る局面に応じて、意思を持って身体を動かす。
C:
主観による確認
・イメージ通りに走れたのか
・走る前のトレーニングがどう影響したのか
・刺激が心地よかったのか、不快だったのか
・楽だったか、キツかったか
・痛み、張り感、疲労感
・メンタルの状態
など
客観による確認
・練習実績(タイム等)
・コーチの主観
・トレーナーの主観
・動画
など
A: 感覚と実際の動きのズレを認識し、正しく効果を得られていなければ、原因を考えて、対策を立案する。

③走った後のPDCA

目的→走り終わった後の身体の反応を確認する。「走る前の技術」を習得し、走りやすい身体を作る。

P:走った刺激による自分の身体の変化を知る。その身体に対してどうアプローチすべきか考える。
D:ケアやコンディショニングを行う。
C:
主観による確認
・痛み、張り感、疲労感
など
客観による確認
・筋肉の張り方
・トレーナーの意見
など
A: この身体になった原因を考えて、対策を立案する。トレーニングの方向性を定める。

それぞれのPDCAは以上の通りです。

一見、複雑そうに見えるが、競技者であれば、このサイクルを当たり前のように回していると思う。ただ、多くの凡人が見落としがちであり、最も重要な要素は、全体を俯瞰しながら自分自身をコントロールする「メタ認知」の視点を持つということだと僕は思う。

「メタ認知」の視点を持つということ

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「メタ認知」とは、メタ(高次の)という言葉が指すように、自己の認知のあり方をさらに認知するということです。

メタ認知の視点を持つことによって、もう一人の自分が「主観の自分の身体」「客観の自分の身体」を俯瞰的に見て考えることが出来る。つまり、メタ認知によって「走る前」「走る最中」「走った後」の3つの場面を俯瞰的に見て、PDCAが上手く回せているかを確認する。

具体的に言えば、あるトレーニングを行った時、「走りの感覚」や「練習のタイム」だけでなく、「コーチの主観」や「筋肉の張り(自分の感覚やトレーナーの意見)」や「ランニングフォーム(動画)」などを総合的に確認し、そのうえで「上手く行った部分」と「上手くいかなかった部分」を客観的に見て、今の自分自身の状態や課題を把握する。そして、課題克服のためには何をするべきか考え、それを実行する。その結果として、「身体を思い通りに動かす技術」は向上し、優れたランニングフォームが得られる。

1に確認、2に確認、3に確認。
それを俯瞰して自分を知り、
また確認。

その繊細かつ際限のない「確認作業」の繰り返しが「センスの磨き方」であり、「凡人が天才に勝つための戦い方」だと僕は思う。

「そんなシンプルなことか」と思われるかもしれない。でも僕は数多くの失敗を繰り返した中で、そんなシンプルなことにようやく気付いたのだ。

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では、ここから先は「メタ認知」が必要な4つの理由を紹介していく。

理由①~主観と客観は一致しない~

「主観の自分の身体」と「客観の自分の身体」は必ずしも一致しない。また、どちらか一方に自分自身が偏ってしまえば、歪みが生じる。そのため、両者をつなぎ合わせるメタ視点が必要になる。

主観に依存すれば、認知バイアスが働き、実際の身体(客観)との歪みが生じる。そのまま間違った方向に意固地になれば、狙い通りの走り(動き)が出来ないだけでなく、技術が後退する。

一般的にセンスがあると呼ばれる人たちは「入力の技術」に優れているため、凡人に比べて反復しなくても主観によって技術を習得しやすく、忘れづらい。そのため、主観と客観の不一致が起こりにくく、高い技術を容易に得やすい。だからこそ、センスが足りないのなら、「入力の技術」を磨くための手段やそのプロセスを考えるためにも「メタ視点」は重要になる。

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一方、客観に依存すれば、常に主観を客観に合わせることが求められる。だが、他者に感覚を委ね、24時間管理してもらうことは現実的ではない。少しでも他者の管理から外れれば、歪みが生じる。結果として狙い通りの走り(動き)が出来なくなる。

確かに、コーチやトレーナーなどの他者は、その瞬間の走りや筋肉の張りを把握することは出来る。だが、それをどう感じ、どう捉えるかはあくまで自分自身だ。また、複数の他者によるフィードバックは異なるかもしれない。

センスが無い人は自分にとっての「正解」が分からないため、客観に依存しやすい。そのため、信頼できる他者からの意見を聞いて、自分の主観と照らし合わせ、自分なりの仮説を持ち、実行してまた考えるというサイクルに落とし込む「メタ視点」を持つことが重要になる。

理由②~現状確認と課題の選択~

自分の課題となる全ての技術を同時にクリアすることは出来ない。そのため順を追って課題を一つ一つクリアする必要があるが、まず、「今自分は何が出来て何が出来ないか」を認識する必要がある。そして、何故その身体になったのかを考える必要がある。

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つまり、今までの自分の無意識の行動や技術の欠如がパフォーマンスを阻害していたかを把握しなければならないということだ。自分が信じてきたことを否定するのは辛いが、全体を俯瞰する「メタ視点」を持つことは現状確認する上で重要になる。

タイガーウッズの元コーチ、ブッチ・ハーモンは「完璧なゴルフスイングを身につけるのは、不可能に近い。再現性を高めるだけで精一杯だ。スイングは常に変化し続ける。」と述べている。ランニングフォームも同様で、疲労や調子によって絶えず変化する。それに応じて、課題も変化する。

そんな中、特定の課題にこだわっていては(あるいは、多くの課題を考えすぎていては)、技術が後退し、いつのまにか凡人タイプのランニングフォームになっていたということになりかねない。

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ランニングフォームを構成する要素は複雑だからこそ、細部と大局を交互に行き来する必要がある。ランニングフォームはあくまで技術の結果として得られるものだ。葛藤も含めた全体像を俯瞰して、今の自分にとって本当に必要な課題を考える上で「メタ視点」を持つことは重要になる。

理由③~身体の状態を知る~

一般的にセンスがある人は「入力の技術」に優れている、と先述したが、それは「走る前の技術」の土台が高いからこそ言えることだ。センスが足りない人は、「走る前の技術」の土台が低いため、入力の感覚をただ知らないだけなのだ。凡人と天才では、そもそもランニングによって感じる感覚が違う。子供と大人が見えている景色が違うように。

「走る前の技術」を向上させる上で、まず必要なことはどのぐらい走りやすい身体の状態なのかを知ることだ。

具体的に言えば、

1.走る前にフラットな身体の状態にする。(走った後のPDCAを回す)
2.トレーニングを行い、走りやすい身体の状態にする。(走る前のPDCAを回す)
3.走りに落とし込む。(走る最中のPDCAを回す)

このような正しい段階を踏み、走りやすい身体の状態で走りの練習を行わなければ、練習の効果を最大限に得られない。それどころか、アンバランスな身体の状態のまま、無理にトレーニングを行なっていては故障のリスクや技術の後退になりえる。まずは、全身をフラットな状態に戻すことが先決になる。

しかし、現実的にはそうもいかない。常にフラットな身体の状態や常に走りやすい身体の状態を優先していれば、走りの練習の継続性を保てないからだ。つまり、ある程度、身体のバランスの悪さを許容し、セルフコントロールした上でトレーニングに臨むことが必要になる。その加減を判断するためにも「メタ視点」を持ち、自分自身の身体の状態を確認することは重要になる。

理由④~感情と理性の協調~

話は逸れるが、『性善説』で有名な孟子は、人が人らしくあるためには「複雑な状況の中で如何に正しい判断が出来るか」が重要だと説いた。

「世界は複雑で不安定だからこそ絶えまない修繕が必要である。だからこそ、まずは、その複雑で不安定な状況を認識することが重要だ。」

「その上で原則と現実とのバランスを保ち、臨機応変な行動をすることが大切になる。そのためには、感情の感度を研ぎ澄まし、感情と理性を協調することによって、本能的に正しい判断を下すことが重要である」と説いた。

この観念は「絶えず変化するランニングフォーム」にも通ずると僕は思う。

ランニングフォームの複雑さはある種、無秩序だ。それゆえに本能的に正しくコントロールし続けることは非常に難しい。不調やケガを経験したことがあるランナーならこの感覚が分かるだろう。だからこそ、上手くいかないことに動じない強い感情と身体をコントロールしようとする理性お互いに協調して働くように鍛錬する必要がある。どちらか一方に寄ってしまっては、正しい成果は得られないからだ。

その鍛錬には「メタ視点」を持ち、広い視野でランニングの複雑さを出来る限り理解し、内省する経験を積み重ねなければならない。そして、長期的な見通しを立てた上で、都度コントロール出来る部分に注力する必要がある。

結局、自分を知ることが一番難しい

ここまで意識的に「身体を思い通りに動かす技術」を向上させるには、「メタ認知能力を高めながら、3つのPDCAサイクルを上手に回すこと」が必要になるという説明をしてきた。

多くの天才たちはこの作業を無意識的に行っている。だが、僕にはそれが出来なかった。そして次のような数多くの失敗を繰り返してきた。

・トレーニングを知ったつもりになり、正しいやり方を誤認し、代償運動になってしまったこと。
・プライドが邪魔をして、素直に他人(客観)のアドバイスを聞けなかったこと。
・逆に、他人(客観)に依存して自分に足りないものを考えなかったこと。
・「あの人がやっているから」という理由だけで、トレーニングの内容や負荷を選択したこと。
・周囲を意識し過ぎて結果を焦り、冷静に自分自身の身体と向き合わなかったこと。
・理想の感覚(主観)を追い求めるあまり、実際の身体の状態に合わせて、身体を動かさなかったこと。
・自分の身体を作り上げる段階を無視し、自分の主観を過信したこと。
・知識を得るだけで頭でっかちになっている自分を客観視出来なかったこと。

などなど……

これらの失敗に共通して言えることは、メタ認知の視点から「自分自身を知ることが出来なかった」ことだった。結局のところ、自分を知ることが一番難しいと振り返ってみて改めて思う。そして何より、自分自身が凡人であることを自覚したくなかったのだと思う。悔しいけれど、現時点でセンスがないならセンスがないなりの戦い方をするしかない。

このようなメタ認知の考え方は、ランナーに限らず、多くの競技者が無意識に考えてはいるけれど言葉にはしていない、いわば暗黙知の一種だと僕は考えている。

人は何かを選んで安心したい生き物だ。誰かが正しいと定めている何かであれば尚更だ。だが、まずは、「よく分からない、上手くいかない、劣っている」自分を知る。そして、ランニングフォームの複雑さを認めたうえで、理想に至る道筋を探究し、都度、落とし所を自分で選択する。それこそが「身体を思い通りに動かす技術」を向上させ、センスを磨くために最も重要になると僕は思う。

その過程は、忍耐とエネルギーを消耗するが、敢えて言わせて貰えば、それは忍耐とエネルギーを真っ先に割くべき問題だと自身の経験から強く思う。あるいは、そこに楽しみを感じることが天才を越えるための一番の近道と言えるのかもしれない。

『マインドセット』という土台

これまで、天才と呼ばれる人たちに勝つためには「身体を思い通りに動かす技術」を向上させる必要があると書いてきた。だが、その前提を考えた時、そもそも「身体を思い通りに動かす技術」の更なる土台があることを最後に紹介したい。

その土台とは、人は変わることが出来るというマインドセット(心のあり方)だ。マインドセットは、硬直(fixed)マインドセットしなやか(growth)マインドセットに分けられる。

硬直マインドセットの人は、自分の能力は固定的で変わらないと信じている。スポーツで結果を残すのは限られたセンスのある人間だと思っている。あるいは、自分のことをセンスがある特別な人間だと思い込んでいる。

一方、しなやかマインドセットの人は、人間の基本的資質は努力次第で伸ばすことが出来ると信じている。現在のレベルがどうあれ、日々の練習や工夫によって、人の潜在能力はいつからだって鍛えることが出来るはずだと考えている。単に勝負に勝つことを成功と考えるのではなく、学び、向上していくことこそが成功と考えている。

どうにかして天才に追いつき、追い越したいと考える人にとって、しなやかマインドセットを持つことは、身体を思い通りに動かす技術を磨く上での根本的な土台となるはずだ

まとめ

今まで二回に渡って、「センスとは何か」、そして、「センスが無い凡人が天才に勝つための戦い方とはどんなものか」を考察してきた。

センスの正体である「身体を思い通りに動かす技術」はランニングフォームを構成する。多くの天才はその技術を無意識的に磨いている。そのため、凡人は意識的に磨くしかない。

その技術を意識的に磨くためには、メタ視点によって「走る前」「走る最中」「走った後」の3つの場面を俯瞰的に見て、PDCAが上手く回せているかを確認する必要がある。

メタ視点を持つことが必要な理由は全部で4つある。1つ目は、主観と客観は一致しないため。2つ目は、現状確認と課題の選択のため。3つ目は、身体の段階を知るため。4つ目は、感情と理性の協調のため。

これらに共通して言えることは、ひたすらに自分と向き合い、自分を知るということだ。その上で客観的な意見を咀嚼しながら、結果への道筋を都度、自分で考え、実行する。そのひたすらな確認作業の繰り返しが重要になる。

そして、その確認作業の土台となるのは、「人間の基本的資質は努力次第で伸ばすことが出来ると信じている」しなやかマインドセットを持つことになる。それはセンスが無い凡人が天才に勝つための第一歩目となるはずだ。

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「あの選手はセンスがあるから強い。」
「やっぱりセンスがある選手は違う。」
「結局のところ、センスには勝てない。」

僕はそんな言葉を何百回と聞いてきた。

でも、僕は決してそうは思わない。

さいごに

「未だに大した結果も出していない、現役選手である自分がこのようなことを発信すべきではないのかもしれない。」

このnoteを書いている間、ずっとそんな事を考えていました。ですが、発信することに決めました。それは僕の失敗が誰かの役に立つかもしれないと思ったからです。

今回の考察は、僕が真剣に競技と向き合った約20年間のトライアンドエラーから生まれたものです。勿論、色々な考え方はあるとは思いますが、少なくとも、かつての自分がこれを読んでいれば確実に何かが変わっていたと思います。

なので、かつての自分(や現在の自分)と同じように「天才と呼ばれる人たちにどうにかして勝ちたい」と思っている、あなたの為に書きました。そして、ある種、僕の失敗を共有することで、同じような失敗をする人が減ってくれたらいいなとも思っています。

(とはいえ少しでも面白いと思ってくれたら、感想をシェアして下さるととても嬉しいです!!)

では、最後まで読んで頂きありがとうございました!

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山田翔太
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