糸井重里はフォロワー234万人もいて1時間にいいねが22個しかつかないの

糸井重里のスポーツの替わりに医療最前線を見せろ発言は「耄碌しちゃったのねおじいちゃん」と情けない気持ちになった。
あの辺の、ほぼ日まわり、なんとなくよしもとばななあたりまで繋がってそうなふんわりしたサークルは好きじゃない。
よしもとばななはちょっとした散文だけで「なんだこいつ」と思ったので一生彼女の小説は読まないと思う。なんだこいつと思ったのは、誰かの本の帯に「絶対読んで。なんとかだから。ほんとだから。うそじゃない」というような文を寄せていたから。練りもせず、愛もない、ただ自分は正しいと思い込んでいるだけ、子供の主張のような言葉で売れる、そういう世界がいやだ。

糸井重里のツイッターのフォロワー数、234.2万人。なのに、宣伝風のつぶやきにいいねが22しかついていない。1時間で、これは少ないだろうか?いや、2万人程度のフォロワーでも、5分で数百いいねがつく人を何人も見ている。良い内容ならば、有名無名は関係ない。

1時間で22個の言葉も、
「音楽」、バンド構成だけですごい詩です。
だった。

「すごい」で片づけてしまう怠慢。もう自分が何か言えば「すごい」とあがめられると、信じ切っているんだろうか、細胞の隅々まで。

ここ数年、「すごい」「とっても」などをなるべく使わないように気を付けていた。「なんか」や「まあ」も、気をつけたい。クッション、ゆるめて、攻撃しないでね、と曖昧にするには便利かもしれない。

でもあの人は言葉で財をなしたはずだ。
もっと言葉を大事にするべきだ。

だから糸井重里、よしもとばななを有難がる人とは、相容れない。
表だって言いませんが、ほっこり、ふわっと、ゆるっと、などを平気で使える人はばなな一派多いから、そういった方たちにはあまり真面目に、本心の話はしません。そういうひとたちからのいいねなど、何の足しにもなりません。