同じ子どもが国によって違うスキルを持った大人になるのはなぜか
そう思ったのは、海外の人々と勉強したり仕事をしたりする中で、自分自身が困った経験があるから。その戸惑いの中で、
私は彼らと同じスキルを持っていないのではないか、そのために自分の能力を十分発揮できていないのでは。
と感じていました。
日本では、板書されたことを暗記する事が重要だと教えられ、センター試験で高得点を取ることが何よりも大切だと教えられてきた世代でした。一生懸命に勉強をした学生時代。それが自分の人生の役に立つと信じていたからです。
しかし、アメリカの大学院に進学をしてみると、自分の能力が他の国のクラスメイトと全く異なることに気がつきました。暗記をしたことを答えて高得点を取ることよりも、自分にしかないユニークな視点から物事を捉え、まとめて伝えることが豊かな才能だと考えられている。そして、私はそのやり方を知らない、と。
「あんなに必死で勉強したのに、日本で身につけた能力が海外では役に立たない。」そして「役に立たないと誰も教えてくれなかった」と思ったのです。
そして思いました。自分が教員になったら、自分の様な苦労をせずとも国際的に競争力のある生徒を育てたい、と。
しかし、現実はといえば、英会話の授業で「あなたはどう思う?」と質問しても「え?なに?」と隣のクラスメイトにきかないと答えられないような高校1年生。「日本人が訪れるべき海外はどこか」と言う作文のタイトルに「海外に興味がないので何を書いたらいいのか分からない」と答えた高校2年生。発表活動を取り入れようとしたら、「センター試験のワークをしたい」と答えた高校3年生。
愕然としながらも、子どもたちが自分の意見をもっと自由に考えたり、自分の考えを述べたりする(できれば英語で)力をつけるにはどうすればいいだろう。毎日そう考えながら授業に向かっていました。
しかし、どれだけ頑張っても納得のいくものには届かない。
なぜだー。゚(゚´Д`゚)゚。
考えてみれば、日本の公教育ではまだまだ伝統的な教育方法が一般的。私たちが高校生だった頃からそう変わってはいません。公教育が始まった150年前から実は大きな変化はないのです。
表立っては誰も言いませんが、実質的には定期考査のために授業を行い、センター試験や大学入試のために生徒の英語力をつけている日本の教育。単語小テスト、ワーク、教科書などやる事は山積みで、現場の先生は業務は多忙を極めます。高校教師に大学入試制度を変える影響力などないですから、できる範囲で授業を進めていくしかないのです。
もちろん、英語教育改革を目指して新しい指導法を研究したり、海外研修を取り入れたり、スーパーハイスクール制度を活用して新しい授業法に挑戦しておられる先生方もたくさんいらっしゃいます。しかしそれはまだまだ特別なこと。一般的にみれば、日本は今だに国際的なコンピテンシー(能力)を備えていない若者を世に送り出し続けているのです。
日本の教育制度の何がそうさせるのか。日本文化のどういうところが、外国と違う能力を持った人材育成に影響しているのか。
「同じ高校生なのに異なる能力を持った大人になるのはなぜか」
その答えを知りたいというのががアメリカの高校で勤務するきっかけの大きな動機でした。アメリカ勤務を終えても、答えはまだ整理されていません。noteを使いながら、これからも少しずつ考えていこうと思っています。