消えたい私が子どもを産んだら産後うつになった話②
当時の産院の状況
·コロナ対策のため、面会、立ち合いNG
荷物の受け取りは病院の外で看護師さんが。
·陣痛時マスク着用
·入院中部屋から出るのはNG
前回↓
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地獄の産後入院のはじまり
出産後は、産後ハイと言われるものになると耳にしていた。私は、昼に出産した後は、お昼寝→夕食(完食)→睡眠(ぐっすり)の流れ。
産後初トイレで貧血で倒れたため、出産した日の母子同室は見送り翌日以降になった。
あまりにも、子どものことを考えずリラックスできていて、母性がないんじゃないか心配になった。後に、母性に苦しめられることをこの時は、まだ知らない。
出産翌日
朝食を食べ終えると、赤ちゃんが部屋にやってきた。小さくて小さくて壊れてしまいそう。
オムツ替えの仕方を教わったり、授乳のたびに激痛に苦しんだり休む暇などない。
慣れないお世話に苦戦しながら、私がちゃんとしなきゃこの子は駄目になってしまうとぼんやり考えていた。
昼食。お腹が全く空かなかった。
とりあえず食べられそうなものだけ食べた。
貧血の点滴をすることになり、赤ちゃんを助産師に預けた。
点滴中、赤ちゃんの生活リズムを整えなければ自分が狂うと考えていた。
そして検索魔に変貌した。
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あっという間に日が落ちた。
夕食は、全く食べられなかった。
悲しくないのに涙が止まらなくなった。
私は、自分が消えたかった世界に産み出してしまった。こんなにきれいで素敵な子を、こんなに汚い世界に。自分のエゴで産んだのに、お腹の中にいないからもう守ってあげることすらできない。
そして、私はこのまま生きていても、生から逃げても、母になった事実から、命を産み出した責任からは逃れることはできないと悟った。
絶望と申し訳無さでぐちゃぐちゃだった。
その後の産後入院
助産師さんが部屋に入ってきても、ずっと涙は止まらない。
見るに見かねて、赤ちゃんを預かってくれた。
たくさんたくさん話を聞いてくれた。
この時の助産師さんには、感謝してもしきれない。
母子同室が基本の産院だったが、退院前日まで、授乳以外は赤ちゃんが部屋にいることはなかった。赤ちゃんと二人きりは危険だと判断されたのだろう。
そして退院した。
私のうつは始まったばっかりだった。
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