かれこれ20年以上前のこと。 「プロってすごいな…」 当時、すでに撮影で生活してはいましたが その技術を目の当たりにして 「自分はぜんぜんプロじゃないや…」 と思い知らされた時のお話。 ある大先輩との企画で 若手向け撮影レクチャーを開催することになりました。 その方は報道出身で プロスポーツがメイン。 時に紛争地帯にも取材するほどの ガチプロでした。 若手5人と自分、そのプロの7人で 事務所界隈をスナップしながらの レクチャーとなりました。 当時はデジタルも出
写真を始めて四半世紀が経ちます。 結構な飽き性なのですが 写真だけは続いています。 なぜ「写真」なのでしょうか? 一緒の仕事現場で出会った とある写真家が話してくれた出来事が 自分の写真への情熱の原点なのです。 当時、駆け出しだったその写真家は 初めてアメリカでフォトギャラリーと契約をして 個展を開催することになりました。 客入りは順調。 会期も後半に差し掛かったある日、 一組の老父婦がギャラリーを訪れました。 老父婦は一枚の写真の前で ずっと見入っている様子でした
その場にはいないけれど その場にいた人の気配を 感じる場面が好きです。 そんな中でも 落とし物。 時々見かけますが 大抵は路にそのまま落ちています。 落とし物かゴミか わからないものも あるけれど もしかしたら 落とし主にとっては 大事なものかもしれません。 そんな気持ちを汲み取ってか 誰かが落としたものを 誰かが気にかけた跡。 いつからここにあったのかは わからないけれど 確かに誰かが施したのは わかります。 「落とした人が見つけやすいように…」 きっとこんな気
海辺の石ころを見ていると 妄想が膨らみます。 とある砂浜。 波打ち際に ポツンとひとつの丸い石。 周りは砂だらけで 石ころはそのひとつだけ。 たまに大きめの波が来ても 動く気配は全くありません。 海辺や河原の石は 水に流されながら ぶつかって 角がとれて 丸くなると たしかに幼い頃に教わったので この石ころもそうなのでしょう。 きっとそうなのだろうけど だとしたら… 「いったいどれだけの時間をかけて こんなに丸くなったのだろう?」 「そもそもどこから来たんだろう
写真を撮るときに 意識していること。 「感じたものを出す」 シンプルです。 でも、これが難しい…。 今も常に意識しているテーマです。 「感じる」ために 写真を撮るうえで ものごとに対する感度を高めることが 重要だと考えています。 一般的に言われているように 良いものを見て 触れて 想いをめぐらせることは 大事だと思います。 でもそれだけでは足りない。 じゃあどうするか? 観察力 洞察力 妄想力 を高めることです。 少し掘り下げてみますね。 🔹観察力 と
その一枚は とても大切な一枚です。 決して上手な写真ではないけれど とても大切な思いを込めた一枚です。 当時18歳。 受験に失敗したため 1年間の浪人生活を過ごすことになりました。 高校時代は部活に明け暮れていたため 一日中机に向かうのが本当に苦痛…。 それでもなんとかやり過ごせたのには あるとっておきの場所の存在がありました。 そこは自転車で5分程の河原の土手。 道路から離れていて静かな場所。 風にのってくる土や草の匂い。 目の前に広がる大空。 川上に目を配れば 西
かえるです。 唐突ですが 写真はとにかく楽しいのです。 カメラがあるだけで 世界が輝きだします。 何気ない街角の一コマ。 道端に生える雑草。 誰かが残した手袋。 なんだか妙にカッコよくみえるクレーン。 真っ直ぐに伸びた一本道。 今にも遊び声が聞こえてきそうな公園。 決定的な瞬間もそうですが ごくありふれた場面でも 自分の気持ちの置き方によって 世界は輝いて見えています。 写真を知らなかったらできなかった 言葉ではない人との会話とか。 雨になれば無性に外に出たくなる気