1次情報に触れる大切さ
“名君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出づる所以のものは、先知なり”
-孫子
●はじめに
こんにちわ
いっくんです。
最近、一次情報の大切さを身にしみて感じています。
マルチに勧誘されたり、最近のコロナの感染者数にフォーカスした
view数を稼ぎにいったようなセンセーショナルな見出しを見るたびに感じています。
マルチビジネス自体は法律的に認められた合法的なビジネスだとしても
それは特定商取引法で規定されている様々な取り決めを守った上でのこと。
勧誘してくる人の傾向として、これを知らないかあるいは知った上で無視しているか
と思えるようなやり口で勧誘してくる人が少なくありません。
そう言う人に会った時は是非言ってみてください。
「それ、特商法の33条違反だよ」
って。
私のマルチに勧誘された体験談もよかったら見てみてください。
コロナに関しては
“感染者数●名”という言葉を目にしない日はすっかりなくなったくらいに
定着した気がします。主に感染した人の数を言うだけでは
多いか少ないかに一喜一憂してしまいます。
全世界がコロナにどう対処しているのかを理解することで、より客観的に情報をつかめると思います。
1/27にコロナ感染者数が1億に達しました。
下記記事にて感染者数の内訳・推移をわかりやすく図解化されています。
https://www.aljazeera.com/news/2021/1/27/infographic-how-did-we-get-to-100-million-coronavirus-cases
1/28にはバングラデシュがワクチン接種を3千万規模で始めたようです。
https://www.aljazeera.com/news/2021/1/28/bangladesh-starts-covid-vaccination-drive
●今日のニュース
そして最近気になったニュースを取り上げていきたいと思います。
“Last heir to the Ottoman throne dies in Syria aged 90”
原記事:
https://www.middleeastmonitor.com/20210120-last-heir-to-the-ottoman-throne-dies-in-syria-age-90/
オスマン帝国の皇位継承者のDundar Abdulkerim Osmanoglu(以下デュンダル)が死去したという記事です。
オスマン帝国というのは、ざっくり言うと今のトルコ共和国の前の国です。
普通に過ごしているオスマン帝国というのはかなり馴染みがないと思います。
しかし、現代の中東問題を考える際の根幹は、この国の時代に形成されたと言っても言い過ぎではありません。
オスマン帝国を理解することは現在の中東世界を理解することなんです。
私が大学時代に研究対象にしていたのが
“19世紀末オスマン帝国のアイデンティティに関して”
でした。
なので特に印象を受けました。
さらに私の研究対象の時代がアブデュルハミト2世の治世も扱っており、
デュンダルはアブデュルハミト2世の曾孫とのことで、より親近感が湧きました。
そして気になったのが、
オスマン帝国は私の認識だと1924年にトルコ建国の父ケマルアタテュルクが
カリフ制の廃止を実行し、オスマン帝国は完全に滅亡したと思っていたからです。
どうして継承者がいるのかと感じました。
しかしカリフ制が廃止され国外追放になった後も、オスマン家は皇位継承者を選出していたみたいです。
オスマン家は1924年のカリフ制の廃止から長い間トルコに立ち入ることは原則禁止されていました。
念願の帰郷が実現したが1952年で、男性は1974年になってからのことでした。
しかしデュンダルは生まれのダマスカスにずっと止まる選択をしました。
シリア内戦の激化に伴い、一時はトルコのエルドアン大統領によってベイルートやレバノンで隔離されていたようですが、最後の時は生まれのダマスクスで過ごしました。
久しぶりにオスマン帝国の関心が高まり、英語の勉強にもなっているので一石二鳥となった記事でした。
日本語だけで情報を探していたら、きっと難しかったでしょう。
●まとめ
情報を制するものは戦いを制する。withコロナを生きる私たちにとって、情報は何よりの武器となります。
一次情報に触れて客観的でより正確な判断ができるようになっていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
(Good-bye)وداعا!
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