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【寺】豪雪高野山(金剛峯寺・奥の院)

高野山に結願に行ってまいりました。

昨年5月末から1週間で四国お遍路88箇所を巡って参りまして、特にどの願いも結ばれてないのですが

自分の住んでいる奈良県からは京奈和バイパスのうち、奈和の部分が完成したことにより格段に近くなったので、向かってみました。

奈良県からは約90分で到着しました。バイパス完成前より30分短縮といったところでしょうか。

高野山金剛峯寺は1000m級の峰々に囲まれた、標高約900mほどの平野に位置しているようで、また、この前日くらいに太平洋側でも大雪の恐れがあったこともあり、

寒かったです。

こちらを見て、見所がたくさん、本当にたくさんあることは理解していたのですが、教養がなさすぎるのと足元が雪で歩行が困難だったことと、寒すぎたため(命を優先して)少しだけ歩いて周ってみました。写真を中心に挙げておきます。

【大門】

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吹雪いております。引きのお写真がこちら。

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写真だとやはり伝わりにくいのですが、でかい。あと、吹雪。

大門という名の、大きな門。荘厳。

【グルメ】

高野山といえば高野豆腐!精進料理!を食べました。でも高野豆腐より胡麻豆腐の方が好きだな〜と思い、胡麻豆腐御膳みたいなのを食べました。

カフェで。

こちらでビジュアルも美しいランチ御膳を見つけました。

金剛界曼荼羅を模した、金剛懐石1900円!

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胎蔵界曼荼羅の中心部分に描かれる中台八葉院というところを模した胎蔵懐石1900円!

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いずれも、炊き込みご飯とお吸い物がついてきます。胡麻豆腐や高野豆腐、おからなどを色んなバリエーションでちょっとづつ頂けて飽きない。ホクホクお腹いっぱい。

お持ち帰り用やお土産用の胡麻豆腐なども販売されていました。

【金剛峯寺】

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いや、

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だから、雪よ

この時点(お昼の12時)で-2.4℃でした。怖い。でも参拝の方もチラホラおられました。

屋根の上にある桶は天水桶(てんすいおけ)というそうです。主人が『あの酒樽みたいなの何だろ』と小声で言ったら、すれ違い様に観光客の奥様が教えてくださいました。

高野山は標高が高く、お化けみたいな大きな杉がたくさん生えているので昔から落雷が多かったようで、火災が起こった時の対処のためのもののようです。

本堂の中も見学することができまして(有料)、御朱印などもこちらで頂けます。我々は御朱印はもらっていないのですが、お遍路の際に使用した白衣にスタンプを押してもらいました。

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お化けみたいな杉。

中は、撮影がOKのところとNGなところがあるので写真がまちまちです。

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床が、二条城の鶯張りみたいにキュッキュ鳴ります。

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お庭も立派!

蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、石は四国から砂は京都から持ってきた美しいお庭なのですが、見えない。雪で見えない。それが綺麗なんだけど。寒い。


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休憩所も設けてくださっており、そこにありました!さっきの!ランチの!

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売店やお手洗いもあります。ファンクラブ会員も募集されています。ゆーて、お大師様のファンクラブ、すでに1000万人以上いると思います。

撮影禁止だったのですが、個人的に『台所』の前に『囲炉裏の間』というところがありまして、そこでだけなぜか鳥肌が止まらなかったです。さ、寒かったからよね。

【奥之院】

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奥之院参道は約2kmの間に、たくさんの、それはそれはたくさんのお墓がありました。

先ほどから寒い寒いと申しておりますが、なんだか大げさに聞こえてしまうかもしれないのですが、本当に、それはもう本当に寒かったのです。

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そう、寒かったのです。

2kmくらい大丈夫だろ歩いてみよ!と気軽に挑んだのですが、如何せん雪がすごくて足元が覚束ず、ゆっくりしか進めないので、色んなお墓を見ながら歩き進めました。

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御廟橋(ごびょうばし)までたどり着きました。ここから先はお大師様が現在もいらっしゃる聖域とのことで、携帯の使用は禁止。

服装を正して、一礼して渡ります。

中は、とても静かでより一層 空気がキリッとしていました。(表現)

お大師様がおられるところ、あと無縁仏のための塚もありました。一周ぐるっと見学して、また外に戻ってきまして、

御供所の前にあった手水舎もこの通り。

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流水も着地した瞬間に凍るんですね。クラゲみたいになってる。粒状。

手がね、一瞬でも袖から出るともうあんまり動かなくなるんですよ。

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こんもり。

【おまけ・感想】

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陀羅尼助丸(だらにすけがん)てご存知でしょうか。日本人は世界的に見ると昔からお腹の弱い民族だったようで、古くからたくさんの胃腸薬が全国各地に存在しているみたいで、こちらもその一つです。

奈良県南部〜和歌山県の場合はこちらの陀羅尼助丸が当時の定番の胃腸薬だったようで、私の勝手な推測では熊野古道や伊勢神宮など、長距離の参拝の際にお腹の弱い日本人のために、土着的にこのようなお薬が作られたのかなと思います。

金剛峯寺から奥之院一の橋までの間にはお店などもあり、数珠屋さんやお薬屋さん、お寺や宿坊などもたくさんあります。

奥之院前バス停付近の 奥の院墓地 には、たくさんの企業のお墓や慰霊塔がありました。これまでの歴史の中で一緒に働いてきた社員やその家族などの逝去に、労いと供養のためのものだと思います。半沢じゃないですが、社長も社員も関係業者も株主も流動的なものである中で、じゃあ会社って何だとなると、それは恐らく人の思いの歴史なのかなとも感じました。

バスター対象も供養。

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お坊さん歩くのめっちゃ速い。雪道(凍ってる)を下駄でめっちゃ速い。

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ご時世的にも場所的にも誰ともあんまり話さないまま、1.6万歩くらい歩いてみましたが、(私は無宗教なのですが)言葉少なに 標高900mくらいのところからお大師様は我々にメッセージを送り続けておられるのかもしれません。

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次は、ぜひもうちょい勉強して、冬以外の季節に、一日まるっと巡ってみたいです。

ようやく、結願できたのでよかったです。寒かったです。

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おしまい。

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