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今さらながら自己紹介


noteを始めてみて5か月が過ぎました。

そもそもなぜnoteなのかも分かっておらず、今みんなが使ってるのがnoteだからこれに書いていってるだけです。

書く内容も、今やってる仕事で伝えたい事や全く関係ないことまで、色々と試しながら書いてます。


そして、ようやく気付きました。


ほとんどの人が先ず一番最初にやってること。


「自己紹介」


なるほどね~、基本ルールね。

みんなやってるから逆張りでやらない!とかはいらなさそうなので、今更ですがとりあえず書いてみます。



改めまして、株式会社侶丹(ロダン)の日永と申します。
私はkaene(カエン)というブランドの、カッコ良く言えばディレクションをしております。

正直に言えば、45年目になるこの会社の3代目のただのひねくれ者で、息子とサーフィンとラーメンとお酒が大好き過ぎる39歳です。
(妻は?という質問は受け付けておりません)

なんか、幼稚なのでもっとそれっぽく書いてみると、



kaene director :  日永和孝        

九州産業大学芸術学部プロダクトデザイン科卒業後1年間渡米。
渡米先で出会ったベトナム料理のフォーか、当時サンディエゴで流行っていたタピオカミルクティーで独立することを考え、リサーチも兼ねてバックパッカーになり十数か国を歩き回る。
帰国後、某飲食店の中間管理職と中目黒にあったカフェ・バーにて、飲食業のノウハウを学ぶ。
父が経営する会社が倒産の危機に陥り、志半ばでやむを得なく入社。復活のためにも[kaene]を立ち上げるが、トータルで4期連続赤字を経験。あと数か月で資金ショート(倒産)というところから、撒いてきた種が実りだし10期連続黒字に転換の復活を果たし、今に至る。

こんな感じですかね。

なんか復活劇果たした感じでカッコよく見えるかもしれませんが、実際は元々シルバー(お婆ちゃん向け)の洋服を作ってた会社が、ヤング(若い子向け)に転換するのだけでも本当に大変なうえ、そもそも洋服なんて作ったことないし勉強もしたことない奴が、息子というだけでブランドなんてのを立ち上げて、デザインを起こして、生地屋も縫製工場(mode anna以外)もましてや売り先も無く、何もかもを新規開拓して生産の管理~出荷までするという、、、唯一パターンだけはしなかった(というか出来ない)。

更に社長は、売り上げ100万すら作ったこと無い私に「お前が2億やらなければ会社が潰れる」と数字のプレッシャーをプレゼント。

その時ずっと体調悪くて病院通ってたら、内科の先生に「心療内科」を勧められて、鬱になりかけてますねーとかって診断されたり(当時は鬱って言葉知らなかった)、でも薬の効き方があまりにも怪しく(キマり方がやばくて笑)、そこから自分で調べだして、鬱の意味知って「ふざけんなー!」って強がって速攻断薬して。

(本当は自分の弱さ認めたほうが良いらしいけど、当時まだイキがってたので気合いで乗り越えました)

という、どちらかというとカッコよくない話です。


関連会社の縫製工場にもずっと仕事が出せず、先に資金がショートしそうだったので、

「来月でこの工場を辞めます」

って伝えに行ったんですが、そこからの1か月で少しづつ仕事が増えていき、工場のスタッフさんも当時絶対「あれ?辞めるんじゃないの?」ってなってたはずやけど、そこはお得意のスルーをかましてしれっと継続。

とまぁ苦労自慢ぽいですが、事実こうですし、億単位あった借入れ(借金ともいう)もあと数年で完済というところまで来ました!良かったね!

いやでもマジでキレイごとじゃなく、今まで我慢して働いてくれたスタッフみんな(妹含む)のお陰やし、関わってくださった生地・付属・縫製工場さんや、何もないところからお取引してくださったお客様(卸先様)方のお陰だと心から思っております。(業績が悪かったので、それが理由で取引きしてくれなかった先もたくさんありましたから)

と、自己紹介というかエモい感じになってきたので、この辺でやめときます。

次回は、kaeneというブランドを作った経緯を記載してみます。







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