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M. Horkheimer 『道具的理性批判』ドイツ初版への序言

人間にとって目標と見做されねばならない永遠の理念を聞き取り、吸収することは昔から理性〔Vernunft〕と呼ばれてきた。対して、その都度与えられる目標に手段〔Mittel〕を見つけることは、今日では理性の仕事というだけでなく、理性に本来的に備わる本質であると見做されている。一度達成したらそれ自体で手段にはならないような諸目標というのは、迷信として姿を現す。昔から神への服従が〔一方では〕神からの好意を得るための手段として、他方では支配や侵略、テロ行為についてのあらゆる方法の合理化として役に立ってきたのは事実であるが、ホッブズ以来、無神論を標榜する啓蒙家と同様に有神論を標榜する啓蒙家もまた、可能な限り支障のない生、すなわち現存秩序を同一に保つことや尊敬することを平和に往来させていく定めにあった、社会的に有用な道徳諸原理を解明してきた。理性的〔vernünftig〕であれと言われるとき、神学的なものは剥奪されている。つまり、諸規則無くして個人と同様に全体も生きていくことは不可能である。目下のところ、そうした諸規則を考えるだけでなく、それを厳守せねばならない。強調された意味での理性が固有の絶対性を否定し、自身を単なる道具であることを理解することで、〔この種の〕理性は我に返る。だからといって、理性の真理についての主張を理論的に請け負おうとする大真面目な試みが存在しないのかもしれない、ということではない。デカルト以来、偉大な近代哲学は神学と科学との妥協点を熱心に追求してきた。「知的な理念の能力(理性)」 は〔それらの〕中間者であった。「この能力は、諸理念〔Ideen〕に合致している我々の魂〔Seele〕に備わる神的なものである」とカントの遺作では言われている 。自律的なラチオ〔理性/Ratio〕についてのそうした信仰を、ニーチェは時代遅れの兆しであると公然と非難したが、それは「ドイツ的な価値本能〔Wertinstinkten〕」を目指して「ロックとヒュームがそれ自体として[…]あまりにも明晰判明にしてしまった」 からであった。彼はカントを「時代遅れの人間」 と見做している。「理性など道具にすぎず、デカルトは薄っぺらかった」 。崩壊の影響を受けた他の文化的現象のように、20世紀は歴史学的な出来事を繰り返してしまった。ニーチェが死去した年である1900年は、精神的存在の声を聞くこと、つまり本質直観〔Wesensschau〕を今一度厳密かつ科学的に基礎づけようとしたフッサール『論理学研究』が出版された年である。とりわけフッサールが論理的な諸カテゴリーを考えていたとき、マックス・シェーラーや他の人々は彼の教説を道徳的な構造に拡張していた。当初から復古的なものの徴候は、こうした努力に付きものである。精神的実体としての理性の自己解体〔Selbstauflösung der Vernunft〕は内在する必然性に基づいている。今日、理論というのは、このプロセス、つまり新実証主義への諸傾向、歴史的に条件付けられた諸傾向、無益な救援の試みについて反省し口に出すや否や思考を道具化する〔Instrumentalisierung〕ことへの諸傾向を持っているのだ。

 さしあたり私は、自身の論文を全て出版するという願いを前に、40年代半ば以降のいくつかの著作を選び出すことにした。これら論文は実践的活動、『偏見の研究』を企画化する傍らで大学運営や社会研究所の再建、教育改革への尽力によって生まれたものであった。先述した願いが『批判理論』、とりわけパリからアラスカにかけて出版され、私が編纂した雑誌ならびに未刊行の研究からなるエッセイ、特に我が友人アドルノとともに起草され長い間絶版であった『啓蒙の弁証法』、これらが生まれた時代に関係していることを私は十分に意識している。国家社会主義が終わった当時、私は進歩した諸国の中で改革もしくは革命によって新しい朝が始まり、真なる人間的な歴史が始まるであろうと信じていた。科学的社会主義の創設者とともに私は次のように考えていた。すなわち、市民時代の文化的偉業や諸力の自由な発展、精神的な生産物、これらはもはや暴力や解釈によって描き出されることはないし、世界の中で広がるわけがないということを。
 しかし、私の思想は、私があの時代から経験してきたものを手つかずのままにさせはしない。共産主義的であると自称し、私の理論的努力が多くを負っているマルクス主義的ないくつかのカテゴリーを使用する諸国家よりも今日、その中で目下において少なくとも個人の自由が未だ消え去ってはいないようないくつかの国の方が、あの新しい朝の始まりに近い状態である。さしあたりそうした状況の中で、ほかのいくつかの著作とともに、理性についての諸反省が現れねばならない。また、それら反省は初期の研究に内在しているのであり、かつて現実となった自由の王国というのは、必然的にそれとは反対のもの、つまり人間の振る舞いのような社会の自動化として示されてはならないのか否か、という理論的に最高度に重要な疑念をその研究は今日基礎付けることができるのである。次にまとめられた諸断片は、他なるもの〔Andre〕についての思考を犠牲にすることなく、意識の中でそうした不一致を反省する試みである。
 選択と校閲についてはアルフレッド・シュミット博士に負うている。ここでは資料として初めてドイツ語で出版される『理性の腐蝕』すなわち『道具的理性批判』を訳したのも彼である。彼の理解と協力がなければ、この本を出版することはできなかった。
1967年5月 マックス・ホルクハイマー

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