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M. Horkheimer「形而上学への最新の攻撃」(1937)

①科学と形而上学は互いに厄介なまでに一致している。形而上学においては、本質や実体〔Substanz〕、魂〔心〕、不死が話題になっており、科学は〔形而上学が〕この話題を企てていることをほとんど知らない。根本的に誰にとっても意のままにならざるをえない認識手段とともに、形而上学は、存在〔Sein〕を把握し、全体性〔Totalität〕を思考し、世界についての人間から独立した意味を描くことを要求している。あらゆる実存せしものの性質から、生に対する命令、例えば最高の理念もしくは超越的なもの、もしくは根源とのこうした取り組みは、人間に最も相応しく最も威厳のある仕事である、というテーゼが導出される。普通、形而上学的な意識は、不屈の現存在〔Dasein〕の人間の大多数に対する永遠の必然性や、お上のその都度の目的に対する個人の自己放棄の永遠の必然性についての信仰と調和している。その際、形而上学というのは、表向きは疑う余地のない諸洞察に基づいているのであって、およそ聖書に基づいているのではない。天啓の外面が揺るがされているような近代において、形而上学の諸体系は人間愛を深くまで意義付けることへの信仰を維持してきたし、こうした信仰の諸カテゴリーを自然な思考の手段とともに基礎づけようとしてきたのだった。

②しかし、この諸体系は基礎づけられえないし、諸体系についての主張は絶え間なく〔自然な〕思考とともにその主張を支えねばならないという葛藤へと入り込んでいく。このことは、二つの相異なる歴史的プロセスを示している。すなわち、〔一つ目は〕形而上学システムの相互破壊における歴史的プロセスであり、〔二つ目は〕形而上学によって煩わされた本性的な理性〔natürliche Vernunft〕がそれ固有の場所を持つような現存せし科学から形而上学についての諸概念が除去されることの内にある歴史プロセスである。20世紀における科学の教科書では、そうした理性の実体についての話題はほんの僅かしかなく、人間やその魂についての話題はわずかなものであり、意味〔Sinn〕についての話題にいたっては全く無い。また、それら理論が、例えば論理的配慮から、前提もしくは少しの補足としてのそうした諸対象についての教説を必要としている、ということを科学者は決して信じてなどいない。逆に彼らは、それら構想を、形而上学の補助なく、自立していつでも比較的単純な諸原理へと還元することに時間を割かれている。そして形而上学的かつ道徳的諸カテゴリーは、彼らのものの見方に馴染むことはない。このことは、時折考えられるように、科学は現実世界の裏に固有の世界を築き、その結果、最終的に両〔世界の〕関係は完全に消滅するか覆い隠されるかのどちらかになる〔だろう〕、ということを意味しない。むしろ物理的な表象がその中で定式化されているような数式は、具体化された技術の結果として、研ぎ澄まされた道具たち〔Instrumenten〕と精錬された合理的計算方法とともに、隔絶された領域としての身体世界を超えて今まで達せられてきた認識を包括している。知覚の世界と身体の世界の間にある連関の複雑さは、その連関がいつでも証明されうるということを排除するものではない。今日の科学とは、所与の社会を自然との対決の中で発展させてきた知〔Wissen〕である。支配的な社会諸形式が広範に人間諸力の障害物となっているような現在において、とりわけ科学内の諸傾向に従っている、科学や数学、理論物理学の抽象的な分化は、直接生と関係している科学操作、つまり、その実際の性格が、その有用性を外見上ではあらゆる疑念から解放しているような科学操作として僅かに歪められた認識に、いよいよ押し付けることになるのである。

③こうした社会と関わらねばならない自然についての認識を科学だけが公式化しているにもかかわらず、人間は、理論の中で処理された古い思考形式を広く用いることを続けている。事実、これら古い思考形式は科学的業績の中で無駄なものと見做されているが、この不変は思惟経済〔Denkökonomie〕の原理、つまり市民精神のこうした記号としか矛盾しない。しかし、科学内部では、多くのそうした本質の無価値さ〔Nichtigkeit〕が判明する。絶対的な空間と絶対的な時間の概念と同様に、他の形而上学的な諸カテゴリーも維持できないものとして証明されたのだった。また、実体の表象、力の表象、因果性の表象、魂〔心〕の表象、心-身連関の表象、これら表象は少なくともそれらの伝統的な様式の中で今日の理論的な経験様式に違反していた。だからといって、普遍的な意識の構造は変化することはなかったのだろうが。事実、こうした状況でも、新たな時代をくぐり抜けてきた矛盾は単純に続いている。さらに、市民の公的な意識と彼らの科学は、正しく互いに合致することは決してない。人間でさえ自身の場所を持っているようなあらゆる物事について、根本から定められた秩序という宗教的な理念は、すでに17世紀の科学の中で止揚〔放棄〕されている。デカルトによる人間が動物、つまり循環する粒子から成る集積よりも単純なメカニズムでない限り、人間の本質というのは、純粋な思考の中、つまりカルテシアンによる科学それ自体が、純粋かつ根源的な統覚〔Apperzeption〕という自我〔das Ich〕について証言したカントのようにそこまで証言することができていないような自我、すなわち、我々が知るすべてのものがそれとの必然的な関係を持っているような自我の中に存在しているのである。その点では、哲学のこうした最高の時代、比較的新たな世界観〔Weltansicht〕についてのこうした根本概念は、それを用いることができない科学よりも信仰に委ねられていた。心理学でさえ、物質の盲目的な戯れ〔Spiel〕から表舞台へと行き着くことはない。すでに初期から心理学は、デカルトによれば、心理学がむしろ単に邪魔をし、今にも根絶してしまいそうな自我の本質に殆ど属していない情念〔Affekt〕の流出についての教説として構成されている。事実、数世紀来、形而上学者たちは倫理的な戒律は隷属しているが永遠の運命を保持しているという魂が実存することについての論議を続けてきたが、最も決定的な位置にいる魂の体系が純粋な意見やありそうにない主張そして誤謬推理によって修繕されている状態によって、形而上学者たちはすでに魂の不確実性のみを裏切っている。その際、彼らは、知識階級の矛盾に満ちた意識を、意識の異なる形態に従って引き続き表明するのである。時代についての科学的認識は、正式に〔うわべだけ〕正しいものと見做され、同時に形而上学的な見方を続けることになるのである。自然と社会における無意味な現実の鏡としての科学は、不満に満ちた大衆と思考せし大衆を危険で疑わしい状態に委ね、個人の心的家庭においても公的な家庭においても、高くそびえるイデオロギーなしでは発生され得なくなってしまった。そのため、科学と形而上学的イデオロギーの両方が並行して維持されているのだ。

④〔ここまで見てきたような〕完全な近代的思考は、こうした矛盾に骨を折っている。中世から受け継がれた伝統的な哲学の〔こうした〕課題は、宗教に含まれている世界把握を単なる理性の諸手段でもって、つまり科学的に構成することの内にあった。今日なおも、二つの実体でもってデカルト主義的に解決することは、もっともらしい案内であるとしての普遍的意識において支配的である。それに従えば、この世界が現実的もしくは観念的のどちらかでのみ意義付けられうるのならば、一方で感覚世界は存在する。感覚世界においていくつかの規則性は観察されうるし、算出されうるのである。しかし、この世界は、自己自身によって存在することはなく、普遍的な無常さ〔Verganglichkeit〕に委ねられる。他方で人間は精神を持つ本質〔存在〕であり、人間の性格や行為は超越的な諸権力や諸決定の発露と見做されている高次の秩序であろうと、それらが超越的な帰結を持つ高次の秩序であろうと、そうした高次の秩序に人間は参与している。いずれにせよ、人間は自身に備わる存在とは異なる諸連関に、自然史もしくは単なる人類史として属しているのである。と同時に、意味についての信仰は科学と結び付けられてきた。科学の観察や理論を否定することは、どのみち不合理なことである。科学の学問諸体系はそれ自身、市民的個人の精錬された経験にほかならない。しかし、この社会は幻想も欠くことはできない。形而上学的幻想や高次の数学は等しく学問の気質の諸要素を形成する。哲学は、この両者をギリギリのところで関連付ける試みが体系的な形態を受け入れる文化的な地点を示している。あらゆる学者、それどころか、ある意味で市民社会一般の全構成員は、この問題を一人で任意の様式の中で解決するか、少なくとも意識の背後でぼんやりとこの問題を持っている。ひとは単純に、この時代に典型的に欠如している回想録や伝記に沈潜する必要がある。厳密な科学者によって、彼らの関心の増大する隔絶と同時に、階級の誤った関係の中で〔この問題を〕解決することの愚直さは、彼らの科学的態度の細分化の側にあるのが常である。量子論の創始者であるマックス・プランクは、彼の学問的経験に基づいて、〔一方で〕あらゆる出来事の一貫した条件性というものを、また「精神世界」〔Geisteswelt〕においても、自然の事象によって説得力のあるものにした。他方で彼は、意志の自由についての形而上学的概念をなしで済ますことはしたがらなかったし、彼が公然と肩を持っている道徳的で政治的な物の見方は、そうした概念を前提としている。彼の解答はこうだ。「未知なる意志というのは因果で結ばれているし、他人のあらゆる意志〔からなる〕行為というのは、少なくとも根本的には、十分に詳細な前提条件の認識のもとで必然的帰結として、因果律〔Kausalgesetz〕から理解されうるし、あらゆる単一性の中で予告されうるのだ。[…]それに対して固有の意志は、ただ過去の諸行為に対してのみ因果的に理解可能なのであって、この意思は未来の諸行為に対しては自由なのだ」[1]。こうした情報の僅かな信頼性は、この時代を生きる学者の信頼に足る一部の特徴を述べている。古い市民的伝統によって規定された教育の結果、学者たちは自身が仕えた世界の眼差しのもとで、この憂慮から解放されることはない。彼らが享受している金ないしポストや影響における価値は、たしかに社会全体への寄与を証明してはいるものの、「幾重にも絶望した」[2]全体への寄与をも証明している。こうした全体を現存する形態の内で問いただすことを彼らは敢行することはないし、彼らは形而上学的な信仰、例えば良心や自由の観念論へと逃げてしまう。科学やそうした信仰に由来する世界像が「我々に自身の生活態度の中で固有の自我〔das Ich〕つまり内的な平和との永続的な一致を保証する」[3]ために、この世界像は、大変な浪費もなく、哲学によって修正され、そして心のなかにあるこうした平和とともに、この平和は、人類の没落に居合わせるのだ。

⑤〔科学と形而上学の〕調和についてのこうした異なる試みは、以下に挙げる二つの極端に応じてグループ分けされうる。一つは、形而上学的な思考の残余〔Reste〕がいかなる時でも消えている必要があるような唯一可能な認識形式としての科学の主張である。もう一つは、人間の実存が従属している見地によって条件付けられた合理的技術、つまり真なる洞察が自由にならねばならないような合理的技術としての科学の矮小化である。ロマン主義的な精神主義、生の哲学、物質的で実存論的な現象学〔materiale und existentiale Phänomenologie〕というのは、戦前から戦後にかけて出現してきたこうした〔矮小化という〕科学に敵対する見解の典型的な趨勢である。宗教の末端部も新たな形而上学も、次のような信仰を維持している。すなわち、人間というのは、現に存在している世界の諸関係の下にある自身の現在の運命以上に、自己に即して〔即時的〕そして自己に対して〔対自的〕待ち望む必要がある、という信仰である。この世界というのは、人間が今関わり、自身について経験しているものについての不満の表現である。形而上学的な思考が精算しようとしている、こうした妥当性が存在する場所は早急に解明される。権力ある者たちに相応しくないか、彼らにとって少なくとも快適でないということが、人間のあらゆる可能性とともに金や関係、偉大な名すら一様に単なる人間として無くしてしまうや否や、こうした形而上学的な思考が姿を現す。そして人間は、こうした質を引き合いに出すことを意味しているにほかならないものに気がつくのである。そうしてこの質は、自身がこれまで書き留められてこなかったコースの中に立つことは決してないのだ。人間の概念をせいぜい生物学の意味においてでしか使用できない厳密な科学は、現実における人間の運命を反映している。それ自体として〔an sich〕人間など単なる個物にすぎないというわけだ。人類の質は、公的な精神の中でその主張を現存在〔Dasein〕に基づいて根拠付けるのではなく、とある場所〔Aufenthalt〕に基づいて根拠づけたことも一度もない。この主張の基礎づけのために必要としている特殊な社会的状況は、紙の提出でもって証明される。こうした状況は十分ではなく、全く現存もしていないのならば、最高の場合、人間は他人であり、人間がそれを前にして現れるようなあらゆるスイッチについての自身の主張に対する解答を経験するのである。未知なるもの〔Fremden〕のカテゴリーは市民的自己利害関心の他の側面であるにすぎず、中世における自由都市から、君主による領域や民族国家を超えて、今や祖国がそうなってしまったような敵対的な大衆陣営〔に至る〕まで、この両契機は新たな統一性において止揚されてこなかった。市民の自我は、自身に対して、市民によって規定された反対物として、未知なるものを保持する。市民は、誰でもないようなものとして自己を知っている。例えばそうした任意の人間とは、軽蔑的なものである。しかし、物品社会においてあらゆるものの同一性〔Gleichheit〕は、あらゆる個々人のこうした特殊性にもかかわらず、同時に共通の意識に属しているということが理由で、市民は根本において頑固に自己を軽蔑するのと同じくらい自己を尊敬し、自身の利害関心を追求する。個人の魂〔心〕に埋め込まれた日常のこうした経験―日常はそうした経験をそれでも度外視するかもしれないが―から形而上学的な夢想は逃げ道を形成する。隔絶され取るに足りない個人は、こうした経験を用いて〔これらの〕一体化を、人間を超越する諸力つまり、全能の自然、生の流れもしくは限りない世界の原因でもって考える。形而上学は、個人の運命をこの社会の中で、それが内的諸現象や人格の形而上学的な自由によってその尊敬を獲得し、「本当の」真なる実存に適用されるような単なる現象として理解する。そうすることによって、形而上学は個人の現存在を意味の下に置く。形而上学的な仮象世界を前にした経験のいくつかの証明を格下げするということは、産業社会における解放された個人とそこでの個人の運命の間にある葛藤の結果として生じる。科学の哲学的矮小化は、私的な生においては鎮静〔剤〕であり、社会においては欺瞞である。

⑥それに対して実証主義的傾向は、あらゆる幻想に敵意を抱いている。ひとえに経験というもの、この傾向が自然科学において維持してきたような厳密な形式の中で純化された経験というのは、実証主義的傾向によれば、認識〔Erkenntnis〕と呼ばれている。知は信仰もしくは希望などではなく、人類が知っているものは、科学の中で最も適切に定式化されている。事実、なるほど科学が出発点としている日常の観察や言語は、その他の点では粗悪な間に合わせ手段と比べて広く奉仕活動を行っているのかもしれない。哲学史においてこうした〔実証主義的〕傾向は、個々の名〔Namen〕に依存し得ない。また、この傾向は〔一方で〕デカルトやスピノザのような形而上学者らによって発見されうるし、他方で、そこからこの傾向が名を得ているようなコントやスペンサーによる実証主義は、その名を純粋に具現化するべく、それでもあまりに多すぎるアクセサリーを身に着けている。現在の実証主義はそれ自身、一方でヒュームを、他方でライプニッツを引き合いに出すのが常である。この実証主義は、自身が科学に対して生産的であろうとするような合理化と懐疑的な経験主義を結合する。実証主義の理想は、可能な限りわずかな公理から演繹されうる全科学、そうした理想を許す体系、あらゆる出来事の蓋然的な始まりを算出するための認識を数学として公式化している。社会でさえ、物理学的に解明されようとしている。それでは、ずっと遅れてしまうだけだ。それでも、この経験の断片が解体されるのと同様に、全体系の前提に然るべく結び付けられることが希望される必要がある。結局、人間世界での出来事は、他の事象と同じような蓋然性でもって予見〔vorhersehen〕されうるということになるのだ。社会的であり、いわゆる精神的な諸対象のもとで、心理学もしくは生物学の領域より単純になおも長く専門的な学問の探究というのは、待たれねばならない。未だに科学と並んで芸術〔Kunst〕は存在する。形而上学が純粋な無意味でない限り、芸術は文学の一部分である。認識されたものは科学の内に生ずる。人間は、自身がそれであるようなものを、日々の生活の進展によって以外で、自分の身体についての教説や、例えばそうした教説に還元可能である心理学において経験するのだ。ある身体が存在するようなものと、その身体が現れるものとの間にある相違は、全く重要ではないのである。

⑦戦後の形而上学がその精神的な準備に関与しているようなドイツにおける権威主義的な統治システムを目の前にして、こうした新実証主義的な思考方法は、ファシズムに対置された広範なサークルに対して、誘惑を焚きつける。形而上学的諸概念に対する哲学の闘争は、それをするのに最適な時代においてすでに、単に彼岸に関係しているだけでなく、国家や社会についての人間に敵対している組織的な理論にも関係している。神の表象という幻想は、早くからすでに、近代の実証主義的な概念の解明を許されている国家の物神化〔Fetischisierung〕と一緒に批判されていた。〔古代〕ローマ人は、啓蒙の意義ある文書の一つ[4]の中で言われているが、自分の共和国を「どういうわけか、彼らが形成したあらゆる個々の市民から区別された本質として崇拝していた。そのため、彼らは次のことについて語り、それに相応しく同様に次のことを要求した。すなわち、あらゆる市民は、こうした表象のために自身の利害関心や幸福、生を捧げた。しかし、この共和国の平穏や健康があらゆる特別な市民の平穏にほかならなかったにもかかわらず」。〔平穏と〕同じように、共和国の健康は、神の理念、つまり人間の発展を妨げている幻影と相性がいい。今日もまた、これほどまでに社会的に意義深い諸概念に対する闘争が、科学主義〔Szientivismus〕の主要な関心を形成し、数学的かつ自然科学的功績の困難さを取り除くことが肝要であると述べる、当該の理論家による本来の努力への問いに普通に応じることになるとしても、合理的な武器に従い、全体的な熱狂に抗して概念把握している若者は、とりわけ最もラディカルで非-形而上学的な学派としての総合大学のもとで現れる、こうした哲学の過去を頼るのである。しかし、こうした過去よりも、その現在の形態においてでは、形而上学のほうが支配的状態と結び付けられる。事実、形而上学と全体主義国家との連関は明白ではないが、それでもこの連関は、容易く覆い隠されうる。真ロマン主義的形而上学と比較的ラディカルな実証主義は両方とも、次のような市民の大部分の悲しき体制に基づいている。すなわち、固有の有能さによって〔両者の〕関係を改善するという確信を完全に放棄し、社会システムの決定的な変革を前にした不安から、意志もなく、最も資本力のある集団の支配に屈した市民である。

⑧経験主義と近代的な数学的論理を結合することは、こうした直近の実証主義学派の本質を取り決める。「科学において」とバートランド・ラッセルが1935年に科学哲学[5]に対して国際会議で説明したのだが、「こうした結合はガリレイの時代以降、存在し続けている。しかし、哲学において、数学的手法によって影響されたあの結合は、非-経験主義的であり、経験論者たちは数学の僅かな認識を保持していた。近代科学は数学と経験主義との婚姻に基づいていた。それから3世紀、第二の子供、つまり、むしろ一様に偉大なキャリアの後継者となった科学哲学はこうした結合に基づくようになる。というのも、科学哲学だけが、近代世界の病理に対する治療を発見しうるような合理的体制を導き出しているからである。こうした趨勢は、最近の時代において、論理的経験主義の名をも自身に与えている。この名は、〔一方で〕かつてフッサールによって基礎づけられた現象学におけるように、その内部で固有の諸機能が互いに区別され、他方でいくらか著名な研究者たちの共感を、相異なる科学諸部門から享受することが許されているような、確固たる輪郭を持った学派を描き出している。

⑨〔経験主義と数学的論理の〕結合の歩みを叙述することがそこで企図されているのではなく、こうした思考方法の欠如と、その思考方法と市民階級の歴史と連関を指摘することがそこで企図されているため、そこでのいくつかのニュアンス〔の違い〕には立ち入らない。論理的な欠如と連関は、古い経験主義と共通して次のような見解を持つ。すなわち、諸対象についてのあらゆる内容についての知は、最終的に知覚経験〔Sinneserfahrung〕の事実から流れ出てくる、という見解である。こうした知は、ルドルフ・カルナップも述べていたが、あらゆる概念は、「それが『所与のもの』つまり直接的な体験の内容に関係があるような根本諸概念に還元されること」[6]に没頭しているのである。理論の正しさもしくは、むしろ理論の蓋然性が問題である限り、諸科学は最後の審級としての観察や経験に押し付けられる。あらゆる領域での認識作用は、次のような予言〔Voraussege〕が考察されるのならば、つまり意味データの実現という最もあり得る巧みな予言という結果になるらしい。言うまでもなく、すでにこうした見解の中に、伝統的な経験主義とそれを近代にまで引き継ぐ者たちとの間の確かな相違は存在している。また、社会は自身のために機能している、という諸個人の要求を、近代経験主義は科学に対して主張してきた。科学は個々人を前に実証されねばならなかった。この科学は、誰しも見聞きできるものを科学だけが主張できる、という断言を通じて生じた。市民に固有である日常の結果の純化された形態が存在する、ということの簡略化された表現だけが、物理学ないしあらゆる科学を、この表現が純化された形態それ自身であるような現実における素早い方向づけに対する手続きほど広範ではなく、仮にもほとんど体系的でなく、実践的な生の中で行使するのだ、ということが、市民に対して提示されてきた。それゆえ、人間についての教説は、仮にも制限された形式の中で、こうした哲学の内容を形成している。科学は知覚経験とともに始まり、その経験に沿って常に繰り返し方向づけられねばならないようなことが明らかにされる。ロックは、我々の悟性〔Verstand〕が我々の認識を諸事物から獲得するに至る手段についての「歴史学的で簡素なやり方で、いくらか釈明を行おうとし、我々の知の確実さと、その信念の基礎の確かな基準を打ち立てよう」[7]としている。ヒュームは、「人間本性の諸原理を明らかにすること」を自身の課題として明らかにしている。この課題は、「諸科学がいくつかの確実さとともにそれに向きうる」[8]若干の哲学的基礎づけであるという。仮にロックとヒュームが、彼らの〔時代の〕自由主義的な社会体制に相応しいように、人間の製品としての科学をこうして導出することを純粋に個人的なものとして理解し、最終的に知の由来を心理学的な認識理論によって概念把握するかもしれないとしても、彼らの哲学は少なくとも動態的な契機を含んでいるし、認識主観との連関を含んでいるのである。

⑩最新の経験主義においてはすっかりこのことは度外視されている。こうした連関は、諸概念や諸判断の発生についての理論においてこれまで一度も表に出てきたことがない。固く限定された合理的技術としての物理学はいつでもすでに観察によって形式化された初判断と関わり合わねばならないが、知覚と直接関わり合うことはないため、そこで経験の試金石は、ロックもしくはヒュームによるような、感覚それ自体を意義付けることはない。そうではなく、この試金石は、感覚についての出来上がった判断をその都度意義付けるのである。体系を築き上げるための科学の独占的な課題は、一義的に観察による判断つまり「プロトコル命題」〔Protokollsätze〕によって証明されるような諸命題から演繹されうる。記述的な符号〔Zeichen〕は証明された調査命題と見做される。事実、この符号は定義もしくは新たに立案された根本諸命題によって、プロトコル命題の内に見出される符号に還元されている[9]。それゆえ、科学とそれとともに科学哲学でさえも、所与のもの〔Gegebene〕についての命題の形式の中でのみ、この所与のものを当てにしなければならないという。科学者は、世界が言語によって固定されている限りで、そうした世界にのみ心を配るのである。彼は、相応しい形式の中でプロトコルに与えられているようなものに忠実である。体験からプロトコルまでの変成過程についての分析は、経験的心理学に属している。この分析は、物理学が他の身体の振る舞いについての立証を適切に表現するのと同様のやり方で、被験者の振る舞いについての立証を適切に表現するのかもしれない。心理学でさえ、知覚とは直接何の関わりもない。自己観察ではなく、客観的な観察者によって証明され、それゆえ諸判断において定式化された事実が、そこでも要素を形成するのである。言語に絶するもの〔Unsagbare〕や言われぬもの〔Ungesagte〕は思想に対して何ら役割を果たすことはないし、それらは一度たりとも解明される必要などない。

⑪経験主義の個々の段階における認識の集合〔Erkenntnismaterial〕についての概念がその中で把握されるような方法でさえ、増大する嫌悪感や非人間的事物を人間的な物差しで見ている市民階層の思想を平坦にすることを示しているのかもしれないとしても、世界についての我々の知がいくつかの意味を出発点にする原理というのは、それ自身の〔原理の〕もとに留まり続けてきた。最終的に任意の存在者〔Seiende〕についてのあらゆる主張が自然もしくは歴史の中に〔その存在者に〕相応しい経験的知識〔Empirie〕を押し込めることの内に、こうした原理は汲み尽くされる。その限りで、唯一この原理は純粋な彼岸についての信仰とは反対側のところに留まるのである。合理主義は、こうした原理に異議を唱えるつもりは毛頭なく、この原理を単に隔絶された哲学の原則にすることなどない。能力つまり存在者を思考や現実の中で構成するものとして一度だけ存在していたように、個々の存在者への注意がそれに従えばそこまで決定的ではないような物の考え方に、17世紀の合理的体系においてこうした原理は属している。自然と人間世界の完璧な支配の可能性についての信仰によって定められているように、合理主義は世界を合理的〔知的〕に見抜くことについての問題、理性の方式〔Verfahrensweisen der Vernunft〕にすがっている。形而上学は合理主義によって、次のような手段〔Mittel〕と見做されている。すなわち、諸対象を諸原理から発生させ、主観〔Subjekt〕をそれ自身の内で発展させることが可能であるような手段である。極めて優れたいくつかの洞察は、存在の諸根拠〔Gründen〕と一致し、個々の諸経験から分離されるか、恣意的に定められることになる。こうした洞察は、最終的にあらゆる秘密がその構成的な暴力〔Gewalt〕によって露わになるしかないような理性的思考の最も特有な本性〔Natur〕を生み出す。あらゆる存在者は知覚の中で正当と認められねばならない。しかし、我々がこうした方法で存在者を発見したとき、その存在者はなおも物自体〔Ding an sich〕である。そして、我々が存在者を生み出すことができてはじめて、その存在者は我々に対する物になるのだ。このことは合理的な洞察である。

⑫このこととは対照に、知覚を通じた証拠〔Ausweis〕は、経験主義に対する真髄〔A und O〕を意味している。この証拠は、存在するものつまり確定にすがりつく。「世界は事実そのとおりであるもの〔was der Fall ist〕の全てである。[…]世界は事実の中で崩壊する」つまり、経験主義の近代の支持者による哲学的代表作の中で世界は崩壊するのだ[10]。未来が問いの中で生じる限り、構成〔Konstruktion〕ではなく帰納的推理〔Induktion〕こそが科学に特徴的な性能であるのである。何かが幾度もそこに存在していれば、それだけ確実にこの先ずっとその何かはそこに存在することになる。認識は唯一、存在するものそしてその繰り返しに関係している。存在の新たな諸形式、とりわけ人間の歴史的な活動に由来しているそうした諸形式は、経験主義的な理論の向こう側にある。すでに支配的な意識から始められるだけでなく、唯一の目標設定や決断力の中で把握されうる思考、つまりすでにそこに存在しているものや繰り返されるものを超えて延び出ている歴史的諸傾向は、こうした体制によれば、科学の概念の下に落下していく。たしかに経験主義は、飽きることなく、あらゆる見解を放棄するための準備を断言する。事実、来たるべき経験はそうした諸見解の誤りを悟らせようとしている。「物理学での言語の規定は、最終的に保護されることはない」し、その再検査は「根本的に個々の仮説ではなく、物理学の体系全体に、仮説体系(デュエム、ポアンカレ)として」[11]関わっている。しかし、経験主義は、この再検査をニュートラルで客観的そして没価値的に、すなわち、それら全てにもかかわらず、孤立した歴史地点に制限する。それとともに観察が葛藤に行き着いてしまうような物理学的原則は変化し、立証は正当であると認められることはない。しかし、必然性はその中には隠れていない。そこで決定を下せる合目的的なもの〔Zweckmäßigen〕の視点は、それ自身、理論的に規定されえない[12]。こうした思考によって、科学がその中で諸機能を統一するような観察ならびに方法を、科学それ自身やその形式でさえなおも取り入れてしまう理論に基づいて判断するための諸機能は、否定されてしまう。科学の中で正当と認められた当の科学にとって所与であり、存在するものと宥和された構造や経営様式を経験主義は、最高に精神的な権威一般として定める。こうした権威一般は経験主義によって、単なる秩序機構ないし無秩序機構と見做されているのと同時に、その出来事をその無限性から権威一般が受け取るような単なる秩序機構ないし無秩序機構とも見做されている。まさに、選択や記述、承認ないし意味連関がこの社会において、力点や方向性を持たないかのように。それに従って科学は、いわばいくつもの管の仕組みのごとく、ますます詰め込まれ、修繕によって良好な状態に保たれている。初期から悟性作用と名付けられていたこうした行い〔Tun〕は、経験主義によればそれ自身、経験主義にはじめて方向性と意味を遡及的に付与するような諸連関に再び立つことはない。経験主義によれば、観念論において理念と目標設定と呼ばれ、唯物論において社会的実践と意識された社会的活動と呼ばれたもの全ては、この経験主義がそれら全てを認識の前提として許容する(オットー・ノイラース[13])限り、本質的に観察対象として科学と関わらねばならないのであって、構成された利害関心や〔上からの〕指示として科学と関わることはない。方法と結果に対応し、一定の利害関心に組み込まれた思考、つまり科学の概念形成や科学の全形態をも、それがどれほどこれらから独立しているにせよ、繰り返し批判する必要があるような思考、このような思考は存在しない。一般に、専門分野の外での専門分野批判など存在せず、時間についての知識でもって加工され、一定の歴史学的目標に突き進むように専門家たちに何かしらを言わねばならないような思考など存在しない。そうした思考や、その思考から認識プロセスへと立ち入る批判的で弁証法的な契機、つまりそれによってこの認識プロセスが歴史的生と意識的に結合されるような契機、さらにこうしたことと関連しているカテゴリー、つまり本質と仮象の相違や変化における同一性〔Identität〕、目標設定の理性性のようなカテゴリー、それどころか、特定の観点や立場を前提とする意味での人間、人格もしくは社会と階級といった概念―これら全てなど経験主義的な学者たちにとって存在しないのだ。特定の観点や立場を前提とする意味が、例外的にそうした諸概念を用いる限り、それら概念は例えば動物学上の属のように純粋に分類別に意味されるのである。まさにそれゆえに、認識形態と同時に存在形態も、我々がこうした意味について知りうる限り、これまで独断論者に対してのそれと同様に、この意味に対しても、確固として存続するのである。

⑬結局、この点で経験主義的な思考方法は、それが信じるものよりも合理的な思考方法にも似通っている。ア・プリオリな統合判断〔die synthetischen Urteil a priori〕、つまり来たるべき経験が矛盾しうるような事実を含有している言明といった合理主義的な根本概念に対する独断論者の闘争にもかかわらず、経験主義的な哲学者は存在の諸形式を恒常的なものとして設定する。完全な世界は根本的に強固な体系の中に、言うまでもなくその都度それが最後にはならないような広場を持っている。最も経験主義的なものにとって、「科学の唯一かつ全体的な体系について論じることは不合理である」[14]のだ。しかし、認識全体の正しい形態は物理学とともに観念的である、という断言や、このような形態は偉大な「統一科学」である、といった断言は、あらゆるもののなかに埋没せねばならない一定の諸形式を不変のものとして設定する。こうした断言は、判断をア・プリオリに表現している。この判断は、科学についてのあらゆる概念の意味というのは、物理学的な規定によって定義されうる、ということが主張され、すでに物理的な悟性における身体的なものの概念が、全く別個で主観的な利害関心どころか社会的実践全体を含んでいるということによって抽象化されている[15]。統一科学のそうした理想的な表象や最終的に完全に新しいこうした経験主義を根底においている愚直かつ調和的な信仰は、自由主義が消え失せた世界の一部である。ひとは、万物についてのあらゆる信仰と折り合いをつけることができる。経験主義的哲学者たちによれば、このことは、例えばその意義と射程を規定するために、自己自身が初めて概念把握されねばならないような「幸福な状態」などではなく、「経験という完全に普遍的な秩序ある一連〔Zug〕」[16]としてまさしく具体化されるような「幸福な状態」である。すでにエルンスト・マッハは、自身が知覚における「我々の肉体の神経組織」[17]の影響としてのみ許容していた主観的諸要因を、根本から除去可能なものと見做していた。自然科学が出来事を主観からではなく、客観から観察させることで、この科学はこうした〔主観的・客観的要因の〕独立性を確かめている。このことによって、個人的な神経システムの偶然誤差を締め出し、観察された物理的事象の純粋な独立性を突き止めることがうまくいくことになるらしい。「その際、KLM[…]K’L’M’…(異なる観察者もしくはその神経システム;ホルクハイマー注)というのは、その特徴である、とりわけ定数等々といった物理的組織のように振る舞うのだ。そのため、その出来事が自由にされねばならないような通告[…]は、ここから安全な基盤の外へと、研究の完全な領域に向かって獲得される」[18]のである。例えば物理学においてではなく、認識一般において主観をラディカルに消滅させるような思考というのは、個人的な相違それ自体が事実の連続として確認されることによって、真理の中では、完全に範囲が限定されつつある研究の格率となる。あらゆる歴史学的な契機の中ですでに与えられている、このような思考の原則的な実現可能性についての信仰、偶然的な困難だけが対立してきたような信仰、そうした信仰に対するこうした〔思考の〕公準の変成は、必然的に認識についての非歴史的で無批判な概念や個々の自然科学的方法の具体化を導き出す。

⑭このことに従うならば、歴史的に条件付けられた利害関心の諸対立に基礎づけられ、代わりに「共通の実験」例えば首尾一貫して違反であるようなことによって行われる、理論的諸構造の相違など存在しない。主観相互の調和的関係は一つの出来事にさえなり、たしかに自然法則それ自体よりも普遍的な性格を持つそうした出来事、いわば―それゆえ合理的で超越的な諸原理と直接一致する―永遠の出来事になる。「具体的状況に対する物理学の偉大さの価値を確定することは、研究する主体からは独立している。[…]異なる意見を持つ2つの主観が、杖の長さや身体の温度、振動の数に関係しているのならば、共通の実験を通じて統一に至る試みがなされることになる。物理学者は次のような見解を持っている。すなわち、[…]こうした合意が実践的に到達されない場所で、技術的難しさ(技術的補助手段の不完全さ、時間の無さ等々)だけが邪魔になっているという見解である。[…]物理学的な規定は間主観的〔intersubjektiv〕なものと見做されている」[19]。さらに、このことは生物学や心理学、社会理論の中にも存する。「さらに、科学において[…]用いられたあらゆる言語は、[…]物理学的言語に還元されるがままとなっている」[20]。そして、このことにより「科学全体が物理学になっている」[21]のである。論理経験主義にとって、異なった感じを与えるいくつかの相違にもかかわらず、認識の諸形式は残り続けるし、それとともに、自然と相互に永遠と同一であるものの人間との関係も残り続ける。また、合理主義に従えば、主観的かつ客観的な可能性は、もうすでに個人が備えている洞察力に含まれている。しかし、合理主義がそこにある事柄についての確認だけでなく、同じ程度に内部から作用している活動的な主観性を、それら努力と理念とともに未来の尺度として用いることによって、合理主義は、予報の不十分さと新たなものの概念を混同してしまう経験主義のように、現在というものに捕らわれてしまっている。決断と活動の創始者という意味での「実体的理念」[22]〔substantia ideans〕としての主観についてのライプニッツの理論は、思考する主体を、プロトコル命題を普遍的な言明の下に従属させ、そこから繰り返し導き出すことに制限する哲学より、歴史を唯物論的に把握することの方に近い。

⑮経験主義は主観一般の概念を退け、この傾向にある概念は経験主義に何ら困難をもたらすことはない。経験主義に対してこの傾向は、観察された規則性に基づいて到達されうる諸対象との見せかけの関係にのみ意義がある。一定の環境におけるあらゆる対象を承認する関係様式は、この傾向の一部である。そしてこの見せかけの出来事は、結果としてこの関係様式から結び付けられる。行動主義的な心理学は、結局、無機的自然についての科学において経験的な意義に従ったように概念形成とそれ以外の経験様式が用いられたような、人間についての教説を立てるということを目標に据える。例えば行動主義の意味で導出可能であるが、歴史的諸傾向が物理学的諸傾向と区別されているように見えるのは、その際、人間の意志諸行為〔Willensakte〕が役割を果たしているからである。しかし、このことは、いわゆる意志と同様に、他の規則とともに自然に内にある。すでにウィリアム・ジェームズは、意志行為を、思考の事象によって条件付けられた運動として説明している。子供は、自身があらかじめそうすることを考えていたのなら、一定の運動をすることができるということを観察によって立証する。確かな表象と思考は、例えば激化するに相応しい距離の中で対置されて積み込まれた第二の金属取引を立案するように、確かな運動と結び付けられる。動因〔Motiv〕と動機〔Ursache〕の間に質的な分裂など存在しない。両者は、一定の出来事が規則正しく立ち入って論じている単なる諸条件にすぎない。Aの次にBがくる〔Auf A folgt B〕。頭は行為を立案し、行為は実行され、レンガが頭の上で下ろされれば、その頭は木っ端微塵だ。これは客観的法則性から見れば、同じ行為様式である。成人した人間がこの客観的法則性を説明すること無しに運動について考えることができる限り、このことはそれゆえ、その結果がこうした連関を抹殺するようなその他の思考もしくは状況がそこに存在していたということを打ちのめすだけである[23]。さらに、この理論に従うと、ひとが思考したものが常にどれだけでも為されねばならないのかもしれない。あらゆる意思行為は、所与の状況で関わり合いがあるような、人間関係の異なるいくつかの法則性から、結果として把握されうる。行いにおいて規則というのは、繰り返し観察される帰結に対する表現であり、そこにあるAのもとでBという出来事は見せかけにすぎない。事実、このBという出来事は、早くからしばしばAに従って生じている。ほんのときたま、蓋然的なものでさえ始まるのか否かということが人間とは独立して生じる。そして、そのもとから行動主義のカテゴリー形成は、手つかずのまま離れようとしない。この検討については、他分野に属している〔からここでは行わない〕。

⑯諸事象を普遍的な連関に組み込み、規則に従事させる科学の働きは、正当で有用な仕事を果たす。諸条件の「自由」という名においてこのことに異議申し立てすることは、勝つ望みのない戦いと同義である。ただし、科学自身が、自身が規則と法則と名付ける抽象化を愚直ではない仕方で作用する諸力と同一に扱い、例えばAの次にBがくるという推定的事実をAの次にBがくるということを引き起こすための作用努力と混同してしまう限りにおいてではあるが。事実、引き続きなおもそこに存在している同一化〔Identifikation〕という努力と〔そのための〕行為はいつでも単純に状態もしくは出来事として物象化され〔verdinglicht〕、主観と客観との連関についての特別な構造として概念把握されることは決してない。法則の下へのこうした従事すなわち、出来事を判断する最終形式としての演繹、普遍的諸概念ないし諸命題からの演繹というのは、実証主義の始まりでなおも、Aは最初からすでにABもしくはACもしくはADという強固な連関の一部である、そうではあるが、ある状態が現実であること、すなわち、例えば、人間がそのとき完全に人類であることを断念するか、はじめて現実に人類を作り出すかのいずれかというような状態を人間が作り出すこと、このことが人間の側に、人間科学とともに横たわりうる一方で、このことだけが明らかになるようにただ待たれねばならない、という明白な見方と結び付けられてきていた。今日の経験主義によれば、現在の〔価値〕判断〔Beurteilung〕にとって些細であるものの今や支配的な状態は一つの事実であり、同様にその事実を変化させるための努力でもある。ただし、それは、この努力が現在の担い手において条件付けられて理解されるだけでなく、共通の意識に相応しく理解される限りにおいてであるが。この次の状態は他の事実である。人類の始まりもしくは終わりのような「諸統合」は、楽に短縮できるものでもなければ、さらに正当化可能な短縮でもない。というのも、多大なる時間の浪費によってそのことについて一致することは殆どないだろうし、少なくとも―補足するなら―あの「諸統合」があるうちは、現在におけるよりも堅実に基礎づけられるということなどないからだ。言うまでもなくあらゆる出来事は諸要因の中で解体されうるし、事実は―無論、その都度状況に相応しく全く異なった様式においてであるが―証明の進展の中で決定的な役割を果たすが、こうした状況に経験主義派を適合させることは、もはや時を逃している。認識が引き続き保護されたものから離れようとせず、歴史学的に議論の余地のある問いに乗り出さないもしくは遅れてからはじめて乗り出そうとすることは、一つの約束のように見える。「我々が思考の中でより良く世界について知るための手段を手元に持ち、このようにして観察されているような体制は、我々からは一貫して謎めいたもののように見える」とウィーン・サークルの刊行物[24]では言われている。特にこうした原理を肝に銘じることは、あらゆる部分で一致や秩序がその美しく着飾られた外面を反映する世界において示される。その一方で、その世界の内部では恐怖〔Schrecken〕が住み着いている。独裁者たち、つまり植民地区域の悪しき司令官や残酷な監視長はいつでもすでに、こうした精神のあり方に賛同する者を欲してきた。しかしながら、事実として科学はそうした性格を完全な科学として受け入れているが、観察の森を突き進み、好意的な日刊紙それ自体よりもよりいっそう世界について知っているという強情さや不動さをこの思考一般は拒否し、科学は消極的に社会全体の不正に参与するのである。

⑰こうした反省に対して経験主義は、この思考が日々の無数の観察に他の観察が対置せねばならないとしたら、そのときどこから思考の不動さが生じるのか、という反論を持ち出す。思考は経験に対してのみ繰り返し経験を引き合いに出しうるという。それどころか思考の概念は、生得的もしくは吹き込まれたものなどではないというのだ。しかし、他の諸事実が見抜かれ、もしくは撤廃されたところでさえ諸事実に同意されないのだから、そして至るところで同じように諸事実が関わり合っているのだから、決断〔Entscheidung〕のもとで問題なのは、諸事実を評価し、構成的で、表層と核を相互に区分する思考ということになり、経験主義の名は今日、全くの無内容であるか、実際に本来の語の意味で理性を断念することであるかのいずれかである。世界での経験主義の役割は、多くの状況について明瞭にされうるのである。次に述べる場面は、マルクスの敵であるカール・フォグト子息が問題であるE.シュペングラーの論文[25]から借用されたものである。「彼の研究に捧げられた立派な本の中で、シフ教授は、反生体解剖協会のメンバーが大学の研究室を見学したいと申し出たとき、動物たちは決して眠っているわけではなく、鳴き声ひとつ聞こえないことを指摘した、と満足げに回想している。巧みに声帯を切り取ったために、動物たちは苦情を言う手段を奪われただけなのだ」。若き男性パトロンによる、あの組合員の欺かれた善意についての喜びは、欺瞞に適合した世界における慎ましい経験主義についての喜びの一つの雛形である。

⑱個人による諸行為が、物理的プロセスの予測〔Prognose〕と厳密に一致している経験様式を通じて予言〔vorhersagen〕せねばならないように、予測もまた、社会集団についてなされうる。社会の経験主義敵理論は「社会行動主義」〔Sozialbehaviorismus〕である。「国家、民族、年齢集団、宗教共同体、これらはすべて、個々の諸要因つまり諸個人から作り出された複合体である。そのように構成された集団というのは、確実に規則通りの諸連関を示し、この諸連関は一定の生理学であるのだ。[…]この科学的探求は、[…]増大する役割を政治的に果たす「社会階級」〔Gesellschaftklassen〕の局限が社会的に代表されるがままになっている、ということを示していた。「無産者階級〔die nichtbesitzenden Klassen〕の人間学」は生物学的に注目に値する素材をもたらす」[26]。社会理論は言うまでもなく、実験を伴う物理学のように容易〔な理論〕ではない。しかし、結局、引き合いに出された「偉大な形成物」は「個々の生き物、人間そして他の動物達からできている。「行動主義」は刺激の影響下にあるそれら〔生物の〕諸関係を生物学の部分として研究する(vgl. パウロ及びその他)[27]。社会学というのは、唯一の動物個人だけが意のままになり、「腕や脚についての諸法則、4年毎発生する動物についての法則、6年毎発生する動物についての法則から導き出さねばならないような生物学と比較しうる。しかしその際、変化についての経験もまた、すでに法則の規則通りの変化を教授していたのである」[28]。その際、経験論者は、そうした方法で「意義深い諸変化が[…]あらかじめ把握されているということを明らかにしている。あらゆる複合体の比較は、我々に対して革命を予告する可能性をあたえることはない。事実、この比較は普通の仮象などではない。新たな仮象に対して新たな法則性を発見するのだが、この新たな仮象は待たれねばならないことになった」[29]。もちろん、無駄にこれが眺められねばならないというわけではない。「争いを必要とする人は、木こりを待つか、木こりを急き立てるに違いない。現在の社会構造と密接に結び付けられたあのような人間を概して社会学的な洞察が現在の諸連関において最高度に獲得するものは、このような状態にある。物理学においても、技術的実践と密接に結び付けることは、ある刺激を発する。未だかなりの程度、このことは社会学について言える。〔社会学の〕学者は他の学者と同様に、一つの要素である」[30]

⑲それゆえ、個人的かつ社会的な諸傾向は、経験論者にとって、その要素の概念機構における例外を形成しはしない。その際に問題となるのは諸観察の定式化である。社会学者にとって実践は、刺激を提供するものである。そこでひとはそれ自身、主体に歩みだすものではない。事実と対象としての科学においてのみ、「意義深い諸変化」が受動的もしくは能動的に待たれているのか否かという諸行為として、人間も見做されている。学者は要素として表現するのに十分なほど客観的である。こうした即物性〔Sachlichkeit〕はその理論的帰結を持っている。社会それ自身が個人の包括概念であるらしいため、主観と客観の相違、認識とその対象との相違、理論と実践の相違もまた、社会的基準の中で例えば常に乗り越えられつつあり、歴史の中で異なっている相違として示されるのではなく、決してそこにはないもの、空虚な言い回しとして示される。観念論者の哲学と唯物論者の哲学の中心にある、意識と存在の間のこうした分裂の問題は、いわば自身からここでの経験主義を引き剥がしてしまったし、単に事実が存在するし、科学の概念機構は自身を固定し見積もることに奉仕する。こうした概念機構それ自身が考察される限り、再び事実に、例えば心理学的もしくはなんらかの方法で条件付けられたいくらかの習慣関わり合わねばならないのだ。

⑳その科学が全体の理論的再建として抽象化作用の結果を目指しているような市民的生産様式の下、動物や人間、社会は、同じようにいくつもの事物や出来事の総和と見做されている。そして、こうした抽象化が社会的実践の連関で成立するようなプロセスは、意識に落ちゆくことはない。経験主義は、この意識をその都度到達された段階で固く保持している。経験主義が創世記を想起する限り、経験主義はこの問題を、心理学的もしくは社会学的規律もしくは、すでにこれらを配慮しようとしている規律へと向かうように指示する。経験主義の主張は、確認されうるもの全てがいつでも諸対象でしかなく、ただ諸対象でしかないものを目的としている。我々が自身の意志行為を分析するとき、我々は、相互に関連付けられている願望、感情、表象そして運動に思い至る。主体、もしくはまた所与ではありえず、個々の事実とそれらの連関の前後に横たわっているらしい現実について論じることは、不合理であるという。我々が更に進むことなく主体についてのみ語るのならば、そのときこの主体は、孤立した対象であるし、他のもののように身体的な出来事の一連である。そして主体はそうした身体的な出来事の一連として最終的に見做されるのである。普段、どのように意見の衝突の中でこのことについての一致が教育されねばならないのだろうか?そして、適切であろうがなかろうが、あれこれ言語上で固定することの背後で、実際の主体が姿を消していく。このことは一度も口に出される必要はないし、―同じように論理経験主義によれば、意識から独立した現実も口に出される必要などない。この問題は、そうした不確かな国語の浄化とともに、世界から取り除かれてきたと信じられているのである。

㉑来たるべき事実を予言するべく所与の事実を確認し秩序付けることの内に科学が汲み尽くされてしまうような体制は、〔認識の〕孤立を再び止揚することなしに認識を孤立させる。この帰結は経験主義によって不気味に歪められた世界の図像、世界がそうしたものとして認識しないような図像である。科学が行為する限り、この科学はこうした信念に従って学者から行為する者になり、科学は、即座に学者になるべく要素や所与性、事実に変わる。事実、科学はこのことを論じている。判断や結末の鎖として訓練された専門家は科学者として理解されるし、社会的要因としてのこうした専門家は単なる対象として現れるのである。まさにこのことは誰にとっても妥当する。人格は互いから数え切れないほどの諸機能に陥っていくし、こうした連関は未知である。一方で社会において人間は父親であり、他方でビジネスマンであり、また他方では思想家あるいは他のなにかである。つまり、人間は完全に人間であるわけではなく、運命によって定められた順序の中でありとあらゆる他なるものであるのだ。同様に事実や行為に由来する知は、事実から構成されている。知の構成要素や知覚、諸概念や諸要素は、例えば主観といったような他の何ものでもないものに関係の中で認識しながら移し替えられうる。というのも、その際この他なるものはそれ自身、事実となるが、それとともに他なるものにはならないからである。こうした概念把握不可能な科学の完結性が、所与のものもしくは事実の抽象概念を具体化することを引き合いに出すのならば、論理的に見られる〔のかもしれない〕。デカルト以来、あらゆる個人が立証できていたものを単に存在するものとして見做そうとしてきた一方で、所与のものの概念と何か一般の概念の間にある相違は、経験主義において批判的に吟味する審級としての主観の断念によって消し去られてきた。その結果、所与のものや事実、対象というのは、うわべだけは未だに規定されたものの何かを意味している。専門の学問は特別なものや相異なるものと関わりを持ってさえいればいいのに対し、哲学は逆に普遍的なものの霧や普遍的なものとしての事実、単なる言明、内容からは独立した言語ないし純粋言語と関わりを持たねばならない。他の異なる部門において両方の部門の生産物を如何にして組み立てるのかということは、社会における匿名の利用プロセスに委ねられたままである。理性は、認識の諸要素つまり普遍性や特殊性について、社会的な再生産についてのそれ以外の諸要素ほど判定しない。個人経営や〔専門〕分野の内部にしか理性は存在しない。つまり、理性は語性としてしか存在しないのである。世界がそうした区分のもとで哲学を掴み取ろうとするような所与のもののこうした空虚な普遍性は、専門的な教説として固く保持されている経験主義の概念によって、引き続き特別なものかつ規定されたもの、唯一信じるもののように見られる。

㉒古代経験主義において完全な世界のこうした同一化は、単なる所与性、認識に対する実践全体をこうして均一化することとともに、宗教的もしくは懐疑的な思想によって調停され、少なくともこのような思想によって問題含みなものとして表現されてきた。個人自身が参与している社会的な生活プロセスの結果として存続していることを概念把握する能力の無さ、つまり孤立した個人に対して社会的活動の生産物を疎外〔Entfremdung〕すること、また、事実の具体化として姿を見せる疎外というのは、バークリーによれば、事実は神によって個人に与えられている、という明らかに宗教的な信仰において知覚され、ヒュームによれば、諸事実の起源の解明についての認められた絶望において知覚される。彼らによれば、認識を完全に遮断する隔絶の疑わしさは、少なくとも、諸事実の起源の解明についての想起、こうした疑わしさが単に懐疑の内にあるという想起によって未だに留保されている。ヒュームは時折、こうした結果を経過して「哲学的メランコリー」に沈んでいった。「人間本性における様々な矛盾や不完全さを徹底的に探求すること」、とあの論文[31]の理論的部分の終わりに向けて言われているが、「それどころかそのようにして私自身に作用し、私は、あらゆる信仰と信用を最後に投げ捨て、ある意見をどのほかの任意の意見よりも可能的でありそうなものと見做すような概念の内に存在するのだ、という知恵を刺激した。私はどこにいて、私は何なのか?どのような原因から私はわたしの実存を導き出し、どのような来たるべき現存在を私は希望せねばならないのだろうか?私は誰の好意を求め、私は誰の怒りを恐れるべきか。本質に向かって私を取り巻くものはなにか?私が突き動かし、私を突き動かす者は誰か?私はあらゆるこうした問いによって混乱してしまう。私が考えうる限り最も嘆かわしい状況にいること、あらゆる四肢の使用とあらゆる人間の能力の使用を完璧に奪い取ってしまうような最も深いところの暗闇によって私が取り囲まれていること、こうした錯覚を私は始めてしまうのだ」。ヒュームは、構成的な思考の壊滅、主観と客観、理論と実践、思考と意志、これらの矛盾を平坦にすること、権力によって得られた市民階級によるヒューム哲学が導いたもの、これらでさえ、何か否定的なもの〔Negatives〕として知覚したのだった。彼の後継者達によって、このことについて論じられることは殆どなくなり、悲しみの表現は、理性の無力さを超えて目につくことはない。近代経験主義の態度決定は未だなお秘密の内にしかない。事実、こうした態度決定は思いもよらぬ類似点ヘーゲル的な言葉遣いについて公言することなどないのである。生の問題において「謎めいたもの」〔das Mystische〕が始まるというのだ。

㉓科学は社会的生以外全ての領域から切り離されうるし、諸事実の立証と予想として把握されうる。しかし、少なくとも我々はヘーゲル『精神現象学』以来、次のことを知っている。すなわち、最も直接的なもの〔Unmittelbarste〕つまり感性と知覚の所与性というのは、単に最大限制限された悟性に対して、最終的なもの〔Letztes〕として姿を現し、真理において調停され、独立している、ということを知っている。「この野蛮人ども」とヘーゲルはすでにE.シュルツによる哲学への批判[32]の中で書いているが、これすなわちすべての論理経験主義がすでにあらかじめ把握されていた批判であり、「議論の余地のない確実さと真理を意識の事実に置くこうした野蛮人に対して、初期懐疑主義や唯物論、事実としてそれが全く動物的ではないものの最も一般的な人間悟性でさえも同様に有罪判決を下すことはなかったし、この野蛮人どもは、ほんの直近の時代まで哲学においてはアウトサイダーであった。それに加えて、こうした最新の懐疑主義によれば、我々の物理学や天文学、そして分析的な思考はあらゆる理性的な懐疑癖に反抗する。そして、それゆえ懐疑主義に欠けているのは、後期の古い懐疑主義の高貴な側面、すなわち制限された認識つまり有限の知に対して方向転換をするような高貴な側面である」。いずれにせよ、ライプニッツによる創始から現在に至るまでのドイツ観念論哲学の発展は、知覚の世界が単なる模造品もしくは、とにかく例えば喜びないし実体的なものなどではなく、いつでも人間の活動による生産物であるような洞察を基礎づけうるのである。我々が個人的科学的意識の内に認識を保持しているような世界は、単に神によってそこに与えられ、我々によって受け入れられるというだけでなく、同時に我々が加工している悟性の結果である、という証明をカントは提供してくれた。その上、「純粋悟性概念の図式論」についての章では、経験的な知覚の内で開始される内容でさえ、もしその内容が意識の内に姿を現すのならば、常に生産的な人間の能力によってあらかじめ形成され、分離されている、といったようなことを示す定めにあった。新カント主義者たちはこの〔証明の〕後継者を細分化し拡張したことによって、少なくとも彼らはこうした後継者を維持し続けた。とりわけ動物行動学と心理学の進歩と関連して、言語の構成的意義は、無意味な所与性に対して詳説される。「記号というのは」〔Bezeichnung〕と解明されている[33]が、「完成した対象に合わせて発展するのではなく、記号の進歩に合わせて発展する。そして、それによって達せられた、常に鋭利であり続ける意識内容の「区別」〔Distinktion〕というのは、「諸対象」と「諸性質」の総体、「諸変化」と「諸活動」の総体、「諸人格」と「諸事象」の総体、局所的諸関係と時間的諸関係の総体、こうした総体としての世界を明瞭に輪郭付けることが、いつでも我々に対して帰結されるようなものである」。所与のものは言語によって表現される、というだけでなく、言語によって形成されもするし、単純に成立する〔ものである〕。無論、所与のものによる世界観的な前提条件によれば、新カント主義というのは、諸事実を生み出し構成する実践を精神的なプロセスとして理解していた。事実、カッシーラーは知覚世界の人間的な条件性を認識していたが、それでも彼は独立性を仲介している要因、すなわち「自我と世界の間の「分析」の偉大なあらゆるプロセスにおける媒体〔Vehikel〕[…]〔自我と世界という〕両方の領域がはじめて一定に分離するような媒体としての」[34]言語を明らかにしている。こうした体制でさえ、なおもあまりに狭い。現代の人間による事実意識を正しい連関の内にもたらすために、自我の抽象原理を自我の歴史的な絡み合いの中で追跡するのでは不十分である。自我と世界の矛盾は、その一定の形態においてその都度、無常な歴史学的全体の一部である。モナド的に完結した本質としての自我概念は、理念と事象に従えば、抽象的なものとして実証される。しかし、事実として古代観念論とその後継者は知覚の条件性を一様に観念的であると理解し、事実の確定としての知を偏って特徴づけることを、超越的つまり合理的諸要因によって本質的に単純に克服しようとしていたのだったが、こうした諸要因は、事実の知と存在認識を直接同一視するために制限されることはなく、経験主義の肩書がすでに明るみに出しているような一つの制限であるのだ。科学の事実そして科学それ自体は、社会での生活プロセスからの切り抜きであり、自己を目指して科学的全体を重視するように事実を重視するものを実際に概念把握するべく、歴史学的状況への手がかり、つまり正しい社会理論が保持されねばならない。

㉔個人的な自己知覚の試金石でさえ見捨て、完璧な清廉さの内で体系の論理的健全性やプロトコル命題を単純に信頼するような経験主義、特に最新の慣習の経験主義に対しては、災難が降りかかりうるだろう。事実、特定の時代、特定の国の中で人間や国民経済学、歴史、心理学そして社会学についての科学が経験主義に最も特有な諸原理に従って活動しているのだろう、ということを我々は受け入れている。これら科学は精密な立証を行い、局限まで精緻であるような論理記号装置を備え、いくつかの状態の枠組みの中で鋭い予想に至ってきた。経済的かつ政治的手法によるその日の重大ニュースは正確に記録され、市場での価格変動は正確に算出される。事実、言うまでもなく、限られた期間であれば、平均的人間の諸反映〔Reflexe〕や反応〔Reaktionen〕は、赤ん坊から老人になるまで記録されており、結びつきにおける情緒は、計測可能な心理学的出来事にもたらされるのである。適切ないくつかの予言〔Voraussage〕、当該の国における全国民の大多数の関係についての予言、例えば厳しい命令に対する〔その国での〕大多数の服従についての予言、戦闘的な政治の結果として〔陥った〕社会全体の食糧危機に際して大多数が節度ある暮らしをするという予言、大多数の人々の最も良く証明された友達の迫害や根絶を目の前にした彼らの受動性についての予言、公共の場の祭りに際しての彼らの歓喜についての予言、残忍で欺瞞に満ちた官僚支配に対する選挙からの実証的な結末についての予言、こうした予言がなされている。あらゆる手法による社会科学は、広く、さらに広くまで経験的に説明された物理学と競い合おうとする努力に手を伸ばすことができるのかもしれない。この「純粋な感覚経験〔Sinneserfahrung〕の事実」つまり立証可能なプロトコル命題は、このような精密に記録し、比較し、諸連関を立証している科学を疑うこともせずに、その科学の全てを把握する支配機構の中で使い始めることを知っているかもしれないような悪しき統治に対して、自然発生的に両手を上げてデモを行うことと同じような豊潤さの内部で、学者たちに流れ出てしまう。―だが、〔これまで〕成立してきた世界と人間の図像は、この時代に到達されうる真理によって、より広範に取り除かれうるだろう。あらゆる内的自由を破壊し尽くす経済的メカニズムの中に挟み込まれ、教育やプロパガンダが取り除く方法によってその方法による知識の発展の内部で阻まれ、不安や恐怖によってそれら自己意識が奪い去られるようにして、あの国の人々は、倒錯した感銘を受け、彼ら自身にとって矛盾した諸行為を犯してしまい、あらゆる感覚、あらゆる表現、あらゆる判断の内部で単に欺瞞や虚偽を生み出すことができてしまうのかもしれない。あの国の人々は、あらゆる発話における言葉の強い意味の内に所有されるがままであるのかもしれない。あの国は精神科病院や監獄と同等に似ているのかもしれない。そしてあの国の明確な機能を果たしている科学は、その似ているものに気がつくことはないだろう。この科学は、物理理論を純化し、食品科学や破壊兵器ならびに天文学において一流の役割を果たし、人間の混乱や自滅の手段の供給において現に存在するだろう。しかし、この決断はこうした科学に気がつくことはないのだろう。またこの科学は、自身がはるか昔に自身に備わっている逆のものになっていたということに、科学から、いくつかの技量を卓越し適合した部分体系にもかかわらず、野蛮な無知や偏狭さに対して気がつくこともないだろう。しかし、経験主義はこれから先も、科学を理想化するに違いない。というのも、科学は確固として事実を立証するからだ。事実、科学は諸事実を示し、秩序付け、予測するだろうから。それはそうと、その他に経験されねばならない場所、科学であるもの、科学それ自身つまり、諸事実が営む学者たちとは言わないまでも、これらは、あらゆるものが秩序の中に存在するという点で一致するのだ。

㉕こうした災難は経験主義の身に容易に降りかからざるをえないだろう。経験主義は、これまで一度も、こうした災難を回避できたというようなことを表現できていない。事実、例えば科学的な記録メカニズムから逃れている闘争、生が支配的諸関係の下で耐え難いものになってしまったような断固とした諸集団の闘争は目標に到達せねばならず、この図像は一撃とともに変化せねばならないのかもしれないが、経験主義に従えば、影の部分は驚くべき科学に落ちていくことはないのだろう。たしかに人間の初期の意識や関係は偽として、つまり人間を隷属化させる状況を強制的に適合させ、製品化することとして示されるのだろう。自由な発展の数世紀後、昔の時代は、残忍な困窮の下で、あらゆる人間諸力の思考と歪みを混乱させるものとして見做されているのだろう。たしかに、今や大衆自身が、自身の初期の弁明や諸行為、秘密の思考でさえ、悪しきものや虚偽のものと認識していた。だが、それならば、どのようにして科学は当時、何かしらをそれら〔弁明/行為/思考〕から気付きをえたのだろうか?しかし、学者たちの課題は立証されうるし、預言〔Prophetie〕〔の方向〕に駆り立てられうる。科学者たちの予測〔Plognose〕は「意義深い諸変化」に適用されることはめったになく、当然、観察物〔質〕が欠けているのである。「新たな現象〔Erscheinung〕に対して繰り返し新たな法則性を発見する場合には、この新たな現象の到来が待たれねばならない」。しかし、あの激変を引き起こす活動的な集団と個人は、違ったやり方で理論の側に立ち、実践者における学者たち、そして繰り返し学者における実践者たちの絶え間ない序列において退行することはなかった。存在することに対する彼らの闘争は、理論と実践の矛盾を実際に洞察することである。彼らがより良い現実〔Wirklichkeit〕を目論んでいることが理由で、彼らは所与の現実を見抜くことができたのだった。欺かれた科学の中に悪しき社会の実践を突き刺すように、彼らによる知覚の方法の中に、この所与の現実は特殊な行いを突き刺す。また、こうした活動的な集団と個人は、「感覚性」の中で意識し、活動し続けるのだ。

㉖調書上に記録された魔術から彼らは何も見渡せない。むしろ魔術によって彼らは見抜かれてしまう。経験的素材、つまり完全に達成されうる科学というのも、弁証法によって厳密な精密さの内に加えられ、個々の事実とその集積は、思考が一枚噛んでいるとしても、一貫して決定的なものでありうる。しかし、個々の事実とその集積はその時々で、あらゆる概念に入り込んで、より完全なものとして現実性を反映しようとするような特殊な連関の中で姿を現す。すなわち、問題を含まない諸経験を確固たる形式において維持し、そうした諸経験を使用〔操作〕することが肝要であるのならば、経験主義的な方法論において諸概念や判断は、単純に孤立させられるし、特殊な場合においてのみ意味を破壊しないようなものが構成され、交換され、部分的に修復されうるような、自立した確固たる土台として、こうした諸概念や判断は用いられることになるのである。しかし、こうした思考が、思想の一連の終焉においてはじめて個々の部分の機能を照らし出し、その全体を明らかにするもののもとで、生命ある事象の図像の輪郭を描こうとする限り、経験的教説は役に立たない。そして、経験的な構成要素というのは、弁証法的思考において、科学が奉仕せねばならない制限された目的だけでなく、歴史学的な利害関心に対しても、〔あの〕全体と結び付けられている意義からできているような経験の諸構造になるのだ。習慣的な活動性とは逆に、全体それ自身によって意識された個人は、彼の注意を、それが自然科学の内部で確かな尺度における普遍的な欲求によって指示されているような特定の予測や効率の可能性に向けさせることへの傾向しかないわけではない。事実、健全な人間悟性は、その担い手の状況に相応しいように世界を知覚するが、存在しているものの変革は、その下で活動的個人が所与のものをグループ分けし、理論へと構成するような視点を形成する。理論というのは、その経験様式やカテゴリーならびに、それらの変遷において、それ自身が未だにあの健全な人間悟性とその世界を露わにするようなこうした加担と一様に関連してのみ、概念把握可能である。意志が思考から独立しているように、正しい思考というのは、正しい意志から独立しているのだ。

㉗理論は、経験主義的な学者とは異なり、実際に意識的に行為する個人に対して意義を持っている。この経験主義的な学者は当の理論形式を、支配的な学問経営に由来する慣習として受け継いでいる。ただ、思考がその所与の形態における社会的生の継続を超えて延び出ているのならば、〔思考の〕表現形式もまた、あらかじめ定められるということはない。むしろ理論にとって経験的諸要素というのは、現実を意識しそれ自身で広範に概念把握している利害関心の亜種〔sub specie〕を反映する図像総体へと構成されるのだ。構成や表現は、研究との連関において、認識の特殊な諸契機である。経験主義によれば、物理学にとって身体というのは、「それが個々の名を受け継ぐべく、いくつもの確かな因果関係を通じて結びつき、統一性を十分に備えているような[…]出来事の豊潤さ」[35]を意味している。そのとき、そうした名の利用は「安易な略形」〔bequeme Abkürzung〕と見做され、僅かな論争すら、結びつきのあるものから生じることもない。人間世界を顧慮すると、因果関係や単一性、表現の安易さについての見解は、物理学におけるように滞りなく一致しはしない。万物において生み出された意識に対して異なった形で現れ、逆さまになっているようなところで、独立した諸行為は単一性や独立性を目にすることになるが、あの表現が闘争、例えば弾圧や釈明について言及された体系に単一性を就かせるようなところで、こうした「出来事の豊潤さ」は、単に略形や虚構と見做されるだけではなく、悲痛な現実とも見做されるのである。歴史的に変化する、社会全体の発展についての〔利害〕関心、つまり主観的かつ自己自身を変化させる、こうした契機というのは、弁証法理論においては単なる誤りのもととしてではなく、認識に内在する要因として理解されている。社会や階級、経済、価値、認識ないし文化などといった弁証法的社会理論についてのあらゆる根本概念は、主観的な利害関心が一貫して支配している理論的連関の部分を形成する。歴史的世界がそこから構成されるような諸傾向やその対立諸傾向は、主体が自己自身において経験するか、むしろ生み出さねばならないような人間に相応しい現存在への意志なしには把握されえないような発展を意義づけている。しかし、経験主義者が自身の持つ諸形式との関係における「卑俗な」言語概念を定めているような「諸球形」〔Ballungen〕として、経験主義者は発展を認めているという[36]。また、事実のあと〔post factum〕それゆえ急激な変化のあと、〔自身こそ〕真実であると自惚れた全ての国において、言うまでもなくこうした口調をはねつけねばならないような経験主義者たちに対して露呈してしまった、人間の素質や体制は、全体もしくはその部分で行為している集団の認識を、すでにこうした集団の闘争とは反対に規定していた。しかも、その認識は、当時でさえ根本的に経験的に証明不可能であったような事実を主張していなかったに違いないのに、である。―事実、正しい利害関心は視線を誘導していた。理性的認識が経験的哲学のように科学の立証のもとに留まらない場合にのみ、この理性的認識は、科学を立証することと無矛盾であるのだ。

㉘あの創作された生による発展した自由は単に我々によってでっち上げられていた、ということを、こうした理性的認識は想起させうるのだった。上述のように、経験科学が気づかせないようにしている「諸決断」〔Entscheidenden〕が問題になるとき、そして社会全体についての利害関心や、人間に値する現存在の理念が語りだしたとき、経験主義はそうしたいくつもの表現を、個人的願望や道徳的信仰ないし感情と科学の混合として明らかにする。評価や科学を区別することは、近代的思考の最も重要な偉業の一つであるという。他の目標設定は自由に向けられたあの意志に直面し、全てにおいて正しいとされる科学の職業〔Beruf〕が決定されうるという。あの闘争者が自身の目標に到達する前、そうした目標の表象や完全な理論を構成するような利害関心が、他の願望からは区別できない、そうした表象や理論よりも勝ることなどありえないらしい。利害関心を貫いて支配されている理論の概念は、客観的科学とは相容れないという。言うまでもないことだが、今や、19世紀中頃まで政治的経済の理論や体系をはっきりと人間の出来事の好都合な発展を顧慮して構想するような、政治的経済や他の社会科学とは対照に、最近の学者諸氏は一様にこのことについて何も知ろうとせず、彼らの労働に際して生じるあらゆる意識的な社会的衝動を排除することを超えて、ただなおも無意識的な衝動によって導かれつつある、ということは否定されうる。彼らは、解決策や「いくつかの予測」〔Prognosen〕がそのことについて思案することなどなく期待されているような彼らの問題性や方向性を、それら科学の位置やアカデミックあるいは公的な精神の状況から授かる。工業社会で現に有効な目的に対する下女の地位でしか、彼女の疑わしい運命を覆うことができないような思考の低俗な役割というのは、価値を伴わない〔没価値的な〕こうした遅れた弁護者によって美化されるのである。目標設定を行う諸権力は、あらゆる特定の役割をも諦めてしまった思考を利用する。そして、こうした状態は、共通して沈められた学者諸氏の社会的妥当性において正確に表現されるのだが、彼らはその際に欲を出さず、事物のこうした秩序に縋っているように思われる。ただし、彼らは、理論的反省の個々の歩みの中でも知識を得ることの断念を、その理論的反省はどこへと進んでいくべきなのか、ということに対して従順に、清廉潔白さもしくは科学的厳密さのように、もしくは、悪しき国家の市民と同じように、忠実さと高貴さとしての僭主政治という彼らの暗黙の了解といった何らかの方法のように見せかけることによってではあるが[37]

㉙知的誠実さというのは、諸関係が意識的な利害関心から概念把握されるところで、あの利害関心を排除しようとしている誠実さによることの方が多い。加えて、歴史的状況が明らかにするような揺らぐことのない加担というものが、特殊分野での卓越した業績と結び付けられるのかもしれない、その時々の現存するものからの内的な独立性において、少なく見積もっても人間の諸事象においてこうした洞察を阻害するのに逆らって、存在している。さらに、弁証法的思考が、戦争と果てしない野蛮による人類の没落が目前に迫っている中で、あえて一般的な利益について語り、重要なものと重要でないものを区別し、このような態度に基づいてその概念を構成しているのだとしたら、もちろん、議論の余地のない証拠を示すことはできないが、そうなればそれだけますます、今日なおも社会全体が盲目であり、社会全体のために思考し行動しているような人を否定するような状況にこの状態が同時に属しているということはありえなくなる。経験主義者は次のように述べるのが常である。すなわち、物理学と社会理論の間に根本的な相違などなく、社会理論はまだそこまでいけていないだけだ、と。行いの中で同様の仲間意識は、善き基礎づけからあちこちで支配している。しかし、概念形成は今やその間停止せねばならず、社会全体の利害関心や人間諸力の束縛、幸福や発展といった諸カテゴリーが科学の内で探求せねばならないことなどなにもない、ということは、こうした善き基礎づけから導かれはしない。物質の選択や、そこで問題なく、そして何も負担を背負い込むことなく事が進展するような概念諸規定を引き受けることは、ここではむしろ、同時代の特定の社会学者に対して性格付けを行う上辺だけの客観性において、それなくして固執を続けているような意識的決断を意義付けるのである。言うまでもなく、理性的社会に対して抱く、到達されうる全ての知識を備えている利害関心への関係や、それと同時に定められる不確実性への関係を持つ経験主義的な真理概念は、共通意識の体験がそこでの構成員を受け入れ、体系化し、再生産するのを助けるような市民階級の職業の理念への認識を衰えさせてしまう。それゆえ、全人類のほとんど全てが幽霊を見たとき、彼らが社会で無実の集団をサタンやデーモンと宣言するとき、認識は、社会形式の解決に線呼応するのが常であるような、あの恐ろしい混乱を目の前にして、要求された経験のこうした高まりに対して現実の他の図像を非難し、共通意識を批判することができない。このことは、まさにこうした認識概念の本質の一部をなしている。無思慮な群衆の気が狂うところでは、無思慮な哲学など、熟考したところで存在することなどできない。いずれにせよ経験主義者たちは、精霊信仰に到達不可能であるわけがない[38]。そして、この学派は高らかと形而上学に対する闘争を宣言するのだ。

㉚今やすでに、近代経験主義は自身を古代のそれと区別しているということが一様に述べられている。直近の経験主義学派は、古く卑俗な経験主義を乗り越えていることを繰り返し断言している。「我々の論理的本質は」続けてラッセルは述べる。「[…]経験だけから導き出すことはできない。それゆえ、経験主義が論理学を超えた様々な領域で成し遂げうる卓越した尽力にもかかわらず、経験主義はその本質の総数において正当と認められることはできない」[39]。これに従うなら、形式的な論理学と数学の諸命題は、経験的な所与性から導き出されえない。論理経験主義が、とりわけ自身の育成する科学のこうした一部分を科学として、ジョン・スチュアート・ミルがしたように経験的な調査結果に科学を還元しようとすることなく正当と認めることによって、論理経験主義は自身を固有の学派と見做す。しかし、単なる立証によって区別される思考を自身に付与した形態は、粗末な形態に対して現存しているものにとって十分であるのだ。事実、伝統的な論理学がその始まりからずっと、自身の諸原則において、存在についての最も普遍的な性質を把握するための意識を維持しているのだが、そのとき〔同時に〕この近代的な論理学は、その性質一般が何も把握しないのではなく、それが全くの無内容であるということを説明してしまっている。近代的な論理学の諸命題からでは現実について何も証明されえない。むしろ、ラッセルとホワイトヘッド自身の研究によって論理学の一部であると示された数学と同様に完全な論理学というのは、それらが科学そして結局は日常生活の言語においても用いられるような、いくつもの概念や判断、推論によって極端に区別された体系であるにすぎない。ラッセルによれば、こうした論理的諸要素の研究、加えて様々な判断形式に対する基礎づけの体系を配置すること〔Aufstellung〕は、論理学の課題の特徴をなす。その際、言語的な諸要素が現実と自身との関係、つまりこの諸関係の一部に数えられるような思想の真理もしくは非真理というものを考慮することなく考察されていることが理由で、こうした〔近代〕論理学は形式的なものとして示されるのである。形式が内容に対する同意もなく規定されたようなことについては、論文の中で殆ど明確に語られていない。特徴的な状況の差異についての意見の相違がその中でいつでも発生するわけではない唯一の例が、普段から引用され、あらゆる例におけるこうした差異にもかかわらず、この例は形式であり、内容に対する差異である、といったことが残ってしまう、ということが述べられている。同時に、そのとき差異が形式と呼ばれるところで対象と対象の対象の発生がその中で確実になるような諸命題が引用されるのである。ソクラテスについての、対象つまりソクラテス自身が残した様々な諸命題の例を第一にラッセルは引用したあと、次のように続ける。すなわち、「次の一連の文章を例にとってみよう。「ソクラテスは毒杯を飲む」、「コールリッジは毒杯を飲む」、「コールリッジはアヘンを飲む」、「コールリッジはアヘンを食べた」。そこで、この全系列を通じて形式は一定不変であり、あらゆる構成要素は取り替えられる。それゆえ、形式というのは構成要素なのではなく、この構成要素がつなぎ合わせられたような方法であるのだ」[40]。そして、科学の形式的要素を分析することによって概念的な不明瞭さや上辺だけの対照ないし矛盾を暴露すること、概観された二者択一を示すこと、複雑な理論的構造の代わりに単純明快な構造を設定すること、異なる規律あるいはそれ自身の規律における様々な表現法を相互に適合させること、そして偉大な統一性を創造すること、これらのことに論理学は可能性を押し付けるのだという。論理学はあらゆる形式要素ならびに個々の操作のために数学のような記号を用いる。特に推論することで、誤解を妨げ、一目瞭然であることを容易にする、象徴的に固定された諸命題に算術的に合致するように論理学は振る舞うのだ。誇らしげに論理学は自発的に、自分は自身の現在の構造における個別諸科学によって促進され理解されるように、事物を含有している認識をどこであろうと増大させることはしない、ということを述べる。論理学は個別諸科学にとって、諸結果の定式化や双方的な同意の定式化の際の助けになろうとする。要するに論理学は経営〔Betrieb〕を合理化しようとするのである。「理論として、つまり科学の体系と並んだ固有の諸命題の体系としての哲学など存在しないのだ」[41]。それゆえ、特別な論理的添加物が、経験主義についての一様に詳説された性格を変化させているという見解は、間違っているのかもしれない。

㉛無論、内容空虚だという言語体系としての論理学による自己理解は、その進展の中で問題含みであることが示されているし、形而上学との闘争の中で即座に断念されてもいる。形式と内容の分離は、実行不可能か適切でないかのいずれかである。この分離は物的な態度表明なしに可能であるのだ、ということは仮象である。実際にこの分離が基礎づけている理論物理学において、こうした〔形式と内容の〕分離は、目下のところ、そこで「所与のもの」が、定式化と新たな定式化の複雑な出来事に対する隔絶された知覚として、副次的な役割を果たしているということが理由で、もっともらしく現れている。人間世界におけるあの分離が、愚かしい具体例で覆われているのは偶然ではない。こうした事象を決定することとの結合は、この科学の第一歩によってすでに示されている。あらゆる言語表現は確固たる意義を持っているという。この判断は構成された記号と見做されているし、その〔判断の〕中で記号のどの部分も、規定された事象か規定されていない事象のどちらかに組み込まれている。それゆえ、任意の確固たる事物のようにどの判断も経験されうるし、裂け目は絶たれ、そして充填されうるし、ソクラテスはコールリッジで置換されうるし、等々[42]。もし判断の性格が否定されず、その性格の代わりに無意味な形象が生じねばならないのなら、記号のそうした取り違えのもとで、確かな諸規則は従わされることになるに違いない。とりわけ数学内部での論理的障害がきっかけとなるような、こうした規則体系の解体は、特に保存されてきたこの近代的な論理学の一部分を形成する。しかし、どのような記号の結合が無意味なものと見做されるのか、という疑問に対する試金石、つまり言明と無意味な音声形態の間にある相違に対する試金石は、物的な問題についての具体的な決断によって分離されることはできない。正当と認められた諸判断を拾い集めることから家庭でも形式概念を抽象化できるようにするために、論理学者は、他の学部の同僚たちどころかジャーナリストや商売人たちのもとで単に巡回する必要があるのだ、という理念は、明確に一定の目的へと積み上げられた特殊な諸認識や、その都度で正当と認められた分類体系の内部で正確に進展し、固定された諸概念の間にある単なる諸関係を探求する思考に論理学者を還元してしまうのである。

㉜構造における確固たる概念が、特殊な意味函数を行使するところで取り込まれる思考プロセスは、形式的な論理学者から逃れている。人間の事柄について判断することで、この論理学者は通俗的な諸要素や結合に制限されている。彼は、数学的な公式の外部にある日々の生活におけるように、科学の中にも、ある無数の命題を見つける。つまり、仮にこの公式が単独で選び取られたとしても、その意味についての疑念が支配的とならないような諸命題である。その中で生じる諸概念は、問題を含まない様式の中で「根本諸概念」〔Wurzelbegriff〕に還元されうる。そしてこの諸概念は、この社会の中で常に原則的かつ誰にとっても反復可能であるような体験に関連している。そこで問題になるのは、論争がそれらを超えて続かないようないくつもの質と構造である。「節足動物というのは、分解された身体と分解された四肢、そしてキチンから成る皮脂膜を伴う動物である」という命題は、動物学においては確かに意味あるものと見做され、また、フンボルトはアメリカにいるか、トミーは淋病を患っているのか、ということは、意味を顧慮した問題を放棄することはない。しかしすでに、任意の判決は正しいか正しくないかのいずれかだ、人間は劣っているか高度に発達しているかのいずれかだ、という主張に加えて、意識形態から他の形態は生じるのだ、物品は使用価値と交換価値の統一である、といった言明どころか、現実は理性的であるか非理性的であるかのいずれかである、といった命題―これらすべての判断は、静態的な調査による小規模な人々のもとでも、総合大学の学者諸氏のもとでも、容認されたものとして立証されることはできない。経験つまり「所与のもの」は、例えばここでは普遍的ではないし、現存するものについての理論から独立していない。そうではなく、この「所与のもの」は、あの諸命題が役割を果たすような知識に合致した全体を貫いて調停し、この全体が目指す現実性は正しく実体的ではあるものの、理論家の意識から独立して存在しているなどと言うべきではない。その個々の段階である程度構造化された諸経験を条件付ける、こうした理論的全体は、人間ないし所与の現実との諸関係の中で、一度だけ規定されることなどない。日常言語に劣らず分類する悟性の分類体系についての言語も歴史的単一性を表現し、一定の精神的諸機能は、どれほど自身が多くの普遍的な一連の中で、あの諸体系と合致するのかもしれないとしても、それ自身の構造や歴史を持っているのである。その中で所与のものがそこで思考を通じて調停し、諸対象の連関が明確に作り出され、分化され、変形するような様式、つまり、思考と経験の相互作用すなわちこの内的発展を生じさせる言語構造は、表現形式か文体のいずれかである。そして、この文体は論理学に対して、克服しがたい障害物になる。自然科学の発展でさえ、知覚に影響を及ぼす。相対性理論〔Relativitätstheorie〕は、経験の構造転換においては比較的重要な要因となる。事実、日々の生活の表象世界は同時に加算されているのである。無論、自身が思考から隔絶されている限り、研究の初期状態におけるようなそれ自身の方法についての経験的知識〔Empirie〕すなわち「原子の」〔atomischer〕知覚の総体〔Inbegriff〕は、この理論に固有の領域すなわち物理学の内部に残り続ける。この総体は、隔絶された規律としての物理学の本質に横たわり、物理学の理論の意義―個人の実存と社会的実践の間に広がる大層な隔たりにおいてそうした諸性能を考察し、そのときそれら性能についての一定の諸契機を認識のプロトタイプにするような経験論的な論理学―を少しも縮減することはない。

㉝新たな論理学はこうした完全な関係を度外視する。この論理学の功績は、科学が奉仕するその所与の形態における生の再生産に対して典型的であるような理性的思考に関係がある。このことを顧慮するならば、科学はその規則を定式化し、総じて構造化されるのである[43]。しかし科学は、このことに適合しない思考の形象に対して批判的立場を占めるために保護される。度々生じる思考の形象の比較から科学によって抽象化され、体系的な連関に移し替えられた諸原理を科学は思考形式として定義するのだ、ということを科学〔自身〕が明らかにする限り、言葉の正しい利用に対してしか、何かしら反論されえないのかもしれない。この論理学が例から取り出すようなあの〔いくつかの〕事例に思考を制限することが基礎にあるわけではない。しかし、そのとき論理学の諸命題はトートロジーである、という断言はいくらか正当化されるのかもしれない。我々が思考と呼ぶものを我々は思考と呼ぶのである。表現独自の構造と固有の形式の形象を目の前にして、古い自然科学の経験様式の次に、例えば包摂する種族の種概念として把握するための思考についてのこうした概念は、新たに定式化されうるのである。しかし、そこで論理経験主義者たちは、気に食わないプロトコル命題でさえ拒絶する可能性を利用する。彼らの論理学が、人類史の発展においてこれまで役割を果たしてきた思索的な功績に対して、自身が考慮するいくつかの事例を単に純正かつ真なる思考として見せかけることによって、彼らの論理学は完全にトートロジーの役割から転落し、経験主義と対立する主観的な態度表明として示されるのである。

㉞論理経験主義の両契機は、外見上は相互に結合しているのだ、という事象が現れるという事態になる。例えば類型学のようなこうした両契機に用いられたあらゆる明敏さのもとでなおも疑わしいような多くの改革にもかかわらず、新たな論理学は、主として形式論理学一般とともに観念的となり、後者〔形式論理学〕に対して言われることは、無制限に前者〔新たな論理学〕とも見做されている。「形式」は、諸概念や判断、その他理論的形象によれば、方法の一つないしその広がりから抽象化される。ある論理的学理がそれ自身論理学以外の何物でもないということを明らかにするのならば、そのとき同時にこの学理は形式主義から現れてくるし、その言明は内容に関する意義と広範な哲学的帰結を持っている。自分自身をその時々に到達する内容に関する認識の契機として理解しているような、制圧された質量的な論理学、つまりアリストテレス論理学とヘーゲル論理学から論理的学理は、それがあの契機を知らないような事態を本質的に区別する。もしくはこの学理は、言うまでもなく論理学の名と歴史的に結合された万物の要求をも高める、あらゆる誤解を露骨に防止し、そのことから、この〔学理を構成する〕諸命題のあらゆる規範的な言い回しや批判的結論を明白に禁じるのである。そのときこうした論理的学理は、その学理が経験主義の中で受け入れている哲学的意義、特に非形而上学的な意義を喪失している。この学理はどの場合でも経験主義と対立し、そのとき常にこの学理と形而上学は、経験主義の体系の中でさえ、未解決の困難を形成してしまうのだった。論理的諸命題をいくつかの疑わしい心理学的事実から導き出そうとしたジョン・スチュアート・ミルの試みは、仮に自身に負っているフッサールの論理的探求が形式主義において認められているとしても、明確に区分されている。ヒュームは、数学的諸命題や彼らのそれと似通った諸命題をこうして推論することを全く試みなかった点で十分に勝っている。そのことに対して明瞭な理念諸関係は、ヒュームによって、自身の関係を明らかにしないままに経験的な事実に並んでいる。バークリーにとって数学は、唯物論に似た災いであった。「分析家」〔Analyst〕とその他いくつかの論難書はこのことを示している。公的かつ許可なくヒュームは、経験主義を近代的な科学の発展に対置し、公然と―M.カントールが述べるように、その始原を〔ヒューム〕自身によって危険にさらされているような新たな数学に備わる設備無しに、聖書や健全な人間悟性の肩を持っている。バークリーに固有の思考において、どの経験主義にも備わっている、感性的で合理的な認識からの硬直した区別は、周知の様式の中に影響が現れている。つまり、彼は経験論者たちからプラトン主義者になったのだ。経験主義における最初の三冊に数えられてきたロックの『エッセー』を読む人にとって、以前から第四の書物の中で驚き〔Überraschung〕が保存されてきた。道徳と形而上学というのは経験から独立するものではありえないが、それらは驚きと見做されねばならない。この教説の基礎文献は、表題におけるこうした矛盾の両極を構成する近代的な見方のように、それ自身、科学において発見されている合理的諸要素と科学における経験的諸概念との間にある矛盾を含有している。

㉟近代的な形式的論理学が、全部分として、もしくは隔絶された部分において思考のそうした〔形式主義的論理の〕概念に適合する理論的形象に逢着するとき、この論理学は例えばそれに固有の諸原理に存する一般性を問いの内に置くのではない。そうではなく、反抗的な原因がいつでも意志しているような性質を持つときに、この論理学は問いの内にこうした反抗的な原因を置くのである。「いつでも至るところで世界において無条件な妥当性を持つ何かしらを知るため」[44]の手段として思考を見做すことは偽である、ということを形式的論理の弁護者たちが明言する一方で、〔そして〕彼らがこうした思考の「執行権」〔Exekutivgewalt〕を否認する一方で、彼らは未知の思考に直面して用心深さを放棄してしまう。しかし我々が見てきたように、こうした哲学的姿勢全体は、その本質によれば、空想に対抗するための合法的な手段を述べることはないであろう。事実、その本質だけが十分に広がっている。魔術信仰〔Hexenglaube〕は、厳密に合理的な哲学のいくつかの手段と戦闘状態に入っていた。経験主義者たちはプロトコル命題の偉大な質を眼の前にして、一度もありそうもないことに固執する必要はなかったのかもしれない。それに対して経験主義者たちにとってアリストテレスやカントないしヘーゲルは最上級の気狂いと見做されているし、彼らの哲学は科学的な無と見做されている。というのも、ひとえに彼らの哲学は論理学に適合するものではないし、経験主義の「根本諸概念」〔Wurzelbegriff〕と「要素の諸体験」〔Elementarerlebnissen〕との関係は問題があるからだ。そこでそれとともに精神的功績について判断が下されるようないい加減さや尊大さにおいて、国民調査やその祝のかがり火のもとでときおり実践的に活動するのが常であるような文化の相続者との関係の兆しが見えてくる。事実、〔ここまで挙げてきた〕あの著者たちは、なおも個人的に都合が悪いのかもしれない。例えばラッセルはヘーゲルの質量的な論理学に逢着し、その中で論理学と形而上学が同一視されるということに行き着いた。ヘーゲルによる質量的論理学は、ラッセルによって次のように説明される。「ヘーゲルというのは、それが可能であるような見解にア・プリオリな思考に基づいて証明され、世界は様々な重要で注目すべき諸性質を保持せねばならなかったのだろう。というのも、どの世界もこうした諸性質なしに内的に矛盾しきっており、それゆえに不可能であろうからだ。同時に、彼が「論理学」と呼ぶものは、万有の自然〔本性〕についての探求である。ただし、こうした自然〔本性〕としてしか、万有は自身の構造に従って、自己自身と合意の上で論理的でなければならない、という原理から導かれないという意味においてではあるが。たしかに我が人格に対する私というのは、こうした原理からでしか、現存する世界に関して何事も導かれえないということだけを信仰するということはない。しかし、たとえそれがどうであろうと、いずれにせよヘーゲルによる立証は、その他の点で彼が無批判的な様式における伝統から彼自身の論文で引き受けてきた論理学には属していない」[45]。自己自身を前にした典型的な哲学者たちの精神状態について、ラッセルは次のような明確な表現をしている。すなわち、「彼ら(非経験主義者ら, ホルクハイマー注)の論理学を上辺だけ「証明する」パラドックスの数々は、真理において[…]彼らの神秘的な直観に由来している。これらパラドックスは、同時に、彼らが暗に感じていることに従えば、自身の論理的な論述に達さねばならないような目標である。というのも、論理的欲求は直接の認識と一致しようとするからだ。このことは、偉大な哲学者たちの下で―プラトンやスピノザ、ヘーゲルの他の誰よりも先駆けて―神秘主義者がその中で論理学を把握し使用したような方法である。神秘主義的な恍惚とは反対に受け入れられ、誤解された論理学の信念の方向性は平凡に、はじめからこの信念それ自体に対して固定されているから、論理学的下部構造はしばしばいくらか惨めな結果になるのである」等々。この下部構造は、かの偉大な哲学者たちに対して、次のことを許すことができない。すなわち、彼らが「サンタヤーナの適切な言葉を用いるために―科学と健全な人間悟性の世界に対して悪意(maliziös)」があったということを[46]。こうした引用文が由来している後の時代の著作の中でラッセルはたいてい俗受けする音色を奏でている一方で、ウィーンサークルの論文の中でそうした諸判断は、強固に物的な諸連関の中で現れてくる。それゆえまた、こうした諸判断は冷酷であるのだ。「古い意味における全哲学というのは」と率直にカルナップによって言われているが「そうした諸判断がプラトン、トマス、カント、シェリングあるいはヘーゲルを引き継ぐ、もしくは、新たな「存在の形而上学」もしくは「精神科学の哲学」を築き上げるのならば、〔全哲学は〕新たな論理学の冷酷な判断を前に内容的に偽であることを示すだけでなく、論理的に無内容、つまり無意味を示すのである」[47]。論理経験主義と一致しない限りで、まだなんとか否定的な判断に値すると評価されているような残りの哲学者たちとは対照的に、カントは(ライヘンバッハによって)様々に論駁されたのだった。カントはそのほとんどを明らかに失っている。純粋理性についての彼の批判は「作用の中で」尊大であるのだ。この批判はライプニッツの論理学に帰せられねばならないのかもしれない。「我々論理学者は[…]今日、こうした批判が、とにかくはるか昔からすでに破棄し得ない事実によって論駁されているということを知っているのだ」[48]

㊱経験主義によって誤解されたいくらかの見解の下で、真理は孤立した判断やその孤立において固執しているような判断などではなく、その時々の認識の全体である、という教説が抑え込まれている。論理学者たちは、行いにおける自身の諸見解と相容れないこうした原理のもと、普通にヘーゲルを拠り所とするのではなく、彼の英語圏での弟子であるブラッドレイを拠り所としている。こうした原理に対抗するために彼らが知っているものは、次に述べる典型を明らかにするのかもしれない。すなわち、「個々の規律によって覆い隠された諸真理は、相互に対して例えば次のような状態などではない。つまり、現実で真にするべくこれら真理、自身に対するどの真理も条件付きでしかなく、一面だけのいくつかの見解を押し付け、残り全ての見解によってはじめて完全にならねばならない、といった状態などではない。(ブラッドレイのような)少なからぬ哲学者たちによって主張されるそうした考えは、論理学に対する重大な違反を包摂している。(こうした意見が犯した誤りとは、例えば次のようなものである。すなわち、「かなり寒い」〔es ist ziemlich kalt〕といった命題の代わりに言う必要がある命題、つまり「寒いということは全く真ではないが、かなり真である」といった命題を論理学は信じているのである)。そうではなく、誤謬もしくは誤りがその産出量のもとに入り込んでしまったようなどの命題も自身に対しては完全に真であり、真理全体の一部分なのであって、こうした命題は、単に真理全体に近づくこともしくはその真理全体についての視点などではないのだ。(しかし、こうした命題が誤りを含んでいるのならば、その命題は一様に単なる偽なのであり、他方で真理の視点ではない)」[49]。しかし、事情によっては何かしらが正しい思考に近づくことを形成可能であることが理由で、絶対的な偽であらねばならないということなしに、その何かしらがほとんど偽である、ということに対する例証でさえ形成するこうした諸命題は、決定的なものの代わりに、つまり発話が誤りに基づいているところで、確実さを欠いているのだ。しかし、とりわけ浅はかが故の誤解は、自身が寒さについての制限された事情のようなあらゆる判断とともに、それ自身の事情をあらゆる思考の歩みにおいて保持していることの内にある。貴方がたは、個々にそして全体から独立して寒さについてと同等にその真理についても判決を下すような判断〔Urteilen〕から、どの合理的全体も構成されているのだ、と考えています。それに対し、現実性、少なくとも正しく重要視される数多の事例の中で問題なのは、判決が下される前にはじめて全体を知るということである。この達せられた見解は、例えば真なるものは全体である〔das Wahre ist das Ganze〕という、こうしたヘーゲルによる定式化のような単純な命題の中で表現されるのかもしれない。しかし、そうした洞察を概念把握するために、「かなり寒い」という判断によって図像の平均的な尺度に呼びかけ、普通の物質代謝を前提とする、といったことでは不十分である。むしろ、普遍的な哲学的定式化において表現される思想というのは、その思想へと導いてきた、熟慮についての一連を実際に貫徹した意識を現している。たとえ意志されているとしても、そのときこの意識が心得ているものは、単なる確認に劣らず「経験的なもの」である。もはや、意識の成立についての思想は、「かなり寒い」という命題におけるよりも活発な様式において関わりがあるにすぎない。この様式をヘーゲルは次のように表現する。「絶対的なものは本質的に結果として概念把握されうるのだ」と。しかし、ヘーゲルの見解は、言うまでもなく、経験主義者たちが考えるような、そうした問題性が単純には処理されえないような絶対知だけでなく、現在を超えて狙いを定めているような大部分の理論としても見做されている。弁証法的論理学は、生命ある現実性の構成後においての思考に関係があり、このプロセスにおける思考に〔さえ〕関係があるのであって、確実に生じている表現だけに関係があるのではない。この論理学は「言語の物理学」などではない。そうではなく、この論理学は、その表現の観点の下にある内容を伴う認識それ自体であるのだ。シュリックが「かなり寒い」という命題を、ラッセルが「トミーは淋病を患っている」というすでに言及された断言を、ブラッドレイに対して〔論拠として〕持ち出してきたとき[50]、〔このことは〕僅かにしか問題にならない。その「直感的な反抗感情」[51]を克服し、この学派〔論理的経験主義〕によって繰り返し告知された記号論理学をかつて初めて学んだ哲学者たちによる主張は、弁証法の基礎が否定される前にこの基礎は認識されねばならない、ということ〔言明〕に向けられている。「アングル族〔Angeln〕に由来する古い哲学がそこから保持されえてきた」[52]ような立場は、新たな経験主義者たちがそれとともにそれについて語っているような原始的な誤認の中で確実に発見されえないのである。このことが妥当していたため、記号論理学が単にこうした能力を欠き、あらゆる他の理論もこうした能力を欠いている。事実、これら理論自身は、十分に制圧された伝統をと親密な関係であり得るのである。観念論哲学つまり形而上学一般は、その哲学が単純に理論的に拒絶されたということによって、アングル族から地位を奪われる。また、形而上学一般の否定は、「哲学に背を向けられ、首を傾げて―若干の不愉快で月並みな段階が哲学について囁かれる」[53]ことの内にあるのではなく、哲学が現実化されることの内にあるのだ。

㊲姿を見せる現実性の諸矛盾に対して形而上学が不正とともに本当の現実性として主張している調和や意味に満ちた実存というのは、無意味なわけでは無い。こうした不正を企てていることが知られ、諸事実が頼りにされねばならないという告白〔Bekenntnis〕、〔一方で〕幸福と自由へのあらゆる人間的な野心に対する残忍な権力者の謀略、他方でそのことに対する闘争、これらの間にある本質的な相違を作り出さないような科学による企図〔Vorsatz〕、この両者を単に所与のものの抽象概念にもたらし、こうした態度でさえなおも客観的であるとして賛美するような、こうした完全な哲学〔ganze Philosophie〕というのは、また、最悪の諸権力にとってなおも好都合なのである。学者は、自身が現存するものを永遠化することへと、とりわけ、とうの昔に平和をその反対物に変えてしまった戦争経済へと技術的手段を供給することよりも学者が必要とされることなどない。経済諸力の自由な駆け引きにおいて不利な立場に陥っていた中産階級の大集団にとって、無口な実存の可能性、つまりあらゆる異なる問いにおける慎重さだけが、中産階級が経済的に最も影響力のある者に完全には接続しないようなところに残り続ける。この思考は、批判的であり同時に目標設定的でもある自身の主張を放棄する。純粋に記録し計算を行ういくつもの函数は、自身に備わる自発性から切り離されてしまう。決断と実践は今や思考に対置された何か、つまり「諸評価」、私的な恣意性、制御不可能な感情と見做されている。それに対して知性は、意識的な利害関心、つまり知性の活動の一定の方向性せいぜい外的に結合されているのであり、この知性は理念を欠いているのである。思考と意志、つまり精神プロセスの諸契機は、論理的には何も反論されえないところに対し、思考に関して相互に区別されねばならなかった。〔思考と意志といった〕これら諸契機は、今や自身の抽象性の中で、理性がその枠の中で留まらねばならないような複数の図式として立てられている。その結果として、論理的に相当反論されうるところに対して、一方では単に計算され、他方では単に区別される必要があるという。また、このことは妥当する。事実、いくつもの決断が計算結果を「利用する」必要があるということは、そうした誤解された厳密さの代弁者によって承認されている。こうしたイデオロギー、つまり思考と専門学問との同一化作用〔Identifikation〕は、科学の特別な目的に対する社会全体のごとく科学を使用する支配的な経済的諸力〔Gewalten〕を眼の前にして、行いの中で現在の状態の永続化という結果をもたらす。この哲学によって最も良くその意識の輪郭が描かれているような、〔すでに〕言及された自由主義的な集団は、意識を少なくとも数世紀以来、ヨーロッパにおける〔集団〕自身の増大する無力とともに自然の状態であると見做し、全体主義国家におけるこの〔自然的〕状態の強調を目前にして、論理経験主義によって宣伝されたこの清廉潔白さを、まさしく所与の理論的態度として見つけ出している。(清廉潔白さの隔絶された質を変容させることと、あの国家において最も恐ろしい譲歩がもたらされる粛清への欲求の間にある深い連関への洞察は、すでにこうした哲学者たちを次の理由から見逃さねばならない。すなわち、彼らは言語と自身の野蛮な関係において、言葉の中に横たえられた指示〔暗示〕を単純に紛らわしいものとして考察している、という理由からである。哲学を解釈学〔Hermeneutik〕に変え、哲学〔解釈学〕が言葉の歴史的に根源的な意義を追求することでもって諸事象だけの手がかりをつかもうとするような形而上学について一定の近代的方法のごとく逆さまになった誤りを彼らは作り出している。それに対して近代経験主義者たちは次のことを信じている。すなわち、単に「発話習慣」〔Sprechgewohnheiten〕についての正確な知識が前提されるようなもののもとで思考可能な振る舞いによって生活に根付いた言語は、「内容に忠実に」任意に発案された言語、例えばそのもとで何かを喪失することなく物理学で用いる言語の中で翻訳されうる、ということを。〔そして〕彼らは次のように考えている。すなわち、資本主義の代わりにRuaruaが、同様に人間の代わりにLarifariが述べられうるどころか、こうした諸概念が総じて禁じられた言葉の一覧に置かれるべきである限り、「より中立な」表現の選択はなおも優先されうるのだ、というふうに。というのも、彼らは、一度正しく定義したのだが、いくつもの誤解を不可能なものにしてしまったからだ)。

㊳専ら理性と計算上の思考との混同は、こうした経済様式の中でモナド化し他の混同に対して完結された個人を実体化する。次の比喩はこうした欺瞞を明るみに出すのかもしれない。数百もの人間は、死ぬまで牢獄に閉じ込められる。ひとえにこの牢獄は、唯一の巨大な空間から構成されている。外部によって、もちろん不十分ではあるものの、生活必需品についての面倒は見てもらえる。僅かな食事はあるが、良い休息が取れる人数はあまりに少ない。普段から喧騒が〔周囲を〕支配している。というのも、少なからぬ人々が、遊ぶための道具を置いていたからであり、加えて未開の人々がその下にいるからである。この牢獄は精神障害者に対する三階級の避難所の環境を管理する。思考する個人は自身の世話をしなければならない。この個人は共に捕らえられた人々を観察せねばならず、食料を配給する際に何の収穫も得られずに終わらないように、彼らの振る舞いをかなり細部まで調べねばならない。彼は、その中で喧騒が最小限に支配しているか、普段から憩いの場が自由であるようないくつかの目標を期待し、両者を相互に吟味する。彼は心理学や社会学、つまり彼にとって有用でありうる経験的な科学のあらゆる方法を導入する。個々の集団は互いに協力し、いくつかの闘争が行われ、いくらか補填が当てられるのかもしれない。これら集団の力や利害関心次第で、諸個人は個々の集団に合流するか、それら集団から分離していく。結局、彼らはむしろ強き者と残虐な者に屈することになる。というのも、彼ら自身がその分散の中で組織化された主体ないし自発的な主体を形成していないからである。思慮深さや知性、打算というのは捕虜による典型的な知的行動様式を残しておくのだ。こうしたいくつもの能力でさえ法外な様式の中で具体化されうるのだとしたら―それら能力は思考の特例のみを代表している〔ことになる〕。計算することは、人間の事柄においては惨めな逃げ道である。諸個人の精神的な諸力が、その混沌とした行為から生じるような相互作用に順応することに貢献するだけでなく、自身の生でさえ規定し順応させるような諸形式というのは、考えうる最大の惨めな逃げ道である。内的に隔絶された捕虜に対し、食料を求める群衆や食料〔に関わること〕以外での強迫行為、喧騒、そして、囚人が否応なしに独立している自然諸力としての制限された静寂が姿を現す。彼は最もあり得る合理的様式におけるこうした諸要因に屈する以外にない。こうした諸要因は、牢獄のマニュアルや〔牢獄の〕維持についてのその時々で救いようもない量のように、いくつもの現実である。しかし、なおも未知で修正不可能のものとしてそうしたいくつもの現実から独立している実情が人間に直面する限り、そのことについての思考は弱々しく抽象的である。というのも、今日そうした具合に独立性が存続しているような場所で、知的態度の性格が変わる構成的な表象が行われうるからである。計算上の思考、つまり「悟性による」〔Verstandes〕思考は、未だに比較的無力である人間類型に組み込まれる。この人間類型は、あらゆる活動性にもかかわらず決定的な事柄においては受動的である。いずれにせよ全く独占的にいつでも最強の者の特権になる処理や規制についての諸機能は、この分裂した世界において、理性の性格よりもはるかに順応や利口さの性格を持っている。高次の自発性を発揮することが共同の主観に存する体質から独立しているため、個人は高次の自発性を発揮することを命令することができない。しかし、牢獄の図像の中においてでさえ、そこ〔高次の自発性の発揮〕に行き着くような道の道中にあるのは、次のようなことである。すなわち、個人が諸要因の記録や予測、つまり完全な計算の中に留まるのではなく、諸要因の背後に目をやり、言うまでもなく表面を何にも見做すことなくその表面を本質から区別し、所与のものを単純に分類しないような諸概念を構想し、彼の経験全体をその際に偽造することなく持続的に一定の目標設定に応じて構造化することを学ぶこと、要するに個人が弁証法的に思考することを学ぶことである。記号論理学もろとも近代経験主義は〔いくつもの〕モナドの論理学である。そして、この論理学をそれに備わる「唯我論」〔Solipsismus〕のために経験した批判は完全な有権者となるのだ[54]

㊴こうした考察の発端以来、論理経験主義は、近代的な意識の諸矛盾の下で統一性と調和を打ち立てる試みとして示されてきた。新ロマン主義的哲学が科学の無価値化によってこうした目論見を現実にすることを頓挫させたのに対し、このことは専門科学の具体化によって実証主義の新たな変種に到達することを信じている。現実性を特定の歴史的活動との意識的な連関において諸傾向の総体として把握するのではなく、この現実性をその現在の形態の中で拠り所とすること、このことは〔新ロマン主義と実証主義の変種という〕両哲学的傾向の一部である。前形而上学的な観点は、歴史的変革から独立して存在している意味に満ちた存在〔Sein〕に所与のものを関連付けることによって、所与のものを弁護する。科学信仰は形而上学的な諸カテゴリーを総じて拒絶し、「現在を肯定する[…]十分な生活力をそれ自身の内で」知覚する。つまり、科学信仰は物理学の背後で「生命力に満ちた表現の科学、つまり内部にある波乱に満ちたものの科学、認識を探求する精神についての問いへの解答を発見するための主要な対立関係〔Spannung〕についての科学を認識」[55]しようとするのである。科学信仰が物理学的な教説を「人間は認識とともに成長し、初期の段階で人間が予感できないような思考形式の可能性を自己の内で引き受ける」[56]証拠と見做すことによって、この信仰は専門科学を美化する。しかし、科学の手段でもって原則立証されえない存在によって人間を慰めて希望へ進ませる形而上学でさえ誤っているのだとしたら、科学それ自体が自身を認識と理論一般を取り違え、しかも哲学の名を、つまり科学に対して批判的であるどの審級の名をも失墜させるかもしれないような場所で、科学それ自体はおめでたい形而上学的なものとなるのだ。この科学それ自体が一定の科学的洞察と相容れないことがとある物の見方を前に示されうる限り、この科学それ自体というのは、行いの中で偽そして時代遅れであると見做されねばならない。また、構成的思考もその思考が条件付ける個々の認識を専門的な物理学的認識、地理学的認識、心理学的認識などの認識として型押しされた状態で見出す。構成的思考は、境界を顧慮することなく具体的問題を顧慮して様々な規律を取り入れることで、制約されていない形而上学的視点のように内容を超えるもしくは内容を無視してその場に留まり、むしろその内容を状況に応じた正しい連関の中に移し替えるのである。しかし、科学とのこうした積極的な関係は、科学の言語がそれ自身、認識の本来的で真なる形式である、ということを意味しない。諸規律によって把握された現実性の一部分は、どのようにそれが語られているかということと同じくらいに、拡張〔Ausdehnung〕もしくは方法に応じても、今日到達可能な認識に対して制限されてしまう。科学の結果を犯すことが偽であるからといって、単にその結果を相応しく思考し、論じることは愚かで分派的〔sektenhaft〕である。今年、不安の中で自己の内に無を明らかに目撃し、不安に応じて「無それ自体を否定した」言語は、解き放たれた根源的な諸権力〔Urmächten〕とその言語との類似性にもかかわらず、どのみち、人間は苦痛に満ちながら死んだという判断においてなおも予測を表現するような確信に満ちた厳密さ、そして歴史における質的な断絶を度外視することをあの形而上学と一緒くたにする厳密さほど無意味なものとして我々に姿を現してはいないし、このような言語は、その〔歴史の〕率直な進歩信仰の中で、前-権威主義的な形而上学の絶望的なペシミズムと同様に、現存するものを問いただしていないのである。また、なるほど生きた言語は使用され続けているが、物理学のようにそれを「本来的」と考え、利便性のためだけに「粗雑に」振る舞うようなことを深く考える意識が続けられている場所でこうした調和的な世界の見方についての分派的精神は生きながらえてきた。科学とその注釈は、二つの相異なる事象である。事実、ウィーンにいるマッハの弟子が「要するに主観と客観は諸要素の小さな束、もしくは連れ立って登場する諸要素から相前後して登場する集合で構成されている諸要素の束である」[57]と説明するとき、この束は例えば物理学を証明するものではない。そうではなく、この命題は、近代ヨーロッパ的かつアメリカ的な仏教徒たち、もしくは彼らにとって固有の形式や口調についてのキリスト科学のように付きまとっている、統一した「世界観」に属しているのである。とある著名な専門家が不必要なものと見做した言葉全てがその中に入っている『禁止事項索引』〔index verborum prohibitorum〕をリスト化すること、つまり統一言語や統一科学を打ち立てることは、それらに備わる有用性を一先ず認めるとしても、どのみち哲学的思考に尊重されうるような科学には属していない。

㊵こうしたリスト化は総じて、かの学派の自己理解によればまったく諸事象に属してなどいない。かの学派によればこの実り豊かな議論は、記号論理学や言語の論理学的統語論、そして確率論に存する部分的な問いが論究される場所ではじめて開始される。しかしまた、今日疑わしい即物主義〔Sachlichkeit〕のこうした弁明は、科学に相応しいのではない。そうではなく、こうした弁明は閉じこもった特定の世界観の中で眠りについた哲学的宗派の振る舞い、ただし、たいていの宗教のように歴史的問題に対して最も異なる性質を持つ振る舞いをその信徒に可能にさせる世界の見方の一部である。エルンスト・マッハが進歩主義的な人間であったように、サークルの成員の多くは自由主義的な目標に肩入れした。彼らの学理によれば、このことは偶然の産物であり、彼らの学理は心霊的な迷信に対するがごとく政治的な迷信に対する特効薬〔対抗手段〕を僅かにしか示さない。代表者個人の高潔な態度や彼らによる多くの専門的業績の明敏さは、彼らの哲学をより良くすることにはならない。論理学者たちは、計算的思考を工業や技術の今日の発展度合いに合った水準へと持っていき、実際にいくつかの古めかしい流行をそこで排除するのかもしれない。しかし、彼らが為すことの意味についての反省は、工場の機能が仮になおも近代的に設備され徹底的に合理化されようとも、経済全体の中で単なる社会全体の混乱や社会的な混沌の存続に寄与しうるように、時代遅れであるのだ。ただ、唯一問題である、事象へのあの叫びについては、『精神現象学』における現在の意識形態として、上記のようにここでしか言及できないことに基づき、ヘーゲルがすでに余す所なく論じ尽くしていたのだった[58]

㊶あたかも外的な歴史の進展がこのこととは何の関わりもないかのごとく、自己の内的なものにおける任意の教説によって自由を打ち立てても、形而上学もしくは科学が世界に対して誤解された調和や完結性を重要視するのと同様に、いつでもこうした調和や完結性を達成するだけである。倒錯した形式の中にとは言わないまでも、形而上学の中に保存されているような諸問題も、科学の諸結果も即自的に文化的進歩の諸要素を形成する。いくつもの主張が悟性を前にして証明されねばならないということを人間性が要求することで、経験主義はこうした人間性に仕えることになるとしても、他方で、現在の諸欲求に適合する専門科学の活動への洞察よりも現実性への洞察の方が多く含まれているような形而上学的著作は存在する。たしかに形而上学と科学は、例えば〔それらと〕同じ権利を持つ認識の分科のような位置を占めることはできない。これはベルクソンが成したことであると同時に、誤りでもある[59]。科学というのは一般的に形而上学批判でもある。しかし、論理経験主義はこれら関係だけを明らかにしうる思考どころか、専門科学それ自身を批判的に取り入れるあらゆる理論も形而上学と一緒くたにしてしまう。形而上学者たちは、自身の意味解釈がいくつもの支配的状態を賛美することで、こうした状態と共犯関係であり、彼らの倒錯行為は問題になっているのだとしたら、人間は科学主義者たちのもとで黙り込むだろうし、専門科学は言葉しか指導しなくなってしまう。中間の社会的立ち位置に相応しく、科学主義者たちに対して両サイドから敵が現れる。彼らは、理性とともに前進しようとしているか、形而上学とともに後退しようとしているのか、といった思考に反対する。認識理論的かつ論理的論証を用いた神学に反対して科学を防衛することは、17世紀においては進歩的であり、〔その時代の〕哲学者たちは新たな社会的生活様式の要素の代弁者となっていた。それが打ち立てられるようなまさにその点において、こうした社会形式の一部になっている専門知と経営は、唯一正当な知的活動であり、その活動を超え出るものは原理的には神学もしくはさらに超越信仰もしくは、異なる矛盾が自身の位置を狂わせることなく、それ自身の濃淡においてかつ依然として形而上学に対する科学と科学に対する形而上学であると考えるための階級の反応と不合理性である、ということを依然として考えるために、こうした〔かつての〕社会形式がはるか以前に彼らの意義を人間のために変えてきたような現代においては、歴史学的状況についてのあまりに単純な見解を前提としている。科学によって明るみに出された認識は、〔一方で〕社会メカニズムの再生産の役に立ち、他方でその再生産を克服するために動員される。そうした方法でこの認識が立ち入る矛盾に満ちた諸形態は、その克服を予感することなく専門知や形而上学がその中で同時に集まった精神的状況をとっくに明らかにしている。現存するものとその指定された体験の様式ではなく、幸福な未来に結ばれている思考というのは、こうした現存するものそれ自身の結果として生じるのである。もちろん、これに反してあの敗戦の時代にこうした思考は稀にしか生じないが、こうした思考の欠如は社会全体の失望と同一である。しかし、経験主義者たち、さらには進歩的な経験主義者たちにとっては、認識可能な敵しか存在しない。彼らは救い難く前線を混乱させ、どの前線に対しても形而上学者もしくは詩人と罵る。たとえ〔当の〕形而上学者や詩人が事物を彼ら〔経験主義者〕とは逆転させるか、彼らを遠慮せず指摘しようとも。しかしまた、論理学を記号論理学と取り違え、理性を物理学に取り違えるような哲学は、〔ここで言われる〕詩人を誤認するに違いない。というのも、詩人の目標は文芸作品だけではなく、真理でもある必要があるからであり、実証主義が言う認識がなさねばならないことと同じように、直接関連付けられている科学に負けずとも劣らず、彼らの枠内で相当自制している文芸作品がこの頃、恐怖に直面して沈黙させられているという事態が容易に起こり得るかもしれないからである。

㊷形而上学は最近の〔こうした〕攻撃を誇らしく思って然るべきである。そして形而上学は、こうした思考と取り違えられるのである。



[1] マックス・プランク『意志の自由の本質について』1936.

[2] Ibid.

[3] Ibid.

[4] 「トラシブルスからレウシッポスへの手紙」1775.

[5] 「国際科学哲学会議議事録」1936, ホルクハイマー訳.

[6] ルドルフ・カルナップ「古い論理と新たな論理」『認識』1930.

[7] ジョン・ロック『人間悟性論』Th. シュルツ訳, 1897.

[8] デイヴィット・ヒューム『人間本性論』Th. リップス訳, 1895.

[9] Cf. ルドルフ・カルナップ『言語の論理的統語論』1934.

[10] ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』1922.

[11] ルドルフ・カルナップ, ibid.

[12] 論理的経験主義は、事実と理論との対立の解決策を理論的に把握することはできないという見解において、一般的な認識論と一致している。「天才が本領を発揮するのはここからだ」とヘルマン・ヴァイルは説明する; 「自然科学の哲学」『哲学便覧』1927.

[13] とりわけ「物理主義における社会学」『認識』1931 ;『経験的社会学』1931参照.

[14] オットー・ノイラース「モデルとしての百科事典」『シンセ百科事典』第二巻.

[15] 物理学の純粋物理的なものが、主観的なもの、人間の実践のすべてから抽象化された具体的な現実としてとらえられることの哲学的帰結については、エドムント・フッサールが最近出版した著作(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的論理学』1936.)で論じている。私はこの記事を書いた後に、初めてそのことに気づいた。最後の真の認識論者によるこの晩年の出版物が、特に「身体運動(ウィーン学団、論理化経験論)」に言及していないとしても、である。フッサールが明らかにした仮説化もまた、この最新の多様性につながっている。無批判な客観主義、専門科学の絶対化、経験主義と合理主義の多様な親和性―今日の問題から見て―、ヒュームの後継者たちにおける懐疑主義の無毒化、本文中でも触れられているこれらすべての条件が、フッサールの分析において指摘され、その説明が試みられている。フッサールの思考方法とここに代表される理論との間に対照的なものがあるにせよ、高度に抽象的な問題を抱えた彼の老年期の研究は、時代に適合したようなプラグマティズムや、「悪徳にまみれた人間」であることを恥じる一部の若い知識人の言論や思考よりも、現代の歴史的課題により深く関わっている。

[16] ルドルフ・カルナップ「科学の国際言語としての物理学的言語」『認識』1931.

[17] エルンスト・マッハ『感覚の分析』1922.

[18] Ibid.

[19] ルドルフ・カルナップ, ibid.

[20] Ibid.

[21] Ibid.

[22] ライプニッツ『哲学の基礎づけに対する主要論文集』1906.

[23] バートランド・ラッセル『人間と世界』1930参照。

[24] H. ハーン『論理学・形而上学・自然認識』1933.

[25] グーテンベルク「スイス・タイポグラファー連盟の機関紙」1936年8月26日.

[26] オットー・ノイラース『経験的社会学』1931.

[27] Ibid.

[28] Ibid.

[29] Ibid.

[30] Ibid.

[31] デイヴィット・ヒューム, ibid.

[32] ヘーゲル「懐疑主義と哲学との関係」『グロックナー版全集1』.

[33] エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学』1923.

[34] Ibid.

[35] バートランド・ラッセル『人と世界』ibid.

[36] しかも、経験主義的な即物性はフランス語において普及した。「諸球形」を正当化するべく翻訳者は自身の言語を「すばらしいもの」と引き換えに豊かにせねばならなかった。Cf. オットー・ノイラース「百科事典」ibid.

[37] 略.

[38] フリードリヒ・エンゲルス「弁証法と自然」『マルクス・エンゲルスアーカイブ』1927; 拙著「唯物論と形而上学」S. 70ff.; 拙著「真理の問題に寄せて」S. 277ff..

[39] バートランド・ラッセル『外部世界についての我々の知』1926.

[40] Ibid.

[41] ルドルフ・カルナップ『古い論理学と新しい論理学』ibid.

[42] ルドルフ・カルナップ『論理学概論』1929を参照.

[43] 特に拙著「真理の本質について」S. 314ff.でこの点を詳説している。

[44] ハインリッヒ・ハーン, ibid.

[45] バートランド・ラッセル『外部世界についての我々の知』ibid.

[46] Ibid.

[47] ルドルフ・カルナップ『古い論理学と新しい論理学』ibid.

[48] ハインリッヒ・ショルツ「古典ドイツ哲学と新たな論理学」1936.

[49] モリツ・シュリック「哲学と自然科学」『認識』1934.

[50] バートランド・ラッセル『人と世界』ibid.を参照.

[51] ルドルフ・カルナップ, ibid.

[52] Ibid.

[53] カール・マルクス「ヘーゲル法哲学批判によせて」『マルクス・エンゲルス全集第1巻』1957.

[54] 略.

[55] ハンス・ライヒェンバッハ「近代物理学の哲学的意義」『認識』1930.

[56] Ibid.

[57] フリードリッヒ・アドラー『機械的唯物論のエルンスト・マッハによる克服』1918.

[58] ヘーゲル『精神現象学』グロックナー版第二巻S. 303特にS. 317を参照.

[59] 拙著「真理の本質について」S. 308参照.

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