M・Horkheimer 『道具的理性批判』(ドイツ語初版)序言(1967)試訳
人間にとって目的だと見做されることになっている永遠の理念を問いただしそれ自身のうちに吸収することは、昔から理性と呼ばれている。それに対して、その都度偽られた目的のために手段を見つけ出すことは、今日では理性の商売事というだけでなく理性に固有の本質であると見做されている。かつて達成していた手段にすらならない目的などというものは迷信として現れている。神への服従が昔から神の好意を手に入れるための手段として用いられてきた一方で、支配や侵略のための出兵、テロリズムのあらゆる方法の合理化として用いられてきたとき、有神論的な啓蒙主義者はホッブズ以来の無神論的な啓蒙主義者と同様に、社会的に有用な道徳原理として戒律を解釈していた。そうした道徳原理は可能な限りスムーズな生や地位の等しい人々との温厚な付き合い、現存する秩序の尊重を庇護しようとするものである。合理的であるということは、神学的なものを退けるということである。すなわち、それなしでは個人と同様に全体の生が不可能になるような規則を遵守するのならば、さしあたり私は単純な思考ができないでいる。理性は固有の絶対性、つまり強調された意味における理性を否定し、自身が単なる道具であることを理解することによって、自己自身を手に入れる。理性の真理を主張することを理論的に請け負う真剣な試みが無いわけではなかった。デカルト以来、偉大な近代哲学は神学と科学との妥協点を追求していた。仲介者は「合理的な理念の能力(理性)」であった。「この能力は仲介者こそ理念に適合しているという我々の魂の神性である」とカントの遺稿では言われている。自律的なラチオについてのそうした信仰を、ニーチェは時代遅れの病理だと公然と非難した。というのも、「ドイツ的な価値本能に従って」「ロックとヒューム自身はあまりに明るく、あまりに明晰に」なってしまったからだ。カントはニーチェにとって「時代遅れ者」と見做されている。「理性は単なる一器官にすぎず、デカルトの理性は表面的であった」同様に他の理性のもとでも、崩壊に狼狽した文化的諸現象によって20世紀は歴史的事象を繰り返している。ニーチェが死んだ1900年はフッサール『論理学研究』が出版された年である。『論理学研究』は精神的存在の調和、本質視を厳密かつ学問的にさらに基礎づけようとした。とりわけフッサールが論理的カテゴリーを考えたとき、マックス・シェーラーと他の彼の教説はそれを道徳的構造上にまで拡張した。こうした骨折りははじめから復古的なものの兆候がしみついている。精神的物体としての理性の自己崩壊は内在する必然性に基づいている。今日、理論というものはこうしたプロセス、新実証主義や思惟の道具化への社会的に制限された傾向性、このような無駄な救出の試みそれぞれを反省し表現する必要がある。
私の論文を全て出版するという願望を前にして、まず私は40年代半ばからの仕事の選集を作る決断をした。この仕事は実践的活動の一端、すなわち『偏見の研究』の組織、大学運営、社会研究所の再建、教育改革のための努力の結果であった。このような願望が次のような時代に関係しているということに私は十分に自覚的であった。すなわち、『批判理論』が生まれた時代、とりわけ私が編纂した雑誌と同様に未刊行の研究、特に喜ばしいことにアドルノが起草し長らく絶版であった『啓蒙の弁証法』が生まれた時代である。国家社会主義の終焉によって、改革もしくは革命によって進歩した国の中で新たな朝が始まり、新に人間的な歴史が開始されると当時の私は信じていた。科学的社会主義の設立とともに私は次のような考えを持っていた。すなわち、ブルジョア時代の財産や諸力の自由な発展、もはや搾取や暴力によって描かれることのない精神的な生産力が世界中で広まっていくに違いない、と。
しかし、あの時代から私が経験してきたものは、私の思考を手つかずのままにすることはなかった。共産主義的だと自称し、私の理論的努力が大いに拠り所としているそのマルクス的なカテゴリーを用いる国は、今日、少なくとも目下のところは、あの新しい朝の始まりに、個人の自由などがなおも消滅している諸国家ほど近づいてはいない。そうした状況の中でまず、統一された他の仕事とともに、理性についての諸反省が現れるべきである。一度の実現したことのない自由の王国が必然的にそれとは逆のもの、すなわち社会と同様に人間的な振る舞いの自動化として示されねばならなかったのかどうか、という理論的に最重要な疑念を今日このような反省が基礎づけ得ることは初期の研究の内にも存在している。次に続く統一的な断片は、他なるものについての思考を放棄することなく、意識的にそうした内的な不一致を反省する試みである。
選択と校閲はDr. アルフレッド・シュミットに委ねねばならなかった。資料としてはじめてドイツで出る『理性の腐蝕』そして『道具的理性批判』は彼が翻訳したものである。彼の理解と献身なくして本書の出版はあり得なかっただろう。
1967年5月 マックス・ホルクハイマー