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お天道様は見ている
ワタシは携帯電話が
すでに普及していた時代に生まれました
聞こえないことがわかった時
両親はワタシを日本で育てることを選択しませんでした
最大の理由は、
ワタシの可能性を閉じ込めたくなかったから
この決断のおかげで、今のワタシがいます
オンラインが主流になっているこの頃
ZoomやTeamsには字幕を表示できる便利な機能があり
周囲の人々もお願いすればサポートしてくれます
おかげでワタシは生きる上で
不便さや生きにくさを感じたことはありません
日本に拠点を置いてから
日本特有の「聞こえない」ことの理解で
評価が変わる文化には違和感を覚えます
ある場所でコメントを残した際
「よく理解されていますね、ログをちゃんと見ていますね」
そう褒められたけれど
日本の教育は上から目線で評価するのだと知りました
助けてくださいと言えるまで
見守るのではなく
先に手を出すこの文化
両親は、ただ言われたことをこなすのではなく
主体性を持って行動することの重要性を教えてくれました
この考え方は
日本の教育と海外の教育が融合する
インターナショナルスクールで学び
ワタシはこの選択に感謝しています
ある時 英語でコメントを残した後
その話を何度も引用されたことから
「英語でもいいですか?」と尋ねたら相手は戸惑いました
知らないことを無理に知ったかぶりすると
違和感だけが残ります
また、他人の話題で会話を繋げようとする言動は
ワタシには人の欠点を探しているようで受け入れられませんでした
人は他者の良いところに目を向けることで
自分の心も穏やかに自信がつくからです
仏教で有名なお話
受け取らなければ相手に帰る
一度目も二度目も三度目も何もしなくても
その人の周りにトラブルが起きていることを見て
お釈迦さまの教えが脳裏に浮かびました
言いたいことだけ言えと言われたこともあるけれど
違和感のある絡みにエネルギーをそこに向けられない
同じように苦痛に感じる人がいたら
自らの手で何かをしようとしなくていい
お天道様は見てるんです⸜(*ˊᗜˋ*)⸝
人のお家に行って無理に話題を振らなくても
自分の心が満たされていたら
自分のお家に居場所はちゃんとできる
歳を重ねた先に
心がさみしくなるような生き方
誰かに認めてほしいと自らが思う生き方
人に依存をする生き方を
選択することはしたくないなーという
学びに溢れていた
いろんな生き方の選択があっていい
何が幸せなのかはその人にしかわからないから
それでもやっぱりワタシの見方は捻くれている😇