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幼少期から始まった給食との戦い

今回は幼少期からのつらかった給食の記憶を書きます。昭和の私世代、共感できる方絶対いると思います(笑)



好きなものだけのお弁当から給食デビューへ



みなさん学校時代、給食は好きでしたか?
私はというと3歳から保育園、5歳で幼稚園に進んだ頃には偏食で、好き嫌いが激しく食べる量も少ない子供でした。

母も無理に食べさせることはしなかったので、保育園のお弁当は私が食べられるものだけを入れてくれていたのです。

しかし、幼稚園に入ると待ち受けていたのが… 給食デビュー

私は食に興味がなく、とくに野菜が食べられず目の前に出て来た給食をただただ眺めて、ちょっとずつ口にするのが精いっぱいでした。

孤独なランチタイム、そして先生は遠い存在


この頃の幼稚園は厳しくて食べ残すことは許されず、私はいつも時間内に食べ終えることが出来ませんでした。

お昼休みになっても一人教室の隅っこで食べ続けていたのです。先生はその間一度も私のところに様子を見に来ることはなく、他の園児と楽しそうに遊んでいたのを覚えています。

すごーい孤独感。

玄関で攻防戦!「行きたくない」幼稚園登園バトル


そんなことが理由でよく仮病をつかって休んでいました。しかし、それは母にすぐバレて家から外へ引っ張り出され、私は玄関の扉をつかんで必死で抵抗した記憶があります。

本当に病気だったらそんなに力が出るわけないよね(笑)
なぜか「給食が食べられないから幼稚園には行きたくない」と母に告げられなかったんですよね。

そこが謎なんですけど。


「もうムリ!」居残り給食から脱出


そんなある日いつものように居残りで食べていたのですが、ついに全部食べ切れないうちに帰りの時刻になってしまったのです。

先生もいつものように私が存在していないかのように、何も言って来ません。園の教育方針だったのでしょうか?

しかし子供ながらに不安で

「このままずっと幼稚園にいなきゃいけないのだろうか?嫌だ!」

園児たちは帰りの支度を終えて運動場に集まっている。

「どうしよう」私は家に帰りたい一心で食べ残した給食をお盆ごと抱え、誰もいない職員室の廊下に置き、外に出て他の園児たちに交じって家に帰った。

先生と母の世間話?不安だった私の胸中とは…


先生に連れ戻されるのではないかと心配になり、母に事情を説明するとすぐに幼稚園に私を連れて行き、先生となにやら笑いながら話している。

内容は

母「うちの子がご迷惑をかけてすみません」

とか

先生「いやー、廊下に食べ残しの給食がドンと置いてあってびっくりでしたよアハハ」

みたいな感じでした。

はあ?なにこの世間話のような会話、不安で不安でたまらなかったのに。それに私は母を謝らせるようなことをしたのか?

子供ながらに複雑だったと思います。それからは居残りで食べた記憶がないので多分給食の量が減らされたのかもしれないですね。


「食パン、こっそり持ち帰り」その後中学生になった図太い私の成長


私の偏食は小学校に入学してからも変わらず給食を時間内に完食できず、お昼休みが終わり掃除時間になっても食べていました。

掃除中ってホコリ飛びますよね。でも食べ終わるのに必死だったのでそんなの気にしていられません。

最悪、どうしても食べ切れないパンなどはこっそり机に隠しておいて家に持って帰っていました。

他にも食べられないクラスメイトが何人かいて、最終的に保健室に移動させられて食べるという私より上手もいました。

逆に給食だけが楽しみで学校に来てる子っていませんでしたか?私には異人種に見えましたよ(笑)

やがて体が大きくなるにつれ早くは食べられないものの、なんとか時間内に完食出来るようになったのですが、やはり偏食のままで給食は苦手。

中学時代になるとクラスに必ずいる食いしん坊の生徒にあげたり、食べきれない食パンをしれーっと元の配膳箱に戻していました(あの純粋で必死だった私はどこへ)

先生は怒るというよりあきらめていました。中学生にいちいち食べ物のしつけまでやっていられなかったのではないでしょうか。


給食から解放!同僚との食事とお酒で偏食も解消?

高校生になると昼食はお弁当や購買でパンを買うようになり、給食とは無縁で社会人になってからは、同僚たちとの食事の場は楽しくてお酒も呑むようになると、偏食は無くなっていきました。

無理やり食べさせる人がいなくり「食べなくては」というプレッシャーから解放されたからなのかもしれないですね。

しかし、のちに生活習慣が乱れがちになり長期にわたる体調不良で食の大事さを知ることになるのですが・・・。


今では笑い話



先日、美容師の幼なじみにいつものように白髪染めをしてもらっている際、この頃の話題になり盛り上がりましたねえ。

彼女もまた給食居残り組で、しかも保健室行きだったらしい(笑)

「あの頃の先生は許せない」とずっと思い続けるか?
それとも年齢を重ねていくにつれ面白話で友人たちと笑い合い、結果的にこの記事のネタにもなっているわけだからおいしいと思うか?

要は考え方次第ということですね。


打たれ強さの代償?私世代の思考回路


私は子供が居ないのでよくわかりませんが、私たちの時代の教育は今とは全然違うようですがどうでしょう?

現在でしたら給食を全部食べられない小さな子供に、無理やり食べさせるのはいかがなものかと、思う方も多いと思います。

しかし、そんな時代を生きてきたからこそ良い意味で打たれ強く、悪い意味で頑張り過ぎる部分もあるのかなと思ってみたり・・・。

だからといって今どきの教育は甘いなどと思うこともなく、それぞれの時代で環境も変わっていき、大変なこともあるでしょう。

なので「私たちの時はこうだったんだから」

みたいなことを若者に言うのはなんか違う。


家庭菜園とヨガから学んだ新たな食の価値


現在の私は、30代から15年続いた心身の不調をきっかけにヨガと食の大切さを学び、時にはSNSで伝える側になることも。

夫は家庭菜園をやっていていろんな野菜を作り、私は収穫されたそれらをどう料理しておいしく作ろうかを考える(かと言って料理が得意というわけではなく、むしろ誰か作ってくれないかなと思う人です笑)

嫌いな食べ物はほぼ無い?に近い。そして幼稚園児だったあの頃の私に言ってあげたい

「大人になったらおいしく食べられるようになるから大丈夫だよ」と

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