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兎に角愛らしい生き物と生きている情緒不安定な私の話〜先住犬が亡くなってからペットを飼おうか迷えるあなたへ:「犬を飼う」レポ

私、明日世界が終わると分かっていても犬と共に生活をすることを選びます。

と小声でしか言えぬ日が多少あろうとも、今のわたしはここで断言する。

最近飼った犬が可愛い。兎に角可愛い。

こんな捻くれた考えしかできぬ体の私でも大声で「可愛いよー!」と毎日小さな小さな個体に向かって叫んでいる。
そして、たまに怒ったり、心配したり、いろんな角度から愛らしい生き物のことを考えてみては、構いすぎて産後鬱のようになったりもした。
幸せの根源には、そいつが生き物であるのならば尚更悩みや憎しみや寂しさや面倒臭さはつきものであることも学んだ。

はじめは、慣れぬうちは何でもそんなものだ。
勝手のわかるものも余裕があって楽しい生活のものであるが、この歳になり勝手のわからないものは希少価値が高く、ブランド物よりも高貴なものに感じる今日この頃である。

渦を巻くような人生や、気持ちを考えながら出して行く中で整えたり、抽象的にしたり、何だかんだ考えて書くストーリーや考えられぬ感情のストーリーを好むわたしであるが、「兎に角犬が可愛い!」だなんて、愛おしい個体の話になると頭が馬鹿になってしまう。セロトニンが点滴のように一定に降り注ぐ。そしてその調節器ぐはたまに滴下を諦めドバドバと血液を流れ、脳みその悪いところも溶かすのだろう。きっとそんな効果もあるのだろう。

ペットを飼おうかと迷っているあなたへ。なんか、家族から離れたくて、自立したくて、友達に自慢したくて、職場が遠くて、夢を叶えるために、集中したいから、女を連れ込める家が欲しいから、彼氏と同棲したけど別れたから、、、一人暮らしする人達へ。何だかの理由をつけて、はたまた理由などないから、お金が貯まるからと理性を保って合理的に考えることのできるそこの末っ子へ。

小さな、一言の言葉も伝えることが難しい、見た目がふわふわとした素直な生き物と怪物のようであり、ついこの前まで死んでしまおうと意気込んでいたわたしとの生活の一部を思い出として、ペットを25歳独身女が飼うという言葉にすると昔のわたしが恐れていたことの生活をできるだけわかるようにレポートしたいと思う。

>精神の病むものは生き物を安易に飼ってはならないということについて

犬と私の生活。
基本的大半は兎に角ベタベタしている。
現在休職中で、ノートを書くことと、恋人へ奉仕する生活と、何かと銀行や病院や何やかんややること以外は犬中心の生活である。

よく、「精神の病むものは、生き物を飼ってはならない。」などという言葉も目に入る、何とも見知らぬ人へのアドバイスをのうのうと吐き本気にする臆病で便利な世の中になりました。責任も取れないし、病気のせいにしては引取先を探すからだと一例を取り上げ、それをみて本気にした誰かは「辞書に書いてありました!事実です!」というように何のリソースもない言葉を綴る。
なぜそんな憎しみを込めるかき方をするのか。わたし自身弱い人間であり、暇な人間は、そんなことばかり目に入りはこんな言葉が脳内で一人再生するので厄介なのだ。みない時間を作ればいい。その通りですね。

まあ確かに、事実があるならば可能性もあるし、頼れる人がいない場合共倒れも大いにあり得る。が

色々考えながら、そんなわたしの毒を分解する成分を出すのは愛犬の寝顔である。

>新しい家族と天使になった私の家族の話

〜休職前の実際



わたしの飼っている犬はチワワとトイプードルのミックス犬。とくにこれといった思い入れは犬種にはなくて、強いて言えば、前に実家で勝手いた犬のチョコタンの色合いと、守りたくなるようなこちらを見つめるつぶらな瞳、何とも言えない頼りないようなフォルムが、なのに芯のあるような原色を纏ったオーラが似ていた。

実家で飼っていたミニチュアダックスのリリーちゃんは、18歳と大きな病気もせずに、犬の中では長生きの部類まで元気に生きていてくれた。

わたしの心が何か異変を感じ始めて、五ヶ月ほどした休職した日から二週間前、リリーちゃんは息を引き取った。

ちょうど世の中はゴールデンウィークであり、わたしの職場である医療機関は、クリニックや町医者が休む祝日にはシェルターのように何でも受け入れ、入院する入り口であったため、繁忙期?という言い方が正しいのかはわからないがそんな感じであった。

犬ごときで休めないと思っていたが、祝日ほとんどすべて仕事が入っていた家族もおらぬわたしは、イエスマンをいいことによく働いた。他部署の人からは「また働いてるの?」なんて言われるほどに。

犬が死にそうだと私に心配をかけないように何でも密かにしたがる母からの連絡が来た時には、実家へ帰れない距離でもなかったので、体は限界であったが這って電車へ乗り込んだ。始発で帰ればいいやなんて思って。

実家に着くと、前夜から瀕死な状態であったリリーちゃんのお世話をなれない父と弟が、注射器で水を与え続け、やめなと声をあらあげる母の姿があり、私が世話を交代し、オールナイトでなかなか実家へ帰ることのできなかった自分を責めながら、抱きかかえた。

リリーちゃんは聞いたこともない声で、白内障でどこをみているのかわからないし、おやつをおいてもどこにあるかわからなくなっていた鼻で、私に抱きかかえられてから「ワオン、ワオーン」と遠吠えのような声を出した。

たまにおしっこをして、遠吠えが強くなったことで何か察知した深夜2時の私は、お尻の方に目をやると、最後の力でうんちを出そうとしていたので、少し人間と同じように、腸のうんちを出す最後の部分、左下に負荷を少し加えてやって、排便の手助けをした。

うんちを出すと、また少し眠っては、不安げな遠吠えを繰り返したため、「今までありがとうね、リーちゃんがうちの子として出会ってくれて、生きてくれて本当に良かったよ。」と感謝を伝え、包んでいた毛布ごと優しく抱きしめた。

そんなこんなで始発で帰れるわけもなく、一日休暇をいただき、その日の夜に息を引き取った。

約3日間であった、愛犬の介護は短く感じ、最後の最後まで迷惑をかけないようにするいい子だなとりーちゃんを家族で褒め称えた。

その頃は、家族とりーちゃんの世話をすることに精一杯で感情が動くまで心に余裕のなかった私は、葬儀など手配を手伝い、さっさと帰って、次の日に職場にお菓子を持ち頭を下げ働いた。

まあ、その一週間後には「適応障害」「抑鬱状態」と診断を受け長い休みを取ることになるのだが。

何でも人生はタイミングだとはいうけれど本当にそんな感じで構成されていると思う今日この頃。

あの時にりーちゃんがなくなって、もう何も感情が動かなくなって、休みをもらうことへ罪悪感ややるせなさ、焦りをたくさん感じてきたが、今はこれで良かったと心のそこから思えるし、嘘偽りなく素直な気持ちで書くことができる。

5月に亡くなり、一番そばにいることが多かった私の年子の弟は、一週間は永遠に泣きくれて、近くの写真を印刷するような、ショッピングセンターに付いている写真館でリリちゃんの写真を印刷しては、公共の場でも嗚咽して泣いていた。

普段泣かない母もおいおいと泣き、何事にも変化や死への抗体のない父はまた手足の爛れる遺伝性の病気が復活した。

私が高校に上がるときに、私とのトラブルで共に住んでいた家を離れた祖母は、リリちゃんが死んでから、1ヶ月後ほどに伝えにいった。

なぜ遅くなったかというと、家族も自分のメンタルと生活を保つので精一杯であり、祖母もまた死への抗体がなさすぎて自分の夫の死にも立ち会えない人であったためである。

祖母に弟と犬が亡くなったことを伝えると一言。
「ああ、私は家族と思っていないんだね。」

私は何となくこの性格にもなれたが、純粋な弟は悲しみと怒りがこみ上げているのがわかった。

「じゃあ帰ろうか。」と今日のところはこれ以上いてもいいことはないと引き返し、2ヶ月目からは、私の鬱が内服も順調にいったためか、今までの不眠を取り返すようにご飯も食べずに眠っていたこともあり、家族は私の異常に目を向け、泣くことも減った。

実家の犬が亡くなり、私の休職が始まり、3ヶ月目から4ヶ月目の間。何となく、リリちゃんの生活スペースの残る家に、寂しさを感じていたのは、誰しもがそうであった。

父はリリちゃんに似た犬はいないか日本中のサイトを見て回っていた。


>回復してきた私と生き物を迎えようと思った私の話

私は、食べたり寝たりが規則的にある程度できるようになってきて、職場から5分圏内であった住んでいた家にいるとパニックを起こすこともややあったので、引っ越しを次の職場の近くに済ませて、次のステップに向けてどう生きていこうかなんて考えたり、生きていくって何だよと対抗する自分に悩まされりそんな時であった。

私は生まれてからこのかた人のために何かするのが好きで生きがいでそんなお人好し人間が私であった。

家族に何かできないかな、恋人に私はあなたがいなくても、生きていける何かないのかな、今後働いてもしお別れして何を糧に働いて生きていくのかな、そんなことしか考えられない脳みそで、何かが交差して、今の可愛い生き物と暮らすへたどり着いた。

子犬は2ヶ月ちょっとでお家に来てからもテチテチと家の中を不安げに歩き回っていた。今は4ヶ月になるので、ワクチンの接種もなんだかんだ犬のためにはしっかり者を気取って通うことができ、恋人も犬を飼っているので、色々サポートをもらいながら、散歩に行ったり、しつけしたりして一緒に生活している家族となった。

子犬はしつけが重要だと自分が主体で飼うようになってから実感した。

TikTokなどで流れてくるしつけ動画では「あまり興奮させてはいけない!」と次次に登場するが、それらを片目で見て学んでは、我慢のできない私は犬にちょっかいを出し噛みつかれる。そんなこともしてしまうが、何となくやっている。

鬱の時には広角も無理してあげていた辛い私であったが、
「痛ーい!!」と「可愛いー!!」「ダメでしょ!!」「ここにいたの〜!」と好き勝手に声を発しては微笑んでみたり、目を見開いたりしてみている。犬目線、、、私がこの世で1番みたくないものかもしれない。しかし、二、三ヶ月前の私には、現在に生きている私も想像ついていなかったし、こんな小さな生き物に向かって一人と一匹の部屋で戯れている暖かい空間の生活があるなんて無理に近しいものであった。あそこの自分が死を選択して行動していないことを心から感謝し、精神科の先生や、休ませてくれた職場、サポートしてくれた家族や恋人に心から感謝したい。

聞くことが不安なのか、「本当に死にたかったの?」とたまに友人や家族から聞かれるが、本当であったからこそこの感謝の気持ちや、俯瞰して捉えることの大切さや考えない時間を作ったり自分をそれなりに受け入れてそれなりに自信を持ってプライドを持ってそこまで大切と思っていなくてもどこかでしっかり作り物でも自分を断じにできる気持ちを大事に抱える私が大切だと思えているのだと思う。

犬を飼う人生を選択をする前の私の頭の中は、(犬って散歩とか躾とか大変だし、家で1人で入れるのがいいし、猫とかにしようかな)とか
 (吠えるの近所トラブル心配だな) とか
 (テンションの差がある私に飼われている犬は果たしてストレスではないのか、猫の方が気まぐれ同士仲良くやれるんじゃ)などとか考えた。

まあ単純に猫も好きという自分もいたのだが。

なぜ犬にしたか。A,犬って可愛いからだ。
猫ももちろん可愛いが飼ったことがない。勝手がわからない不安に負けたことを悔しく思う日もなきにしもあらずであるがチャンスはまだあるので今後の生活する自分にも期待したい。

今後の自分に残された可能性や期待を持つことも生きる希望になる。生きる希望とは今日を生きる糧であるなとどこかで聞いた言葉をしみじみ味わう。

どこかで聞く言葉は多すぎるし、CMや広告なんて誰にでも刺さる言葉を、その時代にあった言葉を選んでいるだけだろうと思うときもあったが、だからこそと何かを大きく一周して山手線のように戻ってくる。

その過程も一周してから愛おしくなる。


家族に伝えず、コンビニとパチンコ屋、居酒屋と中華料理店で24時間働き、お金を貯め、大学も国公立にギリギリ合格し入学したが、馬鹿な私はついていくのがギリギリで卒業できるかも危うかったのに、知らない土地で勝手一人暮らしを始めた私でも、

電車で一時間近くかかるインカレに週に二回暇などないのに一人で暇つぶしで参加していた私でも、

マルチ商法に高校生で引っかかり、腹が立ち、高い寿司だけ食って逃げてきた私でも、

勢いだけで駆け抜けてきた私だが、命を飼う行為にこれでも大分躊躇した。

犬を飼うまでに、唯一話していた恋人にさえ「命だからね。」と釘打ちされていた。分かっていたことを言われ半分腹が立ったが、「そうだよね。」と飲み込んだ。買う前から心持ちは産み親とは違えど、何かを守る存在に私はなるんだ、と謎の意気込みにより"おとな"の対応ができた気がした。そんなところが自分の甘さだと後々多くの実感をするのであるが。

結局最後は肝を据え、据えるという気持ちが大事であると思い、恋人へペットショップへ行く日を伝えると「私も一緒に行く」と行ってくれたので、リリちゃんに似たオーラを纏った生まれて2ヶ月の生命に会いに向かった。

>いちごに会いに行った日の話

降りたこともない駅で電車で1時間以上揺られながら、ついた駅は何もなく、少し歩くと用水路があるような田舎であった。

まだ真夏の蒸し蒸しとした日であったため、少し歩くだけで日差しがデリデリと頭を焼き、風が吹けば熱風であるようなそんな日であった。

横を見ると普段汗をかかない恋人は鼻の下に汗の水滴をつけていた。
これまたなんて愛おしい姿なんだと馬鹿な私は、惚れ惚れしている間に私はきていたTシャツはほとんど濡らし、顎に水滴が垂れるほどの汗だくでのらりと店内へ入った。

ブリーダーからペットショップに引き取られてまだ間もないその個体は誰にも触れられたことはなかったそうだ。

ギャンギャンとガラス窓に衝突する小さな物体は、写真で見たよりも小さく、赤ちゃんの匂いと獣臭がツンと嗅覚へ「こんにちは!」と挨拶する。

連絡したペットショップのお姉さんはすぐに、
「ミックスちゃんですね!こちらへどうぞ!」と汗が止まらない私をそっちのけにして小さな獣をほいっと私の腕へ渡した。

目を合わせて私の手の中にいる個体は、先ほど濁音を響かせて鳴いていた生き物と別物のように大人しかった。儚いこの子は0.7キロでティッシュケースの半分くらい、私の手の中に収まる大きさだった。

 ペットショップのお姉さんは次々に営業トークを始める。
「この子、もうお母さんだと思ってます。こんなに手を舐めることないです。まだテチテチなんです。歩かせてみますか?」気分は悪くなかった。正直、半分は小さなこといの可愛さや愛おしさや弱々しさからくる緊張と恐怖で聞こえてなかった。

>ペットショップで半分乗せられた話とこの歳はまだ舐められるのかと心得た話

そんなこんなで半分乗せられて、飼うことを決意した。
こんな時でさえ、「この子に決めたんです!」とかっこよく言えない自分情け無いなと思いつつ、これからこれを買って、あれを家に帰ったら組み立て、SNSなんでやっちゃって、、、と自分のことしか考えないでぼーっとしていた。

そんな横で慎重派の恋人がブリーダーの情報など事細かくググっている。もう選んだものだし、(今更ブリーダーを調べても私の気持ちは変わらないぞ。)とめんどくさいものには蓋をする私を横目に。

ペットショップの店員は、飼う商品を選びましょう。と店舗に会いにきた当日の緊張気味の私にしめしめとなれた口調で進める。なんかいつもこうゆう風に見られているのだろうな、としみじみ実感する。

ゲージや水飲みの機械、寝床、遊び道具、ご飯やおやつ、犬を電車などにそせられるような移動時に使うことのできる入れ物(リュックや持ち運びのゲージのようなもの)首輪、リード、小さい犬であると散歩中首輪だと外れてしまう可能性もあるため、ハーネス、ブラシなど必要なものもあったが、

まあそんなものだ。

床に敷くクッション性のある敷物など細かな説明はされたし、トイプーの血が入っていると、骨が細いことも事実であるが、百円均一に売っているし、「お水を浄水するものです。」と1万円近くで売られたものなども、これまた百円均一で販売していた。まあおもちゃや首輪もそうかもしれない。時間があったり、金銭面で節約したい人はできる限り百円均一などでこんなものかなと生活を想像して、勝手みると案外「持ってます。」か、「これ、後で買うので大丈夫です。」と処理し、大人らしくさらっと余裕を持って「結構です。」と言えそうだ。ああ、いつかは言ってみたいなあ、、。

なんでも後から「やられた。」と思うことはこの世には多く存在するが、避けよう強くなるぞと毎回意気込んでは、やられる。

そんな事実を書いてこんなことが消化されたり、誰かのバカだな、かわいそうだなと思う気持ちの栄養となったり、役立ったり、共感してもらえることを祈る。

「保険に入ると犬がもし3年以内に病気になってしまってもお金を返金します。」など後は病気の種類や危険性を丁寧に説明してくれて(ああ、ベランダからこのこ小さいから好きもから出てしまうかもしれないから柵をつけなきゃな)とか思うことはできたので多少感謝しているが、この子の倍以上の金額を月々ちょこちょこと支払い、稼ぎを得ようとするなんて、やめてほしい。この世の商品はそんな闇やお金の稼ぎ方が多いが、自分であったらそんな商売したくないという思いが強いのでできる人をすごいな、と思い、また「自分にもそんな信念はあったのですね。」と語りかけてみた。

私は「ああ、そうですね。」なんて言って、面倒なことは早く終止符をつけたいがためにお金をドブに投げるのを、恋人が「ちょっと待って」と引き留めた。

同じ歳の恋人は本当に慎重でしっかりとしている。色々と調べて話した後、責任を負うことは逃れたい恋人は「でもあなたが決めることなんだからね。」と優しさの気持ちで押し出した。

「保険、いらないです。」事は簡単に済み、よかったと思っている。

私の恋人は私よりも本当に慎重で、なんでもwhyを持てる知的な人であるから、とても助かる。助かるなんて言葉を愛する人に使いたくないが、本当ですから、、。なぜこんな頼りなくちゃらんぽらんのわたしを尊敬し好きだよとそばにいるのかたまに最近は結構ハテナである。
そんな私は慎重すぎる恋人にハテナや行き過ぎた心配性と正義感に苛立ちをたまに苛立ちを浮かべながら腹を立てることよりも少しだけ、微かに感謝したり癒されたり落ち着くことが割合的には多い。私は彼女を尊敬し、好意をパンの発酵のようにヤキモキと、じわじわと膨らませている。そんな今までで一番側にいてくれて一番長く付き合っている恋人である。

犬(いちご)との生活は、なんだか1ヶ月ほどで肌に馴染んだ。それまでは結構大変だったな、と思う。温度管理や自分のこと以上にきを使い、3ヶ月ごろのワクチンが終わるまでは、ペット保険という人間の健康保険証のようなものを加入したり、犬に組み込まれているチップ(機械)の登録を案内通りに済ませたり、近くの病院を探したり、携帯の初めての購入やワイファイの登録ほどではないが1/3くらい大変だった。

あんなことあったなと「過ぎたこと」にするにはまだ消化のかかるような私の初体験の日々は、思ったよりも大変だったのでまだ二日酔いのように思い出が血液の中に流れている。

今現在、体重も0.7キロから2キロまで成長し、ワクチンに通った先の病院の先生と看護師さんに懐く賢いお犬様は、わがままな牙を見せたり餌をねだって吠えるし、お風呂に勝手についてきてびしょ濡れになる厄介なところもあるが、いないと寂しく涙が出るような自分の一部のような存在であり、それがまた愛おしく、自慢の可愛い生き物「いちご」(犬の名前)である。

犬は私のまだ残るいろんな仮面という感情や人に合わせる温度感や色、疲労や喜びの着脱を一番近くで見て感じ取ることが赤ん坊ながらできている。じっと見ていては不思議そうにそれに合わせてすり寄ってきたり飛び跳ねるのである。

犬には飼い主しか寂しいながら悲しいながら、いないのが事実である。
しかし公とも言える。犬が幸せになれるのは飼い主といる時間が幸せであることであることがイコール関係であること。それは犬の素直な心と体と表情が決めることである。

そんな生き物へ責任を持たせるのはかわいそうと思った時も思う時もあるが、あの子は思ったことしかしてくれないのである。私に自信と感情をくれてありがとう。という気持ちでいっぱいである。

                        終わり

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