名前を書く生活(HANAちゃんストーリー第8話)
私は43歳、今年から保育園に入園した2歳の娘と小学生の息子がいる。
もうすぐ娘を迎えに行く時間。
それまでにこの名前書きを終わりにしなくては。
寒くなってきたので冬服を用意しなくてはならない。
長Tにベスト、厚手の上着に起毛素材のズボン、タートルネックのカットソー、カーディガンなどなど。
何枚も何枚も私は彼女の名前を書いた。
大人になってから、自分の名前を書くことは減った。その分、自分以外の名前を書くことは増えた。
PTAの委任状などは夫の名前、学校の持ち物には息子の名前、保育園に持っていくものは娘の名前、習い事は・・・といった具合だ。
「やばい、急がなきゃ」
慌てて名前を記入した洋服たちを紙袋に詰め、車に乗った。
10分くらい運転して、駐車場に着いた。
「よかった、間に合った」
紙袋を持ち、入口へ向かう。
沢山持ってきたので、紙袋からこぼれ落ちそうだ。
入口のチャイムを押す。
ピンポーン
「ワン、ワン」
事務所で飼っている犬が吠えた。窓越しに可愛い顔が見えた。
「はい」
「あっすみません、吉野です。」
「今、開けますね。」
インターホン越しに事務のお姉さんが答えた。
コロナウイルスで厳戒態勢になっており、勝手には中に入れないのだ。
入口が開いた。
「お世話になっております。これ、着替えを持ってきたので渡していただけますか」
私は事務のお姉さんに紙袋を渡した。
「吉野さんですね。お預かりします」
紙袋を受け取ったお姉さんは笑顔で入口を閉めた。
「よろしくお願いいたします。」
「吉川さん!」
振り向くと中年女性のスタッフの方だった。
私は彼女がグループ主任だと知っていたので丁寧にあいさつした。
「お世話になっております。」
主任さんは優しくこう言った。
「お母様、元気にしてますよ。今日もお昼ご飯おかわりして。ペットボトルのボーリング大会では優勝しましたよ。楽しそうにしていますよ。」
私は涙がでた。
私の母は認知症になり、この介護施設へ、2か月前入居したのだ。
「ありがとうございます」
「コロナなのでお会いすることはできませんが、落ち着いたらまた会えますから」
そう言って、私の背中をさすってくれた。
「ありがとうございます・・・」
車に乗り、娘の保育園に向かう。
私もいつか娘に名前を書いてもらう時が来るのだろう。
嬉しいような、悲しいような。
私は鼻をすすり、保育園の門を開けた。
おわり