毒育ちが語るドラマ『教場』
今回はドラマ『教場』を毒育ちの立場からあれこれ語って参ります。拙文では語り切れないほどの良作だったのでぜひ観て頂きたいです。
※ネタバレ全開、観賞済み前提なので未観賞の方はご了承下さい※
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警察官の資質とは
「聞くが君にとって警察学校とはどんなところだ?」
「(前略)ふるい……でしょうか。警察官としての資質に欠ける学生を早い段階ではじき出すための、そういった意味のふるいにかける場ではないでしょか」
「なるほど。もう一つ聞く。君が警察官を志した理由は」
「私は四年前雪山で死にかけました。そこを助けてくださったのが駐在所に勤務する警官でした(後略)」
「つまり命の恩人に憧れたからか」
「はい、そこの駐在所の──」
「少し残念だ。憧れているようでは先が思いやられる」
(冒頭の風間(演:木村拓哉)と宮坂(演:工藤阿須加)との会話から一部抜粋)
濃紺の制服を身に纏い、市民の安全を守るべく任務にあたる警察官。その姿を見て憧れを抱いた人は少なくないと思います。その立場になるためには、忍耐と努力が不可欠で日々の業務もやわな精神はこなせません。
鉄よりも熱い情熱を以てして警察官を志したとしても、適性がなければその夢は叶わないでしょう。あるいは熱量は皆無だが高い素質が揃っていれば、果たして警察官になれるのでしょうか。
風間は複数の生徒に"退学届"を突きつけますが、それを提出して学校を去った者と最後まで残った者がいます。
警察学校のふるいから落とされなかった者、落とされた者──その両者の差異こそが警察官としての資質なのです。
資質に欠けた者
まずは、残念ながら卒業が叶わなかった者について述べます。
平田(演:林遣都)は宮坂(演:工藤阿須加)を巻き込んだ自殺騒動を起こしますが、何が彼をそこまで追い詰めたのでしょうか。単刀直入に言うと彼は警察官になりたくなかったのでしょう。仕事も続かないし他にやりたいこともない、ならば親父と同じ警察官にでもなろうかなという程度の気持ちだったのかと。同時に彼からは生きる活力が感じられませんでした。もしかすると今までの人生も親や他人に言われたままに進学し、同じようにとりあえず就職して辞めたらまた取り急ぎ仕事を探していたのかもしれません。警察官と言う最後の保険を胸に秘めながら。
その最後の保険もダメそうだ、卒業なんて夢のまた夢、もう辞めてしまいたい──そんな忸怩たる思いを抱えた彼にとって、宮坂が自分に合わせて落ちこぼれの振りをしていたことは屈辱以外の何物でもなかったのでした。
平田に欠けていたのは、警察官を志す上で必要な信念そのものでした。それなくしては警察官への道は始まりません。
次は女生徒の沙織(演:葵わかな)。彼女は弱い自分を変えたいという思いから警察官を志しました。しかし警察学校に入ってからも優秀なしのぶ(演:大島優子)や羽津希(演:川口春奈)の後ろに立っては彼女らを頼ってばかりでした。
そんな折に沙織の手元に嫌がらせの手紙が届きます。沙織にはまったく心当たりがありませんでしたが、ミントの匂いをきっかけにその差出人がしのぶであることを悟ります。
しのぶを教場の同期以上の存在、信頼できる友人と認識していた沙織は強いショックを受け、彼女は駐車場で作業中のしのぶに怪我をさせるという凶行に走ってしまいます。
沙織にはどんな状態、境遇においても揺らがない自立心が足りませんでした。様々な人間と接する上に常に適切な判断が求められる警察官にとってこれは重要な資質でしょう。
調達屋を営んでいた樫村(演:西畑大吾)と模型銃を持ち込んだ南原(演:井之脇海)には、私欲や自己顕示欲を抑える自制心が欠けていました。 自制心なくしては、仮に警察官になれたとしても樫村は先輩ような悪徳警官になっていたことでしょう。また警察官になること自体や銃を扱うことを目的としている人間に、警察官としての真の務めが果たせるはずがありません。
彼らのような人間は警察官に相応しくないと風間は判断して、退学届を突きつけたのだと思います。それを受け取った生徒の心の中では脆い信念が音を立てて崩れ去り、退学届を提出するに至りました。
信念、自立心、自制心。
毒親と認識される人間、そしてその毒に晒され続けた人間にはそのすべてあるいは一部が欠けていることが多いです。直接的な描写はわずかですが、少なくとも平田については警察官である父親に対して畏怖の念を持っていたようですし、他の生徒も親や家族と折り合いが悪かったり信頼関係を築けていなかった可能性が考えられます。
大袈裟な表現ではありますが、毒育ちであるゆえに職への適性が狭められていると言っても過言ではありません。そもそもこの三つの資質に関しては、警察官以外の公務員を筆頭に一般企業でも求められることが多いからです。
警察官の道は閉ざされても別の場所で彼らの能力が発揮されることを心から願いますが、平田、樫村、南原については前科が付くでしょうから、すぐには難しいかもしれませんね。唯一、沙織だけはカフェの店員として勤務する描写がありましたが。
資質がある者
次に、無事警察官としての一歩を踏み出した者についてです。一度は退学届を手渡されたのにもかかわらず、彼らはなぜ卒業できたのでしょうか。
メタファー的な言い方をすれば、宮坂(演:工藤阿須加)、しのぶ(演:大島優子)、日下部(演:三浦翔平)、羽津希(演:川口春奈)、都築(演:味方良介)らには信念、自立心、自制心が元来備わっている《主人公属性》なんですよね。
宮坂は元教諭、しのぶは元インテリアコーディネーター、日下部は元プロボクサーと各々職に就いており、羽津希は母がキャリア警官、都築も過去の話とは言え父が工場経営者とおそらく中流から上流家庭の生まれと推測できます。
その《主人公属性》の登場人物は作中でそれぞれ過ちを犯しますが、それは一過性のもので修正可能なものと風間は判断したのでしょう。さらに彼らは確固たる信念を持っていた、あるいは警察学校内でそれがより強固になったため最後まで貫くことができました。
以下に彼らの過ちと信念をまとめました。
宮坂
過ち:同情心 < 信念:平田の父、風間ら警官に命を救われた+平田の志
しのぶ
過ち:強い思い込み < 信念:亡き恋人への想い+沙織の志
日下部
過ち:甘言に唆された < 信念:愛する家族のために警察官になる
羽津希
過ち:自分自身への驕りと過信 < 信念:佑奈(演:富田望未)の志と彼女との約束
都築
過ち:警察への強い嫌悪 < 信念:父親のような弱者に寄り添う警察官になりたい
この過ちと信念の大小関係が逆転することもなかったから、彼らは卒業式に出席できたと私は思いました。
【余談】
私見に過ぎませんが、警察学校のふるいをうまく擦り抜けた悪性分子も存在することでしょう。彼らは「高度な知能を持つ」反社会性パーソナリティ障害者、演技性パーソナリティ障害者、自己愛性パーソナリティ障害者の可能性が高いです。彼らは目的のためならば手段を選ばないし、己の悪行を教官やほかの生徒に悟られることなくもみ消すことも容易いでしょう。そもそも自身がパーソナリティ障害である自覚もなく、我こそが警察官に相応しいとさえ思っているかもしれません。そのような人間が警察官になった後に不祥事や犯罪を起こす可能性がありますし、あるいは樫村のように悪い先輩警官に影響されることで負の連鎖が続くのかもしれません。
総括
志半ばで学校を去った者は、親や家族と信頼関係を築けていなかったゆえに警察官としての資質に欠けていたのかもしれません。一方で過ちを犯しても卒業にたどり着いた者は、家族や信頼できる存在という安全基地があるがゆえに強い信念、自立心、自制心を持てたのでしょう。
人は四六時中完璧でなんていられないし、弱っているときに悪い奴らの口車に乗ってしまうこともある。強い思い込みや過剰な同情で人を傷つけてしまうこともある。驕りや過信によって本当の自分や他人を見失ってしまうこともある……そのような過ちは経験から直していけば良いのですが、資質と言うものは一朝一夕で身につくものではありません。まして警察学校は資質を培う場所ではなく、宮坂の台詞の通りその有無で《ふるい》をかける場です。
毒育ちの私からすると、警察官としての資質に欠けていた登場人物に感情移入してしまいました(文の長さからそれが垣間見えると思いますが)
今作は警察学校が舞台でしたが、このように《ふるい》をかける場は社会の至る場所に存在します。学校受験、就職試験、各種学校、資格試験、オーディション、コンペティション、アルバイトの面接さえ一種の《ふるい》です。人は無意識のうちに社会のふるいというふるいにかけられ続け、やがてそれぞれの終着点に落ち着きます。仮にAのふるいから落ちてしまってもBのふるいにかかれば良いですし、BがダメならC、CもダメならD、E、F……といったように。
ただ、その《ふるい》から落とされ続けた者は、一体どこにたどり着くのでしょうか。すべてのふるいの目から零れ落ちてしまうほどその人は“小さい”のでしょうが、それはなぜでしょうか。毒に育った人はおそらくどんどん“小さく“なってしまうし、安全基地と言う存在がないことがほとんどです。すべての人に安全基地があればいいのに、社会でも地域でも家族でも友人でも何でもいいから。ふるいから零れ落ちても希望を見失わないように──卒業式の場面では卒業生を祝福しつつ、その場に居ない彼らへそのような思いを馳せていました。
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今回も拙文をご覧いただきありがとうございました。
今後も引き続き感想文や毒親についての記事を上げる予定です。
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