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マルチバース映画の革新『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を見てきた。#映画エブエブ の物語は1人の主人公から見たマルチバースではなく、主人公を取り巻く家族や関係者全員のマルチバースをかけ合わせて物語ができている。だから物語が5×5×5のような乗数になっている。

その複雑さによって、始まってからずっと「この映画はどういうテーマを描こうとしてるんだろう」とか「このキャラの動機は?」とか、いろいろな疑問が浮かんでは消え、美しい映像とアクション、皮肉のきいたコメディで楽しませてもらったが、そこに「物語」が浮かび上がらず、「変わった映画だな」という印象だった。その印象が変わって急激に物語に引き込まれるのが最後の20分だ。

引き込まれた理由は、ひとりひとりのマルチバースが、その人にとっての人生の選択肢(もしかしたらありえた人生)になっていて、各個の登場人物が選択した人生が、奇跡のように一点に合流するその瞬間に、どのような人生があり得たかが怒涛のように映像に流れ込んでくる。その美しさと迫力に圧倒される。そして全ての選択肢を否定されてしまって、ニヒリストになった主人公の娘がブラックホールのように世界を飲み込み、消滅させようとする。

ひとは多くの場面で、「人生を戦い」と捉え、自分の人生の選択肢を「他人を倒す」ことで可能にすると考えがちである。この作品では、それぞれのキャラクターがマルチバースの接点で闘争し、主人公もそこに巻き込まれながら、そういう「闘争としての人生」から「選択はやり直せるから、戦う必要はない」ということに気づいていくところがカタルシスになっている。

目的の違う人々が出会う場面は、人生においてすごくたくさんある。戦いで人生の選択肢を増やさなければならないのなら、そういう人間同士の交差点が常に闘争になってしまう。そんな人生に疲れた人が、他人を受け入れながら自分を主張する「バランスのとり方」を描いているのがこの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』という映画だ。マルチバースを使った物語の革新で、アカデミー賞作品賞を獲るべき作品だと思った。皮肉の効いた笑いも個人的に好きだった。


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角野 信彦
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