短編小説「名付け親」
「いけませんよ。そんなみっともない名前。私は今まで、そんなお名前の方にお会いしたことがありません。名は体を表すといいます。子の父となるなら、将来のことを考え名付けなさい」
秋終わりの吉日。手入れの行き届いた古民家の居間でお義母さんからいただいた言葉は、婿の予期した反応とは全くの別物だった。「いい名前ではないでしょうか?学のない私なりに必死に工場勤務の傍ら考え出したものです。生まれた時から色白で、必ず妻のような別嬪に育ちます。それを見越して語感のよいものをと思いまして……」
男の話の途中でお義母さんは席をスッと立ち、後ろ棚から一冊の使い込まれた手帳を手に取った。立ち姿から怒りが読み取れる、お義母さんの凛とした行動。その動作に当てられた男の声は、尻すぼみに語気を弱め、お義母さんの耳元に届く前に空気に溶けてしまった。
「こちらの名前なんてよいのでは?もしくはこちらなんていかがでしょう?あっ、この方なんて若くして華道の家元を継いだ方よ。きっと肖れると思うわ」お義母さんは、座り直し手帳に記された著名な方の紹介を十名ほど行い、どれ程男の命名が一般的でないか力説した。その話を聞き終え、男は「再考いたします」と力なく答え、古民家を後にした。
「ひどい話だね。ひいおじいちゃんは根負けして、おばあちゃんの名前は古臭い『うらら』って名前になったの?」和室に正座し、生まれた時とは違う奇抜な髪色に染め上げた孫娘が、話しの腰を折って対面する祖母へ聞いてきた。
「ふふっ。古臭い名前ね、いいえ、私の父——貴方の曾祖父は自分の考えた名前を娘に付けたのよ」祖母は孫娘の前にある生け花に手心を加え終え、花鋏を傍らに置きまた話しはじめた。
「父は、お義母様に内緒で市役所に行って、手続きを済ませてしまったのよ。それも朝からお酒を一升も飲んだらしいの。気の弱い人だったからお酒の力も借りて、何とかお義母様に歯向うぞ、という気持ちを作ったのね。そして、そんなになっても付けたかった名前が私の名前『うらら』なのよ」
「でもその結果、お義母さんの逆鱗に触れ、『名前が珍しい分、教養はそれなりに身に着けさせなさい』と、指示を受け色々なお稽古事をさせられたわ。貴方に指南しているこの華道もそのお稽古事の賜物なの。今思うと、〝名は体を表す〟という古臭い考えを、少しでも払拭したかった祖母の思いやりでもあったんだろうね。昔の人だから、だって令和1桁生まれだもの」そう話し、祖母は孫娘である、ザ・ライジング・サン・桜風伝・美麗子に優しく微笑んだ。