【インタビュー】『遠野物語』刊行記念インタビュー 鯨庭【お化け友の会通信 from 怪と幽】
名著をマンガ化する新シリーズ「KADOKAWA Masterpiece Comics」。
その第2弾として刊行された『遠野物語』が話題を呼んでいる。コミカライズを担当したのは、本誌2022年8月号の「プラチナ本」でご紹介した『言葉の獣』の鯨庭さん。
動物をありありと描くマンガ家に、今回の作品についてうかがった。
※「ダ・ヴィンチ」2024年12月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載
取材・文:宮本幸枝
弱かったものたちにも目を向けたい気持ちで
女性や動物たちを描きました
明治時代、岩手県遠野地方の伝説・伝承を佐々木喜善が蒐集し、柳田国男(國男)が書き記した『遠野物語』。日本の民俗学におけるひとつの起点ともいえるこの作品を、気鋭のマンガ家、鯨庭さんが新たな視点でコミカライズした。
「中学校の修学旅行で岩手県に行ったときに、地元の語り部の方から『遠野物語』の一節を聴く機会があったんです。それが最初の出会いでした。もともと私は妖怪や民俗学が好きで、この作品に興味がずっとあったので、今回、コミカライズの話をいただいたときに、ぜひ描きたいですとお引き受けしました」
原作となる『遠野物語』には、119編の話がまとめられている。ひとつひとつの記述は短く、物語というよりは、言い伝えの記録のようなものだ。今回の鯨庭さん版『遠野物語』には、その中から再構成された4つの物語が収められている。それぞれに、馬、河童、狐、狼などの動物や妖怪が、鯨庭さんならではの繊細ながら迫力のある筆致で生き生きと描かれている。
「原作ものではないオリジナルのマンガのときは、すべてのピースをいちから作ってパズルを完成させるような作業なのですが、今回は、もともとある形を使いながら、それに合わせてほかのピースを作って、パズルを完成させないといけない。とても大変ではありましたが、楽しかったですね。私はもう完全に、動物が出てこないとマンガを描きたくないので(笑)、動物が出てくる話を選びました」
1話目の「馬と花はなか冠んむり」は、遠野地方で信仰されている神「オシラサマ」の由来にまつわる、人間の娘と馬の悲恋物語だ。
「現代の読者にも共感してもらえるストーリーにするうえでどうすべきか。オシラサマの伝承を色々と調べていくうちに、個人的にはこれはフェミニズムの話につなげられると思ったのが出発点です。自分の意志が軽んじられやすい時代にあって、主人公の女の子は、馬と愛し合うことを貫いて、神様になった。家父長制の根強い時代、それに反旗を翻した女性が自分の意志を貫く様子は、現代の読者にも深く共感してもらえるのではないかと思いました」
続く「河童の子」では、対照的に、自堕落か自由か、伝統の“家”を守るか、微妙なところで生きる女性が描かれる。ある家の娘が河童と通じて、河童の子どもを産んだという話に基づいたものだ。
「河童の話は、監修の石井正己先生に『現代の倫理観は捨ててください』と言われて、かなりたくさんの議論を重ねて作りました。河童と言われているものが、本当は河童ではなくて、じつは何かの暗喩になっている。みんなで暗黙の了解で『河童の子だ』と言って子どもを捨てるという……。きっと、この作品を読んでも、原作を読んでも、正解は出てこない。結局何だったんだろう、というところを考えてみてほしいなと思いました」
『遠野物語』の時代は、現代の価値観・倫理観とは大きく違う、という意味では、3話目の「狐は夢」でも衝撃的なラストが待っている。
「大人になって大好きな野山遊びができなくなった女性が、そのささやかな抵抗として、眠っている間、狐になって思い切り野山を駆け巡るという切り口で描きはじめました。当時、女性が夜中に出歩くことは絶対にありえなかったそうなんです。だからこそ、夫は、夜中の山道を提灯で迎えに来た妻を即座に化け物だと思ってしまう。これもかなりあやふやで不思議なお話で、まさに狐につままれた感覚を味わっていただけると嬉しいですね」
なんだか後味が悪かったり、薄気味悪かったり、釈然としなかったりするものについて、淡々と綴られているところが『遠野物語』の面白さであり、現代に通ずる魅力でもある。本作品では、マンガのあとに、石井正己さんの解説があり、それを読むとさらに物語世界の理解が深まる構成になっている。
「石井先生には、とにかくたくさん質問しました。当時の服装や履物について、調べても資料がほぼなくて、細かいところまで教えていただきました。民俗文化的な部分はなるべく忠実に、間違わないように描こうと頑張りました」
最終話の「おおかみがいた」は、女性が中心となっていた他3話とは打って変わり、鯨庭さんが個人的にとても好きな動物であるという狼が主役の物語だ。
「私は狼の瞳が好きで。『狼の瞳を見るとき、あなたは自分の魂を見ている』という言葉があるんですが、うっかり出会って見つめ合ってしまったら、魂を吸い取られてしまうだろうなと感じる不思議で魅力的な生き物です」
ニホンオオカミは、遠野地方では信仰の対象でもあり、御犬と呼ばれていた。鯨庭さんは、この話を描くにあたり、オオカミの生態について、またニホンオオカミがなぜ絶滅したのかについて、本や資料を大量に読み込んだという。
「遠野の言い伝えを追いながら、なぜニホンオオカミが絶滅したのかというところを描いてみたいと思いました。主役となる御犬――狼の経立(年経た動物の妖怪)は、伝説として伝えられているものではあるけれども、実在したニホンオオカミなしでは語れない。この話では、経立の銀ぎんを中心に、狼の家族が次々と死んでしまいます。経立は通常の動物よりも長い命を生きた魔物ではあるけれども、狼という生き物として見たら、餌がなければ死んでしまうし、病気にもなるし、鉄砲で撃たれたら死んでしまう。怪物だけれど、生き物だというところが描きたくて、こういうストーリーにしました」
監修の石井さんから、御犬の話には、佐々木喜善が子どもの頃、祖父と山に入ったときに大きな鹿の死体を見つけたエピソード(『遠野物語』39話)を必ず入れてほしいというリクエストがあったという。祖父が喜善に、「これは狼が獲った鹿で、人間が勝手に皮を剥いだり横取りしてはいけない」ということを諭すという場面だ。人と獣とが共存するために、当たり前に持っていた山でのルールがまさに忘れられつつある時代を象徴する話であるという。
「ニホンオオカミの絶滅には、様々な原因があるんですよね。明治時代は、産業革命による鉱山の開発などで、人間がどんどん自然に介入していく時期です。喜善とおじいちゃんとの話は、人間と自然と狼との均衡が保てなくなり、やがて破滅へ向かう流れを表すものだと思いました」
『遠野物語』といえば、有名な座敷わらしや天狗などの妖怪、マヨイガなどの幻想譚を思い浮かべる人も多いかもしれない。しかし、鯨庭さんの再話による『遠野物語』は、そこに息づいていた人々や動物の姿が、本当にあった物語として肉迫してくるようだ。
「そもそも、物語や伝説は、“強いもの”が残すことが多いですよね。でも、私は弱かったものたちにも目を向けたいと思って、3人の女性や動物たちの話を描きました。そういった視点からも、ぜひ多くの方に読んでいただけたらすごく嬉しいです」