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【書評】キャリアの頂点に輝く、非の打ちどころがない一冊――逸木 裕『彼女が探偵でなければ』レビュー【評者:ときわ書房本店 宇田川拓也】

 もし“でなければ”、いったいなにが起こり得て、あるいは起こり得なかったのか。じつに興味を掻き立てられ、想いを巡らせずにはいられないタイトルである。
 逸木裕『彼女が探偵でなければ』は、他人の皮を剥ぐように、その奥にある人間の本性を見ることに取り憑かれている私立探偵、森田みどりが登場する全五話からなる連作集だ。第七十五回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞作「スケーターズ・ワルツ」を収録し、著者の出世作となったシリーズ前作『五つの季節に探偵は』は、みどりの高校時代から始まり、父親が経営する探偵事務所に就職、そして結婚、出産、育休を経て、〈女性探偵課〉課長になるまでの、長めのスパンで構成されていた。本作では作中時間がさらに四年進み、二〇二二年の夏から幕が上がり、二〇二四年夏までのエピソードが並ぶ。職場では二十代の頃の無茶も辞さない調査を恋しく思いながら中間管理職をこなし、いっぽう家庭ではよき夫とともに息子ふたりを育てる、壮年の域に入ったみどりの物語になっている。
 粒ぞろいの収録作には、いずれも「少年」が重要な役柄で登場する。
 第一話「時の子」では、腕の立つ時計師だった父親を亡くして間もない時計店の息子。第二話「縞馬のコード」では、自らを「千里眼の持ち主」と称し、失踪した人物の行方を当ててみせた、背が高く謎めいた学生。第三話「陸橋の向こう側」では、ひともほとんどいない夜の商業施設のイートインスペースで、一心不乱に父親への強い殺意を書き綴る中学生。第四話「太陽は引き裂かれて」では、みどりの部下が出会ったクルド人と日本人の血を引く高校生。そして第五話「探偵の子」では、タイトルの通り、みどりの母としての面が際立つ形で物語が展開する。
 さらに特徴を挙げるなら、奇数話では親と子の関係が、偶数話では今日的な問題が扱われている点だ。人間である限り誰もが避けて通ることのできない普遍のテーマ、目まぐるしく移り変わる混沌とした現代の犯罪、不寛容かつ短絡的な決め付けと敵対心への警鐘、これらがそれぞれの話によって深く鋭く捉えられ、ミステリならではの意外性たっぷりな驚きで巧みに映し出される筆致は見事のひと言に尽きる。とくに第四話「太陽は引き裂かれて」は、分断、対立、格差、差別、迫害によって苦しむひとびとが後を絶たない限り、広く読まれ、読み継がれるべき、二〇二〇年代最重要級のミステリ短編であり、ラストシーンの美しさにおいても群を抜いている。二〇一六年、みどりの初登場作でもある『虹を待つ彼女』で第三十六回横溝正史ミステリ大賞を受賞し、デビューを飾った著者のキャリアのなかでも『彼女が探偵でなければ』は、頂点に輝く一冊であることは間違いない。
 ここまでは一冊としての美点と注目ポイントを挙げてきたが、シリーズの新作として見るなら、みどりが予想もしなかった母ゆえの問題に直面する最終話「探偵の子」が最大の読みどころになるだろう。謎に秘められた真相を確かめ、人間の本性を見ずにはいられないみどりの“悪い虫”は、どんなに他人の害になろうとも、まだ自身で肚を括って受け止めることができるものだった。ところが今回は、自身ではどうにもできない、けれど見過ごすわけにはいかない、まさに“彼女が探偵でなければ”と深く考えずにはいられない悩みに突き当たるのだ。
 この話の終盤で、みどりにもたらされるひとつの答えと気付き、そして彼女に掛けられる言葉の温かな力強さに胸を打たれ、「探偵の子」というエピソードに隠されていた奥行きを知り、大いに唸ったが、それだけでは終わらない。改めて振り返るとこの話が、第一話「時の子」と対になっていることがわかる。つまり本書は、優れた能力を持つ反面ひとから白眼視されることもある親を見つめる子供の目で幕が上がり、その優れた能力を“悪い虫”と自覚する親が子供に向ける願いを込めた眼差しで幕が下りる形に造られているのだ。構成までもがこう美しいと、非の打ちどころがどこにもない。ミステリファンだけでなく、文芸ファンにも熱くオススメできる一冊である。

書誌情報

彼女が探偵でなければ
著 者:逸木 裕
定 価:1,980円 (本体1,800円+税)
発売日:2024年09月28日
詳 細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322211000502/

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