【試し読み】新名智『虚魚』冒頭特別公開!
第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉受賞作が、待望の文庫化!
新名 智さんが手掛けるホラーミステリ『虚魚』の刊行を記念し、試し読みを特別公開します。
連続する怪談の全貌とは――?
物語のはじまりを、どうぞお楽しみください。
あらすじ
『虚魚』試し読み
そら‐ざかな【空魚・虚魚】(名)
①釣り人が自慢のために、釣り上げた魚の数や大きさなどを、実際よりも大きく言うこと。また、その魚。
②(主に釣り人同士の)話の中には登場するが、実在しない魚。
一、釣り上げると死ぬ魚の話
釣り上げたら死ぬ魚がいるらしい、とカナちゃんが言った。
「なにそれ?」
最初、わたしは話半分で聞いていた。そんなことより顔にかかる枝や雑草がうっとうしい。虫除けスプレーが効いていればいいが、と思った。
「阿佐谷の釣り堀で金魚を釣ってるおじさんに聞いたの。そういう魚がいるんだって」
「金魚の釣り堀に?」
「じゃなくて、海に」
道路を外れてから、もうかなり歩いていた。シャツの内側に汗がべっとりとまとわりついている。ここまで本格的に山歩きさせられるとは思わなかった。時計を見ると四時近い。できれば日が沈む前に帰りたい。
後ろのカナちゃんは、と見ると、まるで疲れた様子がない。いつの間に拾ったのか、太い木の枝を杖代わりにして藪を払っている。彼女がいつも着ている薄汚いオリーブグリーンのジャンパーの、いたるところにひっつき虫が張りついていたけれど、本人は気にしていないようだった。
「それってあれじゃないの」一息ついて、わたしは言った。「嬉しくて死ぬ、ってパターンじゃないの」
「どういう意味?」
「ゴルフのホールインワンとか、麻雀の九蓮宝燈とか、出たら死ぬって言うでしょ」
「よくわかんない」
金魚釣りへは行くくせに、ゴルフや麻雀には疎いらしい。一年以上も一緒にいるのに、わたしが仕事に行っている間のカナちゃんの暮らしは、いまだに謎が多かった。
とにかく、ものすごく暇を持て余していることは確かだ。
「珍しい魚を釣って、喜びのあまり死んじゃうんじゃないかってこと」
「そういう感じじゃなかったけどな」
だんだんと雑木林が開けてきた。目的地が近いみたいだ。そう思って地面を見ると、そこかしこにペットボトルなどのゴミが捨てられていた。見物人たちの落とし物だろう。不届きな連中がいるものだ。まあ、わたしたちも似たようなものか。
「なんかね、見たこともない魚なんだって。そのおじさんが聞いた話では、ぬらっとしてたり、とげとげしてたり」
「深海魚だ」
「そうかも。でね、おじさんの知り合いが本当に釣り上げたの。そのときは、ただ気味の悪い魚だと思って逃がしたらしいんだけど」
「死んじゃったんだ、その人」
「そう」
しばらく進むと太陽の光が消えた。山の陰に入ったのだろう。にわかに夕闇が忍び寄り、木々が色を失う。わたしもカナちゃんも話すのをやめた。どこかから、知らない鳥の鳴き声がした。
「死因は?」
わたしは尋ねた。そこがもっとも重要だ。
「おじさんは知らないみたいだったけど、急に死んだって言うから、病気かな」
「おもしろい死に方だったら話題にするはずだよね。自殺とかさ」
カナちゃんは、わたしの顔をちらっと見て、また藪をつつく。
「信じてないでしょ」
「あまり」
仮に本当だったとしても、使えそうではなかった。狙った魚を確実に釣る手段があるならよいが、運に任せるしかないのなら、落ちてきた隕石が頭に当たって死ぬのと同じことだ。そんな悠長なことはしていられない。
でも、とわたしは言った。
「死ぬ原因が釣ったことじゃなく、魚のほうにあるのなら……」
「見たら死ぬ魚、ってこと?」
「かもしれない」おじさんの話が本当だったとして、だ。「それか、単に毒のある魚かもね」
わたしは立ち止まった。数歩進んだ先のところから、急に地面が低くなっている。
そばに生えていた木の枝の一本を摑んで支えにしながら、そっと身を乗り出して覗き込んだ。そこは二メートルほどの高さの、ちょっとした崖になっていて、林の中にあるその一帯だけがすり鉢状に落ち窪んでいるのがわかった。
すり鉢の縁にあたる部分に沿って歩いていくと、崖の一部が崩れて、上り下りできる程度に土が盛り上がっているところがある。どうやらここへ来た人たちが同じ場所を通っているうち、こんなふうになったらしく、全体的にしっかりと足跡で踏み固められていた。
「この下?」
カナちゃんに聞かれて、わたしはうなずいた。
「気をつけて」
杖代わりの枝を受け取り、斜面に突き立てながらそっと下りていく。
話に聞いたところでは、この窪地に近寄ると、突然、周囲が暗くなったり、林の中から奇妙な人影が現れたり、消えたりするという。もっとも、ここに来るまで、とくに不可思議な現象は起きていない。
急に暗くなるのは、この場所が山の斜面に対してコの字形に引っ込んだ場所にあり、日光が遮られるせいだ。人影というのは、ここへやってきた見物人同士で鉢合わせしただけではないか、と思う。お互いに相手を怪しいものと誤解していれば、急いで姿を隠すこともあるだろう。
そんなことを考えながら、窪地の中心までやってくると、すぐにそれらが目についた。
「おー、あったあった」
カナちゃんが嬉しそうに声を上げる。なるほど、これは壮観だ。わたしも疲れた足腰を伸ばしながら、それらを眺めた。
串刺しになった人形の群れ。数十体。
その中には、ぬいぐるみもあれば、市松人形というか、そういう古い人形もある。風雨にさらされて朽ち果てた人形もあれば、さっきそこに置かれたばかりのような真新しいものもある。いずれも胴体のあたりを棒状のもので貫かれ、地面に立ててあった。棒の素材に指定はないらしく、たいていは木材だが、塩化ビニールのパイプとか、バーベキューの串に刺さっているのもある。
カナちゃんは手を後ろに組んで、並んだ人形をひとつひとつ、興味深そうに観察しながら歩いていく。
「これって、何かのおまじない?」
「諸説あるの。このあたりの民間信仰だとか、もとは供養の一種だとか、カルト宗教の儀式の跡だとか、近所に住んでる変わり者のおばあさんが夜中に来て作ってるとか」
わたしが調べられた範囲だと、たとえば、二〇〇〇年頃のとある掲示板サイトに書き込まれていた話はこうだ。
まず、自分自身から取り除きたいものをひとつ考える。欠点とか、嫌な思い出とか。次に、人形かぬいぐるみを用意する。頭と手足があり、一定の強度があればなんでもいいという。
その人形に自分と同じ名前をつけて、毎日話しかける。そのとき、消したいと思っているものに言及し、人形をなじる。たとえば、仮にわたしの容姿がコンプレックスだったとしたら、人形に三咲と名付け、毎日のように、三咲、ブスだな、おい三咲、このブスと話しかける。
これだけでずいぶん病みそうだ。
最後に、その人形をここへ持ってきて、串刺しにする。そのとき、三咲は死にました、と声をかける。こうすると、自分の悩みや欠点は人形が持っていってしまい、あとは生まれ変わった自分が残る、ということらしい。
ここに並んでいる人形たちは、たぶんそういう話の、ちょっとずつ違うバリエーションで出来ているのだろう。わたしが読んだ話と似た話や、ぜんぜん違う話があちこちに伝わり、本物だと信じた人たちがここに人形を持ち寄って突き刺す。だからこんなにも多くの人形があるのだ。ひとりの人間がたまたま作っただけでは、あっという間に風化して忘れられたに違いない。
だいたい人形を確かめ終わったカナちゃんが、笑顔でこちらを振り向いた。
「それで、これに何かしたら、わたしも死ぬ?」
わたしも微笑して答える。
「うん、死ぬらしいよ」
この場所は、一部で「串刺し人形の森」などと呼ばれている。ここに悩みを抱えて人形を刺しに来る人間もかなりの数がいるようだが、もっと多いのは、単にそれを見に来る人間だ。そして怪異に巻き込まれたと主張するのも、後者の人間が多い。たとえば、こういう感じの話だ。
若者の集団が、肝試しと称して、この場所を訪れる。そして串刺しの人形たちを発見する。若者たちは故意に、または偶然によって、串刺し人形を壊してしまう。ここで、人形たちが一斉に彼らのほうを見た、という展開を入れているものもある。
彼らは怯えるが、それ以上は何事もなく帰宅する。ところがその夜になって金縛りに遭い、ふと気がつくと、ベッドに横たわった自分自身の体の上に、串を携えた人形が何体も這い上がってきている。
人形はその串で、体験者の手足を順番に刺していく。そのたびに焼けるような痛みを感じる。そして最後に顔を刺される、というところで、恐怖のあまり目をつぶる。だが何も起こらない。やがて金縛りが解け、おそるおそる目を開けてみると、人形が消えている。
翌朝、一緒に森へ行った仲間たちと連絡を取ってみると、全員が同じ体験をしている。しかし、ひとりだけ連絡がつかない。それはあのとき、人形を壊してしまった張本人だった。やがて、その人は遺体で発見される。その顔には巨大な串が突き刺さっていた……。
「金縛りって、要するに夢でしょ?」
「まあね。合理的に考えたら、昼間に見てショックを受けた人形の姿が、夢に出てきたというだけ」
「顔に串が刺さってたのは?」
「松浦さんに調べてもらったの。朝、顔に串が刺さった状態で見つかった変死体はあるか、って。ないみたい」
「じゃあ噓じゃん」
そう言われると返す言葉もない。たしかに、そんなショッキングな死に方をした人がいたなら、もっと話題になっていてしかるべきだ。
「でもほら、オチを盛ってるだけで死んだこと自体は本当かもしれないでしょ」
「そうかなあ」
「とにかく、試してみようよ。せっかくここまで来たんだから」
口では不満を言いつつも、カナちゃんはやる気らしい。楽しそうに人形の品定めを始めた。わたしはスマートフォンを取り出してパシャパシャと周囲の写真を撮る。職業柄、こういうものは撮っておくに限る。スカイフィッシュでも写ればもうけものだ。
「これにする」
そう言ってカナちゃんが指差したのは、肌色のプラスチックでできた人形だった。もともとは服を着ていたはずだが、今は全裸になっている。栗色の髪の毛がはさみで不揃いに切られているところを見ると、服もわざと脱がせたのだろうか。胸のあたりに工具で穴を開け、そこに木の枝を通した状態で地面に突き立てられている。かわいらしい人形の面影はなく、塗装のはげかけた目だけがうつろに空を見つめていた。
カナちゃんは、しばらくその人形の前で佇んでいた。わたしは、そんな彼女の横顔もパシャリと撮った。
「なんで撮ったの」
「ちゃんと記録しなきゃ」
昔、炭鉱で働く人たちは、坑道にカナリアを連れて入った。カナリアが死んだらそこに有毒ガスが溜まっている証拠だ。この話は、ただの伝説だとも言うけれど、わたしは彼女にそう名付けた。カナリアのカナちゃん。なぜならわたしにも、この子を使って確かめたいことがあるから。
本当に怪談で人が死ぬかどうか。
「よし、やるか」
わたしは、持っていた杖代わりの枝をカナちゃんに手渡した。彼女はそれを両手で握り、足を軽く開いて人形の前に立った。意外と本格的なフォームだ。
「野球やってた?」
彼女の長い焦げ茶色の髪がふわりと広がる。
「やっ、てま、せーん!」
その掛け声とともに、きれいなフルスイングでプラスチックの頭が砕けた。
*
それから一週間以上経ってもカナちゃんは死ななかったので、わたしたちは次の怪談に着手した。
「こないだ言ってたじゃない、釣り上げると死ぬ魚って」
「うん、言った」
カナちゃんは朝食のちぎりパンをもそもそと口に運びつつ答えた。このパンはいつ見ても赤ちゃんの腕みたいでぎょっとする。わたしは食べない。
「あれってどうなった?」わたしは普通のトーストにバターをたっぷり塗る。「あのおじさん、また会えた?」
彼女の話では、そのおじさんはもう定年退職しているらしく、混雑を嫌っていつも月曜日に釣りを楽しんでいたそうだ。カナちゃんはパンの塊をしばし咀嚼していたが、やがてぼそりと言った。
「死んじゃった」
「え?」
カナちゃんは口の中に詰め込んだパンを冷たい紅茶で流し込む。
「おじさん」
カナちゃんが言うには、今週の月曜日、カナちゃんが釣り堀へ繰り出すと、珍しくそのおじさんは来ていなかった。夕方になっても現れないので、不思議に思ったカナちゃんは、よくおじさんと話していた若い親子連れに話しかけて、おじさんの近況を聞いた。
「どうして死んだの?」
「知らない。その人たちも新聞のお悔やみ欄で見ただけだから、詳しい事情はわからないって」
おじさんの年齢を考えると、病死でもおかしくはない。それにしても、できすぎた展開だ。怪談やホラー映画などではたいてい、こういう事件を掘り下げていくと怖いことになる。チャンスかもしれぬ。
「ちょっと調べてみる。そのおじさんの連絡先ってわかる?」
「ううん。聞かなかったから」
聞いといてよ、と文句を言いそうになったが、我慢した。彼女にそういう仕事を期待するほうが間違いだ。カナちゃんはカナリア。掘り進めるのはわたしの役目だ。それに、二十歳そこそこの女の子と連絡先を交換するおじさんだって、それはそれでちょっと嫌だ。
名前だけはぼんやりと覚えていたようなので、死亡記事を当たっていけば出てくるだろう。そういう作業にうってつけの男をひとり知っている。
食事を終え、洗い物を片付けたところで、わたしは彼に電話した。
「もしもし?」
「おはよう、昇くん。三咲です」
「ああ、丹野さん。どうしたんですか、朝から?」
ふたりの関係が変わってから、彼はかたくなにわたしを名字で呼びたがる。
「串刺し人形はどうでした?」彼は自分が仕入れた怪談の首尾を聞いた。「人形、家に来ました?」
「だったら、もうきみに連絡してないよ」
「ひどいな」
彼は笑った。
西賀昇は、初めて会ったときには怪談オタクの大学生だった。その後、わたしの恋人になり、オタクの大学生に戻り、今はオタクの大学院生になった。そちらの専門はトポロジーだかなんだかで、いずれにせよ、わたしの与り知るところではない。
「ところで、最近は時間ある?」
「何かありましたか」
「調べてもらいたい怪談があるの。釣り上げると死ぬ魚、っていうんだけど」
「初耳ですね。どこで仕入れたんです?」
「阿佐谷の釣り好きなおじさん。でももう本人は死んじゃったらしくて」
昇はちょっと黙って、言った。
「……釣ったんですかね?」
「あるいは」
すごいな、と小さくつぶやいたのを受話器が拾う。
「ホラー映画だったら、そのおじさんの死の真相を調べていった結果、とんでもないことになるやつですよね」
わたしが考えたのと同じことを言う。昇とわたしは思考回路が同じなのだ。だから付き合ってみたけれど、結局はそのせいで別れた。似た者同士はうまくいかない。
「そのおじさんがどこの何者なのかを調べてほしいの」わたしはカナちゃんから聞いた名前を、昇に伝えた。「ついでに、その怪談についてもわかることがあれば」
「わかりました、引き受けましょう。今日、事務所には行かれますよね?」
「うん、ちょっと寄るつもり」
「じゃあ、いつもの店で八時に会いましょうよ」
約束して電話を切った。昇のことだから、二、三日もあれば話の出どころを見つけてくることだろう。彼は怪談の収集に人生のほとんどを費やしている。何が彼をあそこまで駆り立てるのか、わたしは知らない。
着替えと化粧をして出かける支度を整えてから、カナちゃんの部屋の前に立った。
「行ってくるから」
「うん」
と、ドア越しに声だけ返ってくる。引きこもりの娘を持った母親はこんな気持ちなのだろうか。
「お小遣い、足りないなら置いていくけど」
「まだあるからいい」
カナちゃんは無職なので、彼女の生活費はわたしが出している。わたしの助手として働いているといえばそうなのだけど、客観的に見ればヒモも同然だ。カナちゃんは近所の店で食料や着替えを買ってくることと、ときどき釣り堀だの将棋クラブだの渋い遊びに出かけるほかは、ほとんどお金を使わない。ヒモとしては安上がりな部類に違いない。
「わかった。もし何かあったら、携帯か事務所に電話して」
「うん」
気のない返事にももう慣れた。このくらいのほうがお互いに楽でいい。
だいたい、他人には説明できない間柄だった。去年の夏、家に帰る途中の路上であの子を拾って、一緒に暮らし始めたときは、どこか悪趣味な冗談のつもりだった。普通、悪趣味な冗談は一年も続かない。
わたしたちの関係は利害の一致によるものだ。つまり、わたしは本当に人が死ぬ怪談を探していて、一方のカナちゃんは、呪いか祟りで死にたがっている。
最初に出会ったとき、カナちゃんは身元不明の自殺志願者だった。アルコールと向精神薬をまとめて胃に流し込んだというカナちゃんは、同業者との飲み会帰りに通りかかったわたしが発見するまで、自販機と電柱とゴミ箱の間にある三角形のスペースで気を失っていた。わたしはその姿をちらりと見て、無視して通り過ぎようとしたところ、起き上がった彼女に足首を摑まれた。ゾンビ映画さながらだった。
さて困った、警察を呼ぼうか、救急車のほうがいいか、と思ってスマートフォンを取り出すと、バッテリーが切れている。仕方なく肩を貸してやり、彼女を連れて家に帰った。正直なところ、わたしもかなり酔っていたのだ。
リビングのソファにカナちゃんを寝かせ、そのまま酔った勢いで、わたしは彼女にいろいろと話しかけた。わたしの職業のこと。生活のこと。だいぶ前に年下の彼氏と別れたことや、わたしにはある目的があって、そのために、本当に人が死ぬ怪談を探してるっていうこと。温かいお茶を飲みながら聞いていたカナちゃんは、最後のほうでだいぶ意識を取り戻したのか、わたしに尋ねた。
「信じてるの、呪いとか、祟りとか、それで本当に人が死ぬって?」
わたしはイエスという意味のことを答えた。カナちゃんは、すぐには納得してくれなかった。何度か質問が続き、それも終わると、あとはただ真剣な目でわたしを見つめていた。もっとも、それが彼女の真剣な目だということは、最近になってから知った。当時はただ眠そうにしているなと思っただけだ。
「だったら、わたしで実験してみなよ」
最後にカナちゃんはそう言った。それがわたしたちの出会い。人生は不可思議の連続だ。わけのわからない経緯で家族が増えるときもある。もちろん逆のときも。
地下鉄に揺られ、飯田橋の事務所に着く。事務所と言っても、わたしひとりが使うだけの狭い物件だった。もともと打ち合わせに便利だからと借りたのだけど、家でかさばる衣装とか小道具とかを運び込むうち、すっかり物置と化している。今日の仕事はまず片付けと掃除。それからメールで送られてきている怪談情報のチェック。午後は次回のライブについての打ち合わせ。
と、その前に、郵便受けに入っていた雑誌の見本を回収する。最近、短いコラムを書いたものだ。がさがさと取り出して裏表紙からめくり、執筆者一覧に名前があるのを見て満足する。
わたしの肩書は「怪談師・丹野三咲」ということになっている。師、と名乗るほどの技を磨いた覚えはないのだが、他に適当な呼び名がないのだろう。
高校を卒業し、地元の短大に進んだ頃から、わたしの怪談集めは周囲に知られていた。わたしにとって必要なのは人が死ぬ怪談だけだったけれど、予選があるわけではないので、必然的に死なない怪談も集まってくる。知人の知人を紹介してもらい、二桁で足りない人数から情報が寄せられるようになって、ちょっとこれはまずいぞ、と気づき出した。
その頃には都内の怪談イベントや、ホラー関係者が集まる飲み会などにも出没するようになり、そこで何人か、怪談師と呼ばれる人たちの目に留まった。彼ら彼女らからすると、怪談集めに情熱を燃やす女子大生は、なかなか逸材に見えたのかもしれない。やがてわたしもステージに立つようになった。名刺があったほうが取材には便利だ。祟りがあると噂される危険なスポットの情報も、伏せ字やモザイクなしで手に入る。
昔のことを思いながら手を動かしていると、あらかた掃除も終わった。わたしは日課の情報収集に取り掛かる。美人女子大生怪談師の鮮烈デビューから早七年。かつては過激な親衛隊がいたるところに現れてひんしゅくを買っていたものだが、そういった連中は若い子に鞍替えしたのかすっかり鳴りを潜め、なおも残るコアなファンたちだけが全国のマニアックな情報をメールで送ってくれている。今日は三件あった。
一つ目、ひとりで夜中に組み立てた紙の箱から鬼が出てきて殺される話。
二つ目、二枚の鏡を経由して人形の顔を覗くと死ぬ話。
三つ目、ミネソタ州の森の中に住んでいる人食い魔女の話。
ミネソタは遠いので論外として、箱と人形は見込みがあるかもしれない。そう思って中身を確かめたら、すでに知っている話だった。ラストでだれか死ぬ怪談、とジャンルを絞り込んでいるから、よくこういうことが起きる。
ただ、念のため取材ノートを確認すると、前に集めたものとは違う土地の話のようだ。これもありがちな現象だった。自分の体験談を脚色するために、有名な話のディテールを流用したり、あるいは逆に、仕入れてきた話を披露するにあたって、身近な場所に引き寄せて語ったり。たとえば、幽霊が子供を育てるために夜な夜な飴を買いに来た、という古典怪談があるが、その買いに来た店というのが当店です、とする飴屋は全国にいくつかある。
とはいえ一応、新しいほうの話も記録に加えておいた。実際、怪談と呼ばれるものの九割九分は噓か錯覚なのだろうけど、噓をつくときはちょっとくらい事実も混ぜておくものだし、まして百通りの噓の中に必ず変わらない要素があったら、それは何かしらの真実を反映していると思いたい。
その日、予定していた仕事は滞りなく終わり、次の怪談集の原稿の準備などに取り掛かっているうち、気づけば夜の七時を過ぎていた。昇と店で会う約束をしていたことを思い出す。場所は事務所から歩いていける小さな居酒屋で、とくにこれといった名物もないのにわたしたちが足繁く通うわけは、極めて個性的な人物が店主を務めているからだった。
中に入ると、昇はもうカウンターに陣取り、店主とのオカルト談義に花を咲かせていた。
「あ、丹野さん。ちょうど今、怪談業界について話をしてたんですよ」
「テレビに出るような怪談師ってレプティリアンが多いでしょう。あたしはね、顔を見たらわかるんですわ」
興味深い話題だったが、ノーコメントで済ませた。この店主はテレビに映る著名人のことを例外なく宇宙人のスパイとして疑っているのだが、壁の隅にうすぼけたサイン色紙が飾られているのを見る限り、田中要次のことだけは信頼しているらしい。
「ぶり大根は頼んでおきましたから」
「ありがとう」
彼はわたしの好物を覚えていた。
「ぼくは唐揚げにしよう」
「冷奴とかにしといたら?」
わたしは彼のふっくらしたお腹を見て言った。付き合っていた頃より一回り大きくなった気がする。しかし彼は取り合わなかった。博士課程に進んだらどうせ瘦せるので帳尻が合う、というのがその理由だった。
ビールで乾杯し、軽く近況などを話し合ったところで、彼が本題に入った。
「おじさんの死亡記事、見つけましたよ」
「本当?」頼んだのは今朝なのに、もう見つけてきているとは思わなかった。「早すぎない?」
「人を捜すのは得意なんです。コツがあるんですよ。ただ名前で検索するだけじゃなくて、SNSから知人の線をたどったり、『誕生日おめでとう』みたいなメッセージを見つけて、生年月日にあたりをつけたり」
詳しい手法を説明されても理解しがたい。いずれにせよ敵には回したくないタイプだ。
「まあ、このおじさんはそこまでしなくても済みましたけどね。交通事故だったので」
その言葉を聞いて、わたしの表情がこわばったのを察したのか、昇は手に持っていた紙切れを引っ込めた。たぶん新聞記事の切り抜きのコピーか何かだろう。
「すみません、概要だけお話ししますね」
「いいの、気を遣わないで続けて」
「単独事故です。サイドブレーキを掛け忘れた車が坂道で動き出して、それと塀との間に挟まれて亡くなったとか」
痛ましいことに違いはないが、それだけならよくある事故だ。
「フェイスブックのアカウントも見つけました。例の、金魚の釣り堀で撮った写真もあるので、ご本人だと思います。釣りが趣味だったようで」
「でしょうね」
「海釣りをしている写真もありましたよ。場所は静岡県の釡津市だそうです。なじみの船宿があったみたいですね」
わたしには彼の言わんとするところがすぐにわかった。
「そこに釣り上げると死ぬ魚がいたってこと?」
「少なくとも、話を仕入れたのはそのあたりの可能性が高いんじゃないでしょうか」
スマートフォンで検索してみる。釡津、釣り上げると死ぬ魚。これだと出てこない。わたしはキーワードを少しひねった。釡津、怖い魚。
「あ、一個だけあった」
「見せてください」
検索にヒットしたのは個人のブログだった。どうやら釡津在住の筆者が地元の名所や言い伝えなどを紹介しているらしく、その中に「大安国寺の恐魚伝説」という題名の記事があった。
昔、釡津の大安国寺という寺に、康義和尚という、それは徳の高い住職がいらっしゃいました。
ある雨の日、村の男たちが大騒ぎしながら寺の境内にやってきました。聞けば、三尺ほどもある魚が海に現れて、漁師の腕に嚙みついたということでした。寺の者が手当てしようとすると、嚙まれたところはおどろおどろしい色に変わり、ひどい悪臭がしていたといいます。
結局、この漁師は片腕をなくしてしまいました。これは魔性の魚に違いない。急いで退治しなくては。漁師たちは口々にそう言いました。
和尚は村の男たちを引き連れ、浜に向かいました。そこで和尚が念仏を唱えると、風雨はますます強くなってきます。水平線から黒雲が湧き上がったかと思えば、激しい稲光があり、幾人かは恐れをなして逃げていってしまいました。
するとそのとき、件の怪魚が海から現れたのです。怪魚は水面から大きく跳ね上がるなり、和尚に飛びつき、食いかかろうとしました。和尚を囲んでいた漁師のひとりがすかさず銛を打ち込み、怪魚の動きを止めましたが、なおも魚は和尚の鼻先わずかのところまで近寄ると、鋭い歯の並んだ口をぱっくり開きました。
魚は、そこで和尚に向かって何事かささやきました。漁師たちが銛を引き抜くと、怪魚はもんどり打って飛び、また海へ消えていったということです。
次の朝、海はおだやかで、昨日の出来事がまるで噓のようでした。けれども村は大騒ぎでした。浜に打ち上がった怪魚の死体が見つかったからです。
言い伝えられているところによると、その魚には鱗がなく、顔のあたりにとげがあり、目は人のそれに似ていたとのことでした。
和尚は魚の口から聞こえた言葉の内容を決して余人に語ろうとしませんでした。ただ、和尚の臨終に立ち会った弟子のひとりによれば、その魚は和尚の前世の名前を知っていた、とのみ、師の口から聞いたそうです。
ちなみに、この魚の死骸は骨だけになって、今もこのお寺にある、ということでした。
「なるほど、ちょっと似てますね」
スマートフォンをわたしに返しながら、昇はそんな感想を口にした。
「おじさんの話の元ネタはこれかな。釣り上げると死ぬ、というところは釣り人ならではの脚色で」
「しかし、この話だと、魚はもう退治されてるんでしょう?」
「魚なんだから、同じ種類のやつがいっぱいいてもおかしくないよ」
「それに、だれも死んでないですよね。和尚は寿命っぽい書き方ですし」
「和尚は釣ってないからね」
「そうでしょうか。浜で念仏を唱えて魔物をおびき寄せる、というのは、広く見れば釣りに含まれるのでは……」
しばらく議論が続いたけれど、結局のところ、このブログ記事だけでは何もわからない、という結論に達した。
「もし、この話を元ネタにして『釣り上げると死ぬ魚』の話を作ったのが例のおじさんではないとすれば、同じ話を知ってる人がほかにもいるはずだよね」
「その可能性は高いでしょうね」
「行くか、静岡」
さっそくスケジュールを確認し、新幹線のチケットをオンラインで購入する。昇とふたりで遠出するのは久しぶりだった。別れる少し前、四国八十八箇所霊場の中のとあるスポットで確実に人を殺せる呪いが伝わっていると聞き、旅行がてら現地まで出かけて以来だ。
そういえば、その旅行の帰り道に大喧嘩をした。わたしはそもそも他人と喧嘩なんかしないタイプだから、これは異常なことだった。でも原因を思い出せない。喧嘩の原因は得てしてそんなものだが、気にはなる。
わたしが急に黙り込んだことに気づいて、昇が首をかしげる。
「どうかしました?」
あのとき喧嘩したけど原因はなんだっけ、という意味のことを尋ねると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「そんな話、今することですか?」
「だって」
「価値観の相違ですよ」
と、昇は意味深なことを言うだけで、答えは教えてくれなかった。
*
釣り船に乗ったまではよかったが、その日は素人にもそれとわかるくらい、ひどく波が高かった。昇はさっきから船べりにしがみついて、さかんに海を汚している。
「アジフライ定食はまだわかるよ。でも、そこに単品のミックスフライ追加はね……」
そんなわたしの軽口に付き合う余裕すらないらしい。わたしはといえば、ある時期から特定の乗り物酔いにだけは強い。いくら船を揺らされようがピクリとも感じないのだ。そういうものを感じる部位が麻痺しているに違いない。
昇のことはかまわず、船長に話の続きをうながした。
「釣り上げると死ぬっていう魚ですか?」船長は腕を組んだまま答えた。「たしかに、最近お客さんがよく話してましたね」
「なんの魚かご存じですか?」
「なんのって、ありゃあ、だいたい、都市伝説みたいなものでしょうが」
「都市伝説ですか」
「まあ、海の上の場合はなんて呼ぶのかなあ」
船長によると、釣り上げたら死ぬ魚について初めて耳にしたのはごく最近、ここ半年以内のことらしい。なんでも常連の釣り客が冗談めかして話しているうちに、だんだんと広まっていったようだ。
「そういう話は、本気にして怖がっちゃうお客もいるからね。営業妨害なんて大げさなもんじゃないけど、いい気持ちはしなかったな」
「このあたりに昔から伝わっている話、というわけでもないんでしょうか」
「海で変なものを見たなんて人はいつの時代にもいるけど、変な魚ってのはないね。このあたりは定置網もあるし、本当にいるならだれかが捕まえとるでしょう」
もっともな話だが、実在するのに捕まらなかった海の生き物は多い。かつてのダイオウイカがそうだったように、謎の魚も人々の目からうまく隠れているだけかもしれない。
船は釡津湾のちょうど真ん中あたりに差し掛かった。わたしは風とエンジンの音に負けないよう、大声で尋ねる。
「釡津に大安国寺っていうお寺はありますか?」
「あるよ。ここらの人は初詣に行くよ」
船長は釡津港から少し離れたところにある、海に突き出てこんもりとした緑の山を指差した。あの山のあたりにある、ということらしい。
それから船長の手ほどきで一時間くらい釣り糸を垂れてみたが、釣り上げると死ぬ魚も、そうでない魚も、まったく釣れなかった。
陸にたどり着くとようやく昇は元気を取り戻した。胃の中が空っぽになってしまったらしく、しきりにお腹をさすっている姿が気の毒ではある。さすがにまだ食欲は湧かないようで、わたしが土産物屋の前でさつま揚げを食べている間、彼は水ばかり飲んでいた。
「やれやれ、ひどい目に遭いましたよ」
「ご愁傷さま。次から、船に乗らなきゃいけない取材はひとりで行くことにする」
「丹野さんが船酔いに強いって本当だったんですね。酒もあいかわらず強いらしいじゃないですか。いつぞやの沖縄怪談の打ち上げで、泡盛のボトルをひとりで空けたとか」
それは誇張だ。もっとも飲んだときでさえ半分くらいしか飲んでなかった……と思う。
「だれから聞いたの?」
「こないだ、怪談ライブへ行ったら、間にそういう裏話みたいな雑談をしてて。丹野さんの話をする人、割と多いですよ」
「そうなんだ」わたしはさつま揚げの残りを口の中に放り込んだ。「ごめん。わたし、業界のゴシップとか好きじゃなくて、あまり追ってないの」
港から大安国寺まではタクシーで五分ほどだという。その間、わたしはずっと目を閉じて、耳を塞いでいた。着いてみると、地元の人がみんな来るというだけあって、立派な山門がそびえていたが、ペンキ塗りたてのような赤い柱は古刹という雰囲気ではなかった。金色の額に大きく寺の名前が書いてある。かなりのお布施を集めているようだ。
本堂に手を合わせ、御朱印をもらいがてら、お坊さんに話を聞いてみることにした。この寺に珍しい魚の骨があるというのは本当か、と尋ねると、ええ、ございます、となんでもないような感じで言われた。
「どのようないわれの骨なのですか?」
「江戸時代の中頃、当時の住職が知人の漁師から譲り受けたものだと伝わっています。蓬萊から来た魚ということで、蓬萊魚と呼んだようです」
聞いていた話と少し違った。
「こちらの和尚さんが退治したのではないんですね」
「そういう話もあります。あくまで伝説ですが」
あいにく、それらは寺宝として納められており、一般には公開していないということだった。念のため、釣り上げると死ぬという魚についても尋ねてみたが、そういう噂話は聞いたことがないと言われた。
御朱印帳を受け取って戻ってくると、昇はカメラを持った初老の男性に礼を言って別れるところだった。わたしに気づくと、彼はにこにこして言った。
「例の魚の骨は、本当にこの寺にあるらしいですよ」
「うん、こっちも聞いてきた。でも公開してないんだってさ」
「今の人の話だと、二十年くらい前にテレビ取材が入って、骨の正体を調べていったそうです」
「本当?」まさか怪魚の骨ではあるまい。「なんの骨だったの?」
「小型の鯨類の骨、ということだったそうです」
わざわざ現地まで赴いたのは空振りだったのだろうか。そんなことを考えながら、わたしと昇は寺をあとにした。山門の前にあった観光案内板で、駅までの道のりを確かめる。歩いていくのは難しそうだった。仕方なく、来る途中で見たバス停へと向かう。タクシーよりはましだろう。
「釣り船のご主人によると、釣り上げると死ぬ魚の話が聞かれ始めたのはごく最近らしいですね」
「うん。ということは、最近になってだれかが創作した話なのかも」
「さっきの蓬萊魚の骨は江戸時代からあるようですが」
「海辺の町なんて、どこでもそんな話のひとつやふたつあるんじゃない?」
たぶん、最初はわたしの想像したとおり、珍しい大物を釣った人が喜びのあまり心臓発作を起こす、というような話だったんじゃないか。釣り人たちのジョークが、漁師町にありがちな怪魚伝説と結びつき、いかにもそれらしい怪談になった。それがわたしの結論だった。
「ちょっと拍子抜けですね」
昇の口ぶりはあまり残念そうでもない。彼だって怪談を集める側の人間なのだから、わかってはいるはずだ。怪談は、取るに足らない話のほうが多い。身も凍る恐怖を引き起こし、社会現象になるような怪談なんてごくごく一部だ。人間は毎日のようにありもしないものを見る。人の脳はまるで精密機械ってわけじゃないから、壁の模様が顔に見えたり、だれもいないのにだれかいたような気がしたりする。
何か偶然のめぐり合わせでもない限り、そんな話は胸のうちにしまい込んで終わりだ。でも時として、その奇妙なめぐり合わせを引き当てた話だけが伝えられ、世の中に残る。
探していたバス停はコンビニの前にあった。地元では有名なチェーン店なのかもしれないが、聞いたことがない。かつては個人経営の酒屋だったようで、当時の看板の文字が外壁にうっすら残っていた。店の前には野菜やきのこなどが手書きの値札付きで並べられている。
わたしたちがバスを待っていると、その店の中から中年の男性が連れ立って出てきた。見ただけでも釣りの帰りとわかるような風体で、今日の釣果かなにかを楽しそうに語り合っているようだ。
駐車場へ向かう彼らの会話の断片が耳に入った。
「……それがさ、釣り上げると死ぬっていうんだけど……」
はっとして顔を上げた。隣では昇も同じ仕草をしている。わたしたちは顔を見合わせた。このチャンスを逃す手はない。急いでその釣り人を追いかけた。
いきなり駆け寄ってきたわたしたちを、初めは不審そうな目で見つめていた彼らだったが、わたしが名刺を取り出して手渡すと、興味深そうにそれを眺めた。
「怪談師?」
「そうなんです」
「テレビとか出るの?」
「ええ、たまに」
地上波に出演したのは二度だけなので、たまにというのは噓だった。とはいえ、彼らの態度を柔らかくさせるためには仕方がない。実際、効果はあったようだ。相手は、へえ、という感嘆めいた声を漏らす。間髪をいれず、先ほど聞こえてきた話のことを質問した。
「すみません、お話が聞こえてしまったのですが、釣り上げると死ぬ魚の怪談をご存じなんですか?」
「怪談といえば怪談なのかなあ。なんていうか、そういうジンクスみたいなものっていうか」
「でもさっきの話だと、ぬらぬら光ってて、人の言葉を話すっていうんだろ?」横で聞いていた別の男性が割って入った。「そりゃ普通の魚じゃないよ。化け物だ」
「そうですね。わたしたちも似たような内容で聞いています」
「ああ、なんだ。話はもう知ってるんですか」
「いえ、今日は一日、釡津のあちこちで話を聞いているんですが、あまり知っている方がいらっしゃらなくて……海のほうへも行ってみたんですけど」
「釡津の海で?」
話をしていた男性はちょっと苦笑いのような表情になった。けれど、わたしは何を笑われたのかよくわからなかった。
「それはそうですよ。その魚は、川にいる魚なんですから」
「川?」
昇が力の抜けた声で言った。
「場所も釡津じゃないですね。隣の八板町です。狗竜川の河口あたりで釣れることがあるって聞きました」
(気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください)