【書評】貴志祐介『さかさ星』 逆転する「かたり」【評者:斉藤壮馬】
現代ホラーの旗手、貴志祐介さんの最新作『さかさ星』が発売即重版が決まるなど大好評。著者11年ぶりとなる長編ホラーは、旧家の一家惨殺事件の裏に潜む、数百年続いた呪いの恐怖を描く600ページ超えの巨編となっています。
読書家で知られ、自らも小説・エッセイを執筆する人気声優・斉藤壮馬さんによる本作の書評をお届けします。
評者:斉藤壮馬
戦国時代から続く名家で起きた一家惨殺事件。祖母の依頼を受けた中村亮太は福森家へ赴き、想像を絶する因果の渦に巻き込まれていく……。
そぼ降る秋雨に肌寒さを覚えるような、五感に訴えかけてくる導入だ。物語は、彼らが車に乗り、マスコミをかいくぐって福森家へと滑り込むところから始まる。車中の会話から、福森家で凄惨な事件が起こったこと、亮太があまり数字を持っていない心霊系YouTuberであり、動画を撮影するために同行していることなどが示唆される。
陰鬱な雰囲気の中、亮太の若者らしい語り口が若干ユーモラスなリズムを生んでいるが、それすらむしろ、本筋を際立たせるスパイスのような役割なのかもしれない。彼以外にも、優しく家族思いだが心労のため疲弊している祖母・中村富士子、やたらと記憶力と面倒見のよい使用人・稲村繁代、そして辣腕の霊能者・賀茂禮子ら、一筋縄ではいかない人物たちが濃密な会話劇を繰り広げる。
中でも頭抜けて印象的なのは、「邪悪な小鬼を思わせる」と称されるほどインパクトのある容貌を持つ賀茂禮子だ。だが彼女の真の異様さは、その語りにこそある。屋敷に着くや否や、いきなり「このお屋敷の庭は、ひどいですね」とのたまう賀茂禮子。霊能者である彼女には、福森家が常人とは違う形で視えているというのだ。
中盤を過ぎるあたりまでは、賀茂禮子劇場と言って差し支えないだろう。彼女の口から息をもつかせぬ密度で次々と繰り出される指摘・考察・推理の数々。どこかで「そんなことあるはずがない」と思いながら、われわれは呑み込まれてしまう。いや、正確には、作中の亮太と同じように「瑕疵を見つけ出し、つついてやろう」と、若干のいたずら心でもって、斜に構えて対峙してしまう。その時点で物語という魔に魅入られているのだと、気づきもしないで。
そして。
まさに物語の真ん中で、あらゆるものがたちどころに「さかさ」になる。
愛らしい小動物がおぞましい獣に豹変するがごとく、それまで積み重ねられてきた思考が、前提が、一つ、また一つと覆されていく。
ホラー、ミステリ、サスペンス、アクション、時代物、はたまたRPG……? この物語は、いったいなんなんだ? ジャンルの区分などいとも簡単に飛び越え、めまぐるしく変化する読み味に、われわれは拠り所をなくし、深い闇の只中へと放り出されてしまう。
そして物語は、混沌としたまま一気にクライマックスまで駆け抜ける。個人的には、一度味わっただけでは、前半の細かいディティールをとてもではないが咀嚼しきれなかったので、じっくり腰を据えて再読するつもりだ。
この小説においては、『さかさ星』のタイトルのごとく、幾度となく物事の意味や解釈が覆されていく。それは物語が一端の幕引きを迎えたあとも、われわれの心にじっとりとへばりついて離れない。
この「語り」を、信じていいのだろうか?
それは「騙り」ではないのか?
もしかしたら、自分は根本的に何かを勘違いしているのではないか?
そんな果てしない問いが、おのれの中に残響しているような読後感だった。気を抜くといつのまにか、意識の間隙に賀茂禮子や月晨が佇んでいるかのような。
評者プロフィール
斉藤壮馬(さいとう そうま)
4月22日生まれ、山梨県出身。声優。2008年、高校在学中に「第2回81オーディション」優秀賞を受賞し、大学卒業後、本格的に声優としての活動を開始する。15年「第九回声優アワード」新人賞受賞。17年より歌手としても活動を開始。読書家として知られ、18年に初の著書、エッセイ集『健康で文化的な最低限度の生活』を刊行し、22年には初の小説「いさな」を発表した。
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