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【試し読み】森見登美彦『四畳半タイムマシンブルース』(原案・上田誠)冒頭特別公開!

今年も「8月11日」がやってきましたね。
今日という日が最高に似合う1冊をご存知ですか?

その名も『四畳半タイムマシンブルース』

小説『四畳半神話大系』と舞台「サマータイムマシン・ブルース」が奇跡のコラボを果たし生まれた小説作品です。

あらすじ

8月12日、クーラーのリモコンが壊れて絶望していた「私」の目の前にタイムマシンが現れた。後輩の明石さんたちと涼しさを取り戻す計画を立て、悪友どもを昨日へ送り出したところでふと気づく。過去を改変したら、この世界は消滅してしまうのでは……!? 辻褄合わせに奔走する彼らは宇宙を救えるのか。そして「私」のひそかな恋の行方は。

壊れる前のクーラーのリモコンを求めて「8月12日」「8月11日」を行ったり来たり――。そんな物語の冒頭を特別公開!
夏の思い出に、最高の時間旅行をお楽しみください。


『四畳半タイムマシンブルース』試し読み

第一章 八月十二日

 ここに断言する。いまだかつて有意義な夏を過ごしたことがない、と。
 一般に夏は人間的成長の季節であると言われている。男子ひと夏会わざればかつもくして見よ! ひと皮けた自分を級友たちに見せびらかす栄光の瞬間を手に入れるためには、綿密な計画、早寝早起き、肉体的鍛錬、学問への精進が不可欠なのである。
 しかし下宿生活三度目の夏、私は焦燥に駆られていた。
 京都の夏、我が四畳半はタクラマカン砂漠のごとき炎熱地獄と化す。生命さえ危ぶまれる過酷な環境のもとにあって、生活リズムは崩壊の一途を辿たどり、綿密な計画は机上の空論と化し、夏バテが肉体的衰弱と学問的退廃に追い打ちをかける。そんな境遇で人間的成長を成し遂げるなんて、おしや様でも不可能である。、夢破れて四畳半あり。
 大学生時代という修業期間も折り返し点を過ぎた。にもかかわらず、私はまだ一度たりとも有意義な夏を過ごしていない。社会的有為の人材へと己を鍛え上げていない。
 このまま手をこまねいていたら、社会は私に対して冷酷に門戸を閉ざすであろう。
 起死回生の打開策こそ、文明の利器クーラーであった。

    ○

 八月十二日の昼下がりのことである。
 学生アパートの自室209号室において、私はひとりの男と向かい合っていた。
 私が起居しているのは、しもがもいずみがわちようにある下鴨ゆうすいそうという下宿である。入学したばかりの頃、大学生協の紹介でここを訪れたときには、九龍クーロンじように迷いこんだのかと思ったものだ。今にも倒壊しそうな木造三階建て、見る人をやきもきさせるおんぼろぶりはもはや重要文化財の境地へ到達していると言っても過言でないが、これが焼失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
 この世で何が不愉快といって、上半身裸で汗まみれの男子大学生がふたり、四畳半でにらみ合っている情景ほど不愉快なものはない。折しもしやくねつの太陽が下鴨幽水荘の屋根を焼き、我が209号室の不快指数が頂点を極める刻限であった。
 恥も外聞もなく窓とドアを開け放ち、実家から持ってきたこつとう的扇風機を動かしても、熱風がぐるぐると渦巻くばかりで、あまりの暑さに意識がもうろうとしてくる。目の前にうずくまっている男は実在するのだろうか? 心の清らかな私だけに見える薄汚いしんろうではないのか?
 私は手ぬぐいで汗をぬぐいながら呼びかけた。
「おい、
「……お呼びで?」
「生きているか?」
「どうぞ僕のことなんぞおかまいなく。もうじき死にますから」
 そうこたえる相手は半ば白目を剝いている。不健康そうな灰白色の顔は汗にれてヌラヌラとしたきらめきを放ち、あたかも生まれたてホヤホヤのぬらりひょんのごとし。
 八月の昼下がり、下鴨幽水荘はひっそりと静まり返っていた。朝方にはうるさいほど聞こえていた蟬の声もピタリと止んで、時間の流れが止まったかのような静けさである。帰省している住人も多いし、こんな真夏の昼日中、四畳半に立てもるは少ない。
 現在このおんぼろアパートに居残っているのは、小津と私の二人をのぞけば、隣の210号室で暮らすぐちせいろうという万年学生ぐらいであろう。昨夜は私の部屋で「クーラーのお通夜」がしめやかにとりおこなわれたのであるが、夜が明ける頃になると、樋口氏は間違いだらけのはんにや心経をニョロニョロ唱えた後、「心頭滅却すれば四畳半もかるざわのごとし──喝!」と不可解なことを口走りつつ隣室へ引き揚げ、それきり昼をまわっても姿を見せない。この地獄のような暑さで、よくもグウグウ寝ていられるものだ。
 マンゴーのフラペチーノが飲みたいと小津が言うので、みに塩辛くてなまぬるい麦茶をいでやった。小津は病気のガマガエルが泥水をすするようにジュルジュル飲んだ。
「ああ、まずい……まずい……」
「黙って飲め」
「江戸時代風のミネラル補給はもうたくさんです」
 哀しげにうめく小津を私は無視する。
 先ほど「クーラーのお通夜」と私は書いた。
 なんだそれはと読者諸賢がげんに思うのも当然のことであろう。
 我々が夜を徹して哀悼の意を表したクーラーこそ、大昔から我が209号室に設置されていたという伝説的クーラーであった。四畳半アパートに似つかわしくないその文明の利器は、明らかに大家に無断で設置工事を施したとおぼしく、かつてこの部屋で暮らした先住民の豪傑ぶりを物語る歴史的遺産であった。この209号室は、当アパート唯一のクーラーつき四畳半として、全住人のせんぼうの的となってきたのである。
 209号室の噂を初めて耳にしたのは二年前の夏のことであった。共同炊事場で出会ったブリーフ一丁の古株学生が、汗だくの私の耳元で次のようにささやいた。
「貴君、このアパートには『クーラーつきの四畳半』があるらしいぞ」
 当時の私にとって、樋口清太郎と名乗るその学生から耳打ちされた「クーラーつき四畳半」は、アーサー王が最期を迎えたという伝説の島アヴァロンのごとく、遠い彼方かなたにある幻の地のように思われたものだ。まさか二年後、自分がその「クーラーつき四畳半」で暮らせるようになろうとは。
 しかし、わざわざ一階から二階へ引っ越したにもかかわらず、私がそのクーラーの恩恵にあずかることができたのはわずか数日間にすぎなかった。
 すべての責任は目の前にいる男、小津にある。

    ○

 小津は私と同学年である。工学部で電気電子工学科に所属するにもかかわらず、電気も電子も工学も嫌いである。一回生が終わった時点での取得単位および成績は恐るべき低空飛行であり、果たして大学に在籍している意味があるのかと危ぶまれた。
 野菜嫌いで即席ものばかり食べているから、なんだか月の裏側から来た人のような顔色をしていて甚だ不気味だ。夜道で出会えば、十人中八人がようかいと間違う。残りの二人は妖怪である。弱者にむち打ち、強者にへつらい、わがままであり、ごうまんであり、怠惰であり、あまじやであり、勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯える。およそ誉めるべきところが一つもない。もし彼と出会わなければ、きっと私の魂はもっと清らかであったろう。
「よくも俺の人生を台無しにしてくれたな」
「リモコンにコーラをこぼしただけじゃないですか」
 小津はヌルリと顔を拭ってケラケラ笑った。
「きっと明石あかしさんがナントカしてくれますよ」
「少しは反省しろと言ってるんだ」
「どうして僕が反省しなくてはならないんです?」
 小津はいかにも心外だというような顔をした。
「これは連帯責任ですよ。ここで映画を撮ろうなんて言いだした明石さんも悪いし、あんなところにリモコンを置いた人も悪いし、飲みかけのコーラを置いた人も悪い。一番悪いのは『これから裸踊りする』なんて宣言したあなたです」
「そんなことを言ったおぼえはないぞ」
「今さら言い逃れはナシですよ。えらく盛り上げてくれたじゃないですか」
 そもそもですね、と小津はぺらぺらしやべり続けた。
「リモコンにコーラをこぼしたぐらいで操作不能になるなんて設計ミスというべき。にもかかわらず、あなたという人は僕ひとりに責任を押しつけて『反省しろ』なんて無茶を言う……むしろ僕は犠牲者なのです」
 たしかにこのぬらりひょんの言うことにも一理あって、クーラー本体に操作ボタンがないのは不可解であった。もしも明石さんがリモコンの修理に失敗すれば、クーラーを起動させる手段は永遠に失われ、私は残りの夏休みを灼熱の四畳半で過ごすことになる。、こんなことになると分かっていたら引っ越したりはしなかった。一階の方がまだしも暑さはマシなのである。
 私は立ち上がり、流し台で手ぬぐいを絞って肩にかけた。
「俺は今年こそ有意義な夏を過ごすはずだった。この堕落した生活から脱出して、ひと皮けたイイ男になるはずだった。そのためのクーラーだったんだ!」
「いやー、そいつは無理な相談です」
「なんだと?」
「僕は全力を尽くしてあなたを駄目にしますからね。クーラーなんぞで有意義な学生生活が手に入るものですか。めてもらっちゃ困ります」
 私はふたたび腰をおろして小津を睨んだ。
「おまえ、面白がっているな?」
「ご想像におまかせします、うひょひょ」
 小津と私が出会ったのは一回生の春、妄想鉄道サークル「けいふく電鉄研究会」であった。あれから二年半、恥ずべき青春のありとあらゆる暗がりに小津という男が立っている。前途有望の学生を不毛の荒野へと導くメフィストフェレス。昨日クーラーのリモコンにコーラをこぼしたのも悪魔的計算の内ではあるまいか。なにしろ他人の不幸で飯が三杯喰える男だ。
 私はれ手ぬぐいでピシャリと小津を打った。
「かたちだけでも反省してみせろ!」
「僕の辞書に『反省』という単語は載っておりません」
 小津はけけけと笑いながら、自分の手ぬぐいでたたき返してきた。
「こいつめ」「なんのこれしき」とリズミカルに叩き合っているうちに楽しくなってきた。ひとしきり貧弱な裸体を打ち合っていると、やがて小津は「うひ」と悲鳴を上げて身を丸めた。「おいおい降参か?」と勢いづいてピシピシと叩き続ける私に向かって、小津は両手を上げて「ちょっと待って、ちょっと休戦」と叫んだ。「お客さんですってば!」
 振り向くと、開け放ったドアの向こうに明石さんが立っていた。左肩に大きなバッグを抱え、右手にはラムネのびんを持っている。アサガオの観察に余念のない小学生のごとく、彼女はしんまなしで我々を見つめていた。
「仲良きことはらしきかな」
 彼女はそうつぶやいて、ラムネをグイと飲んだのである。

    ○

 明石さんは我々の一年後輩にあたる。
 彼女は学内映画サークル「みそぎ」に所属し、そのクールなたたずまいとは裏腹に、まったくクールではないポンコツ映画を量産する愛すべき人だ。
 同じ映画サークルに所属する小津によると、サークル内でも明石監督の評価はあやふやであるらしい。他人が一本撮っている間に三本は撮るというプロフェッショナルな仕事ぶりに対しては誰もが賞賛の言葉を惜しまないが、その作品のポンコツぶりに触れる段になると誰もが慎ましく口をつぐむのである。
 そのような周囲のモヤモヤ評価をものともせず、この夏休み、明石さんはポンコツ映画界に転生した文豪バルザックのごとく撮りまくっていた。昨日も早朝から午後三時すぎまで、このアパートの裏手にある大家さん宅にてポンコツSF時代劇を撮影したばかりである。
 明石さんは四畳半の戸口にバッグを置いた。
「何をしていらっしゃったんですか?」
「いや、なんでもないよ」
「僕たち暑さで錯乱しているのですよ、うひょひょ」
「一瞬、なんらかのセクシャルな営みかと思いました。見てはいけないかもと思ったんですが、ドアが開けっ放しでしたから」
「たしかに愛の営みではありますよねえ」
「とりあえず忘れてくれ、明石さん」
「承知しました。忘れます。忘れました」
 小津と私があわてて身なりを整えると、明石さんはしずしずと室内に入ってきた。
 はたして電器店のオヤジは忌まわしいコーラの洗礼からリモコンを復活させることができたのであろうか。かたんで見守っていると、明石さんは端然と座して「ご愁傷さまです」と合掌した。全身の力が抜けるような気がした。
「やはりダメだったか」
「とりあえず預けてきましたが、まず無理だろうと言われました。かなり古い型らしくて、まだ使っている人がいるのかと驚かれたぐらいです。いくらなんでも買い換えるべきだと」
「それができれば世話はない」
「ですよね」
 小津がふんぞり返って明石さんを𠮟しつせきした。
「まったく明石さん、君には失望しましたよ!」
「おまえは黙ってろ未来えいごう
「小津先輩のおつしやるとおりです。まことに無念です」
 明石さんはそう言って少しうなれた。
 聞けば彼女は、すでに充実した夏休みの半日を過ごしてきたらしい。
 午前七時に起床して朝日にあいさつ、栄養豊富な朝食を摂取してから大学へ出かけ、開館早々の附属図書館で二時間みっちり勉強した後、リモコン修理のために電器店をまわるのみならず、下鴨神社ただすノ森の「納涼古本まつり」に顔を出してきたという。
 かくも生産的な半日を明石さんが過ごしている間、いったい我々は何をしていたのか。蒸し暑い四畳半に半裸であぐらをかき、にらみ合って脂汗を生産していたばかりである。無益だ。愚行だ。この世の地獄だ。二度と取り戻せない人生のサマータイムが、日なたに置かれたかき氷のように溶けていく。あまりの空しさに言葉もなかった。
 明石さんが少しあきれたようにいた。
「小津さん、結局ここにお泊まりになったんですか?」
「明け方までクーラーのお通夜だったんですよ」
 小津は得意げに言った。「この部屋はアパートの住人たちのあこがれの的だったから、みんなが無言の怒りをぶつけてきたね。僕は平気でしたけど」
「小津さんはヘンタイですから」
「さすが妹弟子、分かっていらっしゃる」
「おかげで俺の人生計画はメチャメチャだ」
「無意味で楽しい毎日じゃないですか。何が不満なんです?」
 へらへら笑う小津の首をしめていると、廊下にピーピーガーガーと雑音が響いた。
 この下鴨幽水荘には大家宅と直通のスピーカーがそなえつけられている。各階の廊下のつきあたり、それぞれ物干し台へ出る硝子ガラス戸の上にあって、裏手の邸宅で暮らしている老嬢のありがたい御言葉を全住人に告げ知らせるのである。おんぼろスピーカーを通すことによって大家さんの声は天上世界から降ってくるような威厳を帯びるため、その館内放送は昔から「天の声」と呼び習わされてきた。その内容はほとんどつねに家賃の督促である。
「樋口君、210号室の樋口清太郎君」
 大家さんの厳かな声が廊下に響いた。
「部屋にいるのは分かっています。家賃を払いにきなさい」
 しかし隣室の怪人が起きだしてくる気配はない。天の声は空しく数回繰り返されて止み、ふたたびアパートは森閑とした。
「お隣はなんの反応もないぞ」
「起床せざること山のごとしですな」
「師匠はまだお休み中なのですね。さすがです」
 にわかには信じがたいことだが、明石さんは小津とともに樋口氏の「弟子」と称しており、昨年末頃からこのアパートへ通ってくるようになった。
 たしかに樋口氏はこのアパートのヌシとして全住人からけいの念をもって遇され、大家さんでさえ一目置いている節がある。
 しかしながら、この二年半にわたって彼の生態をつぶさに観察してきた私に言わせれば、樋口清太郎という人物は「ボンクラ万年学生」という古色そうぜんたる概念の生ける結晶、人生のふくろ小路こうじへの危険きわまる水先案内人にほかならぬ。あんな得体の知れない人物に教えをうて、あたら青春を台無しにしないでくれと思う一方、明石さんがこんな掃きめアパートを訪ねてくること自体は心から歓迎せざるを得ず、ここ半年ほど私はきわめて複雑な思いでなりゆきを見守ってきたのであった。
 私はみの麦茶を飲み干して言った。
「いったい樋口さんは何の師匠なんだ?」
「本質をついた質問ですな。じつは僕にも分かりません」
「強いて言うなら『人生の師匠』でしょうか」
 小津は「さすが明石さん」とうなずいてから私に向かって言う。
「ひとりで四畳半にもってウジウジしているぐらいなら、あなたも弟子になればいいんですよ。研究会を追いだされて暇を持て余しているんでしょ? じつを言うと、先日あなたを弟子にするように師匠に進言したら、師匠も快く許してくれました。というわけで、あなたはもうすでに弟子なんです」
「おい、勝手なことをするな」
「いいから、いいから。遠慮しないで」
 すると明石さんが私の顔をのぞきこんで言った。
「楽しいですよ、先輩。ご一緒にいかがですか?」
 その甘美な一言には意志堅固な私も陥落しかけた。
 もしも樋口氏の弟子になれば、自動的に明石さんが姉弟子となる。あねでし! なんとわく的な響きだろう。このうえなくやはらかいあんころもちのように甘美である。
 しかし私は棚ボタ式の姉弟子を求めているわけでも、得体の知れぬ怪人から人生について学びたいのでもない。この無益で怠惰な日々に開き直ることなく、有意義な学生生活を主体的につかみ取りたいのである。そしてひと皮けた男となったあかつきには──。
 私は明石さんをちらりと見てから言った。
「とにかく弟子入りなんてお断りだ」
 小津はおおに「残念だなあ」とためいきをついた。
「弟子入りするなら十六日の五山送り火見物にお招きしようと思ってたんです。秘密の絶景ポイントへ師匠が連れていってくれる貴重な機会なのですぞ。でもいいや。あなたは四畳半でひざを抱えてKBS京都でも見てなさい。明石さん、君は予定を空けておいてね」
「私は行きません」
 にべもなく明石さんが言ったので、小津は目を丸くした。
「え? なぜ? どうして?」
「ほかの人と行く約束をしましたから」
「昨日はそんなこと言ってなかったじゃないの。いったい誰と行くの?」
「どうしてそんなことを報告しなければならないのですか?」
 明石さんはまっすぐに小津を見つめて言い放つ。
 さすがの小津にも返す言葉がなかった。じつに痛快であり、ザマーミロというべきであったが、実はそのとき、私もまたひそかに打ちのめされていた。
 八月十六日、明石さんは送り火見物へ出かける──いったい誰と?
 その横顔を盗み見ると、彼女は信じられないほど涼しげな顔をしていた。あたかも真冬の糺ノ森にたたずんでいるかのごとく、その白い頰には汗のしずくひとつ見えない。
「明石さん、暑くないの?」と私は訊いた。
「めちゃんこ暑いです」
 彼女はそう言って、ラムネの残りを飲み干した。

    ○

 昨日八月十一日は、朝から新作映画の撮影がおこなわれていた。
「幕末軟弱者列伝 サムライ・ウォーズ」
 そのポンコツなタイトルからして、濃厚なポンコツ映画ぶりが透けて見えようというものだが、原案は小津と私であった。我々が四畳半で繰り広げていた馬鹿話に明石さんが興味を持ち、いつの間にか脚本を書き上げ、「映画にしたい」と言いだしたのである。
 ときは幕末、けいおう年間である。
 ひょんなことで二十一世紀の四畳半からタイムスリップしてきた大学生「ぎんすすむ」は、維新の志士たちの隠れ家へ迷いこんでしまう。そこで出会うのは、西さいごうたかもりさかもとりようたかすぎしんさくいわくらともかつかいしゆうひじかたとしぞうといった幕末維新史における有名人たちだ。
 ところが銀河には恐るべき才能があって、自分にかかわった人間をことごとく役立たずの怠け者にしてしまうのである。
 彼に感化された幕末の男たちは次から次へと覇気を失い、佐幕派も倒幕派もみるみるかいしていく。「このままでは未来が変わってしまう!」と慌てるが時すでに遅し、歴史改変の危険性を訴えてまわっても幕末の男たちはアハハと陽気に笑うばかりだ。
 やがて佐幕派と倒幕派が輪になって、「ええじゃないか」「ええじゃないか」と踊り狂う中、大幅な歴史改変に耐えかねた時空連続体が大崩壊を起こし、無惨にも全宇宙消滅。いと哀れなることなり。
 以上、終わり。
 脚本に目を通したとき、思わず私は「これでいいの?」とつぶやいた。
「いいんです」明石さんは力強く頷いた。「これがいいんです」
 そして昨日の朝、下鴨幽水荘にはぞくぞくと学生たちが集まってきた。
 明石さんの所属する映画サークル「みそぎ」のメンバーたちである。
 その素人映画集団の中にひときわ尊大な態度で振る舞う男がいて、それがサークルのボス・じようさき氏であった。彼は「こんなアパート、人間の住むところじゃない」と舌打ちしながら踏みこんでくると、楽屋として私が提供した209号室に我がもの顔で居座るのみならず、ドアを開け放ったままクーラーをガンガン利かせるという暴挙に及んだ。見たことも聞いたこともない勢いで回転する電気メーターが、私の怒りのバロメーターと化したことは言うまでもない。しかも城ヶ崎氏は明石さんの脚本を指さして、その内容のポンコツぶりを声高に指摘し始めたのである。
 たしかに正しい主張だった。耳を傾けるべきだった。
 しかし、おまえだけには言われたくない。
「原案は俺なんですけどね」と私は言った。映画サークルのメンバーでもないのに撮影の手伝いを買って出たのは、原案者として責任を感じていたからである。
「あ、そう。ふーん」
 城ヶ崎氏はこちらを見つめた。
 だからどうした、と言わんばかりの態度である。
 この時点で城ヶ崎氏と私の対立は決定的なものとなった。
 今後はこの人物の足を引っ張ることだけを考えよう、できるかぎり陰湿な方法で──とりあえず私はクーラーの設定をさりげなく「暖房」に切り替えて自室を出た。
 アパート二階の内廊下は、もとから色々なガラクタでごった返しているのだが、そこへスタッフや出演者たちが詰めかけて、今や満員電車のようであった。明石さんはみつばちのように飛びまわって衣装チェックや打ち合わせに余念がない。そのしい横顔にれていると、209号室から「なんで『暖房』になってんだよ!」という城ヶ崎氏の怒声が聞こえてきたので、胸がスッとした。
 そのとき210号室のドアが開いて、樋口清太郎が顔を見せた。
「やあ、貴君」とこちらへ呼びかけてくる。
 樋口氏は長く伸びた髪を後ろで束ね、深緑色の着物姿で懐手していた。映画撮影用のふんそうだが、普段アパートで見かける姿と大差ない。砂鉄をまぶしたおお茄子なすのごときあごでまわしつつ、樋口氏は「ニッポンの夜明けぜよ!」と朗らかに言った。
「あなたは坂本竜馬役ですか」
「うむ。弟子の頼みは断れないからな」
 樋口氏は懐からモデルガンを取りだした。
「ニッポンの夜明けぜよ! ニッポンの夜明けぜよ!」
 廊下の向こうから顔を真っ白に塗った薄気味悪い人間が近づいてきたと思ったら、それは岩倉具視にふんした小津だった。金ぴかの扇子で口元を隠し、くねくねとわいな動きを見せ、「おじゃる」「おじゃる」と実にうるさい。樋口氏がモデルガンの銃口を小津に向けて「夜明けぜよ!」「夜明けぜよ!」と応酬していると、209号室から西郷隆盛に扮した城ヶ崎氏が不機嫌そうに姿を見せ、「ごわす」「ごわす」と言い始めた。
 撮影はアパートの裏手にある大家さん宅を借りておこなわれた。ぞくぞくと乗りこんでくる学生たちに大家さんは目を丸くしていた。
「あらあら、本格的ですこと」
 撮影部隊は庭に面した縁側のある和室に陣取った。
 庭の木立の向こうにはアパートの貧相な物干し台が丸見えだったが、それさえ映りこまないように工夫すれば、「維新の志士たちの隠れ家」と言い張れぬこともない。
 気になるのは庭の奥に置かれた石像だった。筋肉質のようかい人間があぐらをかいているような不気味な石像で、H・P・ラヴクラフトの恐怖小説を思わせる。かつてこのあたりにあった沼のヌシ・河童かつぱ様の像であるという。「大切にしないとたたられますよ」と大家さんに念を押されたので動かすわけにもいかない。
 明石さんが石像を眺めながら呟いた。
「なんだか城ヶ崎さんに似てませんか?」
 たしかにその筋骨たくましい姿は城ヶ崎氏によく似ていた。
 二十一世紀の四畳半からタイムスリップしてきたボンクラ大学生「銀河進」を演じるのは、映画サークル「みそぎ」のあいじまという上級生だった。洒落じやれた眼鏡をかけて気取った細身の男で、明石さんへ話しかけるときのいんぎん無礼な猫撫で声が不愉快である。
 相島氏もまた城ヶ崎氏と同じく、脚本のポンコツぶりをしつこく指摘した。主人公のまつな行動をあげつらい、「これは心理的に納得いかないから演じられない」などとぷつぷつ言う。
 たまりかねて私は反論した。
「そんなことばかり言ってたら面白くならないでしょう」
「さっきから不思議に思ってたんだが、いったい君はどこの誰?」
 相島氏は眼鏡の奥の目を細めて冷ややかに言う。
「俺は通りすがりの手伝いです」
「べつに君の意見は求めてないんだけどね」
「俺は原案者なんですよ」
「あ、そうなの。ふーん」
 相島氏はこちらを見つめた。
 だからどうした、と言わんばかりの態度である。
 城ヶ崎氏といい、相島氏といい、明石さんの目指すものをまったく理解せず、理解しようという素振りさえ見せない。じつに押しつけがましい連中である。
 そのように憤りつつ、ふと私は考えこんでしまった。
 ──自分も同じ穴のむじなではなかろうか?
 私が撮影の手伝いを買って出たのは、自分の適切な助言によって明石さんのポンコツ映画を改善できると自惚うぬぼれていたからである。しかし明石さんから「私のポンコツ映画を改善してください」と頼まれたことが一度でもあったろうか。
 明石さんはポンコツ映画をこそ作りたいのである。
 だとすれば私のすべきことは、この映画を「改善してやろう」と手ぐすね引いている愚物どもから、この映画の愛すべきポンコツぶりを断固守り抜くことではあるまいか。その戦いを通して彼女との固いきずなはぐくむことによってこそ、路傍の石ころ的存在から脱却できるのではあるまいか。
 この方針で行こうと私はひそかに決意した。
 やがて明石さんが縁側に立って撮影開始を宣言した。
「それでは皆さん。始めましょう」
 結論から言うなら、私のひそかな決意など大して役に立たなかった。
 仏国のリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明して以来、トラブルひとつなく完成した映画は皆無であろう。浜のさごは尽きるとも映画にトラブルの種は尽きまじ。
 くせものぞろいの出演者たちは誰ひとり言うことをきかなかった。西郷隆盛役にあくまで不服な城ヶ崎氏はことあるごとに台詞せりふを書き換えたがり、相島氏は内面の表現にこだわって撮り直しをしつこく要求し、白塗りでのたうちまわる小津は気持ち悪すぎて撮影に堪えず、樋口氏は「ニッポンの夜明けぜよ!」以外の台詞を断固として言わない。
 役に入りこみすぎたしんせんぐみの連中は常時ギスギスしており、昼食の弁当をめぐって斬り合いを始める始末であった。音声担当と照明担当が痴情のもつれからけんを始め、大家さんの愛犬ケチャが現場に乱入し、幾多のトラブルにいやのさしたサークル員が置き手紙を残して姿を消した。戦闘シーンの撮影中、小津が河童様の像を押し倒して大家さんから大目玉を食らった。
 それでも明石さんはあの手この手で撮影を続けた。
 彼女は脚本を次々と書き換え、登場人物を入れ替え、撮影順序を入れ替えた。出演者たちを納得させるためなら噓をつくことも辞さなかった。リハーサルと言っていたものが本番だったり、本番だと言っていたものがリハーサルだったり、「あとで撮り直す」と言いながら撮らなかった。
 この映画は崩壊へ向かっているのか、それとも完成へ向かっているのか。関係者の誰にも分からなかった──ただひとり明石さんをのぞいて。
 午後三時すぎ、広い庭で出演者たちがゾンビの群れのように「ええじゃないか」を踊ったあと、明石さんが撮影終了を宣言しても、その言葉を信じる者はいなかった。沈黙があたりを支配した。ぼうぜん自失している出演者たちのかたわらで、ケチャがおごそかにだつぷんしていた。「面白い映画になりそうだ」という樋口氏の言葉が空しく響いた。
 しばらくして小津が疑わしそうに明石さんにたずねた。
「本当にこれで終わりなの?」
「終わりです。おつかれさまでした」
「なんだかいろいろ端折はしよってるみたいだけど」
「そんなことないですよ。必要なものはぜんぶ撮れました」
 明石さんはあっさりと言った。「あとは編集でなんとかしますから」
 そんなことが可能なのか?
 本当に映画は完成したのか?
「明石さん」と声をかけようとして、私は口をつぐんだ。
 彼女はひとり庭に立って明るい空を見上げていた。
 その姿はこれまでに見たこともないほど満足そうに見えたのである。

    ○

「先輩、大丈夫ですか?」
 明石さんの声で私は我に返った。暑さでもうろうとしていたらしい。
 走馬灯のように脳裏を駆け抜けた撮影現場の記憶は、総天然色一大スペクタクル映画のように私を圧倒した。あんなに密度の濃い時間を過ごしたのは人生で初めてだった。しかも昨日という長い一日はそれだけでは終わらなかった。
 撮影終了後、私は小津や樋口氏たちと銭湯「オアシス」へ出かけ、それから下鴨神社の古本市をまわって帰ってくるや、例の「コーラ事件」が発生してクーラーが操作不能となってしまった。腐れ大学生活史上もっとも長い一日は、「クーラーのお通夜」という陰々滅々たる行事によって幕を下ろしたのである。
「昨日は長い一日だったよ」
 私がためいきをつくと、明石さんはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました。おかげさまで無事に撮影も終わりました」
「いつもあんな感じなのかい?」
「あそこまで大がかりなのは初めてですけど、メチャメチャになるのはいつものことですね。でもそのほうがいいんです。へんてこな味わいが出ますから」
「もう絶対に完成しないと思っていたよ」
 明石さんは「どうして?」とげんそうに言う。
「とりあえず撮ってしまえば、あとは編集でなんとでもできますよ」
「映画を完成させる腕力にかけては明石さんの右に出る者なしですぞ」
 小津が誇らしげに言った。「できあがるものはポンコツですけどね」
「おい、ポンコツって言うな」
「だってポンコツなんだもの」
「ポンコツでいいんです。それがいいんです」
 明石さんが言い、小津は「それ見なさい」と偉そうな顔をした。
 十一月の学園祭期間中、映画サークル「みそぎ」は校舎の一室を借り切って「みそぎ映画祭」を開催する。昨日撮影した映画「幕末軟弱者列伝」もその映画祭での上映を目指していた。問題は例のいけ好かない上回生、城ヶ崎氏だった。映画祭の上映ラインナップについては彼が最終決定権を持ち、ポンコツ映画排除の姿勢を強く打ち出しているからだ。「幕末軟弱者列伝」が彼のお気に召す可能性は低く、最悪の場合には上映を拒否される可能性もあるという。
「なんて横暴なやつだ!」
 明石さんから事情を聞いて私が憤っていると、小津がこともなげに言った。
ぬきさんに頼めばいいんですよ。あの人の頼みなら城ヶ崎さんも断れませんからね」
 羽貫さんというのは近所のくぼづか歯科医院に勤める歯科衛生士である。
 どういう経緯で知り合ったのか不明だが、樋口氏・城ヶ崎氏・羽貫さんの三人は古くからの友人であるらしい。彼女はときどき当アパートへ樋口氏を訪ねてくるから、私も言葉を交わしたことがある。廊下で顔を合わせるたび、「ぐもーにん」とか「ぐんない」とか、なぜか英語で陽気に声をかけてくるのだ。昨日も撮影が終盤にさしかかった頃に現場をのぞきにきて、カメラを勝手に動かしたり、小津の白塗りメイクをいじったり、樋口清太郎の演技に注文をつけたりと、いつものように傍若無人に振る舞っていた。いささか豪快すぎるが憎めない人なのである。
「そうですね」
 明石さんは少し考えてから言った。
「でもそこまでする必要はないでしょう。これまでにもたくさん撮りましたし、これからもまだまだ撮りますから。何本も作品があったら、城ヶ崎さんも一本ぐらい見逃してくれると思うんです。何もかも却下するわけにもいかないので」
「なるほど、物量作戦か」
「また映画になりそうなアイデアがあったらよろしくお願いします」
 ともあれ明石さんが満足そうなのは喜ばしいことであった。昨日の撮影終了後、充実した顔つきで明るい空を見上げていた彼女の姿がほう彿ふつとする。
 小津と私の駄弁から生まれたアイデアが彼女の役に立ったのは純粋にうれしい。
 しかしそのことは同時に、私の胸に一抹の哀しみをもたらすのだ。小津や私の無益きわまる駄弁から、明石さんは(たとえポンコツであろうとも)ひとつの作品を作りだしてしまう。ひるがえって我が身を省みれば、この二年半の学生生活においていったい何をし遂げたというのか。京福電鉄研究会から追放の憂き目にあったのちは、世をはかなんで四畳半という小天地に立てもり、訪ねてくる者といえば小津というはんようかいのみ。咲き乱れる駄弁の花々はなんの実りをもたらすこともなく、むなしく畳表に散っていった。こんなことばかりしていて何になろう。
 社会的有為の人材へと己を鍛え上げぬかぎり、明石さんの傍らに立つ資格はない。そう思えばこそ、幻の至宝と語り継がれるクーラーを手に入れたというのに──。
 私は無念の思いで自室のクーラーを見上げた。
、クーラーよ!」
「あなたもあきらめが悪いですね」
「俺はおまえを生涯許さんからな」
「たとえあなたが許さなくたって僕たちの友情は永遠に不滅」
 小津は言った。「我々は運命の黒い糸で結ばれているというわけです」
 ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男二匹の恐るべき幻影が脳裏に浮かび、私はせんりつした。
 明石さんが「仲良しですね」と微笑んだ。

    ○

 小津はともかく、明石さんを極熱の四畳半に座らせるのは忍びない。
 そろそろ廊下へ出よう、と私は提案した。
「少しは暑さもマシだろう」
 しかし四畳半から廊下へ出たとて、さほどさわやかな景色が広がるわけではない。
 廊下の向かい側は当アパートの倉庫室になっているのだが、そこからあふれだしたガラクタが廊下に積み上がっている。毎週通ってくる掃除のおばさんが使う道具類、前の住人が放置していったとおぼしき家財道具、大家さんの私物など……それらはあまりにもこんぜん一体となって片づけようもないので、大家さんも見て見ぬふりをしているのであろう。初めてこの情景を目にしたときは、何者かが二階の廊下をバリケード封鎖しているのかと思ったほどである。
 明石さんは黄色い詰め物のはみだしたソファに腰かけた。
 小津は隣の210号室をノックしている。
「おそようございます、師匠。おそようございます」
 やがて内側から樋口清太郎のモゴモゴいう声が聞こえた。
「……心頭」
「シントウ?」
「滅却すれば」
「メッキャクすれば?」
「四畳半もかみこうのごとし!」と朗々たる声。
 ふたたび210号室は沈黙した。
 私は新鮮な空気を求めて物干し台へ出てみた。
 薄汚れた洗濯物をかいくぐって欄干にもたれると、眼下には敷地内に建て増した簡易シャワー室や物干し竿ざおが見える。裏手のコンクリート塀は大家さん宅の広い庭に接しており、夏木立が午後の陽射しを浴びてギラギラしていた。青々とした芝生に面した縁側はいかにも涼しげで、その下には大家さんの愛犬ケチャが横たわっている。
「おうい、ケチャ!」
 たわむれに声をかけてやると、ケチャは横着に頭だけをクイッと持ち上げた。しかしどこから呼ばれたのか分からないらしく、しばしキョトンとしたのち、「気のせいか」というように鼻を鳴らして元のとおりペタリと頭を地面につけた。
 この愛すべき雑種犬はところかまわず穴を掘ることをライフワークとしている。穴を掘っていないときは、今のようにグウタラと縁の下で昼寝をしているか、己の尻尾しつぽを追いかけてクルクル回転している。そののんそうな姿を見るたびに哲学者ショーペンハウエルの「動物は肉体化された現在である」という名言が頭に浮かび、不毛な四畳半生活によって時間の観念が溶解しつつある自分は、人間というよりもむしろ犬に近いのではないかと思われてきて、「おうい、ケチャ!」と呼びかけたくなるのがつねであった。愛すべき隣の犬よ!
 昨日の映画撮影中、大家さんの家に乗りこんできた大勢の学生たちに興奮したケチャは、いつもよりたくさん穴を掘り、いつもより頻繁に回転し、いつもより気ままにだつぷんした。あまりにも縦横無尽に走りまわるため、我々はケチャもエキストラと認めざるを得なかった。「幕末にも犬はいます」と明石さんは言った。
 もう一度、「ケチャ!」と呼びかけてみたが、愛すべき犬はもうピクリとも動かなかった。
 物干し台から廊下へ戻ると、明石さんはソファにきちんと腰かけて、ひざに置いたノートパソコンをにらんでいた。小津は廊下に座り、おけめた水道水に足先を浸してこうこつとしていた。
「おい、俺の風呂桶を濫用するな」
「ご心配なく」
 小津はめいもくしたまま言った。
「僕の足は生まれたての赤ちゃんのように清らかなんです」
 ムッとしていると、明石さんがノートパソコンで昨日の映像を見せてくれた。
 白塗りでくねくねする小津は薄気味悪く、城ヶ崎氏のふて腐れた顔つきからは役柄への不満が見え見えである。あれほど人物の内面にこだわっていた相島氏の演技は純然たる棒読み、その他キャストたちも大根役者の亡霊に取りかれていたとしか思えない。
「これはひどい。じつにひどい」
 小津は己の演技を棚に上げてケラケラ笑う。
 しかし樋口清太郎の存在感はなかなか堂に入っていた。台詞せりふは「ニッポンの夜明けぜよ!」という一言だけであるにもかかわらず、場面が変わるごとに台詞のニュアンスが少しずつ変わっていき、この映画に謎めいた一貫性をもたらしているのだ。
 タイムトラベラー銀河進の歴史改変によって全宇宙が崩壊し、もはや「ニッポンの夜明け」なんて心底どうでもよくなる悲劇的結末を思えば、念入りに繰り返される樋口氏の台詞が皮肉にも悲壮にも聞こえてくる。あの樋口清太郎がそこまで計算して演じているわけがなく、これが明石さんの狙いによるものだとしたら恐るべき手腕である。
 ひそかに感心していると、画面に河童かつぱ様の像が映った。見れば見るほど不気味な像だった。こんなものを庭に置いて毎日眺めている大家さんの気が知れないが、撤去したくてもたたられるのが怖くて撤去できないのかもしれない。
「どうしてこんなに筋骨隆々なんだろう」
「河童は相撲好きといいますから、鍛えているんじゃないでしょうか」
「沼の底で?」
「ええ、沼の底で。ボディビルディング的な」
 真面目につぶやいてから、明石さんは微笑みを浮かべた。
「それにしても本当に城ヶ崎さんにそっくりですね」
 それから私たちはしばらく映像を見つめた。白塗りの岩倉具視(=小津)が庭を逃げまわり、やがて河童様の像に飛びつく。そこへ統制の取れていない新撰組が殺到する。運動会の小学生のようにみ合っているうちに、河童様の像がゆっくりと倒れていく……。
 この事故が大家さんを激怒させ、撮影は中断を余儀なくされたのだった。
「怪我人が出なくてよかったです」
「明石さん」と私は画面を指さした。「ここに物干し台が映りこんでいるよ」
「ああ、そうですね。編集でなんとかします」
 そのとき明石さんは画面に顔を近づけて、「あれ?」とげんそうに呟いた。
 しかし私はとくに気にとめなかった。それよりも廊下の向こうから歩いてくる男に気を取られていたのである。
 その男は廊下の半ばで立ち止まり、おずおずと問いかけてきた。
「あのう、すいません。下鴨幽水荘の方ですよね?」
 モッサリしたマッシュルームのような髪型をして、モッサリしたはんそでシャツのすそをモッサリした色のズボンに押しこみ、斜め掛けしたかばんまでモッサリしている。まるでモッサリの国からモッサリを広めるためにやってきた伝道師のごとし、その徹底的な非ファッショナブル性にはモッサリ派の一人として親近感を抱かざるを得ない。見どころのあるやつ、と私は思った。
「もしかして新しく越してきた人?」と私はたずねた。
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
「それじゃ、誰か探してるの?」
「いえ、そういうわけでもなくてですね」
 モッサリ君は困ったような照れ臭そうな顔をした。頰を赤らめて黙りこんでいる。明石さんがパソコンから顔を上げて怪訝そうな顔をした。
 気まずい沈黙は、天の声によって打ち破られた。
「樋口君、210号室の樋口清太郎君」
 大家さんの厳かな声が廊下に響いた。
「部屋にいるのは分かっています。家賃を払いにきなさい」
 モッサリ君は目を丸くしてスピーカーを見上げた。
「なんですかこれ!」
「大家さんの館内放送だよ」
「館内放送? そうか、これがあの伝説の……」
 目をキラキラさせているのだが、何をそんなに感動しているのか分からない。
 そのとき、ついに天の声にこたえて210号室のドアが開かれた。暗がりからのっそり姿を現したのは、「四畳半の守護神」であるとも「四畳半にウッカリ墜落したてん」であるともささやかれる、当アパートの最古参・樋口清太郎その人であった。ぼっさぼさの頭髪が逆さぼうきのごとく天をつき、身にまとった浴衣はこのうえなくヨレヨレ、大きなあごの先からは汗のしずくが滴っている。
「やあ、諸君。今日もそれなりに暑いな」
 樋口氏はれ手ぬぐいで身体をふきながら言う。
 そのときモッサリ君がきようがくしたように「樋口師匠!」と叫んだ。
「あなたも来たんですか? どうやって?」
 樋口氏は眠そうな目でモッサリ君を見やった。
 べつに相手を怪しむ風もない。
「流れ流れて、流れついたのさ」
「流れ流れて?」
「そうとも」と樋口氏はうなずく。「して、貴君は何者かな?」
 しかしモッサリ君は返事をしなかった。間抜けな金魚のようにパクパクと口を動かし、我々を順繰りに見まわしていたが、やがて小さな声で「お邪魔しました」と呟き、身を翻して駆けていった。パタパタという足音が廊下を遠ざかり、そのまま階段を駆け下りていく。
 明石さんが「お知り合いですか?」と樋口氏に訊ねた。
「いや、まったく見覚えがない」
「でも師匠のお名前を知っているようでしたが」
「浮き世のどこかでそでり合ったかな。行く人の流れは絶えずして、しかももとの人にあらず……じつにさまざまな人間たちと出会ってきたからね」
 樋口氏はのんきな口調で言うと、無精ひげにまみれた顎をざりざりでた。

    ○

 私はこの樋口清太郎という人物が苦手である。
 同じアパートで暮らすこの万年学生とは、できるかぎり距離を置くように心がけてきた。動物的直感が「こいつは危険人物だ」と囁くのだ。
 樋口氏は手に持った通い帳でひらひらと顔をあおいでいた。
 当アパートでは毎月大家さんに家賃を手渡し、その通い帳にハンコを押してもらう前時代的な仕組みになっている。長年にわたる金銭的攻防を記録してきた樋口氏の通い帳は、蔵の中から発見された江戸時代の古文書のようにボロボロである。
「これから家賃を払いに行く。しかし金はない」
 あたかも科学的事実を述べるかのごとく、樋口氏は淡々と述べた。
「金はない。しかしこれから家賃を払いに行く」
 私たちがあっけにとられていると、樋口氏は「ところで」と話題を変えた。
「私のヴィダルサスーンを持ち去ったのは誰かな?」
「ヴィダルサスーン?」
 我々は首を傾げた。
「それってシャンプーのことですか?」
 明石さんがくと、樋口氏は「しかり」と頷く。
「名乗り出るならば今のうちだ。正直に白状すれば水に流そう」
 聞けば樋口氏の愛用している「ヴィダルサスーンベースケアモイスチャーコントロールシャンプー」が、いつの間にか入浴セットから消えていたというのである。髪質への意外なこだわりはともかくとして、我々の犯行と頭から決めつける言葉は捨て置けない。
「シャンプーなんか盗むもんか」と私は言った。
「いやいや、なにしろこれは素晴らしいシャンプーだからな」
 樋口氏は「このいろつやを見よ」というようにそそり立つ頭髪を指さした。そこから見て取れるのは、樋口氏がヴィダルサスーン氏に全幅の信頼を寄せているということだけだ。
「どうせこいつの仕業ですよ」
 濡れぎぬを丸めて小津へ投げつけると、彼はひらりと身をかわした。
「僕が師匠を裏切るわけがないでしょ?」
「みなさん、昨日銭湯へ出かけましたよね。帰るときシャンプーはあったんですか?」
 明石さんに訊かれて、樋口氏は「はて」と虚空を見つめた。
「そう言われてみると、なかったような気もするな」
「ということは、銭湯にお忘れになったのではないでしょうか。オアシスに電話して訊けばいいと思います。きっと番台で預かってくれていますよ」
 明石さんによって提示された非の打ちどころのない解決策によって、樋口氏のいいかげんな推測に基づく不毛なやりとりは終わった。「それでは家賃を払いに行くかな」と樋口氏は言い、廊下をゆっくり歩きだした。すかさず小津が駆けだして師匠のかたわらに寄り添った。
「師匠、おともしまっせ」
「助太刀、頼めるか?」
「合点承知です。ほらね、僕ほど忠実な弟子はいないでしょ?」
 どうやら小津は樋口氏の家賃を立て替えてやるつもりらしい。
 大家さんの屋敷はアパートの裏手に接している。そちらを訪ねる場合は、いったんアパートの表玄関から外へ出て、ぐるりと石垣をめぐって屋敷の玄関へまわらねばならない。しかも家賃を持っていくと必ず紅茶と洋菓子できようおうされるから、通い帳にハンコを押してもらうまでにはそれなりの時間を費やすのがつねであった。つまり樋口氏と小津はしばらく戻ってこない。
 私は廊下の壁にもたれ、ソファに腰かけている明石さんを見守った。
 物干し台から風が吹きこんできて、風鈴の音が聞こえた。今まで極熱の四畳半にいたこともあって、それは上高地の風のように涼しく感じられた。
「まるで『夏休み』みたいな感じ、しませんか?」
 明石さんが顔を上げて目を閉じた。
「なんだか懐かしいみたいな」
 言われてみればたしかにそんな感じがする。
 小学生の頃、朝からプールへ出かけて泳いだ午後のようだった。だるい陽射しを眺めながらアイスクリームを食べたりして、心地い疲労に眠気を誘われる。空っぽになったようでありながらたされたようでもあって、さみしさの入り交じった甘い気持ちが湧いてくる。それでいて我が前途には真っ白なキャンバスのように夏休みという時空が広がっているのだ。小学生ながらに「これが幸せというものか」としみじみ思ったものである。
 そんな回想にふけっていると、このがらんとしたアパートが、あの遠い夏の日のプールサイドのように感じられてきた。
 夏休みの昼下がり、明石さんと二人きり。
 時間よ、止まれ──そう祈りたくなるのも当然のことであろう。
 そんな私のひそかな祈りを知るよしもなく、明石さんは猫背気味になり、まゆをひそめてノートパソコンをにらんでいる。編集について考えをめぐらせているのだろう。
 そのしい横顔にれているうちに、先ほどの「五山送り火」をめぐる小津と明石さんのやりとりが浮かんできた。地平線の彼方かなたから押し寄せてくる、不気味な暗雲を見たような気がした。どうしようもなく心がざわついてしまう。
 来たる八月十六日、明石さんは送り火見物へ出かけるという。
 いったいどこの馬骨野郎と?
 それは私にとって到底無視できない大問題であった。


いかがでしたか?
気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください。

そうそう、今年の夏は、指先を四畳半色に染め上げてから本を開くのも素敵かもしれませんね。

みなさまどうか、良い夏を。


書誌情報

書名:四畳半タイムマシンブルース
著者:森見 登美彦
原案:上田 誠
発売日:2022年06月10日
ISBNコード:9784041119860
定価:704円(本体640円+税)
総ページ数:256ページ
体裁:文庫判
レーベル:角川文庫

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