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【今月のおすすめ文庫】歴史小説 垣根涼介が語る、現代に通じる武将の在り方

取材・選・文:皆川ちか

毎号さまざまなテーマをもとに、おすすめの文庫作品を紹介する「今月のおすすめ文庫」。今月は重厚なストーリー展開や戦、切れ者たちの権謀術数にドキドキが止まらない歴史小説! 古代日本から戦国時代まで、戦いに生きた者たちの作品を紹介します。
また、2024年7月25日に発売された『涅槃』の著者である垣根涼介さんに、本作について、そして現代にも通じる武将たちの姿についてもお話を伺いました。


今月のおすすめ文庫 歴史小説

『涅槃』(上・下)垣根涼介(角川文庫)

西の毛利家、東の織田家という巨大勢力に挟まれながら、一度は潰えた宇喜多家を徒手空拳で再興。遂には五十七万石の大名となった宇喜多直家。正規の武士教育を受けていないにも拘わらず、彼はなぜ群雄割拠のこの時代をサバイブできたのか? 「戦国史上最悪の武将」と呼ばれた男の生涯を、これまでにない視点で見つめた歴史長編。


『黒牢城』米澤穂信(角川文庫)

天正六年。織田信長に謀反し有岡城に立てこもった荒木村重は、使者としてやってきた織田方の軍師・黒田官兵衛を土牢に幽閉。籠城が続くうち城内で数々の難事件が起こる。士気の乱れと人心の動揺を恐れた村重は、官兵衛に謎を解くよう求めるが――。山田風太郎賞と直木賞をW受賞。本格推理ものにして堂々たる戦国時代小説。


『悪名残すとも』吉川永青(角川文庫)

天文九年。毛利元就の居城を出雲の尼子軍が急襲するが、毛利家の上に立つ大名・大内義隆の援軍がこれを退ける。大内軍の指揮をとった陶晴賢は元就の盟友となり、親交を深めるが……。主君である義隆を滅ぼし、西日本の覇者の座をめぐり元就としのぎを削った陶晴賢。下剋上の代名詞となった男の人生を見つめ直す歴史ドラマ。


『じんかん』今村翔吾(講談社文庫)

天正五年。天下統一を目指す信長の元に、家臣の松永久秀が二度目の謀反を企てたという知らせが届く。信長は激怒するかと思いきや「降伏すれば赦す」とニヤリ。訝しむ小姓に、久秀の数奇な半生を語って聞かせる――。“戦国時代の三大梟雄”のひとり、松永久秀を正義を貫こうとした男としての側面から照射した戦国ロマン。


『隼別王子の叛乱』田辺聖子(中公文庫)

ヤマトの大王の想われ人、女鳥姫と恋に落ちた隼別王子は、愛と権力を賭けて王に反旗を翻す。熱病のような若者たちの叛乱は無残に潰され、老練な大王と大后は陰謀渦巻く朝廷で生き続ける……。『古事記』を題材に、仁徳天皇に闘いを挑んだ弟王子・隼別が辿る恋と滅亡。著者渾身の、血と暴力と粛清に彩られた古代日本史。


『涅槃』垣根涼介さんインタビュー

『光秀の定理』『信長の原理』(上・下)、そして直木賞を受賞した『極楽征夷大将軍』など、斬新な視点と切り口による歴史小説が多くの読者に支持されている垣根涼介さん。“戦国時代の三大梟雄”と呼ばれる武将・宇喜多直家の生涯を描ききった『涅槃』が文庫化されます。「直家は言われているほど悪人ではない」と語る垣根さんに彼の魅力をはじめ、歴史小説を書く愉しさ・面白さについてうかがいました。

――宇喜多直家といえば権謀術数や暗殺、裏切りに次ぐ裏切りなどで知られる戦国武将ですね。

垣根涼介(以下、垣根):私は、世間でそう言われているほど悪人ではないと思うんですよね。直家は武将としてはかなり特殊な幼少期を過ごしていまして。まず直家が五歳の時に、城が攻め落とされて祖父・能家が討ち死にし、家族そろって福岡の豪商・阿部善定に引き取られます。父親は家を再興できるほどの甲斐性もないうえに、善定の娘に手をだして子どもを2人もつくってしまう。こんな旦那に呆れた母親は、お家再興のため、仇にあたる主筋の家に仕えはじめる。それで11歳の時、尼寺に預けられるんです。ちゃんとした武士教育を受けられず、家庭環境的にもかなり悲惨。戦国武将って下剋上のイメージがありますが、織田信長や北条早雲然り、実はお坊ちゃんが多いんですよ。文字どおりの「成り上がり者」なんて豊臣秀吉くらい。商家と尼寺で育った直家は、秀吉に負けないくらいのレアケース。こんな背景があるからこそ、あんな特異な武将になったんじゃないのかなと思います。

――『涅槃』では、そんな直家の幼少時代をつぶさに綴っています。

垣根:やはり幼少期に受けた体験が彼の人間性を決定づけたと思うので、今回は子どもの頃から書くスタイルをとりました。これがいきなり大人の直家が、上司である浦上家を乗っとるところから始めたら、それこそただの「悪人」の話になってしまう。善人、悪人の色をつけて見たくなかったんです。

――原稿用紙にして1800枚強というボリュームで直家の一生を辿りました。それだけじっくり直家に向きあった垣根さんの目に、彼はどんな人間として映りましたか?

垣根:強く感じたのは、身も蓋もないほど合理的な人物だったということ。戦で鉄砲を使うことに何のためらいもなかったので、それはつまり武士の名誉よりも「勝てばいい」という考え方をしていたのでしょう。プライドよりも勝つこと、食うことを大事にしていたんですね。その感覚は正規の武士教育を受けていなかったことと、育ての親のような存在だった超一流の商人、阿部善定の影響によるものだと思う。そして合理的ではあるけれど、けっして冷酷な人間ではない。

――そう思う理由はどのような点でしょうか?

垣根:後に直家は自分の領地で新たに城下町を創る際、真っ先に善定に声をかけているんです。子どもの頃に受けた恩義を何十年経っても、しっかり憶えている。それに毛利家と宇喜多家の人質交換のエピソードもそう。このとき宇喜多側の人質は家老の息子だったんです。人質としての価値はさほどないのだから見殺しにもできるのに、直家はわざわざ毛利家の重鎮を捕え、無事に人質交換を成功させています。こうした履歴を一つ一つ見ていくと、直家=悪人説というのに腑に落ちないものを感じて。

――履歴を辿ることによって、先入観に捉われない人物像が見えてくる、と。

垣根:そうですね。僕はある人物を書くときは、まず事実をばーっと並べるんです。この年に生まれ、この年にこんな出来事があった、といった事実だけを。資料はあまり参考にはしていなくて。というのも、資料はそれを書いた人のバイアスがどうしても入ってしまいますから。僕はバイアスなしにその人物を見たい。事実を並べてひたすらその人について考えていくと、自分のなかでだんだん発酵してくるんです。

――『光秀の定理』では組織人としての在り方を模索する明智光秀像を生み、『信長の原理』では実は努力家だったという信長像を打ちだしました。『極楽征夷大将軍』では、足利尊氏をあり得ないほどダメ人間として描いています。垣根さんが書く歴史的人物はみな従来のイメージを覆す印象がありましたが、この点はいかがでしょうか。

垣根:覆そうと思って書いているわけではなく、ただ履歴を辿って人物像を想像したら、そうなった、なんです。今回の直家もそう。そもそも直家に悪人のイメージがついてまわるのも、宇喜多家が彼の息子の代で滅んだからなんですよね。歴史は勝った側の立場から語られるから。また、直家は武将として活躍しはじめた時期も悪かった。

――確かに、ちょうど信長の台頭と同時期です。ちなみに反対側には毛利家がいますね。

垣根:喩えるなら、グーグルとアップルの間に挟まれたスタートアップ企業みたいなもんですよ。ちょっとね、むごいほど運が悪い人だと思う。でも、そんな状況でも懸命に知略を尽くして自分の会社ならぬ自分の領土を守り、抱えている者たちを食わせるために必死に生き延びようとしていた。秀吉が織田家という大手企業のなかで出世競争に勝ち抜いた昭和的武将だとしたら、直家は勝つことよりも生きしのいでいくことを大切にした。非常に今の時代とシンクロする武将に思えるんです。

――直家の恋愛面についてもうかがわせてください。彼は14歳のとき、お紗代という年上の女性から性の手ほどきを受けています。この部分に関しては……。

垣根:紗代という人物は完全に創作です。直家は生涯で2度結婚をしたのですが、最初の妻とは30前後で別離し、その後40代中頃になってから2番目の妻・お福を娶っています。最初の妻とは政略結婚でしたが、お福は潰れた某城主の未亡人でして、これも現代に喩えるなら倒産した会社の令嬢のようなもの。武将の結婚はメリットありきが当たり前だったこの時代、敢えて何も持たないお福と結婚したのは純粋に惚れたからだと考えました。これが普通の武将なら側室にするところでしょうが、正式な妻としたところにも彼の人間性があらわれている。

――直家は、ちゃんと恋愛のできる男性なのだというところ、ぐっときました。

垣根:それはきっと若い頃にしっかり恋愛をしたからこそ、心底惚れた相手を大切にすることができるんじゃないか……直家は14歳まで商都で生活していたのだから、その頃に“出逢い”があってもおかしくない。あいにくこの時代の直家の履歴はあまりなかったので、ならここでうんと強烈な女性経験を入れ込もう、と。紗代との出逢いをとおして直家の女性観や性愛観、ひいては死生観を掘ることができたので――連載中は『週刊朝日』読者の方々から「時代小説でこんなに性描写いるの?」というお叱りの手紙もいただいたのですが(苦笑)――作者としては入れてよかったと満足しています。

――武将もこんな人間くさい恋愛やセックスをするんだ、という点でも直家がなんとも身近に感じられました。

垣根:光秀も信長も尊氏も直家も、ちゃんとした血肉を持った人間として描きたいんです。偉人や英雄、梟雄などではなしに。僕の歴史小説にはよくある偉人訓などは盛り込まれていないし、成功者の物語でもない。悪人でもなければ善人でもない、もしくはその両方。現代人の目から見ても共感できる何かを含んだ人物たちをとりあげて、リアルな人として描くこと。そうしたら普段、歴史小説を読みつけていない人たちにも「直家の気持ち、分かる」と感じてもらえるんじゃないかと思っています。


プロフィール

垣根涼介(かきね・りょうすけ)
長崎県出身。2000年『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞を受賞し作家デビュー。『光秀の定理』(2013)より歴史小説に軸を置き、2023年『極楽征夷大将軍』で直木賞を受賞。最新作は『武田の金、毛利の銀』。


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