見出し画像

【試し読み】森田碧『死神がくれた君と僕の13日間』本編第一章を特別公開!

『余命一年と宣告された僕と、余命半年の君が出会った話』(ポプラ文庫ピュアフル)をはじめとした「よめぼく」シリーズを刊行されている作家・森田碧さんが角川文庫に初登場!
2024年11月25日(月)発売予定の『死神がくれた君と僕の13日間』は、大切な人の余命を告げられた男子高生とその相手の気持ちがすれ違っていく切なすぎる純愛青春小説です。
刊行に先駆けて、本編の第一章を丸っと大公開! 物語の冒頭をどうぞお楽しみください。

あらすじ

高校2年生の青柳康介あおやぎこうすけの前に死神が現れた。別れるつもりだった彼女の余命が、今日から13日しかないと告げられる。康介は同情して、未波の好きにさせるべく、残りの日を一緒に過ごすうちに、自分にとっていかに大切な存在だったかを再認識していく。今まで知らなかった未波の境遇や優しさに気づいた康介は、自分が身代わりになろうとするが……。お互いの大切さに気づいていく中で、全てがすれ違っていく切なすぎる純愛青春小説!


『死神がくれた君と僕の13日間』試し読み


第一章


「こんにちは。僕は死神です」
 コンビニの前で購入したばかりのジンジャエールのキャップを開けたとき、背後から耳を疑うような声が飛んできた。
 風のないよく晴れた六月の下旬。学校帰りの出来事だった。
 肌を焼くような強い日差しに辟易へきえきし、のどの渇きを潤そうとしたまさにそのとき。とりあえず俺はたった今開封したばかりの炭酸飲料水をひと口飲んだ。刺激の強い液体が喉を通り、胃に落ちていく感覚がたまらなかった。
「ん?」
 振り返ると季節外れの真っ白のロングコートに身を包んだ少年が、こちらをじっと見つめて無表情でたたずんでいた。フードを目深まぶかかぶり、両手をコートのポケットに突っ込んでいる。フードからのぞく真っ黒の髪の毛はやや長めで、前髪が目にうっすらかかっている。その幼い声と顔つきからおそらく男子中学生だろうなと推測した。
 つい先ほどの少年の第一声を思い出し、本物の中二病患者かよ、と心の中で悪態をつく。もしくは暑さに頭がやられてしまったのだろうか。
「えっと、ごめん。今のもう一回言ってみて」
 いい話のネタにしてやろうと聞き返してみる。明日あした学校で友人たちに話したらウケるだろうなと内心ほくそ笑んだ。
「ですから、僕は死神です」
「へえ。それで?」
「あなたに伝えなくてはならないことがあります」
「なるほどぉ」
 言いながらジンジャエールを一気に半分ほど喉に流し込む。変なやつに絡まれてしまったなと嘆息を漏らすが、不良に絡まれるよりは全然マシだ。
「死神が来たってことは、俺は死ぬんだな。そっかぁ、死ぬのかぁ。それは嫌だなぁ」
 胸を押さえて傷心したふりをしてやった。死神が人間の前に現れるときは、その用件以外考えられない。まさか幸福をもたらしに来たわけではあるまい。って、本気で考えるだけ馬鹿らしくなった。
 少年は表情を一切変えず、抑揚のない声で言い放った。
「残念ですが、あなたの大切な人が今日から数えて十三日後に死にます」
「……ん? 大切な人?」
「はい、そうです」
「あ、そうなんだ」
 ジンジャエールをぐいっと飲み干し、喉を鳴らす。これ以上は付き合いきれないな、とため息をついて再びコンビニに入って空のペットボトルをゴミ箱に捨てた。
 店内のトイレで用を足してから戻ると、少年は同じ場所に突っ立って俺を見ていた。その視線をいくぐるように自転車にまたがり、ペダルをいで少年の横を通る。この一連の出来事を明日友人たちにどう説明しようかな、なんて考えながら。
「じゃあな、死神くん」
 すれちがいざまに少年の肩を軽くたたこうとした手が、スルッとすり抜けた。
「え?」
 バランスを崩して慌ててブレーキを握る。ただ単に空ぶっただけだろうか。もう一 度、今度は少年の肩をしっかりと目で確認してから手を置く。しかし、やっぱり少年の肩には触れられず、すり抜けてしまう。反対の手で試してみても結果は同じだった。
「え? なに? なんなんだよお前」
 自転車を持ち上げて少年から一歩距離を取る。猫を思わせる大きな釣り目がフードの中から俺を射貫いぬいていた。
青柳康介あおやぎこうすけ、高校二年生。父と母と、ふたつ歳の離れた姉がいる。趣味はゲームとアニメ鑑賞」
 右足に力を込めてペダルを踏み込む。立ち漕ぎをして振り返らずにその場を離れた。
 いやいやいやいやいや、ありえないって。死神だって? 無理無理無理。なんで俺の名前知ってんだよ。こっわ。
 必死にペダルを漕ぎながら、心の中で叫ぶ。目の前は赤信号だったが、車は来ていなかったのでそのまま横断歩道を走り抜ける。飲んだばかりのジンジャエールが逆流しそうになったが、それでも足を止めずにペダルを漕ぎ続けた。

「こんにちは」
「うわっ」
 自転車を自宅前に停めて荒い呼吸のまま家に入ると、玄関の三和土たたきに先ほどの少年が立っていた。
「あ、康介おかえりー」
 先に声を発したのは今年から大学生になった姉の里帆りほだ。廊下の向こうから麦茶を片手にこちらを見ていた。
「姉ちゃん、なんでこいつを家に入れたんだよ」
「は? こいつって誰のこと?」
 こいつだよ、と指をさそうとした手を引っ込める。まさか姉には見えていないのだろうか。
「僕の姿は、あなたにしか見えていません。もちろん、声もです」
 俺の胸中を察したのか、少年は即座にそう口にした。そもそもなぜこいつが俺より先にここへ着いたのか、なぜ俺の家を知っているのか、いくつもの疑問が頭の中を埋め尽くした。
「いや、なんでもない」
 とりあえず姉にはそう声をかけておいた。姉はいぶかしげな目を俺に向けたまま階段を上がっていった。
「なんでついてくるんだよ」
 小声で吐き捨てて玄関のドアを閉める。少年の横を通り、びくびくしながら靴を脱ぐ。
「そういう規則ですから」
「なんの規則だよ。帰れよ」
「そういうわけにはいきません。規則ですから」
 階段を上がり自分の部屋に入ってドアを閉めると、少年がドアをすり抜けて中に入ってきた。
「うわっ。まじでなんなんだよ、お前」
「ですから、何度も言うように僕は死神です」
 頭がおかしくなりそうだった。はいそうですかと素直に受け入れられるはずがないし、目の前にいる少年と俺がイメージしている死神はあまりにも容姿がかけ離れている。
「死神って普通黒いローブを着て、馬鹿でかいかまを持った骸骨がいこつなんじゃないの?」
「そういう死神もいます。人間にはいろんな人がいるように、死神にもいろんな死神がいるんです」
「ふうん。そういえば、大切な人が死ぬとかなんとかって言ってたか?」
 そうです、と少年は言下に答える。これもまた俺の知っている俗説とはまるでちがう。なぜ本人ではなく俺に伝えたのか。頭が痛くなってきたので考えるのを放棄して聞いてみる。
「そういうのって普通本人に伝えるんじゃないの? なんで俺に伝えたんだよ」
「たしかに、以前は本人に告げるのが規則でした。しかし、最近になってその規則が見直されたんです」
「なんでだよ」
 少年のゆっくりと話す癖にイライラする。隣の部屋に姉がいるので、怒鳴りつけてやりたい気持ちをぐっと抑えた。
「本人に死を宣告すると、愚行に走る者があとを絶たないからです。自暴自棄になり、無関係の人を巻き添えにしたり、よからぬ罪を犯したり。パニックに陥って予定日より早く自ら命を絶つ者もいました」
「ふうん。まあ、そういうやつもいるだろうな」
「はい。それを防ぐために死神界の制度が変わり、対象者を一番大切に想っている人にだけ告げようという運びになったのです」
 幼い容姿には不釣り合いの丁寧な口調で少年は話す。
 ふうん、と鼻を鳴らしてから腕を組んだ。少年の言う『大切な人』に何人か心当たりはあったが、念のため確認してみることにした。
「大切な人って、もしかして未波みなみのことか? もしそうなら、その情報は古いよ」
 少年は緩慢な動作でコートの内ポケットから一冊の黒い手帳を取り出し、おもむろにそれを開いた。
高坂こうさか未波。高校二年生、帰宅部。ファミリーレストランでアルバイトをしている。趣味は映画鑑賞と料理。交際相手は……」
 少年は手帳をぱたりと閉じ、「青柳康介」と憐憫れんびんの目を俺に向けて言った。
「今日から数えて十三日後、七月十一日の午後六時五十一分に高坂未波さんは亡くなります。後悔のないように、未波さんとの最後の時間を、どうか大切に過ごしてください」
 少年はお察ししますとでも言いたげに仰々しく頭を下げる。たしかに未波とはちょうど二年くらい前から交際を始めたが、大切な人かと問われると今は胸を張ってうなずけない。大切な人だった、と表現する方が正しいだろう。
「俺じゃなくてさ、未波の家族とかに言った方がいいよ。俺、未波とは近いうちに別れるつもりだったから」
「そういうわけにはいきません」
「規則だからか」
「そうです」
 額を押さえて項垂うなだれる。未波とは夏休みに入る前に別れようと思っていた。明確な理由があるわけではないが、最近は好きという感情が薄れていたのだ。そもそも俺は未波のことが本当に好きだったのか、わからない。そんな心境で交際を続けることに対して罪悪感を抱き、春頃に別れを告げようと思っていたがずるずる今日まで来てしまった。
「ちなみになんだけど、未波を救う方法とかはないの? ただ黙って未波が死ぬのを見てることしかできないの?」
 少年はだるそうにフードの中に手を突っ込み、頭をぽりぽりいた。
「ないことはないのですが、聞かない方がいいと思います」
「は、なんでだよ。あるなら教えろよ」
「知ったら、余計に苦しむことになりますよ。聞かなきゃよかったって、後悔すると思います。それでもいいですか?」
 少年は射竦いすくめるような目で俺をじっと見つめてくる。死神にそう言われるとひるんでしまう。たとえば家族などの別の大切な人が死ぬことになるだとか、自分の寿命が半分減ってしまうだとか、きっとそんな理不尽なことだろうと思った。
「いや、やめとく。やっぱり運命には従うべきだと思う。なにも聞かなかったことにしとくよ」
「そうですか。まあ青柳さんの性格上、恋人を救うという選択肢はないと思いますけど」
「お前に俺のなにがわかるんだよ」
「青柳さんのことは全部手帳に書いてありますので、行動パターンもだいたいわかります」
 そう言いながら少年は手に持っていた手帳を内ポケットに入れた。
「そういうことですので、今日から十三日間は見張らせていただきます」
「俺が未波にばらさないようにか」
「そういうことです。一切の他言は許されません」
 言っても信じるやつなんていないだろうから、仮に告げてくれと頼まれても願い下げだった。
 少年は話は終わりと判断したのか部屋の隅っこに移動して、ちょこんと腰を下ろした。それから体育座りをして両膝りょうひざを抱えるように顔をうずめ、寝息を立て始めた。見張ると言いながらさっそく眠りにつく彼にあきれ果てる。
 ひと息ついてベッドに腰を下ろすと、ピコン、とポケットの中でスマホが鳴った。見ると、未波からメッセージが届いていた。
明日あしたバイト休みだから、放課後どこかに遊びに行こう♪』
 しばらく返事を打てないでいると、追加のメッセージが何通も届く。
『ごめん、忙しかったら全然いいからね』『ほら、最近全然遊んでなかったから、たまにはどうかなって思って』
 さらに涙を流すウサギのスタンプも送られてくる。
 未波とは二年に進級してから同じクラスになったが、最近はほかのクラスメイトの誘いを優先していたので彼女との時間をあまりつくれていなかった。今は未波と遊ぶよりも、友人と遊ぶ方が気が楽で未波をないがしろにしていた。
 数分考えたあと、『明日、遊べるよ』と返信した。

 翌朝、目を覚ますと昨日と同じ場所に少年がいた。同じ体勢のまま、ひざに顔を埋めて眠っている。
「おはようございます」
 少年を起こさないようにそっとベッドから出たが、彼はむくりと頭を上げた。
「学校に行くけど、もしかしてついてくる気か?」
「はい、もちろんです」
「誰にも言うつもりはないから、来なくていいって」
「そういうわけにはいきません。規則ですから」
「もういいよ、それ」
 起きたばかりなのにもう疲れてきた。勝手にしろ、と吐き捨てて欠伸あくびをしながら部屋を出る。直後に壁を突き抜けてきた少年がヌッと目の前に現れ、俺は「うわあっ」と奇声をあげて部屋の前でしりもちをついた。
「驚かせんなよ」とリビングに届かない声で少年を非難する。すみません、と彼は頭を下げる。
 イライラしながら朝食を済ませて身支度を整え、少年と一緒に家を出る。寝不足なのか、彼は子どものように片目をこすっていた。
「俺自転車で行くけど、お前はどうするんだ」
「どうぞお気になさらず、先に行ってください」
 言われなくても先に行かせてもらう。荷台に乗せるつもりで聞いたわけじゃないのに。
「そういえばお前、名前とかあるのか」
「サチヤです。死神の、サチヤです」
「死神のくせに縁起のいい名前だな」
 皮肉が通じなかったのか、少年――サチヤは小首を傾げる。説明する気にもなれないので彼を置いて学校へ向かう。
 今日も日差しが強くて、いろんな意味でうんざりした。

「こうちゃん、おはよう!」
 教室へ向かう途中の廊下を歩いていると、背後から未波の声がした。俺より二十センチも背の低い彼女は、振り返るとこちらを見上げていた。
「おはよ」
「今日、学校終わったらどこ行く?」
「……どこでもいいよ」
 そう返事をすると、未波は腕を組んで思案顔になる。今度はスマホを手に取り、なにかを調べ始めた。
「放課後までに考えておくね!」
 顔をほころばせる未波。教室に入るとそれぞれの席に座り、未波は隣の席の女子生徒と談笑する。
 俺はしばらく無心で自分の恋人のことを見つめた。彼女が笑うたびに栗色の短い髪の毛が揺れる。いつの間に髪を切ったんだろう。前はもっと長かったはずだが、今は肩に毛先が軽く触れる程度の長さ。最近は未波のことをちゃんと見ていなかったから気がつかなかった。
 ふいに目が合うと、未波は破顔して手を振ってくる。そういうことを恥ずかしげもなく皆の前でやるものだから、いつも手を焼いていた。交際していることは周知の事実だが、いちゃついているバカップルみたいで正直やめてほしかった。
 小さく手を上げて彼女の愛情表現にこたえる。その直後、背中をたたかれた。
「なにいちゃついてんだよ。朝から見せつけられたわ」
 にやけ顔でそう言ってきたのは、後ろの席に座るかわつばさだ。彼とは中学からの仲だが、同じクラスになったのは初めてだった。
「いちゃついてないって。てかお前はどうなの? 最近うまくいってんの?」
「ああ。毎日遅くまで電話してるし、まだ喧嘩けんかもしたことない」
「ふうん。それはよかった」
 仁志川は先月から同じクラスのはなおかと交際を始めていた。
 二年に進級して一ヶ月経たずしてふたりは付き合い始めたのだ。初対面だったふたりが、出会ってからたったの一ヶ月で交際に踏み切ったのが信じられなかった。
 そんな短期間で人を好きになれるものなのか、と。
 彼らはただ恋をしたかっただけで、相手は誰でもよかったのではないだろうか。本当にそうではないというのだったら申し訳ないが、しかしはたから見ればそうとしか思えなかった。
「仁志川は花丘のどこが好きなの?」
 俺は、具体的な答えは返ってこないだろうとんでいた。
「どこって、まあ、全部だよ、全部」
 やっぱり。呆れながらも質問を続ける。
「具体的には?」
「う〜ん、かわいいところとか、素直なところとか。あと身長とか声も俺好みだし、ショートカットが似合うところも好きかな。とにかく、全部だよ」
 どうかわいいのか、どう素直なのか知りたかったが期待している答えは返ってきそうにないので聞くのはやめた。自分好みの身長の女やショートカットが似合う女なんて、べつに花丘じゃなくたってほかにもいるはずだ。絶対に彼女でなくてはならない理由にはならない。
「じゃあ、逆に花丘の嫌いなところは?」
「ないよ、嫌いなところなんて。全部好きだから」
「あ、そう」
「うん」
 嫌いなところなどないと断言した仁志川を見て、こちらが恥ずかしくなってくる。よくもまあそんなことが言えるもんだ。恋は盲目と言われる所以ゆえんがわかった気がした。
「まあでも、お前らまだ付き合いだしたばっかだもんな。欠点はそのうち見えてくるよ」
「じゃあ青柳は高坂の好きなところと、嫌いなところはどこなんだよ」
 そう聞き返されて口をつぐむ。どこだろう、とつぶやいてしばらく考え込むが、チャイムが鳴ってしまい話は中断した。
 ふいに視線を感じ、斜め後ろを振り返る。
「うわっ」
 そこに立っていたのは死神のサチヤだ。無言で俺を見つめている。
「ん? どうした青柳」
 仁志川がいぶかしげな目で聞いてくる。彼にはサチヤが見えないのだ。
「いや、なんでもない」
「そうか」
 俺は前に向き直り、ノートを開いてそこに文字を書く。
『気が散るからどこかへ行ってくれ』
 そう書き終えると、サチヤはノートをのぞき込む。
「何度も言うようですが、これは規則ですので」
『だったら、せめて遠くから見張ってくれ』
 さらに書き加えると、背後で足音がしたので振り返る。サチヤは教室の後方に移動し、まるで参観日の保護者さながらに俺を監視してきた。
「僕のことはお気になさらず」
 保護者席から声が飛んでくる。死神が保護者だなんて冗談じゃない。
 彼のことは一旦いったん忘れて授業に集中するが、教師の言葉は一向に頭に入らなかった。

「なあ青柳、帰りどっか遊びに行かない?」
 放課後、教科書をかばんに詰めているとクラスメイトの中山なかやまから遊びの誘いが入った。いつもならその誘いに応じていたが、今日は約束があった。
「あー悪い。今日は用事ある。また誘って」
「もしかして高坂とデートか? 仁志川も今日花丘とデートらしくて断られたんだよ。ふざけんなよお前ら」
 軽く肩を殴られる。モテないお前が悪いんだと内心思いながら、「悪い悪い」と彼をなだめて席を立つ。
 未波の席に視線を向けると、すでに帰り支度を済ませてこちらを見ていた。
「こうちゃん、帰ろう!」
「……ああ」
 未波は俺の腕をつかんで並んで歩く。以前、恥ずかしいから学校ではくっついて歩くなと注意したはずなのに。腕を振り払おうか迷ったが、仕方なくそのまま歩くことにした。
 未波はあと十二日しか生きられないのだから。
 俺はたったの十七年しか生きられない恋人に同情してしまい、せめて残りの十二日間は彼女の好きなようにやらせてやろうという気持ちになっていた。
 ちらりと振り返ると、サチヤがだるそうにコートのポケットに手を突っ込んで数メートル後方からついてくるのが見えた。
 もっと離れてくれ、と目で合図を送ったが、サチヤは小首を傾げるだけだった。
「で、どこ行くの?」
 校舎を出て駐輪場から自転車を押しながら歩き、校門を出たところで未波にたずねる。彼女は電車通学なので鞄だけを手にして俺のすぐ横を歩いている。
「んー、とりあえず暑いからアイス食べに行きたい。そのあとのことはアイスを食べながら考えよう」
「……わかった」
 放課後までに考えとくんじゃなかったのかよ、という言葉は飲み込んだ。未波の優柔不断は昔から変わらないままだ。
 未波とふたり乗りをして近くのショッピングモールへ向かう。生温なまぬるい風を全身で受け止め、必死にペダルをいでいく。後ろを振り返ると、サチヤの姿はもう見えなくなっていた。
「こうちゃんとふたり乗りなんて、久しぶりだね」
「あー、そうだっけ?」
「うん!」
 未波はそう言って俺の背中に顔をうずめた。たしかに久しぶりかもしれない。いつもは男友達を後ろに乗っけてばかりいたから、今日は驚くほどペダルが軽い。
 温かい体温とかすかな鼓動を背中に感じる。
 あと十二日で、このぬくもりもこの脈動も消えてしまう。でも、それが未波の運命なのだから仕方がない。どうして死神はこんなことを俺に背負わせたのか、改めて憤りを覚える。
 やっぱり俺じゃなくて、こういうのは家族に背負わせるべきじゃないのか。
 なにか死神を説得する方法はないかと考えているうちに、ショッピングモールに到着した。
 アイスクリーム店に直行し、俺はバニラを、優柔不断な未波は数分迷った末に名前の長いカラフルなアイスを注文した。
「やっぱりここのアイスは最高だね」
 鼻の頭をアイスで汚しながら未波は言う。こういうことを計算でやるようなやつじゃないから、余計にあきれてしまう。
「鼻についてるよ」
「え? あ、ほんとだ」
 未波はポケットティッシュで鼻についたアイスクリームをき取る。すると俺の顔を見て、くすりと笑った。
「こうちゃんもついてるよ。口の横に」
 未波はそう言ってティッシュをもう一枚抜き取り、俺の口元を拭いてくれた。
 なんだ、このバカップルみたいなやり取り。知り合いに見られていたら終わりだ。恥ずかしくて校内を歩けたものじゃない。周囲に首を巡らせてみたが知っているやつはいなくて安堵あんどする。
「このあとどうしよっか」
「べつにどこでもいいよ。未波の行きたいところで」
 そう言ったあと、未波はじっと俺の顔を見つめる。まさかまたアイスがついているのだろうかと口元を拭うが、なにもついていなかった。
「なんか今日のこうちゃん、優しいね。いいことでもあったの?」
「べつに、なんもないって」
「ふうん、そっか」
 今のところ悪いことしか起きていないが、そんなことは未波には口が裂けても言えない。背後に死神の視線を感じるから。
 しばらく考え込んだあと、カラオケに行きたいと未波が言ったので、先に完食した俺はスマホをいじりながら彼女が食べ終わるのを待った。
 未波は俺を待たすまいと急いでアイスを口に運ぶが、頭を押さえて苦悶くもんの表情を浮かべる。
「頭痛い……」
「急いで食べるからだろ。ゆっくりでいいから」
「わかったぁ」 
 未波がゆっくりとアイスを食べ終えたあと、ショッピングモールを出てすぐのところにあるカラオケ店にふたりで向かった。いや、ふたりと死神ひとり。
「こうちゃんとふたりでカラオケなんていつ以来かな。去年の今頃なんかよく行ってたよね」
 入店するとオレンジ色のL字形のソファが置かれた部屋に案内された。L字形なのに未波はわざわざ俺の隣に腰を下ろす。サチヤはソファの端っこで体育座りをしていた。
「まあ、あの頃はカラオケにハマってたからな」
「そうだったね。こうちゃん先に歌う?」
「いや、先に歌っていいよ」
 未波はうなずくと、タッチパネル式のリモコンを操作して曲を入れた。聴き覚えのあるイントロが流れてくる。未波が必ず一曲目に歌う曲だ。
 ノリノリで歌う未波の姿を見て、今朝仁志川に問われた言葉をふと思い出す。
 ――じゃあ青柳は高坂の好きなところと、嫌いなところはどこなんだよ。
 俺は未波のどこにかれたのだろう。付き合い始めたのは二年前のことだからうまく思い出せない。じゃあ今は彼女のどこが好きなのか。そう聞かれても明言できなかった。
 好きか嫌いかで言えば、まちがいなく好きだと答える。
 でも、俺は今まで本気で人を好きになったことがないのだ。人を好きになるということが、そもそもどういうものかも理解できていなかった。
 未波に告白されたときも、なんとなくかわいいと思ったから、付き合ってもいいかという気になって承諾しただけだった。
 当時俺の周りには恋人がいる同級生は何人かいたが、「かわいかったから」だとか、「彼女がいた方が楽しいじゃん」といった理由だけで大して好きでもないのに交際を始めたやつは少なくなかった。
 付き合う理由なんて、そんな些細ささいなものでいいのだ。そこまで好きじゃなくたってなにも問題はない。仁志川のように恋人を溺愛できあいしている者もいれば、そうでない者もいる。そこに大きな差はなく、男女交際にはいろんな形があっていいはずだ。
「こうちゃん、曲入れた?」
「え? ああ、ごめんまだ」
 ふと気がつくと、未波は一曲目を歌い終わっていた。急いで曲を入れ、マイクを握る。
 イントロが流れると未波は体を揺らして手拍子をする。今はなにも考えず、歌に集中することにした。

「そろそろ帰らなきゃだ。こうちゃん、まだ歌う?」
 一時間半くらい経った頃、未波はスマホで時間を確認してから言った。サチヤは体育座りのまま眠っている。
「いや、もう大丈夫」
「じゃあ、帰ろっか」
「うん」
 俺は年中金欠なので、料金はバイトをして余裕のある未波が支払ってくれた。ふたりで遊びに行くときはいつものことで、さっき食べたアイス代も未波が払った。悪いなとは思いつつ、いつも甘えてしまっている自分が情けない。
 気まずいのでレジから少し離れて会計が済むのを待った。
「お待たせ! またふたりで来ようね」
「……そうだな」
 店を出て、自転車を押して歩きながら未波と帰路につく。もうすぐ午後六時を回るが、この時間でも夏の空はまだ青かった。
「早く夏休みにならないかなぁ。あと一ヶ月かぁ」
 暮れていく空を見上げて、未波はぽつりと言った。残念だけど、未波に夏休みはやって来ない。
 気の毒だが、今はなにも知らないふりをして話を合わせるのが無難だろう。未波に告げたらきっとそれなりのペナルティがあるにちがいなかった。
「あと一ヶ月だな。今年の夏休みはなにか予定あるの?」
「この前その話したじゃん。こうちゃん、もう忘れちゃったの?」
「あれ、そうだっけ」
「うん。来年は受験生だから、今年の夏休みはあちこち出かけようってメッセージ送ったじゃん。わたし、そのためにバイト頑張ってるんだからね」
 そういえば数日前にそんな話をしていたような気もする。未波からのメッセージにはいつも適当に返していたからあまり覚えていなかった。
 少し歩いたあと、未波を自転車の荷台に乗せて家まで送った。家は少し離れているが帰る方向が同じで以前はよく送っていた。でも、最近は一緒に下校すること自体減っていた。
 いつからそうなってしまったのだろう。気づけば放課後は友達と帰ることが習慣になっていた。未波は俺に気を遣って一緒に帰ろうとは言ってこない。本当は今日みたいにふたりで下校したいはずなのに。
「じゃあね、こうちゃん。また学校でね」
「ああ、また明日あしたな」
 未波を降ろしてから自宅へと急ぐ。ペダルは少し軽くなったが、なにか物足りない気もした。
 自宅の敷地内に自転車を停めて周囲に視線を走らせる。近くにサチヤの姿はなく、嫌な予感がした。恐る恐る玄関のドアを開ける。
「うわっ」
「幽霊でも見たかのような反応はやめてください」
「いや、幽霊みたいなもんじゃん」
「ですから、僕は死神です」
 案の定、ドアを開けた先にサチヤはいた。どちらかというと幽霊の方がよっぽどマシだ。いや、それはそれで困るけれど、死神は最も会いたくない空想上の人物のひとりと言える。
 サチヤの体をすり抜けて階段を上がり、自室に入った。サチヤも当然壁をすり抜けて入室してくる。ひとりになれるのは自転車での移動中やお風呂ふろ、それからトイレの中だけだ。プライベートなどあったものじゃない。
「なあ、もし俺が未波に話したらどうなるんだ」
 話すつもりはないが、念のため聞いてみた。聞かずともなんとなく想像はつく。
 サチヤは声に感情を乗せず冷淡に答えた。
「誰であれ人に話した場合は、あなたも未波さんも死にます」
 予想していた以上の言葉が返ってくる。まさかふたりとも死ぬことになるとは思わなかった。自分は本人にではなく、他人に話したくせになんて理不尽なんだろう。そういうところは死神らしくてうんざりする。
 サチヤに文句を垂れてやろうと思ったとき、スマホが鳴った。画面に視線を落とすと、届いたのは未波からのメッセージだ。
 画面上に収まりきらないほどの長文で送られてきたので、途中で読むのをやめた。デートのあと、未波はいつもこうやって長文のメッセージを送ってくるのだ。楽しかったときはとくにそうなる傾向が強い。
 久しぶりのデートだったからか、今日はいつにも増して分量が多めだ。一旦いったん返事はあとにして、未波とのメッセージのやり取りを読み返してみる。
 彼女が言っていたとおり、数日前にさかのぼってみるとたしかに夏休みの話をしていた。俺はそのときスタンプで返事をしていて、内容をしっかりと読んでいなかった。
 海や花火大会、夏祭りや蛍を見に行きたいなど、夏休みまでまだ一ヶ月もあるのに未波はすでに綿密に計画を立てているようだった。文面にも気持ちのたかぶりが表れている。未波は夏休みを相当楽しみにしているようで、読んでいてつらかった。
 昨年の夏休み直前、未波は体育の授業で足を捻挫ねんざしてしまい、全治一ヶ月と診断され長期休暇の大半を棒に振った。
 昔から鈍くさいやつで、なにもないところで転倒することもよくあった。
 捻挫した足では砂浜は歩けないし、夏祭りで雑踏の中を歩くのも困難で、すべての予定のキャンセルを余儀なくされた。
 完治したかと思えば今度は雨が続き、彼女は夏休みのほとんどを自宅で過ごすことになった。
 その上待ちに待ったはずの今年の夏休みはもう永遠にやって来ないときたものだから、彼女が不憫ふびんでならない。
 薄幸で薄命。あまりにも気の毒すぎる。
 胸が痛くなってきたので未波のメッセージに短い言葉で返信して、画面を閉じた。

 その日の深夜。俺は真っ暗な部屋の中でベッドに横になり、スマホの画面をぼんやりと見つめていた。サチヤは壁に背中を預け、体育座りをして小さな寝息を立てている。
 写真アプリをタップして何百枚とある画像や動画の中から、未波を探す。
 直近の写真はほとんど男友達と撮ったものや風景などで埋め尽くされ、未波が出てきたのは半年以上前に撮ったクリスマスの日の一枚だった。それも写っていたのは手元だけで、クリスマスケーキがメインだ。
 さらに遡ると、昨年の十月に行われた文化祭のときに撮った未波の写真が数枚あった。たしか文化祭の二日目に一緒に校内を回りたいと言われて、ふたりで他クラスの模擬店を見て回った記憶がある。おそらくそのときにノリで撮った写真だろう。童顔で小柄な未波はこの頃は中学生と言われても不思議じゃなかった。まあ、今でも変わらないけれど。
 画面をスクロールしていくとさらに古い写真も出てきた。
 最も古いものは中学三年の、交際を始める前の写真だ。俺も未波も幼すぎて笑える。とくに俺は今より前髪が長くて気持ちが悪い。なんか顔色まで悪い気がするし。
 しかしどの写真を見ても、未波は常に笑顔だった。その笑顔だけは何年経っても変わらずに輝いていた。
 ため息をついてスマホの画面を閉じる。天井を見つめると、暗闇の中に画面の残像だけがくっきりと浮かび上がる。
 それを振り払うように目をつぶり、未波と過ごした日々を回顧する。
 俺の記憶では、未波と出会ったのは小学三年の春。進級して未波と同じクラスになったが、話したのはたぶん数回程度。その後は接点がほとんどないまま進級してクラスが離れてしまい、一度も話すことなく小学校を卒業し、同じ中学に進学した。
 本格的に仲良くなったのはたしか、中学一年の秋だったろうか。再びクラスが一緒になり、俺と未波がジャンケンで負けて図書委員を務めたことが機縁でよく話すようになった。
 偶然好きなアニメが同じで、何度か一緒に帰ったこともあった。その頃はただの良き友人のひとりで、のちに交際を始めることになるなんて想像もしていなかった。
 二年、三年と進級してクラスは別々になり、疎遠になったこともあったが、それでも友人関係は変わらずに続き、学校でも外でも時々顔を合わせていた。
 未波と付き合い始めたのは中学三年の夏。二年前の七夕祭りの夜、未波から交際を申し込まれたのだった。
「わたし、こうちゃんのことが好きです! 付き合ってください 」
 そのストレートな言葉や未波の強張こわばった表情は今でもはっきりと思い出せる。それまで未波の好意に気づいていなくて驚いたのはもちろん、誰かに好きだと言われたのも初めてのことで、素直にうれしかった。
 七夕祭りの夜というシチュエーションのせいか気持ちがたかぶり、深く考えずに「いいよ」と俺は答えていた。周りには恋人がいるやつが多かったし、試しに付き合ってみるのも悪くないと思った。
 好きだとか付き合うだとか、それがどういうものなのかよくわからなかったけれど、あのときの自分の選択はまちがっていたとは思わない。それなりに楽しかったし、い い思い出もつくれた。けれど最近になって気持ちが離れてしまったのは、やはり最初から好きという感情が少なかったからなのかもしれない。
 頻繁に連絡を取り合ったり、定期的に遊ばないといけなかったり。その不自由さにだんだん嫌気がさして、いつしか関係を終わらせたいと思うようになった。彼女のことが嫌いになったわけではないが、このままだらだらと交際を続けてもお互いによくないと思うし、そのうち未波を傷つけてしまいかねない。
 いつかは別れを切り出そうと思っていたが、もたもたしているうちに死神が現れ、今やその必要はなくなった。もうすぐ死んでしまう未波にわざわざ別れを告げるような残酷なことはやめにして、せめて残りの十二日間は幸せに過ごしてほしいと今は考えている。いや、もう日付が変わっているから、あと十一日しかないのか。
 未波が後悔を残さずこの世を去るために、できる限りの協力はしたいとも思う。それが俺にできる精一杯の償いだ。
 明日あしたに備えて早く眠ろうと無心になるが、頭の中はすぐに未波のことでいっぱいになってしまう。気持ちが離れたと言っても、やっぱり恋人がもうすぐ死ぬと告げられるとそれなりにショックは大きい。
 気を紛らわすためにスマホで音楽を流してみたが、これは未波が好きな曲だったと思い出して余計に眠れなくなった。

「康介! いつまで寝てんの!」
「うわっ」
 頭に衝撃が走り目を覚ました。どうやら姉に枕をぎ取られた上にその枕で頭を殴られたらしい。一瞬なにが起きたのかわからず、がばっと起き上がった。
「早く朝ご飯食べないと遅刻するよ!」
 声高にそう言い残して姉は部屋を出ていった。
 時計を確認すると、いつもの起床時間を三十分も過ぎていた。慌ててベッドから飛び出して身支度を整える。
「おはようございます」
「お前、起きてんなら起こせよ」
 部屋の隅っこでぼけっと突っ立っていたサチヤに苛立いらだち、声を荒らげる。
「それは僕の仕事ではありませんので」
 なんだよ、と吐き捨てて部屋を出る。軽く朝食をったあと、自転車を飛ばして学校へと急いだ。
 何基もの信号を無視して横断歩道を渡っていく。 教室に到着したのは始業時刻の一分前。肩で息をして呼吸を整え、自分の席に座る。
「ギリギリだぞ、青柳」
 後ろの席の仁志川が背中を小突いてくる。
「寝坊したんだよ」と振り返って答える。今日も保護者席にサチヤがいて苛立ちが募る。
「昨日久しぶりに高坂とデートしたんだって? もっと遊んでやれよ、彼女なんだから」
「なんで知ってんだよ。見てたのか」
「いや、紗季ちゃんに聞いた。これ言ったら怒られるけど、高坂のやつ、本当はもっとお前と遊びたいらしいぞ」
 未波は仁志川の恋人である花丘と仲が良く、どうやら俺のことで相談に乗ってもらっているらしい。だから仁志川に筒抜けなのか。
 返事をする前にチャイムが鳴り、前に向き直る。視線は無意識に未波の方へ向いてしまう。彼女は隣の席の花丘となにやら笑い合っていた。
 授業が始まってからも、俺はつい未波に視線を送っていた。昨日は遅くまで起きていたのか欠伸あくびをしたりウトウトしたりと、まったく授業に集中できていない。数学の教科担任がちらちらと未波を気にしているようで、怒られやしないかとひやひやした。
「高坂!  聞いてるのか!」
 教科担任の堪忍袋の緒が切れたのは、未波がついに睡魔に負け、机に突っ伏した数分後。未波はすぐに顔を上げ、「起きてます!」と平気で噓をつき、周囲を笑わせていた。
 その十分後に彼女は再びウトウトし始め、またしても教科担任に怒られる羽目になった。
 三時間目の体育の授業では男女ともに体育館を使用し、男子はバスケットボールを、女子はバレーボールの授業をそれぞれのコートで行った。そこでも自分のチームが休憩のときは常に未波を目で追ってしまう。未波は昔から運動音痴で小学生の頃はとくに体が弱く、体育は見学していることが多かった。
 未波のところへボールが飛んでいくたびに心配になる。案の定、未波はうまくボールを受けることができず、チームの足を引っ張っている。サーブも相手のコートはおろか、ネットにすら届いていなかった。
「紗季ちゃん、頑張れ!」
 俺の隣に座っていた仁志川が恋人の花丘に手を振って声援を送る。
「ありがとう、つーちゃん 」
 花丘も満面の笑みを向けてそれにこたえる。翼だから、つーちゃん。相変わらず見ているこちらが恥ずかしくなるカップルだ。ふたりのやり取りを未波も見ていたようで、ふいに彼女と目が合ってしまう。
 未波はにこりと笑って控え目に手を振ってきたが、俺は気づかないふりをして視線をらした。仁志川と花丘みたいな痛々しいカップルにはなりたくないから。
 しばらくあちこちに視線を彷徨さまよわせたあと、もう一度未波に目を向ける。ちょうど未波のもとへボールが飛んでいき、うまくレシーブができずにしりもちをついていたけれど、未波は楽しそうにへらへら笑っていた。

「おい青柳、東城とうじょうが呼んでるぞ」
 昼休みに入って弁当を広げたとき、仁志川が俺の背中を軽くたたいた。教室後方のドアの前に五組の東城亜美あみが立っていた。
 彼女は制服を着崩し、おしゃれに着こなしている。長い黒髪の毛先はくるくるに巻かれていて、ぱっと見は未波とは正反対の派手なタイプ。短いスカートからはすらりと細長い足が伸びている。
 顔はそれなりに整っていて、スクールカーストでは上位に所属する一軍女子だ。
 手にしていた弁当箱を一旦いったん机に置き、席を立つ。未波の視線を感じるが、気にせず東城のもとへ歩く。
「なに?」
「今日一緒に帰らない? どっか寄って帰ろうよ」
「……いや、今日はちょっと。ごめん」
 東城の表情が曇る。長い髪の毛先をいじりながら、「じゃあ明日は?」と不服そうに口にした。
「明日もちょっと、わからない」
「高坂さんと遊ぶの?」
「それもちょっとわからない」
「ふうん、まだ別れてなかったんだ」
 東城はじっと俺を見つめたあと、教室の中をちらりとのぞいてから去っていった。たぶん、未波を一瞥いちべつしていったのだろう。
「三角関係ってやつですか? 青柳さん、意外とモテるんですね」
「うわっ」
 背後から突然サチヤに声をかけられ、びくりと後ろにのけぞった。学校でいきなり声をかけるなと昨日彼が寝る前に忠告したのに、もう忘れているのか。
 近くにいたクラスメイトが突然声を上げた俺に驚いていて申し訳なくなる。
「べつに、ただの友達だよ」
 ぼそりと小声でつぶやいてから自分の席に戻る。視界の端で未波の視線を感じるが、無視して弁当のおかずを黙々と口に運んだ。
 東城亜美は、一年のとき同じクラスだった。彼女には未波のことでよく相談に乗ってもらっていたが、いつからか好きじゃないなら別れちゃえばいいじゃん、とせっつかれるようになった。
「未波とは来週話をして、別れるつもりだから」
 サチヤが俺の前に姿を現す数日前、東城にはそう伝えていたから様子を見に来たのだろう。彼女に諸々もろもろの事情を説明することができないので、なんて答えればよかったのかわからなかった。
「私は連絡とかしなくても平気だし、遊ぶのもたまにで大丈夫だよ」
 以前未波と毎日連絡を取ったり遊んだりするのが苦痛で相談に乗ってもらったとき、東城からそう言われたことがあった。直接好きだと言われたことはないが、俺に対して好意があることくらいは薄々勘づいてはいた。
 最初は相談に乗っていたのは俺の方で、東城には元々交際相手がいたが、今は別れたらしい。
 相談に乗ってもらっているうちに好きになるという典型的なパターンで、「康介くんが彼氏だったらよかったのに」などと言われたことも何度かあった。
 毎日連絡をしなくてもよくて頻繁に遊ばなくてもいいのなら、と揺れたこともあったが、そんな理由で東城に乗り換えるのは人としてどうなのだ、とすんでのところで理性が働き、彼女とは不即不離の関係が続いていた。
 東城は未波とはちがい、サバサバしているところが一緒にいて楽だった。当時はお互いの恋人に不満を持つ仲間同士というか、良き理解者としていい関係を築けていた。しかし東城の方が恋人と別れた途端、いつまでも未波と交際を続ける俺にしびれを切らしたのか、早く別れなよ、としょっちゅう連絡が入るようになった。
「そろそろ別れると思う」と曖昧あいまいに答えていると、いつからか今みたいに教室にまで来るようになってしまったのだった。
 未波には一年の頃の友達だと話している。多少の不満はあるかもしれないが、深く追及してくることは今のところなかった。
「浮気か?」
 後ろの席から仁志川が背中を小突いてくる。
「ちょっと話しただけで浮気になるかよ」
 はしで仁志川を刺すフリをして言い返した。やめろって、と仁志川はにやけながら弁当箱のふたを盾にして応戦してくる。まるで小学生のようなじゃれ合いで恥ずかしくなる。
「高坂、不安そうな顔でこっち見てるぞ」
 仁志川は声をひそめて言った。俺は未波を振り返らずに、白米を一気にき込んだ。

 放課後、クラスメイトたちが勢いよく廊下へ駆けていく中、俺は未波の席へ向かった。
「わっ! こうちゃんどうしたの?」
 かばんに教科書を詰めていた未波は、顔を上げると俺に気づいて目を丸くした。ビビりなところは俺とよく似ている。
「今日も一緒に帰るかなと思ってさ」
「え、今日も一緒に帰ってくれるの?」
「うん、べつにいいよ」
 未波の表情は子どものようにぱあっと明るくなる。残りの十一日間は、今までできなかった分までできる限りの彼女孝行をしてやるつもりでいた。
「こうちゃんから一緒に帰ろうって言ってくれるなんて初めてじゃない? なにかあったの?」
 通学路をふたりで歩きながら、未波は声を弾ませて言った。すぐ後ろにサチヤがいるので、正確には三人だけど。
「あーそうだっけ? べつになにもないけど、今日もどこか寄って帰るか?」
「ごめん。今日バイトがあるから、少しだけなら大丈夫なんだけど……」
 まゆを八の字にして未波は顔を曇らせる。バイトなんてもう辞めてしまえばいいのに。
「そっか、バイトか。何時に終わるんだっけ?」
「十時だよ」
「そっか、頑張れよ」
「うん、頑張る」
 未波のバイトの時間まで昨日行ったショッピングモール内にあるゲームセンターで時間をつぶし、それからバイト先まで自転車で送った。そこは全国チェーンのファミリーレストランで、未波は一年の頃からウェイトレスとして働いている。
「じゃあな」
「うん、今日はありがとね」
 手を振って未波は店内に入っていく。鈍くさい未波がウェイトレスなんて務まるのだろうかと今になって不安になる。注文を取りちがえたり、転んで皿を割ったりといった姿が容易に想像できる。でも、もう働き始めてから一年以上は経っているのだ。意外と無難にこなしているのかもしれないな、と思いながら帰路についた。

「そんなに未波さんのことが好きなんですね」
「うわっ」
 夕食を済ませて自室のベッドで横になっていると、サチヤが耳元でぼそりと呟いた。こいつ、俺を驚かせようとわざとやっているとしか思えない。
「急に話しかけるなって。それに、未波とは別れようと思ってたって言っただろ。未練とかはないよ」
「じゃあ、どうして未波さんの写真を見てたんですか 」
 慌ててスマホを枕の下に隠す。データフォルダの中には未波の写真が少ないので、メッセージアプリの彼女とのトーク履歴の中から写真一覧を見ていた。ふたりで撮った写真を未波はよく俺に送ってきていたのをふと思い出したのだ。そこにはたくさんの未波の写真があって、しばらく眺めているとサチヤに声をかけられたのだった。
「ただ昔の写真を見てただけだよ。いちいちうるさいな」
「そうでしたか。それは失礼しました」
 相変わらず見た目とは不釣り合いの口調で言い、彼は部屋の隅に移動して腰を下ろした。
 枕の下からスマホを取り出し、ふたたび画面に視線を落とす。今年の春、同じクラ スになって目に涙を浮かべて笑っている未波の写真が画面いっぱいに表示されていた。これを撮ったのは俺ではなく、たしか花丘だった気がする。未波の横で仁志川と肩を組んで呑気のんきに笑う俺の姿も写っていた。
「吞気に笑ってる場合かよ」
 懐かしい写真を眺めながら、過去の自分に突っ込むようにぼそりとつぶやいて画面を閉じた。

(続きは本編でお楽しみください!)


書誌情報

書名:死神がくれた君と僕の13日間
著者:森田 碧
発売日:2024年11月25日
ISBN:9784041152546
定価:748円 (本体680円+税)
ページ数:272ページ
判型:文庫判
レーベル:角川文庫
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322404000869/

★全国の書店で予約受付中!
★ネット書店・電子書籍ストアでも予約スタート!

カドスト(KADOKAWA公式オンラインショップ)
Amazon
楽天ブックス
電子書籍ストアBOOK☆WALKER
※取り扱い状況は店舗により異なります。


いいなと思ったら応援しよう!