【書評】『悪人』『怒り』『横道世之介』に連なる新作の魅力とは?―『罪名、一万年愛す』レビュー【評者:瀧井朝世】
「ああ、これは確かに彼の小説だ」吉田修一作品のエッセンスが詰まった最新作の魅力に迫る
評者:瀧井朝世(ライター)
孤島の屋敷で余生を過ごす資産家が、米寿の祝いの夜に忽然と姿を消した。残された便箋には、〈私の遺言書は、昨晩の私が持っている。〉という謎の一文が。ある理由でその場に居合わせた探偵の遠刈田蘭平が、この謎に挑む――。吉田修一の新作『罪名、一万年愛す』は、いかにも本格ミステリらしい設定から始まる長篇だ。
あらすじだけ読むと「これが吉田作品?」と意外に思う方が多いかもしれない。だが最後まで読み進めれば「ああ、これは確かに彼の小説だ」と納得するはずだ。本書にはこれまでの作品のエッセンスが詰まっており、今のキャリアがあってこそ描けたものだと思うに違いない。そこで、ここでは本書と関連性が高いと思える吉田修一の過去作品を挙げていきたい。
ミステリ要素を持つ作品といえば、まず『悪人』(2007年)が挙げられる。長崎で土木作業員として働く青年、清水祐一が、出会い系サイトで知り合った石橋佳乃を殺害し逃亡する。その背景にいったい何があったのか、彼の来し方や周囲の人間模様が掘り下げられていき、「悪人とは?」「悪とは?」という疑問を抉り出す長篇だった。
また、『罪名、一万年愛す』は文体や登場人物の行動にほんのりとユーモアが漂うのが特徴で、その点から頭に浮かぶのは『横道世之介』(2009年)の軽妙な語り口だ。大学進学を機に上京した青年、横道世之介の一年間の物語を主軸に、彼と関わった人々のその後が挿入されていく作品である。人が良く、暢気でだらしないところもあるが周囲の人にとって忘れられない存在となっていく世之介がなんとも魅力的。推理力は優れているがどことなく善良さが漂う遠刈田蘭平のキャラクターも、重なる部分がある。
活劇的な要素から思い出されるのは、『太陽は動かない』(2012年)だ。「AN通信エージェント・鷹野一彦」シリーズとして続篇『森は知っている』『ウォーターゲーム』も刊行されたスパイ小説である。表の顔は通信社の社員、裏の顔は産業スパイである鷹野一彦が、シリーズ第一弾では太陽エネルギーを巡る陰謀を探っていく。アクションあり、タイムリミットあり、心理戦ありの娯楽大作である。実は鷹野は暗く過酷な過去があり、スパイとなったのにも理由がある、という設定だ。
『怒り』(2014年)もミステリ要素の濃い作品だ。東京で一組の夫婦が自宅で惨殺され、犯人として一人の青年が指名手配される。一年後、東京、千葉、沖縄という異なる場所に、それぞれ経歴不詳の青年が現れ、地元の人々と交流を持つ。その三か所が舞台の人間模様と、殺人犯を追う刑事の行動が描かれていく。各地で、見知らぬ青年との出会いにより日常に明るい変化がもたらされる人がいる。しかしやがて、彼が指名手配犯と似ていると気づく人間も出てくるのだ。読者としては三人の正体不明の青年のうち誰が犯人なのかという謎にも興味をかき立てられるが、やはり大きなテーマは「目の前の人を信じられるか」ということだろう。それぞれの場所で、胸を打つドラマが待っている。
個人的には『罪名、一万年愛す』を読んだ時に真っ先に思い出したのは『ミス・サンシャイン』(2022年)だった。大学院生の岡田一心が、80代の伝説の映画女優、石田鈴と出会い親交を深めていく物語である。どこか横道世之介を彷彿させるのほほんとした一心と、戦後ハリウッドで活躍した鈴さんは二人とも長崎県の出身。鈴さんは原爆を体験している。なぜ一見共通点のなさそうなこの作品を思い出したのかというと、どちらも戦時・戦後の混乱期を生きた人々の姿が浮かび上がってくる展開となっているからだ。
吉田氏はインタビュー等で幾度となく、「人を書きたい」と語っている。確かに、『悪人』では孤独の果てに罪を犯した青年を、『横道世之介』ではお気楽でお人好しな大学生を、『太陽は動かない』では幼少期に過酷な体験をした男を、『怒り』では大切な人が指名手配犯ではないかと疑う人々を、著者は描いてきた。そして『ミス・サンシャイン』は、物語が進むにつれ、主要人物とはまた別の人物が浮かび上がってくる。著者が書きたかったのはその人だと思われる。では『罪名、一万年愛す』で著者が書きたかった人とは? もちろん、本書を読めば確かめることができる。
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