見出し画像

【第1回】『今日もぼーっと行ってきます』中島京子

作家・中島京子さんによるお散歩エッセイ『今日もぼーっと行ってきます』を連載形式でお届けします。どうぞお楽しみください!


今日もぼーっと行ってきます 

「第一回 東京港野鳥公園」

われわれはみな川鵜にならうべきだ

 ぼーっとするのは得意だった。
 子どものころ、いちばん好きな時間はダイニングテーブルの下に子ども用の赤いパイプ椅子を持ちこみ、そこにじっと座っていることだった。なにをしているというのでもなかったが、しいていえば、行きかう人の足を眺めていたのではないかと思われる。
 そんなことのなにがおもしろいのかと問われると、にわかには答えが浮かばない。友人と外遊びをするべきだったのかもしれない。なんとなく、そのほうが、当時も奨励されていたような気がしなくもない。
ぼーっとすることは、奨励されていなかった。少なくとも小学校の教室では。
 家の食卓の下でなら許容されても、四則演算や漢字の書き方を覚えるべきクラスルームでは、人はぼーっとしてはならない。
「京子ちゃんは、ときどき、頭がお留守になっています」
 通信簿のコメント欄に、担任の女の先生はそう書いていた。
 頭がお留守とは、なにごとか。
 脳みそがどこかへ出かけているようなイメージか。
 それが小学校の低学年のときだったが、それからもずっと、しばしば、わたしの頭はお留守になり続けている。
 考えてみると、ぼーっとするのが苦手という人も世の中には存在する。案外、多いのかもしれない。それに引き換え、小説家というのは、おおむね、ぼーっとした人々なのではないかと思う。と、書いてきて、ぼーっとできない小説家の顔がいくつか浮かんだので、油断はならないが、ぼーっとするとか寝るとかいうことと創作は、やはり多少は関連性があるようにわたしは思う。
 現実社会の頭を「お留守」にして、イマジナリーワールドに出かけている、という意味だけではかならずしもないけれど、そうしたことも含まれるであろうことを考えると、小説家というのは、ぼーっとするのが実際の仕事にも役に立つという、稀有な職業だと言えるかもしれない。
 ただ、イマジナリーワールドに入り浸って次の作品のプロットを考えるなんていうのは、それこそ「ぼーっと」からは遠いようにも思う。あなたが職業作家なら、その行為じたいがストレスになりかねず、「ぼーっとすること」がストレスになるようでは、もはやどこに救いを見出したらいいかわからなくなる。
 それに、たいていの人は職業作家ではないのだ。
 それよりも、こんにち、ぼーっとすることの効用を考えるにつけ、人は「おもしろいから、役に立つから、なにかをするのだ」という思想から解放されたほうがよいのではないかと思えてならない。

 かわが松の木にとまっていた。
 鈴なり。
 黒い大きな実のように、枝ごとに一羽の川鵜が静かにとまっている。
 木々の手前には淡水池が広がり、たまさか枝を飛び立った川鵜が、水上を飛来して着水するのが観られる。
 淡水池にぽこぽこと差してある杭にも、律儀に一羽ずつの川鵜がいる。
 ほぼ、じっとして時を過ごしている。いくたりかは首を丸く垂れて、どうやら寝ているらしい。よくまあ、細い枝や杭の上で立ったまま寝られるものだと思うが、あきらかに休息の時間のようだ。
 松の木の上には、よく晴れた秋の空が広がり、しらす雲がたなびいている。
 ときおり、烏の鳴き声が聞こえる。川鵜はあまり鳴いていないようだが、ほかの鳥のさえずりも混じる。虫の声も。
 といって、自然の楽園の音だけが響いているわけではない。
 だってここは、おお市場の脇、東京の冷蔵庫たる巨大な倉庫街のど真ん中なのだ。
 ひっきりなしに行きかう胴の長いトラック。空を行きかうジェット機。そんなものの音が常にそこにある。にもかかわらず、広大な自然に出会える東京23区内でも稀有な場所、「とうきょうこうちょうこうえん」が、今回の、ぼーっとする場所だ。
 

 これから一年間くらい、ぼーっとすることについて考えてみるつもりだ。
 わたしたちは、みんな、たぶん、いま、あまり、ぼーっとできないで、いる。
「ただ、ぼんやりと、なにをするでもなく過ごす」というのが、「ぼーっとする」の定義であるならば、そんなことは誰にも教わらなくてもできるもの、あるいはできるべきものであるはずが、空いた時間にすかさずスマホを取り出してしまったりする習慣のある人は、ようするに、ぼーっとできていないのだ。
 てらやましゅうが『書を捨てよ、町へ出よう』と書いたのは1967年のことだ。そのころには「捨てよ」と言われなければ、書を手放さないような人がいっぱいいたのだろうか。
 いまや、月に一冊も本を読まない一六歳以上人口が6割を超えたのだそうで、すっかり「書」は捨て去られているような気がする。けれど、寺山が推奨したように町へ出て「不良少年」になったりしたわけではなく、人々はスマホを手にしたのだった。
 ゲームや動画やSNSなど、書に代わるものはいろいろあり、仕事のメッセージも友人からの連絡も、時間と場所をいとわずスマホは受信する。このガジェットが身近にある限り、わたしたちはなかなかぼーっとできない。
 たとえ、暇な時間があっても、インターネット上のコミュニティサイトなどに、せっせとアクセスしてしまったりする。SNSに有益な情報がないとは言わないけれど、わたしの頭には「しょうじんかんきょして不善を為す」という古いことわざが去来する。ネット・コミュニティにのめりこんだ挙句に、エコーチェンバー現象にはまり陰謀論にとりつかれるなんて悲劇に見舞われるくらいなら、その間、ぼーっと水面を眺めているほうが、どんなに健全であることか!
 ネットで陰謀論にとりつかれるというのは、冗談ではなくこわい話だ。
世界の紛争地で平和構築のために活動しているREALs(Reach Alternatives)というNPO法人の代表をしているルミ子さんにうかがったことなのだが、周囲との接触を絶ってネット動画を見続けた若者がテロリストになってしまう、ということは往々にしてあるのだそうだ。テロリストになろうなんていう発想はまさに、熱中して見た動画からなにかを学び取り、自分も役に立ちたいという思いから湧いてくるに違いない。
 熱中してなにかを学び、役に立ちたいと思うことじたいは、否定されるべきではないのだろうが、それが「暇な時間にネットに熱中して」となると、危険信号がともる。
 そこからはちょっと、離れたほうがよさそうだ。

 われわれには、「ぼーっとする時間」が必要だ。
 というわけで、ぼーっとする小さな旅に出ようではないか、というのが、このエッセイの企画趣旨なのである。
「東京港野鳥公園」は、メトロポリタン東京にあって、たいへん貴重な、「ぼーっとスポット」であると、編集G氏が主張した。
 まず、倉庫街にぽつねんとある公園だけに、まわりに遊興施設はなく、飲食店もブティックも、なにもない。ゼロ。
 おおもり駅に降り立ったわたしと編集G氏は、まず駅ビルでお弁当を入手した。そうしないと、お昼を食いっぱぐれるくらい、野鳥公園付近には店がないからだ。選んだのは安定のようけん「シウマイ弁当」。もちろん、大森だから「海苔弁」のうまいのがあれば、といった下世話な欲望も動いたのだが、旅に出たら名物にありつこうというような発想がそもそも、ぼーっとしていないのではないかという反省も芽生える。
 午前11時。遠足日和。大田市場行きの路線バスに乗り、一路、公園を目指す。
 バスは街中を抜けて、どんどん特別なエリアへ迫っていく。
 広い空の下、大きな倉庫が延々と続くエリア。「とうきょうだんそう」という会社の建物もある。もちろん、ふだん団地倉庫を使っている人には不思議でも何でもない名称に違いないが、「団地」というと、自分の育った昭和の集合住宅を思い浮かべてしまうようなものには、それこそユニークなイマジネーションワールドが展開しそうな名前ではあった。ドラマ「団地のふたり」のいずみ今日きょうばやしさとが働いていそうな。
 バスを降り、超大型トラックの行きかう幅広の道路をなんとか渡り切り、300メートルほど壁沿いに歩くと、「東京港野鳥公園」の入り口はある。
入ると、城跡のような石垣が積まれていて、その石垣に沿って進むとチケット売り場があった。門を抜け、そこ自体、なんだか外国のような風景の芝生広場を横切って、いそしぎ橋にさしかかる。
 いそしぎ橋。とってもいい名前。
 ここを越えたら異界、とでも言いたげな、物語の世界に誘うような長い橋の向こうに、ゆったりとならや栗やくぬぎの大木が枝を広げている。
 橋とかトンネル、穴といったものは、しばしば物語において「こちら」と「あちら」をつなぐ装置になる。『不思議の国のアリス』が落ちた穴とか、むらかみはるの小説の井戸なんかが、そういう役割を果たしているのだけれど、現実世界でこんなにわかりやすく、がんと彼岸を結ぶ橋を目にするのは珍しい。
 まっすぐ前を向いている限り、それは橋の先にある樹木と青い空だけがある、ジブリ映画のような光景なのだが、ふと左右に目をやると巨大倉庫街、というのがみごとなコントラストを成している。

「東京港野鳥公園」、いや、その公園になる以前の鳥の楽園は、やや偶然めいた経緯で、人々の前に現れたらしい。
 大森はそもそも遠浅の海で、人々は漁業を営んで暮らしていた。なんといっても、モースが貝塚を発見したくらいだから、人と海との関わりのたいへん深い土地柄だったことがうかがえる。わけても海苔の養殖は、江戸時代にこの海で始まり、全国に広がったという。
 そんな長い歴史と伝統のある海苔漁は、1963年に終わりを告げる。わたしは1964年生まれなので、なんとなく想像がつく。64年は東京オリンピックのあった年で、だいたいこのあたりを境に東京の町は大改造されるからだ。大森の遠浅の海は埋め立てられて、モノレールやコンビナートが建設された。2000軒の海苔漁家は1軒も残らなかった。
 少し話はそれるけれど、海苔を育てるのに使う道具のことを「ヒビ」という。これが「」の地名の由来であることを、何年か前に人に教えられて知った。日比谷あたりは海苔漁の盛んな入り江で、ぎんは半島だったのだそうだ。
 おはすぐ目の前が海だったと、話には聞くけれど、イメージはしづらい。それでも地名に残ると知ると感慨が湧く。日比谷はとくがわいえやすの江戸開府で埋め立てられてしまったそうだが、大森海岸は60年ほど前まで、江戸時代と同じような姿を保っていたんだろう。
 この地がとうとう埋め立てられて、メトロポリタン東京に変身していくときに、ちょっとおもしろいことが起こった。
 すぐに建物は建てられなかった。整備が必要であるということで、土地の状態が落ち着くまで「待ち」の期間があったのである。
 かつて遠浅の海だったところに土砂を入れて作った陸地には、いつのまにか草が生えたり、池ができたりした。もともと、海水だけではなくて川の水も入り込む栄養豊かな水辺だったことが海苔養殖にも適した場所だったわけで、埋め立てられたその地にも、いつか自然に生き物が集うようになったのだという。
 魚、カニ、昆虫、そして野鳥。
 人々もそれらに惹かれるようにしてやってきた。渡り鳥がそこを中継地点にするようになった。いつのまにかそこは、野鳥観察の聖地になった。
 その「鳥の楽園」は、大森が海苔漁を手放したあとで生まれたのだった。
 文明は自然を征服する歴史とも言われるけれども、征服しようとしてもできなかったりもする、ということの小さな証拠が、東京湾の埋め立て地だったと言えないだろうか。
 できてしまった楽園を、なんとか守りたいという市民の運動があって、1978年に3.2ヘクタールの土地を野鳥保護区域とし、「大井第七ふ頭公園」と名づけたのだそうだ。そして5年後、「東京港野鳥公園」と改称され、1989年に、都内でも貴重な野鳥の生息地としての機能を充実させるため、なんと8倍近い広さの24.9ヘクタールに拡大された。

 ひょっとして誰もいないのでは、というのはゆうで、園内にはほどよく野鳥観察を楽しむ人が散見された。お昼をいただいたネイチャーセンター3階の観察ロビーにも、同目的で弁当を使う年配のご夫婦がいらした。
 人はけっして多くはない。でも、怖いほど少ないわけではない。この、絶妙な人口。男性も女性も、たいてい、立派なカメラを持っている。きっとみんな、小学生のころから鳥が好きだったに違いない。老夫婦率も高い。かといって、若いカップルがいないわけでもなかった。
 第1号観察小屋の向かいは、潮入りの池、つまり淡水と海水が入り混じる池で、奥には干潟が広がる。カルガモがぷかぷか浮かんでいたり、さぎが美しく羽を広げて飛んだりしている。黒鳥のような大きな鳥はオオバンだろうか。
 観察小屋というのは、ところどころに設えられた木造の小屋で、観察のために切り取られた横長の小窓が壁にある。みんな、そこからカメラや双眼鏡を鳥たちに向けるわけだが、わたしも持参したマイ双眼鏡を水辺の鳥たちに向けてみた。
 オリンパスのWPⅡ(8×25)、ボディはちょっと渋めのワインカラー。それがわたしの双眼鏡だ。入手したのはコロナがまだせっけんしていたころで、ステイホームの毎日の小さな慰めが、庭の鳥を見ることだった。
 ある日、いつも来るシジュウカラよりも小さな鳥が、仕事場の目の前の柿の木から苔を引きはがして、3メートルほど先にある梅の木に運ぶのを目撃した。それから数週間、つがいのエナガがせっせと梅の木の枝に巣をかけたのだ。柿の木の苔を、蜘蛛の糸で接着して丸い袋状の巣を作る。庭にはあちこちに、こちらも巧緻な蜘蛛の巣がかかっているのだが、あれを巣作りに使うとは、鳥は頭がいい。
 卵も生まれてお母さんが抱卵し、お父さんがせっせと餌を運ぶ様子も見られて、あの年の春は楽しかったなあ。ヒナが生まれたのは確認できたのだけれど、枝に並んで親から給餌されるヒナの姿というのは確認できないままに、ある日、巣が壊されて地面に落ちていた。
 あれは、烏かなにかの襲撃を受けたということなのか。エナガは立ち去るときに自分で巣を壊すとも聞いたので、後者であってくれればと思うのだが。前者を考えると胸は痛み、いまも梅の木の枝のその部分を見ると少し切なくなる。それでももう一度、巣作りに来てくれないだろうかと思ったりする。
 とにかく、エナガ観察のために我が家にやってきた双眼鏡は、今回、大量の川鵜を拡大して見せてくれることになったのだった。
 もちろん、見られるのは川鵜だけではない。
 双眼鏡で覗き見て楽しかったのは、鴨の水浴びだ。頭を水に突っ込んで、そして素早く引き抜き、羽を大きく広げてゆさゆさと揺らす。その一連の動作が、ちょうどテレビ画面で見るみたいにアップ映像になって、目の前で展開されるのだ。そのとき、目を引くのは、鳥の周囲に飛び散る水滴や水流である。
 スローモーションになっているわけでもないのに、鳥の体のまわりにきらきらとまとわりつく水の一瞬ごとに変わるその動きが、目を引きつける。
 これは、ぼーっとするわ!
 いくらでも眺めて時を過ごすことができそうだ。
 水鳥の身のこなしと、それに連れて動く水と光、そう、光だ。
 水面をまんべんなく覆う光と、水鳥の羽ばたきからほとばしる水、一滴一滴に宿る光!
 湿地帯をつがいが渡っていく。あしとススキが揺れる。

 ゴングーズラー。
 という言葉を知った。つづりはこう。「gongoozler」。
 ネット動画(ハマると危ないとかいいつつ、見てはいるのだ、ときどき)で、「絶対に使わない英語」を解説するというのがあって、いくつか挙げられていたうちのひとつだ。
 日本語訳のよいのが見当たらなかったので、ChatGPTさんにおうかがいを立ててみたら、こんな答えが返って来た。
「『gongoozler(ゴングーズラー)』は、特にイギリスの運河や水路などで、ボートや船を眺めることを楽しむ人々を指す言葉です。行動としては、実際に船を操縦したり参加したりはせず、ただ見ているだけの人たちを意味します。日本語に訳すと『水路観察者』や『船見物人』といった感じです」
 なるほど。船見物人。
 もちろん、野鳥観察は歴史の長い、伝統のあるアクティビティだ。ゴングーズラーというのは、舟遊びもしないでぼけっと眺めているだけの人たちを、ちょっとからかうような要素のある新語らしいので、野鳥観察と似たようなものだと言ったりするのは、控えた方がよさそうな気がする。
 でも、まあ、なんというか、われわれの目指すところは、どちらかといえばゴングーズラー的ななにか、なのかもしれない。ともかくぼけっとして、水辺を楽しめればいいんだから。
 似たような言葉で「ウマレル」というのがあるらしい。
 こちらはイタリア語で、つづりは「umarell」。発音は、日本語の「生まれる」と似ているのだろうか。やはり、ぼけっとなにかを観察している人(主におじさん)を指すらしいが、見つめる先が、なかなかすごい。こちらもChatGPTさんに聞いてみた。
「『umarell(ウマレル)』は、イタリア語のスラングで、主に年配の男性が建設現場や工事現場で手を背中に組んで作業をじっと見守る姿を指す言葉です。この言葉は、ちょっとした好奇心と、他人の仕事を見守りながら批評したりコメントしたりするようなニュアンスを含んでいます。日本語に直訳できる言葉はありませんが、ニュアンスとしては『工事現場を見守るおじさん』や『見物おじさん』といった表現が近いです。また、『観察者』や『見物人』といった言葉でもある程度の意味が伝わるかもしれませんが、親しみを込めた軽いジョーク的な意味合いが含まれる点が重要です」
 建設現場か!
 世界は広く、ぼーっとする達人は多そうだ。

 にわか野鳥観察を楽しみながら公園へめぐっていると、唐突に田園風景のようなものに出くわした。公園の説明によれば、そこは「自然生態園」といって、「田んぼや畑、小川や雑木林があり四季の花が咲き、昆虫や水辺の生き物を観察することができます。かつて人と生き物が共存していた里地里山の風景を復元しています」ということらしい。
 季節柄、黄金色の稲穂が稲木に天日干しされていた。
 いままで野鳥公園を知らずに生きていたのは、ほんとうになにか大きな損失のように感じられる。
 いいわー、ここ。
 のどかな風景というものに接すると、人はおのずからぼーっとするのである。
 そして、われわれは第4号観察小屋に向かったのであった。
 ここはちょっとおもしろくて、小屋の位置がとても低い。階段を降りていく構造になっていて、ようするに観察者たるわれわれの目線が、淡水池の水面に近いのだ。
 でも、ここにすでに陣取っていた先輩たちがおのおのの一眼レフで狙いを定めているのは、すぐそこの水面ではなくて、遠く向こう岸に枝を張っている樹上の一角であるらしい。
「あっち向いちゃってるね」
「おしりしか見えない」
「ずっとあっち向いてますよ」
「あ、こっちを」
「向かないね、ずっと」
 それぞれのレンズを覗きながら、そんな会話をしている。
 カメラレンズの向いている先を見やると、たしかに木にオレンジ色の布でもひっかかっているように見える。
「カワセミが」
 と、編集G氏が興奮をおさえつつ耳元でささやく。
 わ、あの、オレンジはカワセミなのか!
 マイ双眼鏡を向けると、おお、たしかにそのオレンジ色は鳥の後ろ姿で、生き物の動きをするのであった。
 と、次の瞬間に、カワセミは木の枝を蹴って水平に飛んだ。
 ブルーの頭と背が見えて、ぱららと広がる扇子のような羽の形状が目をとらえる。
 きれい。
 ああ、そうだ、この鳥の名は「すい」と書くのだった。
 ぼーっとしていても、飛ぶ宝石に会える幸福。
 本日の白眉はやはり、カワセミであった。

(つづく)


 ■ 連載各話はこちら

『今日もぼーっと行ってきます』は、毎月9日の15時に配信予定です。
マガジン「【連載】『今日もぼーっと行ってきます』中島京子」に各話をまとめていきますので、更新をお楽しみに!

※連載スケジュールは予告なく変更となる場合があります。


#中島京子 #エッセイ #散歩 #バードウォッチング #公園

いいなと思ったら応援しよう!