「バリアフリー」を考える
1.フィリピンでの出来事
数年前、出張でフィリピンを訪れた際の出来事です。
フィリピンのマニラは、アジア諸国の中で、最も交通渋滞が深刻な都市であるとも言われています。
私も、そんな渋滞で動かなくなった車中から、窓の外を眺めていました。道路も日本と比べてガタガタで、舗装されていないようなところもあります。そんななか、白杖を持った男性が道路を横断しようとしていました。おそらく視覚障害のある方だと思われますが、近くには横断歩道もありません。
とっさに「危ない」と感じましたが、そのとき、近くを通りかかった男性(30~40代くらい)がその方に声をかけると、そっと手を引き、渋滞する車の隙間をぬって、道路を一緒に渡っていきました。その様子を見て、胸をなでおろしました。
フィリピンは、アジアの途上国のなかでは、もっとも障害者関連の法律が整備されていると言われていますが、必ずしも障害者の社会参加や障害者への理解が進んでいるわけではありません。
このため、私が見た光景は、フィリピン・マニラの日常ではない可能性があります。
しかし、私にとって、社会のあり方をふと考えさせられる出来事でした。
2.「障害」とは
日本では、障害者基本法、バリアフリー法、障害者差別解消法、障害者総合支援法など様々な障害者関連法が整備され、こうした法律に基づき、「共生社会」の理念普及、国民の理解促進、そして障害者の自立及び社会参加等に関する多様な取組が進められています。
現在の日本における障害者への対応について、視覚障害を例にあげても、数十年前と比べれば、点字表記があるものも増え、点字ブロックやホームドアも徐々に整備されるなど、物理的なバリアは少しずつ改善されているように思います。
では、ここで、何を「障害」と考えるのかという点ですが、「障害」は、個人の心身の機能の障害のみに起因するものではなく(=この考え方を「医学モデル」又は「個人モデル」)、社会における様々な障壁(モノ、環境、人的環境等)とあいまって作りだされており、社会のあり方にあるとする考え(=「社会モデル」)が主流になっており、「障害者基本法」でも、この考え方が採用されています。
そして、バリアフリーとは、多様な人が社会に参加する上での障壁(バリア)をなくすことですが、この「社会モデル」の考えにたつと、ハード面のバリアフリーに加えて、ソフト面のバリアフリーが重要となります。
先のフィリピンでの出来事は、まさにその点を示していたように感じました。
たとえ、道路や信号などのモノ・環境が整備されていない状況があったとしても、そこにそうしたバリアに気づき行動するヒトがいれば、「障害」は軽減されます。
3.「バリア」と「バリアフリー」~具体的な事例から~
こうしたことを踏まえ、私が実際に当事者や関係者の方から聞いた次のような「声」をとりあげて、「バリアフリー」を考えてみました。
なお、バリア(社会的障壁)には、「物理的なバリア」、「制度的なバリア」、「文化・情報面でのバリア」、「意識上のバリア」の4つがあると言われていますので、こうした視点でも整理してみます。
<①の事例>
車椅子を利用して、電車に安全に乗降車するためには、駅員や周りの方の支援が必要になりますし、時間がかかります。また、特に都市部での通勤時の電車は混雑しているため、そうした状況において、車椅子の利用を迷惑だと感じる人はいるかもしれません。【物理的なバリア】【意識上のバリア】
ラッシュ時の電車は、場合によっては車椅子利用者にとっても危険な状態になりえますので、無理な乗車を避けた方がよいという側面もありますが、例えば、コロナ禍で取り組まれたように時差通勤やテレワークなどの柔軟な働き方を推進することで緩和されることもあります。また、乗降時の困難があれば周りのヒトの支援によって解決できることはもちろんですが、車の手配・移動や通勤・通学時等の移動支援をサービスとして提供するといった制度の利用で解決する手段もありえます。【制度的なバリア】
<②の事例>
科学技術の進歩によって、より視認性が高まり、使いやすくなったと思われるモノが、一部の人には使いづらくなっている場合があることが認識されます。【物理的なバリア】
そして、そのことにより、必要な情報が得られないことが起こりえます。【文化・情報面のバリア】
このため、よりユニバーサルな視点でモノを開発することが必要であるとともに、使用時に、周りのヒトによる支援があれば、解決できる場合もあると考えます。【意識上のバリア】
<③の事例>
これまで職員が行ってきた仕事を、障害がある方に、そのまま任せるのは難しい場合があります(仕事にヒトが合わせる視点)。しかし、そこで思考停止するのではなく、今ある業務を分解し、障害特性に配慮した特定の仕事を切り出せば担えることがあります(ヒトに仕事を合わせる視点)。また、マニュアル化することで業務が円滑に進められるようになります。そして、こうしたプロセスは、業務の生産性、コスト、効率性などを検討する機会にもなりえると考えます。【意識上のバリア】【制度的なバリア】
<④の事例>
これは、果たして、バリアといえるのでしょうか。もちろん、障害の有無にかかわらず結婚できる人、できない人がいます。「愛」があれば障害の有無は関係ないという人もいるでしょう。しかしながら、夫婦の相補的関係、性愛、出産、子の養育、異性愛、排他性など、「結婚」を規定する様々な前提や規範が存在しており、個人的には、こうしたことが結婚の「バリア」となっている場合があると考えます(注1)。その場合、(簡単ではないですが)それらの前提が変われば、結婚の制度そのものや結婚に対する意識にも変化が生じることとなります。【制度的なバリア】【意識上のバリア】
4.「心のバリアフリー」が広がる社会へ
ここでは、障害者にかかわる事例をとりあげましたが、障害者に対するサポートや環境調整によって「バリア」を軽減することは、「合理的配慮」として、行政や民間事業者に義務付けられているものでもあります。
しかし、「バリア」に直面する場面は、障害者に限る話ではありません。
上記の事例でも、例えば、高齢者、ベビーカーを利用する子育て中の方、外国人、性的マイノリティの方などとも重なる部分があるように、障害の「社会モデル」に従えば、誰もが、その「バリア」の当事者となり、誰もが「障害者」になりえると言えます。
そして、「バリア」の存在は、その人の生活に不利益や制限を生じさせ、「生きづらさ」にもつながります。
多数派にとっての便利・安心・安全な社会は、モノ、環境(社会システムや制度含む)、人的環境のあり方によって、少数派にとって不便・不安・危険な社会となっている可能性があります。
こうした視点をもって、周りを見渡してみると、見えなかった「バリア」に気づき、自らの行動によって、それをなくしていくことができるかもしれません。
「バリアフリー」を実現するためには、このように、人々の「意識上のバリア」を取り除く「心のバリアフリー」が特に大切になります。
この点に関連して、本年2月に実施された内閣府の調査によれば、「外出の際、車いすの方が段差で進めなくなっていたり、視覚障害を持っている方が駅で迷っていたりした場合、声をかけて手助けをしたいと思いますか」という問に対しては、全体では、「できるだけ手助けをしたいと思う」が 65.2%、「常に手助けをしたいと思う」が 14.2%となり、約7割の人が手助けをしたいと思っています。しかし、実際に手助けをしたことがあるのは、このうち約6割(62.9%)となっており、気持ちがあっても行動できていない人がいるようです。
また、上記の問で、「あまり手助けをしたいと思わない」又は「手助けをしたいと思わない」と回答した方(全体の約1割)に理由を尋ねたところ、「かえって相手の迷惑になるといやだから」(43.8%)、「他のことで忙しく、周囲に気を配る余裕がないから」(29.9%)、「手助けをしたくても対応方法がわからないから」(28.3%)の順に高い割合となっています。
「心のバリアフリー」とは、決して、障害者を思いやる・助けてやるといった狭い考え方ではありません。障害者に限らず、様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うことです(注2)。
断られることがあるかもしれませんが、相手によってニーズや意向も異なります。まずは、声をかけ、コミュニケーションをとることで、そのことを確認することが大事です。
そうして、「心のバリアフリー」が広がることで、誰にとっても安心して生活できる社会に近づいていくのだと思います。
【注】
1)障がい者総合研究所が2017年に実施した「障がい者の結婚に関する意識調査」によると、障害者の方に、結婚を決断または結婚生活を送る上で、障がいが何らかの支障になるかと尋ねた質問に対して、未婚者の約7割が「支障になると思う」と回答しています。
2)「ユニバーサルデザイン2020 行動計画(2017年2 月ユニバーサルデザイン2020 関係閣僚会議決定)」による。
【引用・参考文献】
・アジア途上国障害情報センターHP
・政府オンライン「知っていますか?街の中のバリアフリーと『心のバリアフリー』」
・内閣府「令和4年版障害者白書」
・内閣府(2023)「令和 4 年度 バリアフリー・ユニバーサルデザインに関する意識調査について(インターネットによる意識調査)」
・日本貿易振興機構(ジェトロ)HP「マニラ、アジアで最も交通渋滞が深刻な都市に選定」