ナタン本文

フランスで話題沸騰!トランスジェンダーのティーンを描いた新刊『ナタンと呼んで』編集秘話

 はじめまして、編集部の大澤です。
 『ナタンと呼んで――少女の身体で生まれた少年』がいよいよ刊行されます!

 本書は、2018年9月にフランスで刊行後、たちまち話題となったバンドデシネ(フランスコミック)です。
 物語は、主人公リラ・モリナが13歳の夏休み、強烈な性別違和体験をするところから始まり、苦悩に満ちた中学・高校生活を経て、性別適合手術を受け、ナタン・モリナ(フランスの男性名)として生まれ変わるまでを描いています。
 フランスでは発売翌月、Lucas(ルカ)さんという人物が、自身が本書のモデルであることを明かし、メディア出演を果たしたことで、それまで以上に話題となりました。

 ここでは、本書刊行にあたっての裏話をいくつかご紹介します。

① 一人称の問題

 フランス語での一人称代名詞は、je(主格)・me(与格)・me(対格)・moi(呼格)の4つです。英語のI・My・Me・Mineみたいなものです。
 日本語は一人称が本当に多様ですよね。わたし、うち、おれ、ぼく、あたい、わし、自分、下の名前……。

 今回あらためて意識させられたのは、(時には成長と共に変化する)一人称というのは、個々のアイデンティティを強く反映しているということです。
 大澤の場合は、小さい頃は「まみ」と下の名前で自称していたのが、小学校入学頃から親に「わたしって言いなさい!」と怒られるようになり、そう自称するようになりました。それは、自分は女であるという社会的な線引きが、外側からも内側からもなされたタイミングの一つであり、そこで「ぼく」とか「おれ」が選択されることはありませんでした。

 しかし、主人公のFTMティーンが自らの身体的性に違和感を抱く13歳頃から性別適合手術を受ける18歳前後までが描かれた本書には、「自分は何者なのか」というアイデンティティの揺れ/揺さぶられ、が詰め込まれています。
 成長していくリラ(ナタン)の一人称とは、果たして「わたし」「おれ」「ぼく」のどれなのか……、と悩み、友人のFTMの子に聞いてみることにしました。本人の許可のもと、彼の返事をシェアしたいと思います。

(以下、彼からのLINE引用)

「だいたい一人称に気を使い始めたのは10歳くらいからだったかなと思います。
みんなが私やあたしと使っていて、絶対嫌だったので「うち」という言葉を使ってました!
心の中では「俺」を使いたい気持ちがとてもありましたが、やっぱり周りを気にして使えませんでした!」
「ただ、大きくなるにつれ、自分というボーイッシュな女の子というキャラクターが周りに定着すると、自然と「俺」を使っていました!だいたい中学2年ごろからだと思います。それからはずっとオレでした笑周りもそういうやつという目で見てくれたので!」
「オレと使う事でなんか抵抗してたのかもしれません。アピールというか……。」
「でも使い分けてだと思います。家族の前ではうち、友達の前ではオレとか、時と場合によって変えていました!」
「僕は大学の4年間で性別を変えたのですが、その時にはずっとオレで周りの友達にもカミングアウトしてて、ごくごく自然にオレを使っていましたが、性別適合手術を受けることが決まり、いよいよ自分の中で男性として生きるという自覚が出てきたときは、自然と「僕」を使いはじめました!これは周りの人に言われて気づいたのですが、なんか僕って言うようになったんです笑」

 こうした情報を翻訳者の原正人先生ともシェアしつつ、進行しました。なお本文中では、想像されるナタンのキャラクターから、「オレ」で統一することになりました。

② 副題と性別適合手術の話

 本書の主人公ナタンには、モデルとなった人物がいます(詳しくは本書「訳者解説」参照)。

 本書のサブタイトル「少女の身体で生まれた少年」に違和感を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは原作者たちからの、“A boy born in a girl’s body” or “ A boy trapped in a girl’s body”. というニュアンスを入れてほしい、という強い希望が反映されています。
 これは決して、少女が少年に「なった」物語ではない、という思いが伝わり、いただいたご提案の通りの文言を採用することになりました。
 なお、Lucas(ルカ)さんは、現在フランス大使館の招待で来日を調整中です。

 フランス語ですが原作者カトリーヌ・カストロ(雑誌『マリ・クレール』の記者)と一緒に、Lucasさんが出演したインタビュー映像はこちらからご覧になれます。


 刊行前には、にじーず(LGBT系ユースの居場所)のスタッフであり、『ふたりママの家で』を編集された「やひろ」さんに、表現についてなどのチェックをお願いしました。
 やひろさんが、「ナタンは性別適合手術を受ける選択をしますが、手術を受けていなくても、男性(あるいは女性)として生きていく当事者も沢山いますよ」とおっしゃっていたのが印象的でした。


 LGBTという言葉はずいぶん浸透したように思います。しかし、(当たり前のことですが)セクシュアリティとは「LGBTかそれ以外」のように分けられるものではなく、本来誰もがそれぞれのセクシャリティを持っていて、その生き方も十人十色なはずです。

 ナタンによるプライド獲得の闘いの物語も、多様な生き方の一つとして、だれかの希望になることを願っています。

                           (大澤)


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