「ちゃんと読んだのかよ、この唐変木!」
って、どやされることがある。
ときどきだけど、いやぁ、それほど頻繁じゃないけど。
今回は、ミヒャエル・ゾーヴァ。
「きみのうっかりも相当なもんだね、那須田くんのことを、ただの翻訳家だと思い込んでいるんだもの…」
「あのね、那須田淳くんは多くの物語を生み出した作家であり、翻訳家でもある、というのが本当のところなんだよ」
「それが証拠に、この絵本のテクストはぜんぶ那須田くんなんだ。実にいいテクストだから、ちゃんと読みなさい。読み終わったら読書感想文を送ってくるように!この唐変木」
『ちいさなちいさな王様』、『僕が神さまと過ごした日々』は、
アクセル・ハッケ:作 ミヒャエル・ゾーヴァ:絵
那須田淳/木本栄:共訳(木本さんは奥さん)になっていて、那須田さんは、てっきり翻訳家だと思い込んでいた。
どやされても仕方ないくらい、この絵本のテクストがいいんだ。
表紙の絵にはこんな...
「反抗期」
それって、反抗期というんじゃないかい。
ぼくにだってあったんだよ。
だれにも気がついてもらえなかったけれど。
前足を吊った猫には...
「少年時代」
十三歳 ー
おとなでもない、
子どもでもない
ちょっと切ない年頃。
この本のお終いの方には...
「子どもの時間」
永遠のようでいて一瞬のうちに去っていくもの。
でも、失ったわけじゃない。
目を閉じれば戻っていける不思議な時間 ー。
ぼくは、つい、うっかり忘れていた。
翻訳という作業は、作業ではなく、翻訳と呼ばれる創作だ、ということを。
作家と翻訳家によって、ぼくらはこころに残る、深く刻まれる世界中の本に出会っている。
そして挿絵画家によっても。
それにしても、アクセル・ハッケ:作 ミヒャエル・ゾーヴァ:絵
那須田淳/木本栄:共訳の『僕が神さまと過ごした日々』の表紙は、まったく愉快としか言いようがない。
こういうの、大好き!
あらためて、読み返してみた。
くたびれたコートをゾロリと引っ掛けた神さまは、酒好きで、癇癪持ちで、
繊細で、逃避癖があって、憎めないじいさん。
宇宙とぼくらを創りだしたことを、ちょっぴり後悔していたり。
いつか、ぼくが座るベンチの横に腰掛けてくれないだろうか。
ぼくの中に棲んでいる本の番人は、こうして、ときどき、忘れたころに、不意を突いて、どやしに来てくれる。
ありがたや、ありがたや。
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