星野智幸さんが”もう古川真人に夢中である。こんな小説家を待っていた。デビュー後の最初の作品である『四時過ぎの船』も期待に違わぬ小説だった。”と。同感した。
古川真人さんの『四時過ぎの船』を読んでみました。深く考えました。(2017年7月30日/新潮社刊)
『四時過ぎの船』は、いやこの作品に限らず古川真人さんは、家族、一族の系譜を丹念に描かれている。
そして、それを受け渡し、受け取る人間が、なぜこの時代に生まれ出て、確かに存在し、受け継ぎ、やがて居なくなることの意味に行き着こうとしているように見える。
長崎の離島に住む認知症の老女は、かたわらのノートに自分が書いた「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」の意味が分からない。
ぼくは老女といっしょに認知症を体験する。
老女は、孫の稔が午後の船で島に着くので迎えに行ってくれという、稔の母、老女の娘からの頼みをメモしていたことをやっと思い出す。
急いで港に向かうが船はすでに着いているが、ミノルの姿が見えない。
結局、老女とミノルは行き違い、老女は家に居るミノルが誰だか思い出せない。
時が立ち、娘に引き取られた老女の死後、島の家の整理にミノルも同行するあたりから物語が進んで行く。
起伏に富んだ物語ではないので。
島外からお嫁に来て、泣きながら自分の立つ瀬を探していた老女の人生。
日常の中にある孤立、影のようにへばり付く哀しみは、ミノルのものでもある。
古川真人さんのこと。
古川真人さんは、デビューから連続四作が芥川賞候補にノミネートされ、2020年、四作目の「背高泡立草』が、第百六十二回芥川賞受賞となった人。
デビュー作から連続四回のノミネート。
しかも2016年のデビューから2019年の下期対象にノミネートされての受賞である。
勿論、それぞれの作品がノミネートに値する水準をクリアしていたということなのだが、ぼくの読後感、古川さんを知るきっかけとなった星野智幸さんの書評からは、芥川賞、出版社、編集者が待望していた小説家が、やっと登場したことへの期待感、いや安堵感のようなものが感じ取れたような気がした。
それは天才新人作家的存在への期待ではなく、悶々とした創作の日々から逃げ出さず、自分には小説しかないのだ、小説を書かずにはいられない、書かなければ自分がここに存在する意味など無いと思い定めている作家・古川真人への共感なのではないだろうか。
そんな風に思う。
本が売れない。
どんな本屋も芥川賞には注目している。発表と同時に注文を出し、店頭に平積みする。
しかし、販売実数は…
図書館にリクエストしてみると、千葉市全体の図書館に21冊在庫があり、ぼくのリクエスト順位が第一位だった。
半年前の芥川賞受賞作品なのに市全体で21冊。図書館で簡単に借りられてしまう。
星野智幸さんは書評の冒頭にこう書いている。
「もう古川真人に夢中であるこんな小説家を待っていた。デビュー後の最初の作品である『四時過ぎの船』も、期待に違わぬ小説だった」
同業者にこう言わせる作家の作品、頑張って読んでみては。