1982年の高橋源一郎著『さようなら、ギャングたち』を2021年の5月に読む。
1981年、吉本隆明は「現在までのところポップ文学の最高作品だと思う」と言った。
第四回群像新人長編小説賞の優秀賞に選らばれたデビュー作。 文壇の偉い先生方は、ほとんど無視。
うーん、無視というか彼らが小説と定義するものの範疇から大きくはみ出していて、ほとんど理解不能だったというのが本当のところではないか。下記を読むと、無理もないかなぁと。
本書は三つの部分で構成されています。
第一部のタイトルからしてこれ。
<「中島みゆきソング・ブック」を求めて>
こういう書き出しです。
―昔々、人々はみんな名前をもっていた。そしてその名前は親によってつけられたものだと言われている。
そう本に書いてあった。
大昔は本当にそうだったのかも知れない。
・・・・
という前提があって、そのうちみんな親にもらった名前を捨て、自分で自分に名前を付けるようになり、しばしば名前との間に諍いが起こったと。
そして今、恋人たちの間でお互いに名前を付け合うようになり、主人公の「わたし」は自分の恋人に、偉大な詩人の名前から「中島みゆきソング・ブック」という名前を与え、彼女は「わたし」に「さようなら、ギャングたち」という名前を与えた。と続き、この感じ、調子で、あまり前後の脈略を気にすることもなく本書は書き進められていきます。
当時は、吉本隆明、瀬戸内晴美、中上健次くらいしか評価してくれなかったようです。
かつて、環八、砧公園近くに「M2」という建物がありました。
調べると1991年竣工とある。
「M2」は、マツダがユーノス・ロードスターの後継車開発のカロッツェリア、実験工房兼ショールームでした。
設計は隈研吾さん。
バブル期・東京の最悪建築の上位にランクされているので、ググってみれば一目です。
関わっていたぼくらプロジェクトチーム内でも、設計図段階ですでに、なんでエンタシスなんだろう?って。
まあ、ぼくはぼくで、建物内に設置するレストランのプロデュースに託けて、個人的に行きたかっただけのスペインに10日間も視察旅行。
ああ、バブル。
その後、隈さんは深く潜航されていた訳ですが、いまはご存知の通り塞翁が馬。
いま考えれば、ばりばりのポストモダン。
リオタールが『ポストモダンの条件』の中で、「大きな物語」が終焉する状況を「ポストモダン」と表現していますが、矛先が最初に向けられたのが建築の世界だったようで、世界中、日本中、特に我が国においてはバブル期にやり放題・建て放題だったと記憶しています。
ちなみに「大きな物語」とは、“近代社会がそれ特有の世界観と人間観によって社会・文化的コンテキストを維持・正当化するための物語”だそうで、いまいちピンと来ていないのですが、『世界文学のフロンティアー③夢のかけら』の序文にある“ソ連の共産主義、ナチスドイツのファシズムのグロテスクな展開と崩壊”を読んで、ふーん、なるほどくらいの理解で済ませている次第。
先日、季刊文芸誌「MONKEY」について書きました。
その中にポール・オースターと高橋源一郎さんの対話が掲載されていました。
ポール・オースターと言えば、カート・ヴォネガット、トマス・ピンチョンなんかと並び称されるポストモダン派の作家。
そうか、高橋源一郎さんもポストモダンなのか!と、思い至ったのですが、そうなのかどうかに責任は持てませんが、本書『さようなら、ギャングたち』を、いま改めて読んでみると(実は「M2」の頃、読了出来なかった過去があります)、ヴォネガットの『スローターハウス5』の読後感に似たものを感じます。
面白いです。
変な言い方ですが、全編計算され尽くされたアドリブのようです。
なんだか、優しい物語ですよ。