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陽キャとうつと発病(後編)
「世の中のすごい人たちの頭の中を覗けるなんてラッキー」
くらいの軽い気持ちで、これまで仕事に役立つ情報収集の場として活用してきたnote。それが今、自分が書く側にいて、ましてやその内容がうつになった話だなんて。人生とは不思議なものだ。
そんなこんなでわたしのうつ病記録noteも第三弾。
スーパースローペースながらも、飽き性の極みな自分が3つもnoteを書いただなんて、、、と感無量だ。(褒めるレベルの低さったらないが)
うつの記録を残そうと思い立ってから、同じように過去、そして現在とうつや適応障害をはじめとした様々な症状に向き合われている方の記事を読むようになった。みなさんのnoteを読みながら時に共感しすぎて苦しくなったり、涙が溢れてしまったり、勇気をもらったり…。「戦ってるのは自分だけじゃないんだな」と、会ったこともない人たちの言葉ひとつひとつに「今日も1日生きていこう」と優しく背中を押してもらえている。
自分のnoteも誰かを安心させられたらな、なんてちょっとおこがましいけれど、そんな想いを抱きつつ今日も書いていこうと思います。
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陽キャついにうつ発症
このなんとも情けないタイトル通り、今年の1月後半から突然うつ発症で休職に入った。本当に「突然」という言葉がピッタリで、自分はもちろんのこと周りの家族や友人、そして何よりも職場の上司やメンバーたちを大いに驚かせた。
でも、今振り返ると確実に予兆はあったのだ。1月のもっと、ずっと前から。
遡ること去年の夏。
入社して初めて本格的にある大きなプロジェクトの主メンバーになった。メンバーは上司と私の2人で、その内容は相手企業の役員や部長職を含めた30名弱のメンバーを率いてワークショップ形式でプロジェクトを進めていかなければならないというものだった。もちろんワークショップなんて実施したこともなければましてや内容を考えた経験すらない。一緒に担当した上司もそれは同じだったため、毎日3時間以上のMTGで内容を考えてはその資料を超特急で作成し…と遅くまで働いた。
毎週多忙にも関わらず30名以上の方達が時間を割いて集まってくれるワークショップ。私の任務は自社の代表としてそれを遂行し、プロジェクトの方向性を明確にしていくこと。「未経験だからわかりません」は通用しない。
その不安は会を追うごとに大きくなり、自分が作ったワークショップの流れに自信が持てずぐるぐる考え続けたり、資料もそこまでしなくていいよと上司が言ってもなお、細かいところまで作り込むことを止められなくなってしまった。
上司からは「やりすぎ、心配しすぎ、考えすぎ」と言われたが、私からすると上司もあまり経験がない中でなんとかなるだろうと気楽に構えて当日あたふたしたりしている姿に、「お金をもらって依頼されているのにいいのかそんなんで…」と不信感を持ってしまっていた。上司の働き方と自分の働き方が異なりすぎて、自分にあった働き方を見つけられずにとにかく必死に目の前のことに向き合うしかなかった。
結局このプロジェクトはなんとかかんとか成功し、ありがたいことに最高評価を業績評定でもらうことができた。
でもこの時に感じたのは達成感なんかよりも、「ようやく終わった…」という深い深い安堵感だった。
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この他にもコンペのプレゼンなど担当させてもらい、矢面に立つ人材としてチームに認知されるようになった。「楽々」と私が人前に立って話しているように見られていたし、それが「得意」で「好き」なんだと強く思われていたのだと思う。
確かに人前で話すのは好きではないが得意な方だし、入念に準備していなくとも本番で聞き手の興味度合いを測りながら会話形式でプレゼンすることができるのは強みだと思う。ただ、転職をしてまだ日が浅い自分がクライアントの前で「その道のプロ」みたいな顔してプレゼンをすることに大きなプレッシャーを感じていた私は、コンペまでの期間プレゼンをして失敗する夢に毎晩うなされるようになった。本来の自分のやり方なんてすっかり忘れて、本番直前の新幹線の中でさえスクリプトを修正したり、トイレで練習したりとどんどん神経質になっていった。失敗することを極度に恐れたからだと思う。
正確には「失敗して失望される」ことを。
30歳、社会人歴は8年。中堅どころと言われるタイミングで未経験の職種に転職。まだ新しい部署のため自分よりフレッシュでやる気に満ち溢れたメンバーが多く、自分も早く使える人材にならなければチームのお荷物になってしまう…と私は焦っていた。
不安を大きく感じるような初めての業務も、人前で話すという可能ならばやりたくない仕事も、期待して任せてもらえると頑張ろうと思ってしまう。もちろん仕事なのだし頑張るのは当たり前なのだけれど、この時の私は「期待してもらえて嬉しい!自分の強みを活かして頑張ろう」ではなく「今の自分の存在意義はこれしかないのだからこの期待を裏切らないよう頑張らないと…」というなんとも不健康な思考回路に陥ってしまっていた。
そして上司に褒められるほどに、自信がつくどころか「この期待を裏切ってはいけない。失敗してはいけない。」と自分で自分に呪いをかけ、次のプロジェクトのことを考えどんどん憂鬱になっていった。
もちろんまだ業務内容に慣れていない中で、人前で全て分かっている顔をして話すことに苦手意識があることや、極度のプレッシャーを感じていることを上司に伝えたり相談したりもした。しかし、すでにこの時「陽キャラ」認定されていた私の不安事は「またまた〜、何キャラじゃないこと言ってんの!」という言葉で流され、間に受けてもらえなかった。
段々と、「上司やメンバー達の望むキャラでいないといけない」「まだまだチームのお荷物状態なんだから愚痴なんて言ってないで少しでも貢献できるところで頑張らないと」と考えるようになり、上司に本気で相談することもやめてしまった。
完全に悪手だった。この時にもっと自分の感情を深ぼって問題点を明らかにして、「自分はどうしたいのか、何が不安なのか、上司に何を求めているのか」しっかり伝えるべきだったし、もっと真剣に相談すべきだった。「周りが期待するキャラでいられなくなったら失望されるかも」「入ったばっかりでやりたくないなんて言ったらダメな奴だと思われるかも」と怖くて相談することを避けた結果、休職になったなんて本末転倒もいいとこだ。
この頃からだんだんと食欲の減退や睡眠障害、躁鬱の症状が出てきていた。
業務に対するプレッシャーだけでなく在宅業務に慣れていないこともあり、仕事とプライベートの切り替えがうまくできず生活リズムを崩しはじめていたのだろう。
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年が明けた2024年。
新しいプロジェクトをメイン担当で任されることになった。せっかく任せてもらえる大きな仕事、しっかり頑張らないととより一層仕事に邁進した。それでもまだまだ不慣れなことばかり。プロジェクトを主導で進めていかなければならないプレッシャーもあり前年同様上司に引き続き相談していきたかった。
しかし、急に直属の上司の態度が変わりあまり相談の時間を作ってもらえなくなったり、何を相談しても「私が考えたならそれでいいんじゃない」という返答しかもらえいようになった。突然突き放されたような気持ちになり、頼れる先がいなくなったことへの不安が日に日に大きくなっていった。他チームのメンバーに相談したりしてプロジェクトの骨子を作っていったが、一緒に進めていくはずの上司に以前のように気軽に相談ができなくなったことで精神的にかなり追い詰められていった。
精神的に追い詰められれば追い詰められる程、仕事をする時間を捻出しなければと考えるようになり睡眠時間や食事の時間を削るようになっていった。この時には完全に味覚がおかしくなっていたから食べること自体に意味を見いだせなくなっていたし、寝ようとすると仕事のことを考えて目が冴えてしまったり悪夢を見たりしたため、だったら仕事をしていた方がいいと不健康な生活にさらに拍車がかかっていった。
また、段々と長い文章が読めなくなってきたり、会議などに出席しても人の話が理解できなくなってしまった。その時点で完全に普通の精神状態ではないにも関わらず、「自分の理解不足のせいだ、もっと頑張らないといけない」とさらに自分を追い詰める思考に陥っていき、「仕事」のことしか考えられなくなっていった。
でも無意識下ではこの状況から逃げ出したいと思っていたのだろう、街でお年寄りを見ると「早く私も年を取って仕事をしなくていい年齢になりたい」と考えるようになり、いつしか「今すぐ消えたい」という言葉が頭に浮かぶようになっていた。
結局、急に態度が変わったように見えた上司の行動は私を昇進させるためにプロジェクトを一任したかったからだと後から分かるのだけれど(なら事前にそう言っといてくれ…)、なんの説明もなく突然突き放すような態度を取られたことで、上司への信頼は完全に無くなってしまった。
上司に十分な相談ができなくなっていた私は、この一番しんどい期間に単身赴任していた夫にzoomで仕事の相談をするようになっていた。私の精神的な状態などは伝えていなかったもののzoom上でも異変に気づいたのだろう、病院に行った方がいいと真剣に言われ、そこで初めて自分が普通の状態ではないことに気がついた。
気づいてしまったらダメだった。しんどいことを自覚した途端、もう頑張れないと「ぼきん」と心が折れる音が聞こえた。
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そうして病院でうつと診断を受けるのだけれど、驚きと戸惑いを感じつつも「これで休める」と安堵したあの不思議な開放感と高揚感は忘れられない。
今回こうして一番しんどかった時を振り返ってみて、やはり普通ではなかったなと実感する。でもあの時は自分がおかしいなんて思ってもいなかったし、とにかく「頑張らなきゃ、ここが踏ん張りどきだ」という言葉を呪いのように呟きながら毎日を生きていた。もしあの時夫に病院に行くように言われていなかったらどうなっていただろうと考えると少しゾッとする。
もしかしたら極限の中でも頑張って乗り越えて、さらに自信をつけて今もバリバリ仕事を続けていたかもしれない。
あるいはもしかすると、もっと最悪な状態に陥っていたのかも。
選択しなかった行動の先の未来がどうなっているかなんて分からないけれど、あの時遠隔でも異変に気づいてくれた夫、そしてなにより「休む」という選択をし上司にその意思を伝えられた自分に感謝したいなと、このnoteを書きながら改めて思う。
一番しんどかった時期を思い出して書いたこのnote。書き出すまでに長い時間を要してしまったし、書き出してからも何度も手が止まり想像以上に時間がかかってしまった。ぐちゃぐちゃな内容だし、起きたこと全てを書き残せたわけでもないけれど、吐き出せたことで喉に引っかかった魚の骨みたいな感情を少し取り除けたような気がしている。
「陽キャのうつ日記」なんて不謹慎極まりないタイトルは、うつと診断された時に感じた「なんで私が?キャラじゃないだろう!」と瞬間的に思った気持ちを表現したものだけれど、今改めて思うことは「陽キャだろうがなんだろうが、誰だってうつになる時はなる」ということだ。私のように自分の性格を正しく理解できていないことが要因でなる人もいれば、タイミングや小さな不運が重なって偶然なってしまう人もいる。理由は人それぞれだけれど、「絶対にうつにならない人」なんていないのだ。
それが分かっただけでも大きな意味があると思うし、これからは「誰だって深く深く落ち込んでしまう時がある」と思って人に接することができる自分は人間としてちょっぴり成長した気もする。なぁんて強がりだけれど、でもそのくらいの気持ちでいたい。
本当にしんどくて、辛くて、消えてしまいたいとまで思ったあの苦しかった日々も、間違いなく私の大事な人生の時間だった。だからこそあの時感じた感情も、そこからこうして学んだことも、全て忘れないように残しておきたいと思う。未来の自分の糧にできるように。
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3部作にした方がいいのでは?と思うくらい、気づいたらとっても超大作になってしまいましたが読んでくれた皆様、本当にありがとうございます…!これからはもう少し短くライトでポップなnoteを目指して書いていけたらいいな。笑