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【読書メモ】推しメンの武道館ライブに行く前に、「武道館」(朝井リョウ)を読んでみた。

某グループのライブやイベントのタイトルを見るたびに、「玉ねぎって何?」ってずっと思ってました。

バンドはまったくもって守備範囲外。地下アイドルオタクのかべのおくです。


過ごしやすい季節になってきましたね。現場も落ち着いたので久しぶりに読書感想noteを書こうと思い立ちました。読んだ本は、朝井リョウさんの「武道館」です。

うわ、まじかあ、の連続。

ストーリーはあくまでも、ブレイク前の女性アイドルNEXT YOUとそのメンバーである愛子を中心に描かれているものの、随所には朝井リョウさんなりアイドル観が盛り込まれていて、アイドルオタク以外でも楽しめる作品でした。


取り上げられているテーマはキリがありませんが、だいたいこんな感じです。

  • アイドルと恋愛禁止

  • 成長期とルッキズム

  • アイドルの卒業とセカンドキャリア

  • 音楽・動画コンテンツの無料視聴

  • CD販促戦略(≒握手会商法)

  • 接触イベントでのファンとアイドル

発表されたのは9年も前のことですが、今のアイドルシーンにもそのまま当てはまる新鮮さがあります。それは、「アイドルとは何か」という本質を朝井リョウさんが深く抉って捉え、それを描かれているからなのだと思います。


ちなみにこの本を知ったきっかけは、以前読んだ森貴史さんの本で題材として紹介されていたことでした(その本についての感想noteはこちら)。

なぜ今、この本を読んだのか。勘のよい方々はお気づきかもしれませんがそれはおいおい話すとして、本のあらすじと感想を述べていこうと思います。


※ここから先はネタバレを多分に含みますので、十分ご注意のうえ、ご自身の判断でお読みください。

あらすじ解説

主人公、日高愛子は幼少期から、母に「手をつないでないと踊り出しちゃうから」と言われるほど、歌うことと踊ることが大好きで、アイドルとしてステージに立つことを憧れていた。

そんな愛子を始めとした6人で結成されたアイドルユニット「NEXT YOU」は、武道館でのワンマンライブを目指して活動に励む。中心メンバーの脱退、テレビ出演がきっかけの炎上、水着グラビアへの起用など、事件がありつつも巧みなCD販促戦略で有名になる。

自分は何が好きで、何を選ぶのが正解なのか。悩み間違えながらも成長する少女たちと過ごす中で、愛子は次第に幼なじみの大地への思いと、周りから求められるアイドル像とのギャップに揺れ動くことになる。しかし、グループのセンターを務め、人気メンバーである碧も同じ思いを共有していたのだった。

着実に人気を獲得したNEXT YOUには、念願の武道館ライブが目前に迫る。準備を進める愛子のもとに、碧からの電話がかかってくる。碧と愛子が選んだもの、そしてグループと愛子の未来は…?


感想

読み終えて真っ先に感じたのは、フィクションを突き詰めた先にあるリアリティでした。

「武道館」が発売されたのは2015年。丸刈り騒動や握手会のノコギリ事件などは、AKB48のオタクをしていた僕からすれば当時の状況をありありと思い出しました。また、「リリイベの聖地と言われている池袋のショッピングモール」「渋谷のオールスタンディングのライブハウスの1階はすし詰め、2階には関係者がゆうゆうと座っている」など、今を生きるオタクからしてもニヤリとしてしまう表現が随所に見られました。

ただしそれだけではなく、愛子たちNEXT YOUのメンバー同士の会話や、アイドルとオタクの会話、愛子と高校のクラスメイトの会話など、現役アイドルが書いたの!?とでも思えるような細かく作り込まれていて、とても読み応えがありました。おかげで著者の思想を代弁するような登場人物たちセリフが、より説得力を持って迫ってきていたように感じました。



アイドルと恋愛禁止

アイドルは恋愛禁止は、アイドル論における永遠のテーマでしょう。

しかし、恋愛禁止を考える時に私たちはどうしても応援する側からしかものを語れません。そもそもアイドルが恋愛禁止についてどう考えているのか、その目線が提供されることは稀だからです。現役アイドルであれば、そんな話題に触れることはマイナスでしかありません。元アイドルであっても業界に都合の悪いことを発言すれば、干されて仕事を失う可能性があるでしょう。

僕たちにとってアイドルの頭の中はいつでもブラックボックスであり、憶測するしかない。その結果、独りよがりな意見が散乱し、議論を難しくしていると考えられます。その点で「武道館」は、朝井リョウ的アイドルの恋愛観を提供してくれていると言えるでしょう。

大地と思いが通じあった愛子はその夜、不思議な光景を目にします。

じゅうたんの周りを色とりどりの光が埋め尽くす。サイリウムだ、と、愛子は思った。ぎゅうぎゅうづめのライブハウスの中で、〝ネクス中毒〟たちが汗を流しながら振ってくれたサイリウムの光。隣には、同じ歌を歌い、同じ振付を踊るメンバーたちの横顔。その横顔も、黄色や赤や青や、様々な色の光に照らされている。歌って、踊ることができるステージ。大好きなステージに立つ自分。

「武道館」より

ここは愛子の部屋なので、この景色はもちろん本物ではありません。アイドルとしては最もあってはならない、それでもこれから愛子が生きてゆくうえで大きな支えとなるであろうその瞬間に、「アイドルの自分と、大地が好きな自分はどちらも同じ自分だ」と直感的に悟ったことを表していると考えられます。

愛子はそれまで、アイドルとしてファンやメンバーのことを第一に考えなくてはいけない気持ちと、幼なじみであって愛子の一番の理解者である大地が好きな気持ちに揺れ動いていました。しかし、大地の思いを知って、自分の気持ちに素直になったときに「どの選択肢を選んでも正解なんてものはない、選んだものを正解にするだけ」と気づいたのです。だから愛子は、そんな大地との関係性がスキャンダルに晒されて脱退が決まる時、マネージャーと残されるメンバーに対して、こんな言葉を言い放ちました。

「歌が好きなことも、ダンスが好きなことも、かわいい衣装を着るのが好きなことも、大地を好きなことも、小さなころからずっとずっと、変わらないんです。だけど、大地を好きなことだけが、あるときから急に、ダメになったんです」
記事の文中にある様々な文字が、両目の角膜の上を滑り落ちていく。
「私は、何も変わってないんです」
裏切り。戦犯。秩序の乱れ。(業界関係者)。アイドル生命の危機。ファンから搾取した金で彼氏とデートか。グループへの大ダメージ必至。積み上げてきたものすべてが崩落したことは明らか。
「私は」
唾を飲み込む。
「私は、何をしたんでしょうか」

「武道館」より

人は誰もがパラドックスを抱えています。お腹が空いているのにラーメンを食べてしまう、勉強をしなくてはいけないのにスマホをいじってしまう、友人と仲良くしたいのに冷たくしてしまう。大切にしたい人達がいるのに、その人達を裏切ってしまう。

しかし、その選択をしているのは他でもない自分です。自分が自分のことを背負って選択するしかないのです。我々はその苦しみを無責任に、アイドルにぶつけているだけなのではないでしょうか?「アイドルなんだから歌もダンスも手を抜くな!食べ過ぎて太るな!恋愛は禁止!」と。しかし、叩かれているアイドルも人間であり、何らかのジレンマに苦しんでいるかもしれない。その視点に立てると、僕たちはもう少しアイドルと歩み寄れるのかもしれません。



武道館に時間とお金を使うこと

この本のタイトルは「武道館」ですが、このnoteはJamsCollectionの武道館単独公演の直前に書いています。ジャムズ発足メンバーの津代美月やその親友である小此木流花をはじめ、メンバー達はなぜそれほど武道館に拘るのだろう?アイドル達を引きつける武道館とは何なのだろう?そんな疑問の答えを探してこの本を手に取りました(電子書籍なので、実際はダウンロードしただけですが)。

武道館はどんな場所かと碧に聞かれたとき、愛子は小さい頃に見に行った大地の剣道の試合を思い出しながら、このように答えています。

「でも、武道館は」
愛子は目を閉じる。
幼い大地が握る竹刀が、相手の頭の上で弾ける。
「人は、人の幸せを見たいんだって、そう思わせてくれる場所だよ」
あのとき、愛子も、母も、大地の両親も、剣道クラブの仲間たちも大人たちも皆、大地が勝つことだけを望んで、祈って、願って、武道館のど真ん中に視線を集中させていた。
「あそこは、そんなふうに、人を信じさせてくれる場所だと思う」

「武道館」より

ここで仮に、人の感情を「幸せ」「普通」「不幸せ」の三段階に分けるとしましょう。多分、ほとんどの場所には3種類の感情がすべて同居しているはずです。例えば朝の通勤電車やブラック企業のオフィスなら「不幸せ」の割合が高くなるでしょう。ヤジや声援の飛び交うスポーツの試合なら、「幸せ」と「不幸せ」が丁度同じ位なのかもしれません。こう考えると、武道館のライブ会場にはおそらく「不幸せ」の感情はほとんどないのではないでしょうか。しかもそれは、武道館のステージにいるアイドルもひっくるめて、です。もちろん、日常の対バンライブならいざ知らず。

確かに、生きているなかで誰かの「幸せ」を見にゆく機会なんてそうそうありません。一番最初に思い浮かぶのは結婚式でしょうか。結婚式に行く人が包んでゆく御祝儀は挙式代の補填という見方も出来ますが、一方で新郎新婦の「幸せ」を見るためのお金とも考えることが出来ます。人の「幸せ」をみて、自分も「幸せ」になれる。そうじゃないと3万円なんて割に合いません。

しかし、結婚式に呼べる人数は限られており、せいぜい100人が限界です。かたや武道館は、最大収容人数で14,500もの人間が、人の「幸せ」を見るためだけに集えるのです。「幸せ」になるためのパフォーマンス、言うなれば「ハピパ」が高い場所であることが分かります。大勢の人を幸せにして、笑顔にして、元気にすることがアイドルの使命とするならば、武道館ほど最適な場所はないのでしょう。

加えて、武道館のチケットは決して安くありません。スタンド席でも10,000円前後が相場、アリーナ席だともっと高くなることもあると思います。「なんでたかがアイドルのライブにそんなチケット代払うの?」と思われるかもしれませんが、「武道館」では大地がこの疑問に答えをくれています。

「お金を払うって、自分が何を欲しがってるのか、自分が何だったら満足するのか、すげえ考えるしすげえ選ぶってことじゃん。金も払わないで、何でもある中から手に取り続けてたらさ、そりゃ、自分がどんなヤツかってわかんなくなるよ。金払ってなかったら、期待外れのモンでも、まあいいかってなっちゃうし。めっちゃ良かったモンでも、ラッキー、くらいだし。どっちも同じくらいの距離にあるっつうか」
ここでまた大地はまた一口、アイスを食べた。
「愛子は、CD売って、いろんな人たちを悩ませてる。自分はCDだけが欲しいのか、握手だけしたいのか、どっちもいらなかったのか、どっちもほしかったのか、何回握手すれば満足するのか、どれだけ握手しても満足しないのか、音楽が好きなのか、アイドルが好きなのか、どんな売り方だと許せないのか・・・・・・自分がどんなヤツかって、いろんな人に考えさせてるだろ。それってすげえことだなって俺は思うよ」

「武道館」より

オタクは、オタクしている時以外の出費にはとかく敏感です。例えば僕なれば、普段はラーメンにトッピングを乗せるのすら躊躇するのに、推しメンとの2,000円のチェキは普通にループするといった具合に。これはオタクの盲目さ、意思の弱さを揶揄していると捉えられがち(かつ、それは決して間違いではないん)ですが、それだけではないと思います。オタクは、自分にはそれが好きと分かっているから躊躇なくお金を使うのです。たぶん在宅・ライト勢が軽んじられて、現場勢が優遇されるという地下現場にありがちな構図も、「好きなことなんだからお金を使って当たり前」という暗黙の了解があるからだと思います。現場はそれで回ってるんだから、外野はとやかく言うな。

僕も時々、ライブにどれくらいの頻度で通っていて、どれくらいのお金を使っているのか一般の人に話すと、「推しがちゃんといるのすごいね」と言われることがあります。それは「お金をそれに使うって決められているのすごいね」と言い換えることが出来るんだなと気づきました。

推しメンのことを幸せにしてあげたいと決めている人が、それ相応のお金を払って、推しメンの幸せを見に来る。それがライブの本質なんじゃないかと思います。だから武道館はアイドルの憧れの場所であり続けるし、オタクにとっても晴れ舞台で、「推しがそこに行けたら死んでもいい」と言い切れるわけです。



武道館のその先

結局、武道館がアイドルの憧れとされるのは、特別な場所として多くの人に認識されているからだと思います。「武道館」では、愛子が大地の剣道の試合を初めて見に行った場所、そしてそこで母との一番の思い出もある親子時計の写真を撮られたのが武道館です。また、NEXT YOUがデビューしたのも武道館の前でした。そういうふうに誰もが何かしらの理由で思い入れを持っているからこそ、特別な場所になるんだと思います。

また、「武道館」では、武道館を目指すにあたってのメンバーの成長が描かれています。アイドルだけでなく作詞家としてのキャリアを歩み始めた波奈。バラエティに活路を見出した真由。妹キャラを脱却してプロのアイドルへと成長したるりか。女優として評価を得るようになった碧。そんな彼女たちが迎えるはずだった武道館公演はたった一日。長い人生においては何でもない時間です。しかしそのステージにたどり着くまでのストーリーが面白いのは、リアルもフィクションも変わらないのでしょう。

しかし同時に、武道館に立ったあとのその先も、「武道館」では描かれています。愛子と碧は、愛知遠征帰りのパーキングエリアでこんな会話をしました。

「だけど、私たちって、武道館に立ったあともいきていかなくちゃいけないんだよね」
(中略)
「武道館に立ったあとも、ハタチになったあとも」
葵はまっすぐ前を向いている。だから、目は合わない。
「アイドルじゃなくなったあとも、生きていくんだよ、私たちって」
「うん」
愛子は、具体的な名前を出さないにしても、碧が誰のことを思って話しているのかが分かった気がした。碧もきっと、愛子が、言わんとすることを分かっていることを、分かっているのだろうと思った。
「そういうことを考えてあげられるのって、自分だけなんだよね、たぶん」

「武道館」より

このやり取りは、愛子と碧が共に、グループや応援するファンを選ばず、武道館に立てなくなる選択をする結末を匂わせる場面です。

武道館に立ったことにどのような評価が下されるのか、それはライブ前だけでなく、ライブ後の活躍も同じくらいに重視されるべきだと思います。武道館をきっかけに確固たる人気を獲得したとき、はじめて「あの武道館公演は伝説だったね」と言われるんだと思います。結局公演は中止となったものの、初期メン各々が飛躍を遂げたNEXT YOUを見ていると、武道館はあくまでも1ピースでしかないんだなと思いもします。

しかし「武道館」で不気味なのは、主人公の日高愛子がアイドルとしてどのように評価されていたのかがまったく明らかにされていないことです(強いていえばセンターの脇を固める実力だったことくらい)。そしてステージに立って音楽を届けることだけが生きがいだった愛子は、グループを去ってから全く表舞台に出なくなったのも残酷な結末に感じます。これはアイドルがアイドルであり続けることは出来ず、その先のキャリアを常に描いていなくてはいけない現代の悲哀も表しているように思います。



多くの少女たちの過去と未来を映し出す瞬間が交差する場所、武道館。その場所の特殊性を考えられる機会を得られたという意味で、とても有意義な読書になりました。

しかし地下アイドルオタクとしては、武道館は特別だからこそ、武道館だけではいけないとも思いました。アイドルが武道館に立てる時間、オタクが武道館で推しを見られる時間は、それまでに積み上げられた時間、そしてその先に待っている時間に比べればほんの一瞬です。

(世間一般は置いといて、僕や周りのオタクたちがやっている類の)「推し活」においては、武道館以外の日々の現場も同じくらいに重視すべきだと思うのです。武道館に向けてグループが駆け上がってゆく瞬間、武道館を経て、推しメンが新たな道へと羽ばたいてゆく瞬間こそが、オタクにとって最も喜ぶべきなのではないでしょうか。


おわりに

まとめます。

…もう明日?

以上です。

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