背中に添えるあたたかい手 【山本美希「かしこくて勇気ある子ども」感想】
朝日新聞の記事を読み、興味を持った本。
全編色鉛筆で描かれたカラーマンガです。
はじめての妊娠で、赤ちゃんの誕生をそれはそれは楽しみにしている若い夫婦。
どんな子になるんだろうね。どんな子にしたい?
街で可愛い子どもたちを見れば心が躍り、
育児本や天才児の記事を読めば憧れがふくらみ、
生まれてくる子への期待がどんどん高まっていきます。
「自分の知らないこと たくさん
教え込むつもりだもん!」
「うちの子が 世界でいちばん
賢くて勇気あるスゴい子になるといいなって
思っちゃってるもん!!」
けれど、賢く勇気がある故に事件に巻き込まれたある少女のことを知り、妻・沙良さんは大きなショックを受けることに。
「うまれてきたらいいことあるって
思ってるかもしれないけど
それって信用できるの?」
楽しいことばかりじゃない。
本当は、痛いこともこわいこともたくさんあるこの世界なのに。
最高のお手本だと思っていたあの子でさえ、こんな目にあってしまうのに。
この子をどうやって育てたら良いのか。
どうやって守ったら良いのか。
お腹の子が大切だからこそ、そして真面目で真剣な沙良さんだからこそ、この問いは恐ろしいブラックホールのように、沙良さんの心を蝕んでいきます。
はじめての赤ちゃん、はじめての育児。
なにもわからないよね。
ルールが違う別世界。
もう、想像するしかないファンタジーの領域だよね。
私自身も育児本やネットの情報に過剰に反応して、期待だけでなく、不安も大きくふくらんでいたことを覚えています。
我が家は、ダンナの転勤先での初めての出産。
慣れない土地で、双方の実家から遠く離れているのに加えて、ダンナは出張がち。
そんな中での育児は、私にとっても「恐ろしいもの」だった時代があります。
この、なにひとつ自分ではできない、ふにゃふにゃした赤ちゃん。
私が気をつけていないと、命さえ落としかねない頼りない赤ちゃん。
私なんかにポンッと命を預けられても、私は守っていけるんだろうか。
この子を健康に安全に育てきるには、いったい何年かかるの?
小学校へ上がるまで?
中学?
それとも、成人するまで?
そもそも育児のゴールってなんなの?
一人前にすること?それとも「幸せ」?
そう考えると、両肩に乗った責任の重さと育児の果てしなさに、心が砕けてしまいそうなこともありました。
あの頃の私も、このマンガの沙良さんも、
「大丈夫よ、大丈夫よ」って
落ち着くまで背中をさすってあげたい。
私もまだまだ育児の渦中だし、まだまだ悩みも多いのよ?
でも、子どもは思ったよりもたくましいってことは知っている。
それにけっこう、勝手に育つから。
親が、私が、なんとか育て上げないとって気負っていたけれど、それも少し違っていたみたい。
友だちとか先生とか兄弟とか。
本とかTVとか音楽とかゲームとかスポーツとか。
他にも、街とか公園とか風とか犬とか時代とか。
とにかく、ありとあらゆるものから子どもは勝手に学んで、勝手にバージョンアップして、育っていくから。
苦労もつらいことも、ゼロにしてやることはできないし、この世界がこれからどう変わっていくかはわからないよね。
ことにいまは、自分の身ひとつ守るのも大変なとき。
でも子どもを育てるうえで、なにかしら消せない不安があったのは、もしかしたらいつの時代でも同じことなのかも。
例えば子どもにつける名前って、こんな子になりますようにという親から子への祈りとか御守りのようなものでしょう。
時代や世界への不安。見えない将来への不安。
なにが待っているかわからないけれど、どうかこの子が、かしこく、強く、勇敢に、明るく、美しく生きていきますように。
私たちはみんな、脈々と誰かに未来を祈られながら、ここまできたのかもしれない。
そう思うと、背中をさすっていたはずの私の背中にも、誰かのあたたかい手を感じます。
そうよ、あなたも大丈夫よって。
「かしこさ」と「勇気」は、子どもたちが未来を生き抜くためだけじゃなくて、私たちが、未来と子どもを信じ抜くためにも、必要なものなのかもしれないね。
あたたかい手を添えて、この本がそう言ってくれているように思いました。