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2025年1月3日(金)きっと大丈夫な1年になる

あっという間に3が日が過ぎた。夜勤が明けて、わたしの年末年始の連勤はやっと終わり。いつも通り働いているだけ、といえばそうなのだけれど今年もよく頑張った。

夜勤明けはかなり気持ちが沈んでいた。日勤で来た人がかなり不機嫌で、それをもらってしまった。

ただ、その人は理由なく不機嫌でいるのではなく、職場の理不尽な勤務形態に怒っていた。1月のシフトに関しては確かに怒る必要がある。理にかなった不機嫌だった。
わたしが心の底でちょっとわかってたけど見ないようにしていたことを、直視させられた。その実感が自分の心にかなりショックを与えた。
現実を見ないようにしていた自分への失望と、これからきっとまたしんどいことが待っているという絶望と、夜勤明けの疲労の中でシンプルに「不機嫌な人」からのダメージを喰らい、ぼろぼろになって勤務を終えた。

ひとまず、このままこの気持ちを持ち帰ったらきっと嫌な夢を見るし、引きずり続けたまま休みに入ってしまう。現実を見つめるとかそういうフェーズに入る前に病み倒してしまうだろう。
なんとかこの気持ちを外で払い落として行きたくて、ぼろぼろの足取りで職場の最寄駅のカフェに逃げ込み、コーヒーを買った。カフェは元旦から変わらず営業してくれていた。

この想いのループを払拭するために、リュックに入れっぱなしになっていた本を読むことにした。ぱらぱらとめくって心惹かれて買ったのに、時間がなくて開けていなかった本。
内容は、何気ない日常が綴られたエッセイ。著者の心の波を文字と一緒に追いかけていると、自分の沈んでいた気持ちからちょっと離れられる。やわらかい言葉が固まった気持ちをほぐしてくれるし、綴られた知らない街の風景を想像するのは胸が高鳴る。
本を読んで気持ちを紛らわせるというのはぜんぜん無責任だし、対症療法でしかないし、根本の原因の解決には決してなってないのだけど、今はこの気持ちから一旦離れることが得策だとわかっていた。現実を俯瞰するためには、離れる時間をきちんと作らなければならない。
そういう気持ちで人はネットニュースを読むのかな、とふと思った。誰かの人生にああだこうだ考えることで自分の向き合う現実から逃避したいのかもしれない。それが本人からの発信なのか、揚げ足を取りたい他人なのかの違いで。

そんなことを考えながら80ページくらいを一気に読んでぼうっとしていると、カフェの店員さんが小さく切ったスコーンの試食を持ってきてくれた。「お嫌いじゃないですか?口の中の水分が結構持っていかれるんですけど、まだお飲み物は残っていますか?」と笑顔で話しかけてくれた。こちらへの全力の配慮に胸がぎゅっとする。落ちてる時に優しくされると泣きそうになっちゃう。まだコーヒーはあります、とっても嬉しいです、と伝えた。

スコーンを食べてしばらく経つと、わたしの隣に座ろうとしたマダムがコーヒーをこぼしてしまった。その奥で勉強をしていた高校生くらいの女の子が、「大丈夫ですか!」とすぐに立ち上がった。わたしも立ち上がり一緒に片付けたのだけど、マダムは自分の汚れた服や熱いコーヒーがかかった手を気に留めず、わたしに向かって「あなたの方にかからなかった?服は汚れなかった?」と何度も繰り返していた。わたしがティッシュを渡すと、「優しい、ありがとう」と笑ってくれた。店員さんも駆けつけて、その場はすぐに収まった。

カフェからの帰り道、そのときの風景を反芻しながら歩いた。
1月3日に東京の街で勉強をする彼女は、隣の誰かが困っていたらすぐに立ち上がり声が出せる優しさを持った人だった。
隣に座ったマダムは、自分が焦っている時もこちらの好意をあたたかく受け取ってくれる人だった。(わたしはこういうとき、パニックになってひたすら謝ってしまう。これ以上人に迷惑をかけたくなくて、ほっといてほしいとさえ思ってしまう。しんどい時に感謝の言葉が浮かぶのはその人の器だ)
お正月も働くカフェの店員さんは、試食のスコーンをわたしがコーヒーと一緒に美味しく食べられたらいいな、と思ってくれて、それを声に出して伝えてくれた。
わたしがきちんと見つめなければいけない現実はあるけれど、わざわざ絶望の中に閉じこもる必要はない。世界とかかわりあう勇気を持って行動すると、人は結構自分に優しいのかもしれない。
世の中はすべてわたしの嫌な方に進んでいって、わたしだけが辛いと思ってしまう夜は何度もある。でも、それをなんとかしたくて行動した先で出会った人たちがわたしに優しかった朝が確かにあったということも、覚えていたい。

カフェに寄るのはやっぱり得策だった。エッセイを書いてくれたあなたに、1月3日から働いてくれるあなたに、一生懸命勉強するあなたに、コーヒーを飲むあなたに、今日のわたしは救われました。ありがとう。
こういう気持ちでどこかに行って冷たくされて余計落ち込んだ経験もあるし、いつも人の優しさを期待しているわけではない。ただ、辛い現実を見た後に会った、全然知らない人たちが優しかったのは何だか嬉しかった。

とりあえず1日をしっかり休む。休んで、元気になってから考えよう。わたしは自分を大事にして、そのあとに人に優しくできるのだから。
これだけ幸先が良いのだから、きっと大丈夫な1年になると思う。今日出会った人からなもらった根拠のない安心を、縁起の良いできごとを、大事にしていこう。



今日帰り道で聴いていた曲

今/SUPER EIGHT

見つめても見えないものがあると
聞こえない声を聞こうとしても

彼方に光を感じるよ
おはようまた会えた 
ほんとさ


夢の中から 水の底から
手を伸ばし君の掌繋いだ

いつか目の前 たどり着けたら
苦い思い出を笑える頃かな
未来を越える 今 今 今


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