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vol.89 ルイス・キャロル「不思議な国のアリス」を読んで(トーベ・ヤンソン絵・村山由佳訳)
この本、挿絵があの「ムーミン」を描いたトーベ・ヤンソンだったので食指が動き、世界中で読まれているこの児童文学を読んでみた。
イギリス人作家、ルイス・キャロルが描いたこの作品は、実在する少女アリスをモデルに1865年に刊行されていた。日本では江戸末期の頃だ。
この作品、ずいぶんと繰り返し映像化されているが、原作は、なんとも奇想天外な物語だった。挿絵がまた素晴らしく、そのキャラクターの表情は、不思議な国をさらに不思議にしていた。
白ウサギを追っかけて、大きな穴に迷い込んだアリスは、川べりの退屈な午後に、姉のそばで夢を見ていた。その夢は、何ものにもとらわれない自由奔放で、破天荒なものだった。
アリスの夢は、実社会で起きる当たり前のことが一つもない。ニヤケている猫の顔が徐々に消えてなくなったり、トランプが言い争いをしたりする。アリスの身長だって、一気に伸びたり縮んだりする。
この『不思議な国のアリス』という作品を通してキャロルが伝えたかったメッセージはなんだろうか。
この作品には、王や女王を頂点とした階級社会が描かれていた。判決が先という不条理な裁判を仕切る王がいた。自分が気にくわないと、即刻死刑を命じる女王がいた。そんな社会で、雑多なキャラクターたちが、ユニークに生き延びている。その個性的な登場人物の生き方は、喜劇的であり、悲劇的にも感じる。無教養からくるたくましさもあるが、誰もが王や女王にビクつきながら生きている。
不思議の国では、すべてが変だった。当たり前じゃないのに、誰も変とは言わないので、変が当たり前になっていた。
そんな不思議の国に迷い込んだアリスには、ヘンテコなキャラクターたちにはない、堂々とした人間らしさがあった。一歩も譲らないたくましさを持っていた。困難な道を切り開いて進む力強さもあった。侮辱を受けたらまっすぐに怒り、自尊心を前面に出し、妥協しないで勇敢に立ち向かう信念があった。
何か大切なことが描かれているように感じた。
当たり前じゃないのに、当たり前として受け入れてしまって、おかしいと言えない大人にはなりたくない。これは、僕が遠いむかしに、当たり前として持っていた感情だ。
おかしなことはおかしいと、まっすぐに言える子どもの感性に、その純粋さに、大人たちはたじろぐ時がある。大人になったら、我慢を覚えて変になる。素朴な感情を口にすることにちゅうちょしてしまう。
キャロルが伝えたかったメッセージは、「ちゅうちょしない関係性こそが、保たれなければならない環境」ということなのかもしれない。アリスは何もちゅうちょしない。
155年前の7歳の少女が、むかし僕が確かに持っていたが、今は失くしてしまった感情を示してくれたように思った。
児童文学『不思議な国のアリス』を読んで、そんなことを考えた。
おわり