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vol.112 大江健三郎「奇妙な仕事」を読んで

大学病院に実験用として飼われている犬150匹を撲殺するアルバイトの話。

この小説は、ノーベル文学賞作家大江健三郎が初めて世に出した作品で、1957年5月東京大学新聞に掲載されたとのことだった。

どこか生き方に冷めた学生たちの息づかいを感じながら読んだ。犬殺しの当事者となるこの3人の学生アルバイトは、どんな精神状態なのだろうか。その感情のきっかけは、当時の時代背景に大きく関係があるように思った。

「息がつまるほどの卑劣なやり方」でも、皮も肉もお金になる。この「奇妙な仕事」にすぐに慣れ、テキパキとこなす「僕」の感情に興味がいく。

著者は大江健三郎なので、深く考えることに気負いながらも、それを楽しめる期待もあった。

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解説を交えてもう一度読んだ。気になる点が見えてきた。

処理される「犬」のことを「僕」がどう感じているか、そこに興味がいく。

実験用としてつながれている「犬」は、あらゆる種類の雑種がいて、どれもひどく似かよっていた。そして、全部けちな雑種で、痩せていて、杭につながれて敵意をすっかりなくしていた。

そして、「僕らだってそうなるかもしれない」と二十歳の学生アルバイトの「僕」は感じていた。

「すっかり敵意をなくして無気力につながれていて、互いに似かよっていて、個性をなくした、あいまいな僕ら、僕ら日本の学生」

なんだか急に主語が大きくなっているが、撲殺されるのを待つ「犬」と、「僕ら日本の学生」を対比して、「似かよっている」と感じている「僕」の感情にどんな背景があるのだろうか。

また、その他にもいくつかの対比に気がついた。

日常的な疲れの中で「生きていること」とペイの良い「仕事」の関係があった。動物愛護者の「正義」と犬殺しの男の「正義」もあった。病院の予算を得た「建築中の鉄筋の建物」と病院の裏に残っている「木造の倉庫」の並びも気になった。処理される「犬」と処理してお金をもらう学生アルバイトが相対的に描かれていた。

それらは、戦後10年以上が過ぎて、物質的な豊かさばかりを求めている社会に、疑問を投げかけているようにも感じた。

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そうやっていろいろ考えた。しかしこの戦後社会に生きている学生が犬を殺すアルバイトの話を、2割ぐらいしか理解していないようにも思う。もっと深く知りたい欲求がある。この「奇妙な仕事」を書き直したとされる「死者の奢り」も読んで、またこのnoteに感じたことを書きながら、深く考えることを楽しみたい。

おわり

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