自分で、自分を、もてなす。(2021.1.22)
追い上げて、追い上げて。
自分を追い込んで、時には押し殺して、高みを目指す。
それが正しいと思いながら、そうはなれない自分のことをずっと恨めしく思ってきた。
コロナ禍で家とバイト先の往復になった僕は、料理をするようになった。
そしてお弁当を作るようにもなった。
最初の理由は薄給だったから。
しかし、ある時彼に言われて気づいたのだが、お弁当を作っても光熱費や食材や手間を考えれば、そんなに安いとも言えない。
安くするのであれば、どんどんと食費を切り詰めるためにメニューを質素にするか、底上げコンビニ弁当にした方がいい。
でもそれはなんか違うな、と思っていた時に、
ある知人がこんな言葉をくれた。
「自分で自分をもてなしている、それでいいんじゃないかな」
秀逸な言葉だと思った。
栄養バランスを考え、自分の好きなものを用意し、お弁当に詰める作業は、
僕のための時間でしかない。
自分を大切に考え、ケアする貴重な時間なのだ。
このもてなしは、
例えば僕がお弁当を一緒に住む彼にも作って手渡すように、他人へのおもてなしへと繋がっていく。
そうやって遠くの誰かへと、社会へと繋がっていけばいい。
自分へのケアを他人に委ね、組織の奴隷となり、手元に残るのはお金だけ。
コミュニティも、生活能力も自分の手には何も残らないような、
「滅私」の時代は、どんどんと変わっていってほしい。
一方で、今も「滅私」の誰かが社会を動かしていることに敬意を表したい。
そんな人にまで、小さなもてなしをいつか届けられたらいい。
自分の置かれている環境のかけがえのなさに気付くことが出来た。
お弁当のおかげだ。
生活を大切にする自分を誇らしく思っている。
※忙しい時にお弁当を冷凍食品でいっぱいにしたのは、ナイショの話です。笑
ゾウチクコウジ