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「チームファースト」は「自己犠牲」ではない

最近、組織に関して議論したり一人で考えたりする機会が増えました。

そして、僕自身の過去の経験に紐付けしながら、議論や新しい知識をインプットしている中で、とても重要な気づきがありました。

それは、「チームファーストは自己犠牲ではない」ということです。

当たり前のことを言ってしまいました。すみません。

でも、この言葉の真意がようやく理解でき、自分の中に消化することができました。

ですので、ぜひ皆さんとも「チームファースト」について分かち合いたいと思い、今回この記事を書きました。

チームファーストとは

チームファーストとは、

チームの成長を最優先して物事に取り組む

ということだと僕は考えています。

僕が部活動で組織をマネジメントしていた時は、このニュアンスで「チームファースト」という言葉が使われていたように思います。

でも、この言葉はマジックワードで、解釈が人それぞれにあるため、解釈のズレが生じてしまい、「何がチームファーストなのか」ということをよく議論していました。

結局明確な答えが見つからないまま、僕は部活動を引退してしまい、チームファーストと向き合う機会はなくなってしまいました。

なんのためにチームがあるのかを問う

でも幸運なことに、部活動を引退するとコーチとしてチームに残ることができるようになりました。

さらに、コーチ業だけではないところでも組織やチームについて議論することが増えました。

そのような日々の中で、部活動において自分にできたこととできなかったことを言語化するのですが、

ある日、ふと「本来チームってなんのためにあるのだろう」と疑問に思い、「チームの価値」について考えました。

そして、その時に考えた、僕なりの暫定的な答えは

一人では到底成し遂げることのできない目的を達成するためにチームはある

ということでした。

人間一人の力というものは微力です。

だから、人はチームを組んで、一人ではできないことをみんなで協力してやるのだと思います。

例えば、目的達成のためには力が10必要なのに、自分一人だけでは1しかありません。
だから1をたくさん集めて10にするんです。それがチームです。

だから、チームとは本来、個人の目的達成のためにあるのではなく、チームとして達成すべき目的があるためにチームがあるはずなんです。

それなのに、時として人は自分の欲求の達成を最優先してしまい、チームの目的の達成ではなく、自分の目的の達成のために動いてしまいます。

そして、それがチームの成長の足かせとなってしまうケースがあります。

それはなぜでしょうか。

なんのために自分がチームにいるのかを問う

チームの目的達成よりも自分の目的達成のために動いてしまうことがありますよね。

それは、果たして間違っているのでしょうか。

僕は間違っているとは思いません。

ただし、条件がある考えています。

それは「チームと健全な関係性が築けている」ことです。

「健全な関係」とは、

チームの成長のために取った行動が自分の目的達成に繋がり、自分の目的達成のために取った行動が組織の成長につながる関係性

だと僕は考えています。

つまり、自分のためがチームのためになり、チームのためが自分のためになるという関係です。

例えば、僕が試合で勝てるようにマネジメントに関するミーティングを開催し、チームの課題点を指摘し、解決しようとする行動を取ったとします。

この行動には、

チームのために取った行動:ミーティングを開催する
自分の目的:周りから頼りにされる存在になる

というそれぞれの行動の裏側にある目的が見えてきます。

つまり、「ミーティングを開催する」という行動は、「試合に勝つ」というチームの目的達成につながる行動であり、それによって僕は「周りから頼りにされる存在になる」という個人的な目的の達成にも繋がります。

言い換えると、個人の利益が組織の利益に直結するということです。
また逆も然り。
組織の利益が個人の利益に直結する。
このような個人と組織の関係性が「健全な関係性」だと考えています。

このように、個人目的の達成とチーム目的の達成が相乗効果的に成し遂げられていく関係性がチームには必要だと思います。

この関係性をメンバー一人一人が構築できていれば、それぞれのやりたいことをとことんやればいいのだと思います。

自分の目的の達成のために動くためにはこの条件が必要だと思います。

そうすれば、コントロール(指示や命令)ではなくコンテキスト(条件)によるマネジメントが可能になります。

すると、メンバーのイキイキやワクワクを最大限に尊重したチームになることができます。

ですので、マネジメントの目的は、メンバー各人とチームとの健全な関係性の構築を促進することだと言えます。

「俺」から「俺たち」へ

チーム内に「チームファースト」の精神が浸透しているかどうかを見極める一つの指標があります。

それはチーム内で交わされている言葉の中の「主語」です。

チームファーストが浸透していないチームで交わされるコミュニケーションでは、主語が「俺」や「私」になっています。

一方、チームファーストが浸透しているチームでは「俺たち」「私たち」になっています。

たとえ明確に言葉として表出していなくても、分脈で「これは、個人のことを言っているのかチームのことを言っているのか」がわかる場合もあります。

お前のためにチームがあるんじゃない。チームのためにお前がいるんだ。

先日、実家に帰った時、久しぶりに『スラムダンク』というバスケットボールの漫画を読み返しました。

スラムダンクは僕をバスケットボールの世界に導いてくれた僕のバイブルです。

スラムダンクを読み返している中で、こんな言葉が書かれていました。

お前のためにチームがあるんじゃない。
チームのためにお前がいるんだ。

この言葉を改めて目にした時、思わず泣きそうになってしまいました。

僕がずっとモヤモヤを抱えていた「チームファースト」の考えが自分の中に消化された瞬間でした。

なぜ人に注意や叱責を受け、時には失敗して苦しみながらもそのチームにとどまり続けるのか。

それは、「自分はチームという生き物に存在している一細胞」だからです。

チームにいなければ自分はただのちっぽけな存在になってしまう。
細胞は単体では生きていけませんよね。

だからこそ、チームにいることで自分の役割というものが明確になり、自分の存在価値というものが生まれる。

細胞が自分勝手に動いてしまうと、チームという生き物は崩壊してしまう。

周りの細胞と連携しながら、相乗効果を生み出し、チームという生き物を成長させていかなければならない。

僕たちメンバーは、チームのために行動する責任があるということです。

そして、それは「自己犠牲」ではなく、「自己実現」なのだと思います。

チームのために行動した結果が自分のためになる。

だからチームファーストは自己犠牲ではありません。

これからは、なんとか言語化し、消化することのできた「チームファースト」をチームに還元し、より良いチームを作っていけるように頑張っていきたいと思います。

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