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心理的安全性との出会い

今回は、現在僕がどっぷりと浸かって研究している「心理的安全性」との出会いを振り返りたいなと思います。

心理的安全性に関して研究していると、「なぜ自分は心理的安全性を研究しているのか」とふと原点に立ち返りたくなる時があります。

今回もそんな原点回帰の一つです。

そしてせっかくならnoteにまとめておこうかと思い、キーボードを叩きました。

「技術」だけでなく「マネジメント」を学んだ大学4年間

僕は小学生の頃からバスケットボールをプレーしており、バスケットボールが上手くなりたい一心で日頃の生活を全てバスケに費やしていました。

そんな「バスケ馬鹿」だった僕ですが、大学でのバスケットボールは少し違っていました。

大学までの僕は「とにかくバスケが上手くなって試合にたくさん出場したい」という、「技術」を磨くことだけに全集中していました。

しかし、大学では「技術」だけでは上手くもなれないし、試合にも勝てないことに気づきました。

メンバーの技術を足し算ではなく掛け算にしないと、試合で自分の強みも発揮できないし、試合に勝つことは到底難しいことを痛感しました。

そこで僕はバスケの技術を磨くことに加えて「マネジメント」にも注力するようになりました。

メンバーの主体性はどうやれば引き出せるのか

マネジメントに目を向けるようになって真っ先にぶつかった問いが「どうすればメンバーの主体性を引き出せるのか」という問いでした。

これは学部の卒業論文でも取り組んだほど、僕にとっては高い壁でもあり、楽しい壁でした。

しかし、結論としては「何も答えを見出せなかった」でした…。

そもそも「主体性」ってなんなのか。
そもそも主体性って外から働きかけて引き出すものなのか。
外から働きかけてる時点で主体性ではないのではないか。

そんな思いが卒論執筆後もずっとモヤモヤとしてありました。

そんな時、僕が出会ったのが「心理的安全性」でした。

「生涯追い続けたい」と思えるテーマに出会う

心理的安全性は、僕の心の中にあったモヤモヤをすっきりと取っ払ってくれました。

心理的安全性があればメンバーの主体性も引き出されるし、メンバーの満足度も上がる。

つまり、僕は主体性を引き出そうと躍起になっていましたが、それはあくまでマネジメントにおける氷山の一角に過ぎなかったのです。

もっと深く見えないところに心理的安全性があるということを知り、当時大変衝撃を受けました。

直感で「これだ!」と思いました。

身震いするとはこういうことか、というような、頭から雷が落ちてくるというか。

そんな感覚でした。

それと同時に、思い返せば、「心理的安全性」という言葉を知らなくても心理的安全性を作り出そうとしていた自分にも気づきました。

当時、チームの主将であった私は、「主将らしくない主将」といったテーマを掲げ、主将という立場をできる限りとっぱらってメンバー全員がフラットに対話できるよう、オープンマインドになることに努めていました。

そうした過去の努力してきた点と点が「心理的安全性」という言葉と出会い、線になりました。

僕にとっての心理的安全性

そんなこんなで心理的安全性の世界にどっぷりと浸かっている今日この頃ですが、現時点で僕が思う心理的安全性について書き残しておこうかなと思います。

僕が現時点で思う心理的安全性は、

失敗することを前提とし、包容力かつ挑戦意欲にあふれる風土

です。

よくVUCA社会とか言われますが、まさに、正解がなく、正解をつくっていかなければならない状況に今僕たちはいます。

ですので、失敗することは当たり前です。

むしろ、失敗から学べばそれは失敗にはならないと僕は考えています。

僕はこの「失敗」という言葉は世界からなくなればいいのに…という野望を持っていて、以前にはこんなnoteも書いていました(笑)

話が逸れてしまいましたが、とにかく失敗することは当たり前として、広い心(柔軟な心)を持って、小さなことで一喜一憂しない心の平静を保ちながら、「とりあえずやってみよう」ともっと気軽に挑戦ができるような世界になればいいなと考えています。

まとめると、

失敗することを前提とし、包容力かつ挑戦意欲にあふれる風土

というのは、

失敗なんて当たり前。とりあえずやってみよう。やってみる中で学び、成長していこう。

ということです。

この心理的安全性を社会・組織・チームレベルで存在する風土として根付かせるべく、研究活動にさらに邁進するとともに、現場での実践にも活かし、机上の空論に終わらせないように頑張って精進していきたいと思います!

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