もう一人の白雪姫
あるお妃の物語
この森は昔から、わたしを優しく包んでくれた。
もう少し奥へと行けば、もう誰もわたしを見つけられないだろう。
人々が ”入ると二度と出られぬ魔の森” と呼んだ、この森に消えたわたしを皆は魔女だと言うだろうけれど……。
今は、それすらどうでも良いような気がする。
わたしは、もう疲れてしまった。
◆
この国に嫁いできて何年が過ぎただろう。
わたしの国の皆は、政略結婚の犠牲になる
かわいそうな ”夢見る姫様” と言ったけれど、わたしは幸せだった……。
幼い頃、垣間見たその隣国の王になるべき若者を、わたしは密かに愛していたのだから……。
だから、彼のお妃が小さな姫を残して亡くなってしまい、わたしがその後添えにお妃として彼の元へ嫁ぐのが決まった時、ずっと叶えられないだろうと諦めていた想いが叶う喜びに、胸を震わせたものだった。
そう、わたしは国では、こう呼ばれていた。
「漆黒の髪と雪のように白い肌に薔薇色の頬、血のように真っ赤な唇。私達の愛する白雪姫」……と。
だから この国へ来て、小さな姫の名前を聞いた時はびっくりした。
わたしと同じ名前……。
そして、わたし達は、とてもよく似ていた……まるで、本当の親子のように。
王がわたしをお妃にと望んだわけも、わたしが前のお妃様と似ていたからだと、そう聞かされたときの切なさ……。
でも、それでもいいと思った…彼の側にいられるのなら……。
白雪姫は無邪気で可愛らしく、わたしを慕ってくれた。
わたしも、また姫を慈しんで育ててきた。
でも彼の目は、いつもわたしを見てはいなかった。
わたしを通り過ぎ、もう手の届かない世界に逝った女性《ひと》を見ていた。
そう……いつもいつも……。
それでも、耐えることが出来たのは、いつかわたし自身を見つめてくれる日が来るとそう信じていたから……。
でも、運命は無情だった。
王は美しく成長した小さかった白雪姫に、亡くなったお妃様の姿を重ねて愛おしげに見つめるようになった。
それは、父親としての当然の愛情だったろうけれど、わたしに対する冷たさを思うと辛いものだった。
一度だって、わたしをあんな風に見つめてくれたことがあっただろうか?
いいえ、わたしを見てくれたことなどあったのだろうか?
周りの者たちの、わたしを見る目も冷ややかだった。
隣国の、ただ政略結婚の道具として嫁いできたお妃。
前のお妃様にわたしが似ていればいるほど、温かく接したりすれば、それはまるで前のお妃様を裏切るような気持ちに皆をさせたのだろう。
多分、王である彼も……。
もう、ここではわたしを ”白雪姫” と呼ぶものはいない。
わたしは、いつも独りぼっちだった。
そして、いつのまにか、わたしは国から持ってきた鏡に向かって独り言を言うようになっていた。
「鏡よ、鏡よ……わたしは美しいのかしら。
どうして、みんなわたしを愛してはくれないのかしら。白雪という名前も、もうわたしのものでは無くなってしまった」
誰かが、それを聞いていたのだろう。
誰言うともなく
「お妃は魔女で、自分の美しさを鏡に尋ねては、白雪姫の美しさを呪っている」
と囁かれるようになってしまった。
そうしてあの日……。
わたしは知らなかった……あのリンゴが本当はわたしに食べさせるべく用意されていたということを……。
知っていたなら、この長い苦しみから逃れるために喜んで食べたものを。
白雪姫がリンゴを食べて倒れてしまったときのわたしの驚き……白雪姫も知らなかったのだ。
彼女はそんなことの出来るひとではないから……。
本当に純粋で無邪気な優しい姫……。
それからは、よく覚えていない。
姫の婚約者の王子が知らせを聞いてやってきて、姫を抱きながら泣いていたとき、リンゴの破片が口から転げ出て、姫は息を吹き返した。
そうして、ホッとする暇もなく、姫に毒リンゴを食べさせたのは、わたしということになってしまっていた。
いくら違うと言っても、誰も信じてはくれなかった。
王さえも悲しげにわたしを見つめた後で
「連れていって閉じこめておくように」
と、そう言ったのだった。
わたしは絶望した。
愛されぬまでも、信じてすら貰えぬ存在に成り果てていたのか……と。
そうして、閉じこめられた部屋を抜け出し
(監視の目が緩かったのは、せめてもの王の気持ちだったのだろうか)
この森へとやってきたのだ。
◆
ああ……そういえば、昔こんな話を聞いたことがある。
何処か深い森を抜けたところに、小さな国があって、そこでは、どんな人間でも優しく受け入れてくれるのだと。
もしも……もしも……
この森を抜けたところに、そんな国があって、その国を見つけることが出来たなら……。
わたしは、もう一度、生まれ変わって生きることはできないだろうか
もしも……そんな国があるのなら……。
わたしは………………。
◆◆◆§◆◆◆
──こうして悪い魔女のお妃は死んでしまい、みんな幸せに、いつまでも暮らしたということです──
◆◆◆§◆◆◆
そうだ、この森を抜けることができたなら、わたしは生きていこう。
もう一度、生きてみよう。
辛いことは沢山あったけど、それでもまだ道が続いているのなら……。
もう一度。
もう、わたしは姫でも妃でも無いけれど、わたし自身として、自由に……。
森を抜ける為に歩いている、その彼女の足取りは疲れてはいるけれど、諦めてはいませんでした。
その後ろ姿を見送るように、励ますように、森の何処かで小鳥の囀(さえず)りが聴こえています。
(終)
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