自己否定は自分を守っているのか
さて、今日も、ゆる体操教室(オンライン)を受けたあとにこれを書いている。
今日のゆる体操は些かハードで、明らかに鍛錬系だった。
鍛錬系といっても、歯を食いしばって耐えるんだ~系ではな絶対なく(それはゆる体操ではない)あくまで、ゆる体操にとって大事なファクターを抑えつつそれをどう動きに繋げていくかの根本をトレーニングするものだ。
ゆる体操にとって大事な要素の一つは
気持ちよく ダラーっと。
なので、今までとは違う脳の使い方が求められる。そこが辛い、でも、気持ちいい。(ここは受けた人じゃないと分からない領域かな)
んで、受けている最中こんな事をふと思った。
自己否定・・・自分はダメだ、とか、また好きな人に振り向いてもらえなかった俺はゴキブリ以下の劣った存在だ・・・・とか。
こういうのって、自分をストレスから守っているんじゃないかって。
なんでこういう事を思うようになったかというと、俺より遥かにゆる体操を
本格的に取り組み、日常生活に活かしている先達のこのブログの記事を読んだからだ。
その中で
・ 人間は他の種に比べ「耐える」能力が桁違いに高い。
(極度のメンタルストレスや環境の変化は動物を死に追いやる)
・人間は上記のような場合は、ストレスを一時的に吸収するために身体を固める。
・でも、それは本当に非常時の能力で、本当はそこからさらにゆるむことで
困難な状況を乗り切ることがベスト
という事が書かれている事を思い出したからである。
・・・・うん・・・・確かに、幼少期からの辛い事って、身体を必ず固めていた。
固めていたからこそ、自分はダメだって思考が生まれてきたんだと思う。
でも、それは自分をストレスから守るための「防御の型」で、
本来はどんな激流にも逆らわず、泳ぐ魚のように、ゆるゆるにゆるんで
いくのが良かったんだ。
とすれば、今後恋愛面で好きな女性にアプローチして
やっぱり彼氏(あるいは夫)が居たか、いい女は他の男性がゲットしてるもんな俺なんかが手に入る道理が無い→現実を見ろ
ぢゃなく
フラれた悲しみに浸るも・・・・・
→次行ってみようか
となるのが、オスの本能としてはいいのか。
今回も最後は失速した文章になったが「ゆるして」頂ければ幸い(・∀・)