しんどかったあの頃
今年で41歳になるのですが、今まで一番しんどかった時期はいつかと自問自答するに、やはり思春期だなと思います。
個人差はもちろんあると思うのですが、思春期ってなんなんでしょう。
やたら自分の事が嫌になって、しじゅう鏡を見ては「はあ…」と落ち込んだり、やたらポテトチップスを食い散らかしてはニキビを量産したり、「人の目なんて気にしない」と虚勢を張っては、実はすごく人目を気にしていたり。彼氏ほしいなあと言いながら、はっ?五分刈りですか?というほど、髪の毛をジャキジャキのベリーショートにしてみたり。
どんなマニアックな男性と付き合おうとしていたのでしょうか。
どう考えても支離滅裂でした。
そのうえ、酔った父にしょっちゅう夜中に起こされては正座させられ、朝方まで説教されるというちょっと独特な家の中で育っていたので、心身ともに不調に陥り、高校を半年で中退。
高校の先生方に、中退ではなく休学にするようすすめられたり、中学の先生には「高校をやめて良い方向に行ったやつはほとんどいない」と諭されたりしました。それを頑として聞かず「勉強する意味がわからないまま、高校受験。受験が終わったと思ったら、入学してすぐにまた大学受験の話。自分の意志と関係なく、工場のベルトコンベアーに乗せられて運ばれている感じだ。」「こんな学校(高校)は私には必要ない。自分で読書して勉強する。」と主張して、途方にくれて泣く母を尻目に退学してしまいました。
私は昭和後期の生まれなので、あの頃は高校中退=人生挫折というイメージが強かったのでしょう。(五分刈り風の髪型とか)ちょっとアクは強いものの、ある意味ずっと優等生風味できた私の突然の異変に、家族や周囲は慌てていました。
(今はもう学校に行かないことは特別なことでもなくなってきてるし、おそらく、これからますますそうなるだろうと思います。)
「こんな学校は私には必要ない」これも本音でしたが、実際のところ、思春期であるということと、家庭内での虐待もあいまって、当時の私は心身ともにどん底。人が沢山集まる学校という場所に行ける状態ではありませんでした。実際、中退した後しばらくまったく外に出ることができず、ひきこもりになり、劣等感の塊が息も絶え絶え一応生きてます、という感じでした。
そこから這い上がるのは、まあまあというかかなり大変でしたが、極力人と接しなくてすむ新聞配達のアルバイトからはじめ、大型商業施設の清掃のパート、道路工事の警備員などを経て、コールセンターの契約社員になった20歳の頃には、抗不安薬を飲みながらではあるけれど、仕事終わりに同僚と飲みにいったり、カラオケに行ったり一人暮らしをしてみたりと、社会生活を送れるまでに。
転機が訪れたのは21歳の頃。
教育大学の音楽科に在籍していた友達からの誘いで、学生主催のオペラ公演を観に行き、「えっこれぐらいなら私も練習すれば歌えそうじゃん?」と、何とも上から目線の失礼な感想を抱き(ほんとにな)、教育大学を受験することにしたのでした。18歳のときに大学入学資格検定を取ってあったので、受験資格はありました。アルバイトをしながら声楽のレッスンに通い、勉強を開始。手続きも全部自分一人でやっていたこともあり、センター試験出願時の科目選択の不備やらで、結局3回目の受験でやっと受かったのでした。23歳でした。
しかしながら声楽で入学したものの、歌にぜんぜん適性と才能がなく、さっさと見切りをつけて、弦楽器専攻に転籍。弦楽器が合っていたのか、飽きることなく今も弾きつづけています。
卒業後はしばらくフリーターをやりながら演奏活動をしていましたが、30歳の時に、その頃ちょうど倍率の下がり始めていた教員採用試験を受けたところ、幸運にも受かり、10年ほどその世界に身を置くことに。
今は二児のシングルマザーとなり、民間の企業で正職員として働いています。
やたら曲がりくねった道を歩いてきてしまったなあ、と思うし、経済的に危ない橋を渡ったことも何度かあったけど、自分がそのとき出来る範囲で、最善と思うことを選択するしかなかったのだから、それで良かったのだと思います。
こうやってなんとなく振り返ってみて今思うのは、
・自分に高校は本当に必要なかった
・結婚相手は、髪の毛を五分刈りにする可能性があるような、少し変わったところのある女性が好きという変人だった。離婚しちゃったけど、あの時は選んでくれてありがとう。
あくまでも私の個人的な感想ですが、大学を受験する時にセンター試験を受けてみて、毎日しんどい思いをして、朝から夕方まで四角い空間(教室)にいる必要は、やっぱりなかったなと思いました。私は経済的な問題から、大学受験は独学せざるを得なかったですが、過去問やテキストを使えば、じゅうぶんに勉強出来る内容でした。
もちろん高校は勉強のためだけにあるのではないですし、過去に教員をやっておいてなんですが、少なくとも私には、学校という空間は合わなかった。なんだか息苦しかったのです。
友達はいたけど、行事は苦痛だし、ましてや団体で旅行なんて便秘にはなるし、よくわからない遺跡を見なきゃいけないし、夜寝る時にコダマ電球をつけたまま寝たい、とかいう人がいてイラッとするし…
一体何が楽しいのか。
(コダマ電球は、流石にいま同じ状況になったら、その場限りだし〜と割り切って、きっとふつうに眠れます笑)
そんなふうに感じるのは変なんだ、自分はやっぱりダメな人間なんだ、そう思っていましたが、今ならわかります。周りの友達の中にも、少なからずそういうふうに感じていた人が、きっといたであろうことを。
普通の人と同じように、楽しい青春時代を過ごしたいのに。。とあの頃はひとり泣いていましたが、別にそんなのはなければないで、人生に何の影響もなかったなあ、嘆くな自分よ、と今では思います。
長くなってしまい&今さら・・の自己紹介でした。
10代後半ぐらいまで、過剰な自意識に本当に悩まされました。あの頃のような繊細な感覚と、刃のような鋭い感受性は、どこに行ってしまったのでしょうか。
どんなに人を傷つけまいと気をつかっても、万人に適用するルールはないのだし、結局自分が信じたとおりに、かつ目の前の人に愛をもって接するしかないのだ、という、今ではすっかり図々しいおばさんになってしまいました。
でもときどき、職場で若者と一緒に仕事をしたり、noteでもそうですが、若い魂に触れると、とても大切な事をなつかしく気付かされます。乱降下する気持ちの動き、ささいなことに傷つくむき出しの心、純粋さ。
私はふつうの一般人なので、なんとなく出来る範囲で音楽を続けて、仕事をして、二人の子どもを育てて、日々を大切に過ごす、ということしかできませんが、10 代や20代の若い人たちがいきいきと、瞳を輝かせて生きられる社会であったらいいのに。いつも、そう思います。